紙の本
読みやすい新訳
2019/05/14 15:33
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:docta-ignorantia - この投稿者のレビュー一覧を見る
岩波文庫では、いままで「単子論」(河野与一:訳)があったが、この新訳が出てとても読みやすくなった。他の入手しやすい翻訳としては、中公クラシックス版の「モナドロジー、形而上学叙説」(清水、竹田、飯塚:訳)もあり、翻訳文の読みやすさ自体はあまり変わらないと思う(ただし正確さについては私には分からない)が、新しい岩波文庫版の「モナドロジー」は各節の直後に訳注があって、いちいちページを繰らなくてもよいので、とても読みやすい。また、岩波文庫版と中公クラシックス版とでは、訳注の内容・詳しさなどが節ごとに違っているので、両方読み比べると参考になり、理解が深まると思う。岩波から同じ訳者(谷川、阿部)で「形而上学叙説(+アルノー往復書簡)」の新訳も出してほしい。
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ドイツの哲学者であり、数学者であったライプニッツによって案出された「モナド」について書かれた書です!
2020/05/01 09:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ドイツの哲学者であり、数学者であったライプニッツによって著された「モナド」という概念について書かれた書です。実は、「モナド」とは彼が案出した空間を説明するための概念です。彼は、現実に存在するものの構成要素を分析していくと、それ以上分割できない延長を持たない実体に到達すると考えました。そして、これをモナドでと呼んだのです。彼によれば、モナドは構成されたものではなく、部分を持たない、厳密に単純な実体ですが、にもかかわらず属性として状態を持つということです。属性を持たなければすべてのモナドは区別できず、複数のモナドがあるとはいえなくなるからであると言っています。ドイツの偉大な哲学者であるライプニッツが解いた「モナド」について学んでみませんか?
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原書名:MONADOLOGIE/PRINCIPES DE LA NATURE ET DE/LA GRÂCE FONDÉS EN RAISON
モナドロジー
理性に基づく自然と恩寵の原理
実体の本性と実体間の交渉ならびに魂と身体のあいだにある結合についての新説
著者:ゴットフリート・ライプニッツ(Leibniz, Gottfried Wilhelm, 1646-1716、ドイツ、哲学)
訳者:谷川多佳子(1948-、文京区、哲学)、岡部英男(1955-、哲学)
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モナドなるものの大前提として、神という概念がある。この時代においては「神」という存在は大前提だったことがみてとれる。
意外なほど簡潔で、それゆえにモナドロジーとはなんぞやという点は難解に感じる。しかし、併録されている論文や書簡においてやや異なる角度で語られるため、なんとなくの理解を補間してくれる。
訳はとても読みやすい。
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性質が量に先立つ。
量は性質が生む。1と言えるならば、その大きさが観測できているので、つまりよりちいさな、その性質が示す量の可能性を、その観察者が示唆している。観察対象の量が観察の精度限界と同等なら、その観察は不可能である。無と実質的に区別がつかない。
性質が時空間に先立つ。
ある観察方法で分解可能なある性質があり、その性質は分解可能な性質まで還元できるまで我々が認知可能なら、ある法則性、配慮によってある次元で同等と言える条件でその因子が認められるとき、その性質因子か損複合体がある時空間を占めていると認識する。
時空の次元分解は配慮の因子分解と対をなす。
時空の次元への時間性の割当は配慮が生む現象に過ぎない。時間軸は観察者からみた、自身の発生と成長、死滅の目的性の上に据え置かれる。それ以外の、推移の仕方に据え置いても良かったはずである。ある観察者の古典物理学によれば、空間は時間を固定した後に開かれるが、それはその様態のつまり現存在の形態に依存しているに過ぎない。
モナドは我々の様態の開在性である。。11
彼が言うモナドの内在性は現存在の存在作用に依存する。
性質の量の変化連続的に見えるとき、その性質か次元は十分に因子分解されてない。よってそれはモナドではない。十分に因子分解されたとき、性質は跳躍的現象の確率の性質を示す。13
表象という代わりにシステムといえば、彼の言う欲求による推移も破綻なく説明できるだろう。15
魂は自分の襞を一挙にすっかり展開することができない。61
モナドはそれぞれに宇宙全体を表現し、、、魂も物質も宇宙全体を表現する。62
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ライプニッツ(1646-1716)『モナドロジー』(1714)岩波文庫
わかったようでわからんかった『モナドロジー』が少しづつわかってきた。谷川多佳子氏の翻訳はデカルトの『方法序説』と『情念論』を読んだけど、中世スコラ哲学に関する注釈がくわしくておもしろかった。近世哲学といっても中世哲学と断絶しているわけじゃないんだなと思った。この『モナドロジー』もそうで、併収の論文や書簡の選択がいいから、『モナドロジー』の論点がくり返しでてくるし、門外漢にライプニッツ自身が説明してくれているものもあって、読んでいるうちに、だんだん「モナド」が分かってくる。そうなると、最初の「モナドロジー」をよみかえしてみたくなる。
ライプニッツのいう「モナド」というのは「窓のない」「単純な実体」なんだけど、複合体がある以上、要素に分解していくと、いつかこういうものがでてくるのは理屈でわかる。でも、単純な実体だけでは、多様な世界はできあがらないので、モナドのなかに多様性を表現する「表象」と、ほかとつながる「欲求」があることになる。「モナド」は部分をもたないという点で「魂」であり、それぞれの場所から「宇宙をうつす鏡」であり(「精神」は「神をうつす鏡」)、「魂」に内包されている全宇宙は「襞」にたたまれていて、すべてが展開しているわけではない。ライプニッツは動物機械論に反対し、動物にも魂があるとするのだが、顕微鏡による観察により、当時、一滴の水のなかに無数の生物がいるといったことが発見されており、動物は発生するのではなく、拡大していくものとされている。「二つの振り子時計」で喩えられる魂と物質の「予定調和」については、なんとも不思議で「それでいいのかな」と思ったりするが、「神」の介在がなくても、進化によって「予定調和」がつくりだされるという風に考えれば、なんとなく納得できるような気がする。
ライプニッツは中国とも関係があるし、とにかく興味深い人で、読み返したくなる本である。それから、ライプニッツはドイツ語も好きだったけど、フランス語で書いているんだね。『モナドロジー』もそう。
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体調にあわないか?体質にあわないか?
あまり読めず
ライプニッツのモナドロジー
モナドロジーまでは読んだが、ほかの著作は読めず
ライプニッツの業績、その広さ、数学的感覚なんかはとても面白く感じるけども、なんか、モナドロジーは、ちょっといまいちよくわからん
性質は、ひとつひとつのモナドでなく、やはりモナドとモナドとの組み合わせや構造から生まれるのでは、と思うけど、それは原子論なのか
形而上学的原子論とでもいうのか?
どうも腹に落ちない
ただ、なんとなーくはわかったので、必要性がみえたらまた戻ってこよう
次いこ
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何となく言ってることは分かる程度の読みしか出来ていないけど、かなり面白い。モナドによる無数の微細表象は言わば無意識の海に埋れていて、特権的なモナドのみが表象されるときに意識が表出するってことなのか。
これって現代の脳科学にも応用されそうな考え方じゃないかなーとも。詳しくないが、人間の意識って突き詰めれば脳波(電波)があるって言われたりするが、それってライプニッツが言うモナドの相互作用なのか?
と読みが浅いために疑問しか浮かばないが、特に面白いと思ったのが世界をモナド的に見ること。宇宙の中の人間、群衆の中の一人の人間、森の中の一本の草はモナドと捉えることができるし、それらが調和することで宇宙が成り立つ。
卑近な例を挙げると、オーケストラ内の一つの楽器(演奏者)は調和した音楽の中では埋れているが、一方では全体を構成している。ただこの場合、特権的モナドは何に当たるのかが疑問…。
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世界は無限といえるほどのモナドによって構成されており、
このモナドには、部分はなく、縮小や拡大といった性質もなく、単一性でそれのみで完全な非物質的なものとして存在する。
このモナドは宇宙が始まった時からあり、今後も宇宙が存続する限り存在し続けるもの。
0から生まれたものではないものは、消滅もしない。宇宙が存在し続ける限り存在し続ける非物質的なもの。
この非物質なものが、物質的なものに作用して、その形質や性質等を決める。
例えば、動物のモナドのことを魂という。
その魂の性質に合わせた動物の形態をとる。
人間にも動物にも魂はあるが、人間の魂は自己を認識し因果関係を理解する反省的思考を持つために、他動物とは一線を画する理性の高さがある。これを精神という。
このスピリットは地球上では人間が最も優れており、
デカルトの、人間は考える葦とも通ずる。
ここでいう魂は前述したように、消滅しない。ゆえに輪廻はないという立場。
では肉体が滅びた時に魂はどうなるのか?
肉体の死というのは、あくまで変態の過程であり、完全に消滅するということはないとする立場。
詳しくは本書を参考に。
前半のモナドロジーの部分は理解が難しいが、
モナドロジー以外にも、
複数の論文と書簡があるので、
全体を通読した際にまた前半を読んでいくと、モナドロジーの理解が進んでいることがわかる。
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フッサールの『デカルト的省察』相互主観性(間主観性?)でモナドが出てくるので、理解しようと読んでみた。
知は人類全体の表象=「精神の共和国」(データベース、百科全書etc.)→シュッツも影響うけている。
モナドは単なる原子論ではない。モナドの一つ一つは表象へのエネルギーを持っており、形而上学的説明がなされる。モナドの表象への運動は、アリストテレスの言う、可能態から現実態へという欲求の運動に対応している。単一のものから変化が生まれるため、単一のなかに必然的に多を含む。記憶が連続的である事(表象の連結)や意識についての言及は興味深い(20~23、26節)。
一つ一つが表象であり、人間の場合魂と呼ぶが、必ずしも人間を特別視していない。
注意すべき点は、モナドは「実体」で、「現象」とは異なるということ。イギリス経験論の物質の実体を疑う考えとは相反する。
モナドは物理的性格+形而上学的性格と考えると腑に落ちる。
『ダンジクール宛書簡』は、形而上学的点、数学的点、物理的点を区別している。←ここが難しい。
(『モナドロジー』1節、3節、65節対応)
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宇宙を構成する「モナド」の存在や「予定調和」、そして「悪の問題」など、まるで困難や失敗を避けようとする人々の行動に注意を呼び掛けているように感じた。現代社会に自然災害や犯罪など「悪」の事象が神の「最善の選択」として起こっているのは、人々に困難を乗り越えるための方法を考えてもらうためではないのかと思った。これを踏まえると、最後の節のように、宇宙をすべて知り尽くしてしまったら現在をより良くしようと行動しなくなるなと感じた。宇宙と同様に追及し切れない「悪」があるからこそ、日々考える努力ができるのだと感じた。
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人間の意識も身体も自然もすべて一つの神。意識と身体はつながっている。自然は神そのもの(神は人格的存在とみるキリスト教を否定)。▼人間は自分の意志で自由に動いているのではなく、神の意志の下で動いている(脳科学によると、意識は行動よりも後に生じる)。神は一人一人の人間に役割を与えている。▼世界は精神的な存在。それはバラバラに分割できる。分割された最小の観念上の点が世界を創る。最小の点は最善の世界を創るように神によってプログラムされている。世界は偶然できたものではなく、最小の点たちが予定通り調和した結果。ライプニッツ
自卑的で謙虚だと見られる人は、大抵の場合、名誉欲が強く、ねたみ深いものである。▼自分にはできないと思う大抵の出来事は、できないのではなく、本当はやりたくないのだ。スピノザ『倫理学/エチカ』