紙の本
本郷氏の日本史新書シリーズは読みやすく、分かりやすい
2020/03/05 02:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本史学の権威である本郷氏が著した、我が国の世襲制度の歴史が分かりやすくまとまった1冊です。
某アニメのワンシーンを例えに用いている点から、著者がいかに分かりやすく読者に説明すればいいのかとお考えになりながら当書を著したのだな、という雰囲気が伝わりました。
また、まえがきの本当に最初の文に著された著者の意見には、私も賛同します。
本郷氏の日本史新書シリーズはレーベルを超え、何冊か読んでみました。教養を高めることができ、いずれの作品も面白かったです。今後の定期的な新書刊行に期待します。
電子書籍
やや食傷気味です。
2022/05/06 06:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
続けて何冊か本郷さんの本を続けて読んで、少し飽きてきた感じです。
よく調べ、自分の考え・他者の考えを明らかにされているのはいつも通りですが。
本郷さんの別の本で、これも読んだ、それも読んだとなると、丁寧に読まなくなりました。
時間を置いて読み返すのがよいかなと思っています。
投稿元:
レビューを見る
<目次>
序章 世襲から日本史を読み解く
第1章 古代日本ではなぜ科挙が採用されなかったか?
第2章 持統天皇はなぜ上皇になったのか?
第3章 鎌倉武士たちはなぜ養子を取ったか?
第4章 院家はいかに仏教界を牛耳ったか?
第5章 北条家はなぜ征夷大将軍にならなかったか?
第6章 後鳥羽上皇はなぜ承久の乱で敗れたか?
第7章 足利尊氏はなぜ北朝を擁立したか?
第8章 徳川家康はいつ江戸幕府を開いたか?
<内容>
本の趣旨はタイトル通り。日本は古代から「世襲」の風習となり、無理に養子を取っても「家」の存続をさせたという。これが明治維新で、一時止まった(この辺の解説は薄いけど)。ところが大正期以降現代まで(戦後ちょっとだけ足踏みするが)この姿は残っている。政治はもちろん、芸能界、スポーツ界でも。その分析をした本である。
本郷先生は歴史に「動的な観察」がしたいという。なのでどの本もけっこう過激な物言いが多い。結果、やや雑駁な論理も見られる。この本も然り。でも、こうした本の方が読んでいて面白い。
投稿元:
レビューを見る
昨年(2018)にこの本の著者が書かれている本に出会い、歴史の面白さを再認識させてもらいました。元々歴史は好きだったのですが、本郷氏の本に出合ってから益々、歴史を別の角度から楽しむことができるようになったと思います。
この本のテーマは、日本の階級社会はどのようにして生まれたか、について解説されています。日本では権力を握ったとしても、結局のところ、高貴の家の方が有利だということでしょうか。
日本の歴史を「家」という切り口で見ることで、今まで不思議に思ってきた歴史上の事件が紐解ける気がしました。
以下は気になったポイントです。
・地位より人、人というのは血、いや地より家」これが日本の大原則であった(p4)
・源頼朝は、征夷大将軍の宣下から2年ほどで将軍職を返上している、将軍職でなくても頼朝の力は低下しなかった。死去するまで、武家の第一人者として権威と権力を維持し続けた(p19)
・後三条天皇は170年振り(1068)に現れた、母親が藤原氏ではない、天皇であった。摂関政治(藤原氏の男性が、天皇に自分の娘を娶せる、その子供を次の天皇にする、子供の天皇をお祖父さんである男性が摂政となり政治を行う)が揺らぐことになった(p47)
・院政が始まったことで、古代が終わり中世が始まったとされる、院政期における上皇が「公地公民」という律令制の根本的建前を摂関家以上に踏みにじり、半ば公然と荘園を皇室の下に集めたことにある。その手法は、六勝寺(寺の名前に「勝」のつく寺、皇室が建てた)をトンネル会社のように使い、これらの寺が寄進を受ける形で皇室領を拡大するというもの、これにより律令制が終わり、荘園・公領制が始まる(p52)
・持統天皇は、天智8年(669)以来、32年振りに遣唐使を派遣している、この時、日本は中国に対して初めて「日本」という国号を使用している(p61)
・公家の頂点に位置するのが、近衛家、藤原本家から、近衛家・九条家、近衛家からの分家が、鷹司家、九条家からの分家が、二条家・一条家(p87)
・島津忠久は島津家の初代であるが、頼朝のご落胤であるということで、島津家は江戸時代を通して「源」を名乗っている(p92)
・日本の仏教界で高い地位に就くのは、俗界で身分の高い家の出身者に限られる、出身の「家」が大事なのであって、僧としての地位は二の次、つまり実力も二の次(p98)
・天台宗では、最澄がなくなった後、弟子が唐に渡って天台宗を完成させた、天台の密教ということで「台蜜」という、密教の先駆者である真言衆のほうは、京都の東寺の密教ということで「東蜜」と呼ばれる。真言宗の本山は高野山金剛峰寺だが、京都の貴族にとっては遠いので、東寺が真言宗の中心とされた(p103)
・鎌倉新仏教(時宗、日蓮宗、禅宗、浄土宗)が高く評価されてきた、しかしこれらは、天台・真言宗からの分派である。しかし、両者とも顕教よりは密教であった(p105)
・皇室などのやんごとなき世界の方々は、激しい修行はできないので、京都の町中に院家���いわれるものがつくられ、そこで僧侶になる。そこの院主たちが日本仏教世界の上位に君臨する。院家で有力なものを「門跡」というが、比叡山延暦寺系の三門跡では、青蓮院・妙法院(三十三間堂を傘下)・梶井(三千院)がある(p107)
・北条家は、長時・時村、のような北条エリートを執権の座につけながら、得宗(本家の当主)であ北条時頼が実験を取る形を取り始める。つまり、執権という「地位」よりも得宗に権力が変更された(p115)
・ツリー構造のポイントは、一人の主人は複数の家来を持つけれど、一人の家来は必ず一人の主人しか持てない。これに対して「リゾーム」は、多対多の横の関係で結びついたネットワーク構造となる(p141)
・鎌倉幕府の勝利で終わった承久の乱の後、朝廷は態度を改めた、寺の僧レベル(一般人は対象外)の訴えは対応するというもの、そして人材を抜擢する、その代わりに税を払ってくれと要求する(p146)
・後続の下に、摂関系、大臣家、羽林家(大納言にまでなれる、大臣になれない、ここまでが上級貴族)、名家(中納言まで、中級貴族)(p147)
・地位を重視していない日本では、中国と異なり責任を取る必要がないので、トップが死ぬ必要はない。鎌倉幕府の最後の将軍である、守邦親王、室町幕府15代将軍の足利義昭、徳川幕府15代将軍の徳川慶喜、に共通する(p177)
・明治政府とは、日本史上では初めて、個人の才能に賭けた政権であった、そして明治の元勲は、自分の地位を子孫に世襲することは行わなかった、個人の財産のみ(p190)
・天候や風土が厳しい地域では、生き残っていくために厳しいリーダーの選抜が必要になる、だから世襲はなかなか起きない(p194)
2019年11月4日作成
投稿元:
レビューを見る
世襲の成り立ち、要因を日本史を通して述べた本書。
大きな要因を自然環境・外部環境(異民族など)の穏やかさに立脚している。
確かに、世界史的に見れば大量虐殺などは相対的に少ないく、それだけ穏やかと言える(無いわけではない)。
しかし、穏やかな分、有能なリーダーを強く求めるというインセンティブが働きづらい。
長らくその状態が定着した結果、がっしりとした下部構造が出来上がっている。
多分、その状態が続く内は不幸ではないのだろうけど、危機的状況が起きた時には危ういのだろう。
投稿元:
レビューを見る
個人的には、まえがきと終章の内容をもっと敷衍して徹底的に論じてほしかった。
現代は明治維新に匹敵する世襲否定が必要な局面だと思う。
が、残念ながら、著者の立場は曖昧模糊としている。
投稿元:
レビューを見る
勝手な解釈だけど、律令や科挙といった観念的な制度と、武士や家という現場の対立の歴史の原因を探った本であると感じた
土地の不可分性と、家の構造の非対称性(親は一組に対して兄弟は複数)から直系家族やツリー構造が生じる
不可分であるがゆえに、家を作って直系相続が大事であり、血筋や地位よりも優先された
その相似形として主従関係ができた
遺産が家畜みたいに数字で分割可能であった時代の核家族が基本だった時代から、
土地のように分割を繰り返すと価値が著しく棄損するようなものの相続のため直系家族が出現した
あくまで資産を律令のように数字と地位で考える貴族と、土地をまとまりとして保持してくことの価値を知る武士との違いの歴史ともとれる
本筋とはずれるかもしれないが、天帝をいただき世襲を否定し、易姓革命を肯定する皇帝は、世襲を否定するからこそ現世での権力を極め天帝に近づくことを追い求める国との対比は象徴的と思う
教訓臭くいえば、もう一度数字では測れない不可分の価値を考え直す時期に来ているのではないかと思う
投稿元:
レビューを見る
述べられている史実(と考えられるもの)自体は有名な話が多かったが「イエ」つまり血のつながりの維持が日本の歴史では重要視されてきた、という切り口が新鮮だった。
投稿元:
レビューを見る
間違いなく今の日本史ブームの立役者の一人、本郷和人氏による氏と家、階級に関する考察。
筆者の作品は語り口調であり実に読みやすい。結構、鋭い指摘も多い。ウルトラマンファミリーだったり北斗の拳、魔法少女☆マギカ、具体例も豊富に日本史について変幻自在に考察する。
中国、朝鮮と異なり科挙の制度を採用せず、実力のある若者より、世襲を選んだ日本。ある意味全国の英才を首都に集めた実力主義の明治維新政府でも、万世一系の皇室が象徴とされている。
一つ一つの細かい議論の是非はさておき、気楽に読めるが鋭い指摘が多いように思われる。
投稿元:
レビューを見る
世襲からみる日本史。
自分の血統が生まれないと直ぐ脆弱になる本来有り得ない権力摂関政治、血がつながっていなくても血(ブランドと同じように感じる)を尊重する超血縁性、院の権力の意外な小ささなど視点が面白い。
ツリーとリゾームの件で源頼朝が別室で1人ずつに「お前だけが頼りだ」と言ってた話は流石頼朝だと思った。
明治の元勲達の「子孫に美田を残さず」という思想は現代日本に必要な気もする。
投稿元:
レビューを見る
世襲をメインに考察した本だが、律令制度を中国から導入した古代日本が、我が国の実情に合わせて融通無碍に改定していった過程を解説した「第1章 古代日本でなぜ科挙は採用されなかったか?」が面白かった.また「家」をベースに人事が決定されていた武士の世界を概括した「第3章 鎌倉武士たちはなぜ養子を取ったか?」も楽しめた.明治維新で一旦途絶えた世襲制度が、時代が進むにつれて次第に復活してきたが、それを是認する社会の宿痾についても議論が欲しかった.
投稿元:
レビューを見る
人が動くのは、何によるのか、ということを時々考えるんだよね。上司からの命令だからか?その人が怖いからか?あるいは、その人に心服しているからだろうか。いろいろな要素があると思う。本書の主張によれば、組織で人が動くのは、役職とか階級以上に、その人個人の人間関係によるものであり、日本の社会システムとして考えるなら、個人よりもさらにはその血筋なのだという。他の本でも読んだことだけど、海外の軍隊であっても、士官学校出たての少尉よりも、古兵の軍曹の方が小隊をうごかせるということは現実にありそうな話。役職や階級よりもその人個人がものを言う、というのは今の社会でもあるのだろう。そこで、組織を連綿と動かすファクターとして、血筋、世襲があるのだよ、というのが本書の骨子と言っていいのかな。
時々マニアックに感じられるくらい、歴史的事実が出てきてちょっと挫けそうになったけどさ。全体的に、読みやすくて楽しかったと思う。まぁ、まどかマギカを出してきたあたり、著者がよほど好きなのか、読者に阿っているのか、と感じてしまったけど。俺、まどかマギカってアニメは見てないし、ピンとこなかったんだよねぇ。まぁいずれ、まどかマギカは見たいと思うけどさ。
投稿元:
レビューを見る
「家」の継続、「血筋」の上下、「世襲」の有り無し、などの観点から日本史を記述。何年に何があった、などの普通の記述方式ではあまり語られることのない細部が語られるので、いままで気づかなかった事に気づけた。というか、今まで歴史って、年表の字面しか頭になかったな、というのが分かった。
参考図書として「文明としてのイエ社会」1979刊 経済学者・村上泰亮一、社会学者・公文俊平、政治学者・佐藤誠の共著、をあげる。そのテーマは日本がなぜ明治以降の近代化、産業化に成功したのか。それは日本独特の「イエ型集団」であったとする。古代の「ウジ社会」、「イエ社会」であり、11世紀から16世紀まで500年にわたり重複しながら衰退と交流を交差させたのだという。 そして本郷氏はその軌跡こそが、古代から中世にかけての日本の歴史の躍動であったと見られるかもしれない、という。
メモ
・「招婿婚」の矛盾 「道長が娘寛子を敦明親王と娶らせた」の実態は「道長が敦明親王を婿にとり、自邸で夫婦生活をさせた」ということ。ただし系図(家の継承)は男系であることが矛盾。
・「寄進地系荘園」の職の体系:東国を中心とした地域の開拓が進んだ11世紀に現われる。
本家:皇族、摂関家、藤原本家、大社寺。国司より上位の国主に対しても租税を免除させたり、干渉を拒否したりする特権を持つ。
領家:有力貴族や有力寺社。国司に対して影響力を行使することで、下司を保護する。その見帰るとして年貢から一定歩合を得る。
下司(在地領主):現地で土地を管理する。荘園の開拓者やその子孫。国司の影響をかわすために、荘園を領家、本家に「寄進」(名義貸し)し見返りを払う。
・「荘園・公領制」(網野義彦氏)
下司が支配・管理する荘園と、国司が支配する公領が国を二分する形で並立する状態。
※荘園も公領も経営の実務は下司(あるいは郡司等)=在地領主が担っている。
2019.9.10第1刷 図書館
投稿元:
レビューを見る
鎌倉幕府の成立が1192年じゃなくなったのは知ってたけれど。
1185年でもないなんて…!
けれども、私は研究者ではない。
昔年号を丸暗記したけれど、それは無駄じゃなかった。
世界史の勉強したとき、いつも日本は何してたのかなーなんて比較できるから。
歴史は変わらないはずなのに、解釈が変わるってすごく面白い!
投稿元:
レビューを見る
地位より人、人というのは血、むしろ血より家、これが日本の大原則。
ヤンキーにあこがれる精神は、階級意識の裏返し。
かつての日本では、頭頂部を人に見せるのは恥だった。烏帽子をかぶる。寝ているときも。
社会で世襲が存在感を持つ。総理大臣や社長も左右する。
ウルトラマンは、最終的には家族ができてファミリー化した。記紀神話も同じように神様をファミリー化していった。
日本では科挙がなかった=家を単位にした世襲で役人が決まった。遣唐使の吉野真備は例外。
和同開珎は流通していなかった=蓄銭叙位令でたくさん蓄えた者に位階を与える法律。銭は、鎌倉時代に中国の銅銭が貿易に使われるようになって流通するようになった。
国司は地方官=守。中央は、下から参議、権中納言、中納言、大納言、大臣(内大臣、右大臣、左大臣、太政大臣)、天皇の代行者としての摂政関白。
摂関期から院政期は、純婿取婚=女系の家で結婚生活を送る。家制度との矛盾がある。男性で受け継ぐ系図が描けない。
院政は、中世の始まり=律令制の形骸化していた公地公民に変わって、荘園・公領制へ移行した。
核家族から直系家族へ変化。長子相続だが、遊牧民では末子相続も見られる。そののちに、家父長制=結婚しても親の世帯に残る。大家族。
日本には後宮がなく、婿取婚なので子供は母方の実家で育てられる。
摂関政治の基本は、招婿婚を利用した家族。家族に比べて家は、永続的になりやすい。
在地地主は、有力者への寄進=名義貸し、によって守ってもらう。
延久荘園整理令は、上皇の監督権を高めたため、上皇への寄進が増えた。これによって院政が可能になった。
寄進しないで公領となる道を選ぶ在地地主もいた。実質的には同じこと。
頼朝の力の源泉は、所領安堵。武士となった在地地主をまとめる手段。
家は血縁性を超越している。血がつながらないだけでなく、高貴な血筋が喜ばれた。高貴な血が入っているほうが箔がつく。
三位以上を公卿といい、貴族の証。北条家は下の四位までに留めて、階位を求めなかった。
政治をやるのは徳川の家来がすること。大きな家の譜代大名は政務に関わらない。本多も榊原も老中にはなれなかった。
ツリーとリゾーム。
ツリーは家制度と同じ主従関係。縦関係で結ばれる。リゾームは、横ともつながる非階層性のネットワーク。一向宗や浄土真宗。一神教に近い。
徳政令は、借金の棒引き=徳政=民にとっていいこと、の意味。
南北朝で南朝の存在は、尊氏には都合がよかったのではないか。北朝の天皇を相対化できた。
天皇の存在は否定しない=天皇が変わるのは易姓革命=古代中国の王朝交代。天の声、という正当化要素があったが日本にはその概念がない。天皇が変わらなかった理由。
秀吉の段階で、職の体系による支配から、一職支配へ変わった=土地を与えることはすべての権限を与えること。それを秀吉が保証する。
家康は、関ヶ原の直後、論功行賞を行っている=支配権を確立した。これを徳��政権樹立とみるべき。
明治政府は外圧で世襲を辞めた。それまでは、安定した世の中だった。ただし天皇は世襲。中国で、皇帝は世襲、官僚は科挙によるものと同じ仕組み。
日本の現代も平和が崩れてくる状態=世襲ではやっていけなくなる。人口減少という黒船によって実力主義になる。