紙の本
高校生にも
2022/03/06 02:07
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
わかりやすいので、読んで欲しいです。倫理を学問で解説したら、やたら固い本になってしまう……という先入観を砕いてくれます。初学者向きに書かれているので、大学生の学術書ではないですね
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初学者向けに特化しているが網羅性もありめちゃくちゃ分かりやすい
普段の自分の思考や価値観が法則に従っていることが分かるが
突発的に思いついた考えが、フレームの中のどこに位置しているか構造的に考えられるかはちょっと訓練必要かもしれないな
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倫理学についての教科書的な部分よりも、それを使って漫画や映画がどう読み解けるかという部分が面白かった
デスノートや又吉直樹の火花、ゴッドファーザーなどなど。
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すごく読みやすかった。さまざまな考え方を整理する、そして個人の人生には直接には当てはめられないみたいな倫理学の位置付けみたいなところが非常にわかりやすかったし、そういう箇所こそ玄人にしか書けないのだと思う。
社会・個人・身近な関係、攻め・守りという分類は分かりやすく覚えやすく、これを基礎にして他の知識を位置づけることができそうで嬉しい。
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正義、愛、自由、幸福の定義をわかりやすくしっかりと言語として提示しており、その関係性も非常に具体的に捉えることができた。
正義のつり合い、自律による幸福などなるほどと思うことが非常に多い。
分厚い本だが本当に分かりやすく書いてくれている本でただの知識の吸収ではなく、実生活での考え方の指標となるように編集してくれていることがありがたい。
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道徳では、理由の説明が大事。実は、これが科学と倫理学の違いで、科学的な思考に慣れた人にとって分かりにくいところです。というのは、科学が説明しようとするのは、理由ではなくて原因だからです。(中略)原因には正しいも間違ったもないけど、利湯には正しい理由と間違った理由があります。さっきのような理由ではとうてい、正しい理由、ちゃんとした理由とは言えない。だとすれば我々は、それを「正しい行為」とは判断できない。むしろそれは、「正しくない、道徳的に悪い行為だ」と判断する。
こうして科学が原因の研究だとすれば、倫理学は理由の研究。しかも、正しい理由の研究なのです。(pp.59-60)
結局のところ善=最終目的と言えるのは幸福です。だって「何のためにお金持ちになりたいの?」と聞くことはできても、「何のために幸福になりたいの?」と聞くことには意味がありません。お金をはじめとして、我々が目指している目的の多くは「とりあえずの目的」で、それらは実は目的というよりは手段であって、結局のところ本当の目的である「幸福」のためのものなのです。(p.156)
お金は、他の全てのものに対して絶対的な上位に立って、全ての商品の価値を量として計ります。これは、神様(唯一紳)が我々人間全ての上に立って罪や罰を計っていたのの代わりになっているからです。
しかし、お金と神様では違うところがあります。それは、神様は全ての人間に対して慈悲(愛)を持っているので、困った人がいれば助けてくれますし、悪辣な人がいれば罰します。つまり、神様は分配の正義も調整の正義も完璧にこなせるわけです。(存在するとすれば、ですが)。ところが、お金の場合は交換の正義だけです。経済学者の人は、経済が「均衡」、つまり「釣り合い」を生み出すのだと言いますが、それは商品の世界での釣り合いにすぎず、人間の間での釣り合いではありません。(p.315)
法律で禁じられているからしちゃいけないんじゃなくて、道徳的にダメだから法律でもそう書いてある。だから、法律に書いてあろうとなかろうと、ちゃんとした理由があるなら、ダメなものはダメだし、すべきことはすべき。これが道徳的規範です。倫理学の仕事は、道徳的規範にちゃんとした理由があるかを検討して、理由がない場合は取り除き、ある場合にはそれをきちんと示すということでした。
逆に、法律は手続きによって定まるんだけど、合理的な理由がなくても、手続きだけでごり押しで定めることも可能と言えば可能。昔の暴君はそういう人もいましたし、今でもいったん権力を握ると、国民が反対しているのに強引に自分たちに都合のいい法律を作る政治家もいます。だから、ときには間違った(非道徳的な)法律だって出来てしまうわけです。そういう法律を「ダメだ」と批判するためにも、やはり道徳が必要になります。(p.369)
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何かとその時の雰囲気を思い出せるのが楽しかった。ワンピースとか。340pの表7までの壮大な道のりを紆余曲折ガイドツアー。楽しかった。
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倫理、道徳というとどんなイメージでしょうか。
人は如何に生きるべきか?
そんなの人によって違うじゃん、はい、議論終了。
で終わってしまいそうだけど、本書ではそのように考えていない。
・倫理とは人と人が関わる中で必ず生じる、人間の生き方や行為についての価値規範である。(刑務所の中でさえ、掟は生じる!)
・倫理とは様々に違っていたり、場合によっては対立する道徳、倫理観をできるだけ整理し、調停するもの。
・倫理とは「道徳とされているもの」が全部大事とは限らないので、本当に必要なものと不要なものに分ける事。必要な場合は理由を明示する。
倫理とは人と人との仲立ちであるため、大きく「人」の関りを
「社会」
「個人」
「身近な関り」
の3種類に分けています。
各々でキーとなるのは
「社会」・・・『正義』(社会の秩序を保つために釣り合いを取る)
[調整の正義] 司法
[分配の正義] 政治
[交換の正義] 経済
「個人」・・・『自由』
「消極的自由(権利)」他人から権利を侵されない
「積極的自由(自立)」生き方の原則を自分で作る
「他人への自由」・・不確定義務
「自分からの自由」・・無償の愛
「身近な関り」・・・『愛』
「横の相補型」対等で親密な人
「縦の相補型」上下関係のある親密な人
「横の共同型」共通の目的がある対等な人
「縦の共同型」会社などの組織の上下関係
特に身近な関係についてはこうあるべし、やカテゴライズが不明確な感じはあるが、それだけ定義づけしにくいものなんだろう。
でも、こういう風に人との関係をカテゴライズできれば、本来そうある関係に他の関係を持ち込んだり、ある関係にありもしない関係の要素を持ち込んだりしないで済むとは思う。
とても良い本でした。
その他なるほど。
・「~したい、したくない」(心理)でなく「~してよいか、してはいけないか」(道徳規範)を扱う。だからみんなが納得できる理由を挙げる
・私に認められることは、あなたにも認められなければいけない(相互性)
・正義は1人の個人では決められない
・正義は暴走する事もあるが、それはもう正義ではない。
・私の権利と他人の義務がセット。私の義務と他人の権利がセット。
・少なくともお互いに違っていることを認め、最低限お互いに傷つけないようにすることが大事。
・古代から現代にかけて、権利を持つ者の範囲、つまり正義の適用範囲が広がってきた。
・すべての人に無制限な自由を許すと、求めていたのは自由のはずなのに、いつ他の人に襲われるかわからないというビクビクした状態で生活することになる。
・自立の反対は依存だし、自律の反対は他律
・生きる本当の目的というのは、それ以上に「それは何のため?」と問えないような最終的な目的。それが幸福。
・愛は人を特別扱いする。「共同型」なら何か共通点があって、それが仲間とそれ以外を分けている。「相補型」ならこの特別さがもっと進んで、他の誰とも取り換えが出来ない。
・組織では共通の目的が重視されるあまり、個々人が蔑ろにされてしまう傾向がある。共通の目的は弱すぎるとバラバラになるが、強すぎると個々人を圧迫する。(バランスが大事)
・個人の生き方は「人によるでOK」。社会は「人によって違うでは困る」。身近な関りでは「人によって違うが、自分一人では決められない」
・相補型の愛では、相手が「持っているもの」でなくその人自身が大切なのだが、契約(交換の正義)ではモノやサービスが対象であり、誰でもよい。
・そもそもお金で買えないもの、つまり取り替えられないもの。それを愛と呼んでいるのではないか。
・社会では自分じゃなくてもいい、他の人と取り換え可能な存在。
・不倫がまさしく不倫なのは、夫婦の関係である横の相補関係を破壊するから
・義務論は良く生きるための十分条件だが、目的論は必要条件である。
・意見が分かれてしまうのは、どの面から見るかによる。大事なのは自分が見えている面だけが唯一の正解だと思わないこと。
・自分の幸せを見つけるには、自分自身を見つめるとともに思い込みを無くすこと。一つの事だけに囚われていないか思い返すことが大事。
・確定義務とは他人の権利とセット。不確定義務とは他人の権利があるわけではない。
・カント「義務に反する行為(アウト!)」「義務に従うこと(当たり前)」「義務からの行為(自発的)」
・同じ2人でも、いくつもの側面を持っている。また関係は変化する。
・どの原理が大事かはその場、その場で違う。
・これらの原理の中で何を大事にし、全体でどんなバランスをとるか。それを考えるのが、自分の人生の主人公になるということ。
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悩める人にはいい解決案のヒントになるかも?
とは思ったけど、どんどん退屈さが増してくる本で、これでも相当読みやすく書いてそうだから、実際の倫理学の本なんざ途方もねーな。
と、思うが。たしかになんていうんだろ、人間として生きていくときにどーしたって大事なことがたくさんいろんなひとが研究して学問として成立してる!
どうにもこうにも私は幸せになれる気がしない。
って人はこう言う学問を学ぶのが、宗教に頼ったり占いに頼ったりするよりも解決はするんじゃないかなぁ?っていうよりよく生きるヒントがたくさんある本でした。
ただ、学ばなくてもなんとなく皮膚感覚でハッピー体質もいるよなぁ。とも思う私でした。
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この本では、「正義」「自由」「愛」について、「個人」「身近な関係」「社会的関係」に分けて定義をしようとしていて、その分類にによって、それぞれの定義が、とてもわかりやすいとも思ったのですが、そうは言ってもと納得しきれない気持ちが残るのです。
たとえば、2章 倫理学とは何か(p.70)、押すと一億円もらえるけれど、どこか遠くで知らない人が死ぬボタンを押すかどうか、という「運命のボタン」。押したいかどうかは「心理的な原因の問題」、押して良いかは「道徳、倫理的な理由の問題」。
考えられるのは4つか、①ボタンを押し、自分の行為により誰かが死に、自分は1億円を手に入れ、自分は死なない、②ボタンを押し、自分の行為により誰かが死に、自分は1億円手に入れるけれど、誰かのボタンにより自分も死ぬ、③ボタンを押さず、1億円は手に入らず、自分の行為によっては人は死なず、自分も死なない、④ボタンを押さず、1億円は手に入らず、自分の行為によって人は死なないが、誰かのボタンにより自分は死ぬ。
面白い問題だと思うし、「押してはいけない気がする」という気持ち的な理由でなく、個人の立場から考えると結局は自分にも他人にも良くない結果になる、だから相互性という理由により「私がボタンを押すことは許されない」と道徳の基本原理から判断されるという説明もわかるのだけれど。でも実際に選択の場面になったら、③がお互いに道徳的にも実際的にもベストな選択だとしても、自分が押さなくても他に押す人が多ければ、④の確率が高くなるよね、かといって押すのを選んでも、押す人間が増えれば①の確率は増えて②は減って、それが相互になったら、場合によっては人類絶滅かと思ってしまう私は本当は倫理観が無い。普段は倫理感ある人を装っているね、私。
(p.112)第5章「正義を洗う」では、私自身昔から「正義は人によって違う」「正義は自分の都合」と思っていたので、「社会の秩序を保つために、釣り合いをとること」が正義の概念であり理念であるという定義、そして「人によって違う」のは個々の「正義のイメージ」であり「正義を実現するための手段・方法」というのも、とてもなるほど!でした。しかし一方で、そうは言っても、実情として定義は等しいのだと言われても、個々のイメージが異なれば、戦争や紛争の各々は自分を正義(のイメージ)と思っている部分が解消されるわけではないよねとも思ってしまったり。
第12章 恋愛と友情(p.188)で、「同じもの、共通なものがあるために結びついている」パターンが共同性で友情、「お互いに違っているからこそ求めあう」パターンが相補性で恋愛、という説明、定義は非常にわかりやすく面白い。愛についての章は、この本で一番面白かったです。この定義なら、恋愛を男女間に限ることもなく、友情を同性間に限ることもない。親子愛や家族愛や、コミュニティに属する者間についても考えられるし、非常に面白い定義だと思います。
しかし、16章 人生の解釈学で、愛と契約、お金と愛についての説明が腑に落ちない。「逃げるは恥だが役に立つ」のみくりと津崎君は、確かに契約雇用関係から愛に移行したけれど、では契約は愛ではないのか?。契約と愛が別だ、取り換えることのできない、かけがえのない相手と思うことが「愛」であるということに異論はないのですが、「今日は俺がおごるから、明日は君がおごって、それで五分五分」と言うカップルは水臭い(p,250)の? それは交換そのもので愛はないの?社会的な関係は愛ではないと考えるのは「愛情の搾取」につながるのではないの? と、ここらあたりは、とっても頭の中でグルグルしています。
あと、折角面白い本で、引用や例示も多いのだから、それを参考文献として明示してほしかった。教科書らしいのに、これには全く納得できません。文献リストのない教科書って?例えば、(p.264)に「インターネットで多くの人が参加する熟した議論が可能になるという期待もあったけれど、今のところそうなっていない」ということを、法学者サンスティーンが論じていると書かれていて、それに興味を惹かれたので読みたいと思っても、文献の紹介がない。
キャス サンスティーン インターネットは民主主義の敵か
キャス サンスティーン #リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか
かな、とは思うのですが。どちらも面白そう。しかし、そういった本文中に触れたテキストや人は、普通学生に紹介されないのか?
などと、あれこれ考えてしまうというのは、裏を返せば、やはり読んで面白かった本ではあります。
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倫理学とは法律を法律たらしめるものとは何かを考える学問で、そこにはアリストテレスが言った「よく生きる」とは何かという問いが根っこにある。著者の考え方は、人が生きる上での社会との関係性を他人、身近な関係、自分の3つに分け、それぞれに重要な倫理について正義、愛、自由と考える。自分と社会との関わり方を検討する上で役に立つ。
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著者さん、デスノートめっちゃ好きやん…
アニメとかマンガがお好きなのかな、ちょこちょこ例に出てきて共感しました
文章もめちゃ分かりやすくて面白かった!
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ある著名人の発言が炎上しているのを見て、確かによくない発言だ、と思った。大多数の人は私と同じように「よくない発言だ」と考えると思う。でも、なぜよくないんだろう?とにかくよくないものはよくないし、理由が説明できないならよくないと言ってはいけないだなんて思わないけど、私はその理由を説明できるようになりたかった。そこで興味を持ったのが、倫理とか道徳といった分野だ。
大きめの本屋に行き哲学や倫理学の棚を眺めてみたところ、たまたまこの本が目にとまった。「ふだんづかい」というくらいだから、きっと初心者にもわかりやすいんだろう。本当に何気なく手に取っただけなのだけど、この本、前書きがめちゃくちゃおもしろい。読み終わったあとだから言うけど、正直、前書きが一番おもしろいかもしれない。著者のずうずうしさというか、ずうずうしいのに妙に客観性があるというか、「倫理ってむずかしそうだけど、気軽に足を踏み入れてみてよ!(でも、そのまま通り過ぎてもいいよ)」みたいな、やさしいんだかやさしくないんだかわからない感じが楽しくて読むことに決めた。
冒頭に書いた「よくない理由」は少しだけ説明できるようになった。他人の権利をないがしろにするのは自由の侵害であり、道徳の相互性(正義)にそむくものだから、という感じだろうか。まだあまり自信はないけど、倫理とか道徳とか正義とか、なんだか漠然としていて掴めないものの形が見えてきたのは大きな成果だった。倫理や道徳は個々人によって捉え方が変わるもので、それをひとつの形に落とし込むのはむずかしいと思っていたけど、そして実際「ひとつの形」に落とし込むのはむずかしいということがわかったのだけど、「私はどんな形に落とし込むか」を自分で考えることが大事なんだと思う。著者が何度も使っていた言葉のひとつに「バランス」がある。私はどんなふうにバランスをとっていくか、自分にとって大事なものは何なのか、ちゃんと考えていきたいな。
【読んだ目的・理由】倫理や道徳に興味を持ったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.4
【一番好きな表現】つまり、これらの原理の中の何を大事にし、全体でどのようにバランスをとるか、それを考えること、いわば人生を自分なりにデザインすること、それこそが「主人公は私」の本当の意味だったのです。(本文から引用)
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倫理学の入門書
かなりわかりやすく例を交えながら分類されている。
この本キッカケで次の倫理学や哲学の本読んでみたくなる。
また入門書なので、読み返しやすい構成。
この本の記載が全てではないと思うが、まずはこれを読んでおけば倫理学のイメージはつく。
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書名の通り、普段の生活における指標となるような倫理学の入門書。
伝統的な倫理学は、大雑把に言えば二つに分けられると思う。一つはアリストテレスの徳倫理に代表される、一般に善いと考えられている性質(正直さ・寛容さなど)を列挙していくことで構成していくタイプの倫理学。もう一つは、カントの義務論やベンサムの功利主義のような、最初に一つの原理を定めそこから物事の善悪を判断するタイプの倫理学。しかし、残念ながらどちらのタイプの倫理学にもそれぞれ欠点がある。前者は、「徳」の数が非常に多くなる傾向があり、「徳」の衝突が頻発することによって個々の行為の善悪がはっきりしなくなってしまう。後者は、一つの原理しか認めないために取りこぼしが生まれ、視野が狭くなってしまう。
そこで本書が目指すのが、これら二つの倫理学の「間」を探ること、つまり、取りこぼしをなるべく減らし、且つ、扱いやすいだけの数の原理を設定することである。
原理をどのように選ぶか考えるために、まず人間関係を「個人」「身近な関係」「社会」の三つに分類している。そのうえで、各分野における基本原理を、それぞれ「自由」「愛」「正義」と定めている。本文ではこれらの原理の検討がかなり詳細になされているが、もちろん全部はここにメモできないのでp.340の表を抜き書きしておく。
表7 倫理の基本とパターンの総まとめ
人間の関係・基本原理・パターン・攻めor守り・具体例
社会・正義・調整・守り・法(刑事罰)
交換・守り・経済(売買)
分配・守り/攻め・政治(予算配分、税金)
功利性 ・攻め/守り・トリアージ
身近な関係・愛・横の相補性・攻め・恋愛、夫婦
縦の相補性・攻め/守り・親子愛、師弟愛
横の共同性・攻め/守り・友情、コミュニティ
縦の共同性・攻め・部活、会社
個人・自由・消極的自由・守り・プライバシー、愚行権
積極的自由・攻め・個人の幸福、生きがい
不確定義務・攻め・他人への親切
超義務・攻め・自己犠牲
数が少ないとはいえ複数の原理があるので、境界領域では原理の衝突が起こる。だが、そもそも倫理学の仕事というのは、何をどのように考えていけばよいかを分かりやすく整理することであり、それに過ぎないのである。
「・・・倫理学は原理を示すのであって、その原理の使い方、応用の仕方、決定するための理由は我々の一人ひとりが考えるしかないのです。どの原理が優先されるか全部決まっていたら、それは奴隷かロボット。自分で決めるからこそ、一人ひとりが生きる意味が生まれてきます。/つまり、これらの原理の中の何を大事にし、全体でどのようにバランスをとるか、それを考えること、いわば人生を自分なりにデザインすること、それこそが「主人公は私」の本当の意味だったのです。(p.344)」
大筋とは関係ないが「正義」に関してよくぞ言ってくれたと思った箇所があったのでそれについて。普段の生活の中で「正義は人それぞれ」なんていう主張を耳にする機会がたまにあるが、その度に、言っていることは分かりつつもなんとなく違和感を覚えていた。正義というのは、人によって違うとかそんなにあやふやなものじゃなくもっと確固としたものではないのかと。本書では、正義を「釣り合いをとること」と定義しており、人によって異なるのはあくまで正義の実現のさせ方、あるいは自分の主張、自分の都合に過ぎないことになる。「落ち着いて考えましょう。正確に言うと、上のことから分かるのは、「対立している双方が『自分たちの方こそ正義だ』と主張することがある」というだけのことです。つまり、違っているのは「正義そのもの」ではなくて、「自分は正義だ」という主張だけです。こういう主張の対立はごく普通にあることです。(p.109)」もちろん正義は実行してはじめて意味を持つので、その意味では現象としての正義は人によって違うのが当然だが、それでもやはり、それは正義の一つの現れでしかないということを頭の片隅に置いておくことには意味があると思う。というのも、人間のすることである以上「神の正義」はどう頑張っても実現できないので、「これが正義だ」という主張はどんなにもっともらしく、耳に心地よくても、必ず誤り、少なくとも局所的にしか正しくないということになるからである。「正義は絶対に実現できない」といえば絶望になるが、「どんな正義にも必ず改善の余地がある」といえば希望になるのではないだろうか。