紙の本
歴史のトレンド(潮流)に乗れば勝ち組
2019/03/24 13:55
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、武士の時代700年間をふりかえり、日本史の転換点となった、平将門の乱、保元の乱・平時の乱、承久の乱、島原の乱等10以上の乱と変について概観した著作である。同一著者の前作「承久の乱」では、触れられていない「霜月騒動」についての言及もある。学会の大勢と異なる著者の歴史的解釈については、その旨記載されており、歴史に疎い読者にとっても日本史の流れを理解するうえで恰好の1冊であると思う。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
当時の日本人が何を考えて、どのような暮らしぶりだったのか、教科書だけでは知ることができなかった。おもしろい。
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やや親書を書きすぎでマンネリ気味の本郷先生ですが、本書は個人的にはヒット。中世のみならず、相当広い範囲を乱と変をキーワードに説明していきます。応仁の乱に至る室町時代の経緯など、腑に落ちるところが多かったです。
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室町幕府は東日本や九州は眼中になかった。
応仁の乱は室町初期の構図を引きずっていた。
織田信長がいないと戦国は終わっていない。
島原の乱の結果、平等より平和の江戸時代に。
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歴史が好きで特に戦国時代について、解説本や歴史小説を読んできました。信長、秀吉、家康とみんなカッコいいのです。ですが、読んでいるうちに、その前にはどんな大名が活躍していたのだそう、そしてどうして彼らはその地位を譲ることになってしまったのだろう、と疑問が湧いてきました。
それをひも解くには、戦国時代の前の時代、鎌倉・室町時代等の歴史を勉強するのが一番良いですね。そんな私にとって、この本の著者である、本郷氏の本との出会いは素晴らしかったです。
ここでは歴史上有名な、乱と変の日本史について解説されています。本能寺の変、有名ですが「三大どうでもいい話」の一つにあげられている点、なるほどと思いました。
テレビや小説で取り上げられてきている、多分、物語として作りやすい事件よりも、日本の姿を決めることになった事件をこれからは追いかけていきたいと思いました。
以下は気になったポイントです
・国全体を揺るがすような大きな戦いを「乱」、影響が限定的で規模が小さな戦いを「変」である、乱や変でどちらが勝ったかよりも、当時の日本がどうゆう状況にあり、当時の日本人が何を選択したかを考えるのが重要である(p17、24)
・当初は京都から派遣されたが、京都に戻っても出世できないと思った役人の中には人気が終わっても土着(p31)
・中央から国衙に派遣される地方官が国司、四等官制によって、守・介・掾(じょう)・目(さかみ)が置かれた、京都から派遣されていたが、帰っても出世が見込めないと思った彼らは、土着して私営田領主となっていった(p31)
・武士が戦う時の基本は、刀ではなく、馬に乗り弓で矢を射て相手を倒すこと、弓を持つ左手を弓手(ゆんで)、馬の手綱を取る右手を馬手(めて)と呼んだ、左側前方に相手をとらえて矢を射る(p33)
・源氏は、嵯峨天皇が皇室財政の負担を軽くするために、皇子・皇女を臣籍降下させて、その際に与えた姓「源」がルーツになる。合計21流あるなか、最も力を持ったのが、清和天皇の孫・経基から始まる清和源氏で、頼朝はこの嫡流(本家)である(p49)
・坂東八平氏である、千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾氏は、武家の棟梁になれなかった、東の源氏と西の平氏がおたがいに力を得たことが、保元の乱の背景にあった、源氏は藤原本家の傭兵隊長、平氏は上皇の傭兵隊長であった(p51)
・後白河天皇についた藤原信西は、敵対する宗徳上皇の勢力を武士によって殲滅すべく、勅命をだした、これに応じたのが、平氏の当主・平清盛と、源氏の当主・源義朝である(p58)
・平治の乱は、敗北側:藤原信頼・源義明・源義平・源頼朝、勝利側:藤原信西・平清盛・平重盛・平頼盛(p67)
・平治の乱自体は大した戦いではなかったが、武士が朝廷の一員になったという点では大きな意味がある、清盛は武士のトップだけでなく政治家としてのトップに上り詰めた。当時の朝廷や貴族たちからすれば、どうでもいい地域の東に、武士だけの権力が誕生するが、保元・平治の乱はそのおおきなきっかけとなった戦い(p70、71)
・日本の中世では、天皇(王家)を、貴族(公家=政治)、武士(武家=治安維持・軍事)、僧侶・神官(寺家・社家=祭祀祈祷)が支えていた、陸奥平泉の奥州藤原氏をいれる考え方もある(p76、78)
・治承、寿永の争乱(1180)は、源氏と平氏の戦いではなく、朝廷による反乱の鎮圧であり、それが源平の争乱として表れている(p81、86)
・承久の乱とは、日本史上唯一、官軍が負けた戦いである、旧体制の復権を主張する後鳥羽上皇と、武家政権を樹立した新体制を主張する鎌倉幕府との戦いである(p94)
・北条義時は、ライバルを次々と引きずりおろした、まず梶原景時、次が比企能員(よしかず)、畠山重忠、和田義盛、これにより義時は政所・侍所別当を兼ねることになった(p104)
・鎌倉幕府が始まった時、平氏から没収した所領が500か所、承久の乱によって没収したのは3000か所、これにより幕府の勢力は西国を含む全国に広がった(p112)
・幕府の財産とは、御家人の不動産の総和なので、御家人が土地を売り払って品物を手に入れるようになると、幕府の財産も目減りした。徳政令が出される素地がここにある。鎌倉幕府は貨幣経済の進展に追いつけなかった(p133)
・足利尊氏は直義を追いかけるために関東に向かう時、南朝と和議を結んだ、北朝の崇光天皇を退位させて、観応という北朝年号を廃止して、南朝の年号(正平)に統一、南朝の後村上天皇に忠誠を誓った(p139)
・悪党とは、室町幕府から御家人として認められなかった武装集団、新興集団をいう。社会秩序を乱す者とshちえ、幕府や荘園領主と対立した(p158)
・管領とは、将軍を補佐して政務を統轄する職のことで、足利氏の一族である、細川氏・斯波氏・畠山氏の三家が持ち回りで行い、三管領と呼ばれていた。次いで要職だったのが、京都の警護・訴訟を担った侍所で、その長官「所司」になれるのが、赤松氏・一色氏・山名氏・京極氏(佐々木氏)・土岐氏、途中から土岐氏が外されたので「四職」と呼ばれた(p166)
・室町幕府の在り方を決める政策が、明徳2-4年に起きている、1)明徳の乱により山名氏の勢力減退、2)南北朝の合一、3)東日本を切り離した、鎌倉公方が管轄することになった、4)幕府が京都支配をする(p176)
・堺の権益は、初めは山名氏、明徳の乱の後には大内氏、そして応仁の乱の結果、細川氏が握った(p180)
・幕府が西日本を中心に舵を切ったことが、斯波氏衰退の背景にある(p189)
・足利義満と細川頼之によって、土岐氏、山名氏(明徳の乱)、大内氏(応永の乱)が潰された。応仁の乱での対立図式は、足利義満時代に勝ち組だった守護大名が東軍、負け組が西軍に加わっている(p194)
・斯波氏は、越前・尾張国の守護を兼ねていたが、応仁の乱の後には、越前は守護代の朝倉氏、尾張国は守護代の織田氏に奪われている(p197)
・関東、東北、九州の守護大名の多くは、戦国大名に転身することに成功している、京都に縛り付けられず、地元にいたから(p198)
・応仁の乱��東軍である、細川氏が管領を独占し、幕府の要職を独占したから(p199)
・一向一揆が江戸時代で退潮したのは、人々が平等な世の中よりも、平和な世の中を求めたから(p228)
・西南戦争は、旧薩摩藩を中心とした武士の軍隊・反乱軍と、武士以外も含む徴兵軍(国民軍=政府軍)の戦いで、徴兵軍が勝利した、最後の大乱である、そして武士の否定が西南戦争の本質である(p241,244)
・今私たちが生きている時代はどのような時代か、それはトレンドの終わりか始まりなのか、それを見極めるために歴史を学ぶ意味がある(p251)
2019年4月21日作成
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乱と変ー戦乱・紛争ーを通して日本史を見た本書。
戦乱の通史として記述しているので、時代区分でぶつ切りにするよりも分かりやすいものとなっている。
ある時代は、その時代のみで完結している訳ではなく、前時代や更にそれ以前の時代に拘束されている。それを理解しようとするなら、ある程度通史として見なければならないのだろう。
しかし、やはり足利直義は不憫で悲劇である。
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20190502
気候や環境の条件に縛られることがなかったために、日本では時代の要請に合致したほうが勝つことが多かったのでしょう。
ということは、それぞれの戦いをつぶさに見ることによって、その当時の日本がどちらに向かって進んでいたかが見えてくるはずです。 乱や変でどちらが勝ったかよりも、その当時の日本がどういう状況にあり、当時の日本人が何を選択したかを考えることが重要なのです。
(p.23-24)
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久しぶりに、とっても面白い本と出合いました。歴史では、印象深い場面だけがクローズアップされますが、その印象深い場面までの経緯を分かりやすく詳細に知ることができました。
P25 乱と変は、勢力Aと勢力Bが拮抗した時に起こる。
BがAに比べて取るに足らない弱小勢力である場合には、
単にBが滅びるだけで「乱」「変」という言い方はしない。
AとBが同じ土俵で戦うことになると、
その戦いの背景にある人々の見方や考え方、
生き方などを知る手掛かりになる。
AとBは、その間に深刻な対立があるからこそ戦う。
Aという選択肢を取った人たちが、Aグループを
Bという選択肢を取った人たちが、Bグループを
形成して戦い、勝った方が選択肢に従ってその後の社会を形成する。
P184 応仁の乱は、室町幕府の長きにわたる
政治抗争の結末に他ならない。
足利将軍家の権威、権力が失墜したから応仁の乱がおこった。
「宿命的なもの」であった。
P235 宗教が機能しない日本の土壌は江戸時代に、ほぼ基本ができた。
P246 勝者と敗者を分けるもの
この国における勝者の条件とは、時代・社会の要請に忠実に従った者。
P250 日本は
・特徴として外敵が少ない。
・多神教であり、時代の変化が穏やか。
・天皇・朝廷が世襲で変わらない為、中国の王朝のような大変動は起きにくい。
結果、日本はゆっくりと進み、蓄積が生かされていく社会。
今の時代はどのような時代か、歴史の大きな流れをつかむために
歴史を学ぶ意味がある。
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中世から近世への話は、とても面白かった。
幕末が、西南戦争になる。戊辰戦争は、論じない。そのあたりがちょっと荒っぽい気がする。
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2019/10/11
磯田さんの本も面白かったけど本郷さんの本も読んでみるとなかなかに面白かったです。
日本の歴史で起きた戦乱についてまとめて、どういう経緯で戦いが起こったのか、戦いが起こった背景はなんなのか、その流れから考えられることは何かという柱で色々な乱や戦いのことを考察した内容で、歴史の流れをもう一度確認することができたし、新たな視点で戦乱を考えることができたなと思います。
今まで習ってきたものだと、どうしても勝者が歴史の表舞台に出てきているイメージを持ちがちですが、そういう小さな視点ではないのだなと実感ました。
大きな流れで戦乱を考えたときに、その戦乱が起きた意味を考えることで、その後の戦乱との比較を行って共通点を考えたり、当時の時代背景として人々がどんなの世の中を選択する道を選んだのかというところにまで行き着くことができるということを教えられたような気がします。一回だけでなくて、何回でも繰り返し読んで自分なりに噛み砕いていきたいと思います。
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中学、高校を通して乱や変については学んだけれど、正直どんなものだったのか分からない…そんな状態でも楽しく、分かりやすく読める文章が魅力です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00545356
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外敵からの侵入が少なく(黒船や敗戦など除く)、多神教(宗教的には何でもあり)であるが故に常に場当たり的で、それこそ場の空気を読みつつ、穏やかにゆっくりと、だけど一部の権力による力技にほとんど歪められることなく、確実にトレンドに沿う形で変化してきた日本社会。勝者と敗者を分ける分岐点は、このトレンドに沿ってるかどうかによる。
乱や変には「天下分け目」となる争いもあるが、時代からの要請というトレンドが見えるまでしっかり目を凝らしながらポジション取りをしていきたいところだ。
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著者は東京大学史料編纂所教授、専門は中世政治史。〇〇の乱とか〇〇の変とかいう事件が日本史には多く出てくるが、乱と変の違いは何なのか。その結果政治体制がどのような影響を受け、どう変わったのか?などを掘り下げていく。著者がいうところによれば、中世の国家体制には2つの考え方がある。一つは「権門体制論」といい、王である天皇を貴族、武士、僧侶が支える体制。公家、武家、寺家にはそれぞれの内部にある権門勢家、つまり権勢のある門閥や家柄を中心にまとまり、世襲原理で連なっていく。もう一つは「東国国家論」といい、京都の天皇を中心とした政権(朝廷)に対し、鎌倉にも将軍を中心とした政権(幕府)が並び立ち、つまり2つの国家があった、という考え方である。中世研究者のおよそ85%が東国国家論ではなく権門体制論を支持している。著者は東国国家論支持者である。詳細→
https://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou28105.html
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本能寺の変の黒幕が誰か、はどーでもいいことなんですね。
誰が黒幕でも歴史は変わらなかったから、という歴史に納得!
学者さんとしてはそれで良いと思います。
が、単なる歴史ファンとしては誰が黒幕なのかいろいろと妄想することが楽しみです。
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フランスの哲学者コジューヴは「人間の歴史を学びたいなら日本の歴史を学べ」と言ったそうで、「我々は最高のテキストを持っている」という信念?から、いくつかの乱と変について、背景・構図・経過・結果を論じたもの。
「我々は最高のテキストを持っている」と言われるとそうなのかもしれないような気もしてくるし、その理由や視点にも妙に説得力や面白さが感じられるのが著者の不思議な魅力ではある。ただし、著者の「科学としての歴史学」という考えには少々疑問もあるので、その辺は割り引いて読む方がよいのかと。