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商品説明
第一次大戦勃発からナチス体制、戦後のボン基本法体制に至るまでのカール・シュミットの憲法・政治思想の変遷や彼の精神的軌跡を、当時の時代状況のなかで、特に「非常事態=例外状態」との関係において描出する。【「TRC MARC」の商品解説】
カール・シュミット(1888-1985)とは何者か。政治思想家なのか法学者なのか。ナチス・ドイツの御用学者なのか、それとも状況に反応するカメレオン的人物なのか。『政治的なものの概念』『政治的ロマン主義』『政治神学』『憲法論』『現代議会主義における精神史的地位』など多くのロングセラーをもち、同時代のベンヤミンやその後のデリダ、アガンベンなど数々の論者も言及するシュミットの全体像を、青年時代から晩年までの作品読解を軸に、当時の国法学者や政治家の動向やシュミットの日記・書簡を通して、第一人者が描く。
シュミットが活躍をはじめたワイマール共和国期は、国内の政治経済が混乱し、国外からの圧迫も多く、ワイマール憲法に基づきながらも、緊急権が連発されていた。本書の中心テーマは、シュミットが「非常事態=例外状態」をどのように解釈したのか、その解釈がいかに変容し、ナチス時代には「総統が最高の司法」とまで言うようになったのか、その変容のプロセスおよび「緊急事態=例外状態」のあり方を、シュミットの思想の可能性と限界に迫りながら考察するものである。
憲法と国家はどちらが優先するのか。「緊急事態=例外状態」は法秩序の内にあるのか外にあるのか。シュミットの生涯の軌跡を媒介として、法と国家とわれわれのあり方について考える。【商品解説】
目次
- 序
- 第一章 ヴィルヘルム時代におけるカール・シュミット
- I ヴィルヘルム時代におけるシュミットの著作と思想
- 1 シュミットのプロフィール
- 2 『国家の価値と個人の意義』(一九一四年)
- II 第一次世界大戦時におけるカール・シュミットと戒厳状態
- 1 シュミットの戦争体験
- 2 ドイツにおける戒厳状態法
- 3 「独裁と戒厳状態」(一九一六年)
著者紹介
古賀 敬太
- 略歴
- 〈古賀敬太〉1952年福岡県生まれ。京都大学法学研究科博士課程修了、博士(法学)。大阪国際大学現代社会学部教授。著書に「カール・シュミットとカトリシズム」「シュミット・ルネッサンス」など。
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紙の本
「非常事態=例外状態」「魔性の政治学」「矛盾の人」
2022/08/30 16:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は80年に及ぶカール・シュミットの憲法・政治思想の変遷と精神的軌跡を、当時の時代状況との関わりにおいて、特に「非常事態=例外状態」との関係で俯瞰する。大学時代『憲法論』で初めてシュミットに接し、その後も『政治的ロマン主義』『独裁』、また本書著者も含めた研究者の論攷も機会ある毎に読んできた。著作全てを読んだわけではなく、憲法・政治思想の全貌を理解しているわけではないので、通史的概説的にまとまった本書を手にしたのである。あとがきによれば、著者もシュミット研究の集大成として本書を書き下ろしたということだ。
2019年購入「積読」だったのだが、引っ張り出して読み始めた。本書に相前後して新訳や解説本が何冊か出版された。当時は憲法改正論、IS抬頭と自由と民主主義といった時事問題を背景としていたし、直近でも分断の政治、ロシアのウクライナ侵攻、中国海洋進出など「危機」が前景にでてくると、シュミットが脚光を浴びることになる。こういった時代状況に反応して読んでみようと考えた。もとより浩瀚な内容の本書をレビューすることはできないが、著者によればシュミットは法学と政治学で相反する見解を示すことが多く、一貫した思想があったのか、それとも変化する状況に反応するオポチュニストだったのか、という問題がある。そしてこれを理解するために、二つの精神領域を架橋するいくつかのキーワードを提示しているので、それを中心にまとめてみよう。
一つは国家と個人、公と私などの相対立するものを論じる「両極性」である。本来は二つの極を統一していく思考形態なのだが、シュミットは相対立し引き裂かれた分裂状態のままである。『憲法論』において、ワイマール共和国の民主的な法治国家秩序が内憂外患の非常事態に直面するなかで憲法の範囲内で民主的正当性に基づく大統領独裁を定式化した。一方でナチズムの「総統原理」秩序構築にコミットする。この二つの思想は、究極的な目的は個人の救済にあるのだが、「両極」的な考えが示されるのである。
シュミットは、自由主義と民主主義、合法性と正当性、規範と決断、非常事態と常態、のように区別し(「両極性」)、双方の緊張関係を正当に指摘するが、それをさらに分離し対立させる「二項対立」の図式をとる。この対立が強調されることで双方の弁証法的関係が見落とされ、相対立するものを「統合」していくという姿勢は放棄され対立したままである。
シュミットは歴史的・政治的現実から様々な「概念」を生み出し、これらを駆使して「両極性」「二項対立」を駆使してレトリックを展開する。そして後世の学者は、当時の現実を捨象して自由に客観的に認識するという「概念の呪縛」(例えば「決断」)に陥り、相対立する立場双方がシュミットの思想に魅了されるという陥穽を辿ることとなってしまっている。この例として「同質性」という概念がある。シュミットは民主主義の前提となる「同質性」を「治者と被治者の同一性」と定義し、民主主義と独裁を結びつけ民衆を客体に貶めた。民衆は「喝采」を通して指導者の意思に自らを「同一化」させる存在になってしまう。この「同質性」はボン基本法の「緊急権」の議論では、守るべき政治的統一体としての国家の大前提としても使われる。シュミットにとって戦争や革命といういわば「非常事態=例外状態」が、「国民的同質性」を創出する契機となるものであった。
シュミットは「矛盾の人」である。憲法と政治思想に首尾一貫性を見出すことは困難ではあるが、矛盾として排斥せず、そこに内在し、矛盾を生じさせた理由を理解する複眼的思考が必要である、という指摘は示唆に富む。