紙の本
「トリスタラム・シャンディ」、ぜひ、復刊を
2023/03/03 18:54
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の中のコーナー、「復刊してほしい翻訳小説100」が面白い、というか、「え~、こんな本まで復刊していないんだ」という驚きがある、「トリスタラム・シャンディ」とか「ボートノイの不満」とかm間違いなく名作なのになあ
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
知識が足りないのが悔しくなる一冊。
読まなきゃいけない(=読みたい)本だらけになってしまう・・・
原本は変えられないけど翻訳はいくつでもあって良い、本当そう思います。
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刺激を受けた箇所がいくつもあったけど、
二人の知識がすごすぎてついていきたかったけどついていけなかった(^^)知識量が羨ましい
こういうの日本文学でもやってほしー!
アメリカ文学また読んでみたくなった。
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Monkeyは毎号買っており、ここに収められた内容もそこで読んでいたので、特に真新しい発見とかはなかった。
なんだろう、なんというか……一冊の本にまとまったとしても、可もなく不可もなしって印象。
つまらなくはないのだけれど、あまりググッとはこなかった。
それにしてもこの両者、本当に多くの本を読んでいるなぁ、とこれが一番感心したことかも。
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試しに英文を読んで自分なりに訳してみましたが、どうも柴田訳に近い感じがする。
当方の英語力のレベルは相当に低いものとは重々承知しつつ、何か「職人」と「天才」の違いを少し垣間見た感がする。
どっちが上とかレベルが違うとかではないんですよね、これ。上手く表現できてないかなぁ、、、
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Masterpiece of Talk session about translation!(マサト)
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本当の翻訳の話をしようということで、村上春樹が自由にカーバーやフィッツェラルドなどの作品をネタに、自由にかたる。
MON KEY誌上に表現したものでかためられている。二葉亭四迷の言葉は今にも通ずる、そして江戸を引きずっている。そして黒岩涙香の自由にへんかさせたもの。翻訳と一言にいっても、いろいろなアプローチがあるとわかった。
村上春樹の言葉の中で、考えさせられたのは、短編小説のKindle切り売り問題だ。短編集は全部読んでほしいと。タイトルから、その語感を頼りに書いていく。
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村上さんと柴田さんの対談集。対談は非常に興味深い内容が多く、翻訳者が何を考えて翻訳しているのかが浮き彫りになって面白かった。
途中に柴田さんの講義のみが入っているパートがあるのですが、翻訳論としては非常に興味深い内容ではあるんだけど、このパートの文章を入れるよりも、対談による翻訳論をもう少し読みたかったな、というのが個人的な感想。
翻訳全般に興味がある人は問題ないと思ったけど、対談集を読みたかった私的には肩透かしのパートでした。
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巻末の方に載っているふたりの翻訳対決?が面白かった。
でも、やはりそこは小説家の村上春樹の翻訳の方が断然面白く、読みやすい。
藤本和子という元祖翻訳者の名前もこの本で初めて知った。
とにかく翻訳の話しだったら何時間でもしていられそうなお二方だった。
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おもしろかった! いつも通りのクオリティ。
この本を読む時、たまたまだけどコンラッドの「闇の奥」も先に読み始めていて、柴田さんが「コンラッドは英語が相当難しい」と言っているのを読んで、「えっ! やっぱり!? ですよねーっ!!!」と嬉しかった。
くー。「闇の奥」は最初、ほんと難解でビックリしたんだよね。難しい語が使われているとかそういうことが原因じゃないだけに。(まあ私の英語力の問題も絶対にありますが)
フィッツジェラルドがコンラッドを非常に尊敬していた、というのは全然知りませんでした。でも、確かにそう言われてみれば、例文のギャツビーの冒頭を見ていて、あれ、後半とかコンラッドぽいかも?と一瞬思ってしまった。
柴田さんによる本気の「日本翻訳史明治編」もとてもおもしろかった。そもそもこの時代のエリートたちがどんな勉強をしていたかということに個人的にとても興味があるし(先人への尊敬の意味で)、聖書の翻訳チームの話など初めて聞く話ばかりで、非常に考えさせられた。
ツルゲーネフの「あひゞき」の自然描写が国木田独歩の「武蔵野」を生んだ、っていうあたりは、自分が国木田とその驚きを共有しているような気分になって、ちょっとどきどきした。たしかごく最近の日経新聞に、日本の山歩きや山登りのルートを開拓したのは明治のお雇い外人たちで、それまでの日本人は楽しみのために山を歩いて自然を鑑賞するっていう習慣がなかった、とか書いてあったのを思い出した。私もド田舎に生まれ育ったが、赤毛のアンの森や湖の描写に自分では気づかないことをいろいろ教えられたよなぁ、と思い出したりした。
最後の翻訳比べ、は、村上春樹さんにはほんとに申し訳ないけど、私は読む前から柴田派で、読んだ後もやっぱり柴田さんの訳が圧倒的に好きです。
もっと言うと、原文を読んだ印象そのままなのは、柴田さんの方で、村上春樹さんの方も、訳だけを読んでいると特に何も思わないけれど、こうして原文と並べられると、やっぱりちょっと、余計な手が入っている感じがしてしまいます。なぜかしら。贔屓もあるかな?
柴田さんがやたら村上春樹さんの訳を褒める一方で、逆(=村上さんが柴田さんを褒める)が少ないのがちょっと気に入らなかったりもする。(笑)
ただ、ギャツビーの冒頭だけは村上さんの方が好きかな・・・なーんて、こんな風に、翻訳についてあれこれ好き勝手に考えるのが楽しいので、こういう本はもっと出してほしいです!
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小説や翻訳についての対談集。
小説の原文と村上氏、柴田氏のそれぞれの翻訳が読み比べられるようになっているところは実に面白い。
言葉の選び方や文章の流れ方など。
『何らかの加減で、血液だか何だかに「翻訳好き」という遺伝子が紛れ込んでしまったらしい。暇さえあれば ー いや、それほど暇が無くても ー ついつい翻訳をやってしまうし、いったんやり出すとなかなかやめられない。ほとんど趣味の領域に近いかもしれない。僕らはついつい翻訳に夢中になってしまう。」
このハイフンの使い方は、ほんとうに村上春樹らしい使い方。
村上さんが仰っていたKindleによる短編小説の切り売りの問題提起は、なるほどなぁ、と。
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柴田氏のMonkeyをよく読んでるのでほとんどは既読の内容だったが、こうしてまとめられたものを通して読むとまた違った、踏み込んだ考えを巡らせてみたくなる。
村上氏の訳文は弄りすぎてまどろっこしいと感じることが多いのだが、自分の作品として英文を隠して仕上げをすると言っていて、なるほどなと。声がどうしても村上氏の声調になるのはそのせいか。
一方で柴田氏の訳文は正確だけど素っ気ない。原文を読みながら分からなかったところを参照するのには丁度いいんだけど、訳文だけだと声が聞こえてこない感じがして、結局Kindleで原文を買いにいったりしてしまう。
達人2人の訳でもこうなのだから、本当の翻訳は、本当に難しい。。
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前作の「翻訳夜話」は翻訳の苦労がいろいろ伺えてとても面白かったが、今回は、アメリカ文学の系譜のような話で、ほぼちんぷんかんぷん。それにからむ翻訳の苦労はおもしろい。俺と私の中間の一人称が欲しいというのはよく分る。『訳語を選ぶとき、選択肢がこことここにあって、正解はその中間のこのへんなんだけどなあってことが多いですよね。これが百%の正解だ、と思えることは実は案外少ない。』一度訳して、今度は原作を見ないで読んでみてギクシャクしているところは訂正する。それからまた原作と比べる。最期にもう一度読むというように村上春樹さんはするので、柴田さんにくらべると長くなっているのがおかしい。
チャンドラーの「プレイバック」の有名なセリフ、タフでなくては・・・の訳の違いも面白かった。
If I wsn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to be alive.
村上春樹さんは、「厳しい心を持たずに行きの出てはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」と訳してる。
hardは「無情」「非情」ということだから、タフではない。無情、非情だからタフではなくてはとはあるので、一つ奥に行く意訳であるんですね。面白い。
『村上春樹と柴田元幸の対談集。文芸誌『MONKEY』を主な舞台に重ねられた、小説と翻訳をめぐる対話。
【CONTENTS】
帰れ、あの翻訳(村上+柴田)
翻訳の不思議(村上+柴田)
日本翻訳史 明治篇(柴田)
小説に大事なのは礼儀正しさ(村上+柴田)
短篇小説のつくり方(村上+柴田)
共同体から受け継ぐナラティブ??『チャイナ・メン』(村上+柴田)
饒舌と自虐の極北へ??『素晴らしいアメリカ野球』(村上+柴田)
翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう(村上+柴田)』
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"Poetry translation is like taking a shower with raincoat on”
パターソンという映画の終盤に永瀬正敏が言った個人的に忘れられないセリフ。
アングロサクソン系の語源だから訳すときは漢語で訳す、というのが印象に残った。言葉の意味を覚えてもそんなところまでは考えたことがなかった。ここまで行くと語源学になるのかな?でも、説得力があって、この人の翻訳は原作にかなり忠実なんだろう、という安心感がある。
演奏者も翻訳者と一緒なのでは、と思ったり。
村上春樹さんのあとがきもすごく良かった。わたしの好きだから続けていられることって、なんだろう。
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本書は、小説家、翻訳家の村上春樹と翻訳家・柴田元幸の対談集。
非常に興味深く読むことはできたのだが、結論として、今の僕にはこの本を読むのは早すぎた。
対談内容がほとんどアメリカ文学の作家達の話なので、レイモンド・チャンドラーやコーマック・マッカシーを数冊読んだことがあるくらいの知識ではまったく話についていけなかった。
この本で非常に参考になったのは、柴田元幸氏の単独執筆の第3章『日本翻訳史 明治篇』と最終章の対談『翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう』。この2つは非常に面白かった。
『日本翻訳史 明治篇』では、明治の翻訳家たちが英語をどのように上手く翻訳しようとしていたのかその苦労がよく分かった。
明治期に「翻訳王」とよばれた森田思軒は著書のなかで
『英語で「心に印す」と直訳すればいい表現を、いかにも日本語らしく「肝に銘ず」と訳して「うーん、おれは上手い」なとど悦に入ってはいけない。「心に印す」とそのまま訳せば、なるほど、日本語で「肝」と言うところを西洋では「心」と言うわけか、と意味のみならず彼我の差異も伝わる。』
等と記しており、このように当時の翻訳家たちは、原文と訳文の意味を等しくするのはもちろん大事だけれど、西洋語と日本語がどう違っているかも伝えたいという思いを持って翻訳をしていたのだ。
そのほか同じ英語でも「ラテン語起源の言葉」と「アングロサクソン系の言葉」を訳し分けているなど非常に興味深かった。
僕などは、英語を読むときでもまったくそんな違いを意識せずに読んでいるが、翻訳家は日本語に翻訳するときは非常に気をつけているという。
例えば、アングロサクソン系の英語である「GET」とラテン語起源の「OBTAIN」「ACQUIRE」はどれも同じく「持つ、所有する、有する」という意味だが、柴田氏はアングロサクソン系の言葉は日本語で言えば「大和言葉」、ラテン語起源の言葉は「漢語」と同じようなものだと述べており、英語から翻訳する時には「GET」や「HAVE」だったら「得る」「持つ」だが、「ACQUIRE」だったら「獲得する」、「POSSESS」だったら「所有する」と訳し分けているそうだ。
このようなことは、日本語訳でしか文章を読まない人にとってはまったく関係ないことなのだろうけど、翻訳家はこういった苦労を日々積み重ねていると思うと頭が下がるばかりだ。
そして最終章の『翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう』では、実際に小説の英文を村上春樹氏と柴田元幸氏がそれぞれ訳し、その違いを楽しむというもの。
例えば、レイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウ・シリーズ内の『プレイバック』で最も有名なマーロウのセリフ
『タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない』
原文“If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t be gentle, I wouldn’t deserve to be alive”
を
柴田元幸氏は
『無情でなければ、いまごろ生きちゃいない。優しくなれなければ、生きている資格がない』
村上春樹氏は
『厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない』
��訳している。
柴田氏によると、原文の「HARD」という単語は「無情」「非情」という完全に否定的な意味であるので、これを「タフ」と訳すのはかなりの意訳だということだ。
しかし、最終的には二人ともこの有名な日本語訳の方が、読みやすいし、覚えやすいと評価している。
柴田元幸氏の訳風は原文に対して正確に訳さなくてはならないという考えである一方、村上春樹氏のそれは、一旦その文章の意味を身体の中に咀嚼して、自ら日本語の文章を編み出していくという訳風。
柴田氏の訳はよく翻訳小説で読み慣れた感じであるが、村上氏の訳だと、もう村上春樹の小説を読んでいるように感じでしまう。訳者によってここまで違うのだなあと感じるところであった。
やはり、翻訳家をやっている小説家の文章を「上手いな」って感じるのは、外国語の文章を上手い日本語で表現する訓練を「翻訳する」ということを通じて常にやっているからなのだろう。
本書については、非常に興味深いものであったが、やはり、もっとこの本を楽しむには英米文学をもっと読みこなしていなければ、この本の魅力を10分の1も楽しめていないと感じるので、この本は経験を積んでから再読したいと思う。