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いつも主人公は「誰でもない者」
2020/06/13 03:20
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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
川上弘美さんの作品の登場人物たちは、たとえ舞台が現実世界であっても、非現実感を漂わせています。読者が登場人物をイメージするだけの十分な描写はあるのに、突き合わせてみると、それぞれの読者がかなり異なる人物を思い描いているのかもしれない、と思ってしまいます。この作品の主人公が「誰でもない者」であることには驚かされますが、同時に、いちばんこの作家が描く登場人物らしいのかもしれない、と納得してしまう不思議さもあります。
「誰でもない者」たちには存在の決まったかたちがありません。ある日、まったく違う性格、性別、年齢に変わってしまうことがあります。自分でもあり他人である存在、通常の人間たちと過ごしながら別の時間を生きる存在、それなのに存在の曖昧さを強烈に悩むわけでもなく、そうでありながら愛の感触を探し求めてもいます。
思えば、川上弘美さんの描く人物たちは、個性や人物像がはっきりしているようで、存在の境界にあやふやさがあります。「誰でもない者」もしくは「某」は、もしかすると彼女が描く登場人物たちの原型なのかもしれないと、読了して感じました。
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとも言えない不思議なお話に戸惑いながら読みました。しかし、読み進んでいくと、おもしろさがじんわりと伝わってくる気がしました。
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誰でもない人生
2019/12/22 10:33
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投稿者:Otto Rosenthal - この投稿者のレビュー一覧を見る
“治療”の一環として、老若男女あらゆる人間に変化しながら、誰でもない人生を過ごす「某」。その病院を脱走して、共感や愛を感じ始める「某」の異形の成長譚です。
紙の本
不思議な物語
2019/12/22 10:27
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投稿者:Otto Rosenthal - この投稿者のレビュー一覧を見る
性別も年齢も環境も違う人間の人生に擬態してひと時を過ごす主人公「某」。誰でもない人生を送り続けながら「私」を見つける物語です。
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変遷し続ける〈誰でもない者〉はついに仲間に出会う――。
愛と未来をめぐる、破格の最新長編。
※
ある日突然この世に現れた某(ぼう)。
人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。
お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める。
絵を描くのが好きな高校一年生の女の子、性欲旺盛な男子高校生、生真面目な教職員と次々と姿を変えていき、「人間」として生きることに少し自信がついた某は、病院を脱走、自立して生きることにする。
大切な人を喪い、愛を知り、そして出会った仲間たち――。
ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ。
人生に幸せを運ぶ破格の長編小説。
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川上弘美さんでなければ思いつかないような設定で、興味深い。何者でもないものとは、一体何者なのだろう。本人(?)たちでさえ、確固とした答えを持っていない者たちの、それでもそれぞれに個性を持った者としての生きざまをのぞき見しているような気分である。何者でもないからと言って、何にも縛られないわけでもなく、人間関係もそれなりに築き、多少変わった個性として人間社会に存在し、変異すれば忘れられていく。現在いる場所につなぎとめられる理由はなく、さりとてつなぎとめられない理由もまたない。だが、ほかの何者でもない者のために自分を犠牲にし、あるいは、その者を大切に思ったとき、なにかが変わるのだ。「某」が幸福なのかどうかはよくわからないが、某ではないわたしは、しがらみがあっても、逃げられなくても、生まれてから死ぬまで「わたし」という者として生きて行くのが幸福だと思わされる一冊でもあった。
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こういう物語を書く人なのか~逆行性健忘症かと言われた私は蔵医師と水沢看護師とハルカという女子高生の設定を作り病院から学校に通い、仲良しが二人できたけど、その二人は仲が良くない。日記に進展がなくなると、次の設定は、性欲むき出しの男子高校生。同級生二人に愛想をつかれて、次は超真面目な同じ高校の若手男性事務員。その後の女性は文書処理も数字も苦手で職場と病院から逃げ出してキャバ嬢となった。夜逃げ屋の山田の部屋に転がり込んで15年が過ぎ、山田が死んで落ち込んで、ラモーナとなってトロントに移り、一時帰国した途端に接触してきたのは津田出で、「誰でもない者」仲間を紹介される。変化した建設現場で働く男となり、仲間を長野に訪ねると、男女が入れ替わっていて、年長のシグマの腹が大ききくなっていた。結局、子は産まれず、シグマの上半身が二つに分裂して衰弱していくのに耐えられなかったアルファは片割れを殺して、もう一方を残す。アフリカからきた高橋と鈴木は本当に子を産み、ミノリと名付け、教育係として嬰児のヒカリとなり、ミノリの成長に合わせて変化したが、思春期からはヒカリも成長するようになり、変化はできなくなっていった。職場の先輩から交際を断られたミノリは、ヒカリと性交して、互いを離れがたい相手と認識したが、「誰でもない者」である事を見破ったラーメン屋の客に刺されたヒカリは光の束となって消え、ミノリはヒカリに変化する~収拾が着かなくなったのかなぁ。加筆したとあったけど。私とほぼ同年代だった
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いつでも自分の人生をリセットできるとしても
私はきっとしない。
悲しくて思い出したくないことだって、今でも悔しくてたまらない出来事だって
今の自分を形造っている大切な一部だ。
性別も外見も中身も、まったく異なるものに生まれ変わることのできる主人公たちは、
それゆえに生きる苦しみ、愛する苦しみとは無縁だ。
人間てなんだろう。愛するってなんだろう。
この物語は読んでいる間中ずっと、根源的な質問を読む者に投げかけてくる。
読み終わったからと言ってその答えがわかるわけではないけれど
自分はずっと自分でいたいと思っていることに気づけて
今私はちょっと幸せを感じている。
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誰でもないもの、人間と良く似た、でも人間ではないもの、突然現れ、突然に姿を変える某。
女子高生ハルカに始まり、性別、年齢、人種も超えて姿を変え、人として生きていく。
とても不思議な話。
それぞれの某の日常は、さらりとした優しい日々で、どこにでもいる人のよう。
人は生まれた時には誰でもないもので、そこに名前を与えられその人として生きていくわけで。
姿こそ変えないけれど、私達も某だったということ?
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『「さて、それでは、これから治療に入りましょう」「治療」わたしは、ぼんやりと聞き返す。「そうです。治療して、あなたのアイデンティティーを確立しようではありませんか」「アイデンティティー」』
川上弘美が空想科学小説的なものを書く時にはいつだって現代社会に対する批判めいた調子が少しばかりにじむもの。例えば、大好きだと公言しているJ・G・バラードが書くものに似たような。直喩で批評するのではなく、ぼんやりとした違和感を膨らませたらどうなるのかを示して問うような。
作家本人がどこかで言っていたように記憶しているが、空想科学小説は大概詳細から腐っていく。現時点での最先端をほんの少しばかり未来に向けて延長して使って見せても現実はしばしば大方の予想を越えるような飛躍を遂げ変化する。最先端に思われた技術は瞬く間に陳腐化し古ぼけた遺物となる。バラードの小説であってさえもその呪縛から完全には逃れられない。それに加えて言葉もまた時代の流れに抗えない。例えばここで「詳細」と記さずに「ガジェット」と書きたくなる誘惑はあるが、何年か後にそのことを恥ずかしく思わないとも限らない。かつて誰もが履いていたベルボトムで写る自身の写真を見返す時のように。
そのことを川上弘美は、元SF研究会員そしてSF雑誌編集者として、よくよく解っている筈だ。初期の頃の作品の主人公が無名だったり環境に関する具体的な描写が極端に少ないことはそのことを意識してのことなのかも知れないとすら思ったり。そして「ぼくの死体をよろしくたのむ」や「大きな鳥にさらわれないよう」はその系譜に連なる作品であり、詳細の描写を極力省いた上でバラード風の社会批判のやり方に倣った作品であったのかも知れぬと思う。その社会に対する疑いの目を保ったまま今度はその詳細を敢えて書き込み、現在と同時進行の物語のふりをしながら時間軸を意図的に早回して近未来の物語に仕上げているのが「某」であると思う。
プロローグからこの物語が人工知能の話と繋がりを持っていそうな気配が漂う。一人ひとりの人格が人間らしさについて悩み行動するエピソードは、もちろん新しいものではない。川上弘美も含めて自分と同世代の理科好きの人々ならHALのことをすぐに連想する筈。このテーマは恐らくアラン・チューリングがチューリングマシン(チューリングの時代、コンピューターとは機械式計算器で「手」計算をする人々のことだった)の概念を思いついた時に同時に萌芽したに違いない。それを川上弘美的に、かつアーサー・C・クラークやスタンリー・キューブリック達が知ることの無かった人工知能技術の発展の結果も取り入れて描いてみせた、とも受け止めることができるように思う。
『見えないもの。そんなふうに元アマンダは自分の姿を表現している。元アマンダの姿を見ることはできる。けれど、自分自身の眼で直接元アマンダを見ることはできない』―『ひかり』
主人公が最後に名乗るのが「ひかり」というのはやや宗教的な比喩を感じるところだろう。誰でもないもの、から限りなく人間に近い感情を持つものに変化したとき、人工知能は人類同様信仰を必要とするのだろうか。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とフィリップ・K・ディックは問題の核心を突いて見せた。川上弘美は、最初に光あれというのだろうか。
硬質の川上弘美はどこかに何かを密かに埋め込んで訴えている筈と考えると必要以上に感想も硬くなる。もちろんもう一つの可能性はそんな気はさらさらなく「このあたりの人たち」のようなちょっと不思議な物語であるだけなのかも知れない。あるいは、かつて江國香織に勧めたというジェイムズ・ティプトリーJrが書いた作品の一つ「たったひとつの冴えたやりかた」のようなメロドラマ的空想科学小説を書きたかったということなのか。確かにエピローグはそんな展開ではあったけれども。
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はじめの取り付きにくさと、終盤のなんとも言えない言い表せない感情の変化。
わたしって何だろうと、疑う。
もわってなにかが口から出てきそうな読後感。
ちょっと持て余す。
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とても不思議な物語だった…
しかも「センセイの鞄」の人とは…
(読後に知った)
全然印象が違う…
初めは記憶喪失物?ミステリーかな?
と思って読み始めたけど
「誰でもない者」という存在
姿を変化させて別の人間になることができる
未知ながらごくごく少数はこの世に存在する者
ん?SF?
人間のようでどこか足りない部分がある
「誰でもない者」たちが
補い合ったり成長していったりして
人間らしくなっていく
記憶が残ったまま次の存在になる
というのが
輪廻転生みたいにも思えるけど
変化までの期間が短くて
こんなにいろんな存在になれるのも
ちょっと楽しそう
でも自分ってものが固定せず
なにがなんだかわからなくなりそうでもある
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見た目は人間ながら人間でない何か.いつの間にかそこに現れ性別老若関係なく変身する.そういう者が少しずつ人間に共感し,恋を覚え愛を知り,そして変化しなくなり死を迎える.その淡々とした人生の中で迎える死は恩寵なのだろうか?最後までうっすらと靄のかかったような物語だった.表紙の挿画が素敵だった.
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おおう…また斬新な切り口な気がする…
いや、切り口は川上弘美あるあるだと思うんだけど、そのアプローチの仕方がいつもと違う気がする…
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顔、性別、性格、年齢が変化すると言って良いのか、別人になるって言って良いのか。そんな人物が存在する。医師や看護師の指導の下、どうして別人になったのかを解明しようとするのですが、いつ他の人物に変わるのかがわからないので、雲を掴むような感覚で医師は困惑していた。そしてその人物は失踪してしまう。同じような感覚をもった人物が数人存在するも、どれだけ生きるのか、どうやって変化してきたのかは個人差があって不明だった。やがて人間と恋をして愛を知り、某人物達は変わっていく・・・なんとも摩訶不思議な内容で人物像がにゅるっとしており、掴みどころがないストーリーで驚きました。
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川上弘美さんは想像を超えて不思議なストーリーを考える人だ。
読後、相手の気持ちを考える。共感する。これは人はやはり学んで、身につけるものだと再認識した。
また、コーチングで学んだ相手の立場になってものごとを考える方法として、物理的に席を移動したり、位置を移動して、考えてみる方法があったが、究極の方法が「某」の変わることではないかと、セレンディピティだった。