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- カテゴリ:一般
- 発売日:2019/09/19
- 出版社: 文学通信
- サイズ:21cm/217p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-909658-16-6
紙の本
古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。
古典否定派はどのような論陣を張ったのか。肯定派はどう反論したのか。古典否定派・肯定派の研究者が集まって論戦に挑んだ、2019年1月のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」...
古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。
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商品説明
古典否定派はどのような論陣を張ったのか。肯定派はどう反論したのか。古典否定派・肯定派の研究者が集まって論戦に挑んだ、2019年1月のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」を完全再現。仕掛け人による総括も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
古典否定派・肯定派の本物の研究者があつまって論戦に挑んだ、2019年1月の伝説のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」の完全再現+仕掛け人による総括。古典不要論を考える際の基本図書となった本書を、これから各所で真剣な議論が一つでも多くされていくことを祈りながら刊行する。
2015年のいわゆる文系学部廃止報道以来、人文学や文学、古典の危機について論じる会合は少なからず開催されて来たましたが、編者は疑問を持っていました。それらはすべて身内の怪気炎にすぎなかったのではないか。本当にインパクトのある議論をするためには、反対派と対峙しないまま、必要論だけを語っていてはダメだ…本物の反対派を招聘し開催せねば。そこで開催されたのが、2019年1月のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」です。登壇者は、【否定派】猿倉信彦・前田賢一【肯定派】渡部泰明・福田安典【司会】飯倉洋一の各氏です。
このシンポジウムは、インターネットでも中継され、使われたハッシュタグ「#古典は本当に必要なのか」は、センセーショナルでもあったため、シンポを離れトレンド入りし、多くの人がこのタグで、自らの古典観を語ることとなりました。
このシンポジウムで否定派が張った論陣はどのようなものだったのか。これに対して古典の研究者や中高の国語教員はどう反論したのか。その議論から浮かび上がった問題は何だったのか。本書はその様子を再現したうえで、当日のアンケート、インターネットによるコメント投稿を収録し、登壇者のあとがきを加え、最後に編者自身の総括「古典に何が突きつけられたのか」(3万2千字)を収録します。本書全体で、より深い議論への橋渡しにしようとするものです。人文学や文学、古典の危機について考えていく際の必読書にはからずもなっています。
【このシンポジウムを一書にまとめたいま、筆者が望むことは二つある。
第1に、「古典は本当に必要なのか」という問いに対して、それぞれが独自の回答を考えていただきたい、ということだ。筆者が提示したのは、一つの案でしかない。できれば登壇者のようなキャリア半ばをすぎた人々ではなく、20〜30代のこれからを担う世代にこそ、真剣に考えてほしい。この世代は、「世も末だな」と嘆くだけで済まない。放っておけば先細りが確実な古典の担い手として、実際に世の中を動かさなければならないのだから。
第2に、古典不要派、文学不要派と対峙する試みが、このあとも別の場所で開催されてほしい、ということだ。今回登壇いただいた否定派の方々は、決して特異な少数派ではない。サイレントマジョリティは、われわれが考えるよりはるかに多いのである。もちろん、登壇し、名前と顔とをさらして堂々と意見を述べてくださる否定派を探すことは、大変難しいだろう。しかし、それがもう一度叶えば、議論はまた別の深まりを見せるにちがいない。】…あとがきより【商品解説】
目次
- はじめに
- Part.1
- シンポジウム「古典は本当に必要なのか」全記録
- ・前口上
- ・パネリスト・司会者・オーガナイザー紹介
- ■第一部 パネリスト発表
収録作品一覧
シンポジウム「古典は本当に必要なのか」全記録 | ||
---|---|---|
高校生に古典教育は必要か?(不要選択科目にすべき) | 猿倉信彦 述 | 19−36 |
古文・漢文より国語リテラシー | 前田賢一 述 | 37−50 |
著者紹介
勝又 基
- 略歴
- 〈勝又基〉九州大学大学院博士後期課程修了。明星大学教授。専門は孝子伝、落語・講談、写本文化、昔話絵本など。著書に「親孝行の江戸文化」など。
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紙の本
拳を握って読む
2020/02/06 22:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:象太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学は文学部を出て、今は言論関係の仕事に携わっている自分としては、本のタイトルをまず看過できなかった。大学文学部の不要論が世に盛り上がっているのはちらちら気にはしていたのだが、古典そのものの価値まで問われなければならない状況まで来ていたのか、と。
古典は必要だ。そんなの自明である。この本を、そういうバリバリの肯定派の立場から読んだ。
前半は「高校生に古典教育は必要か」をテーマにしたシンポジウムの再現である。古典否定派のパネリストが論を張る。鋭い。対して肯定派は弱い。泳いでいるのか溺れているのか分からないようなことを言う。否定派の質問にきちんと答えられず、何やっているんだよ、とついつい拳を握りしめてしまった。通勤電車の中で読んでいたのだが、仕事場の最寄駅に着いたのにも気づかず、乗り過ごしてしまった。本の最後で、「オーガナイザー」の先生が否定派意見への立派な反論を展開してくれた。おかげで、ようやく溜飲を下げられた。読んでライブ感を楽しめる本だった、ということなのだろう。
反対派の先生の指摘はもっともな点が多く、肯定派が正面から考えなければならない点は多々あった。だが、次の下りは聞き捨て(読み捨て?)ならなかった。
「言葉の数が多い方がいいかどうかという問題は結構大事だと思うのです。最近のアメリカ英語(米語)は50年間でものすごく簡単になってきているはずなんです。それはなぜかと言うと、簡単な米語を話さないと選挙に勝てない、ビジネスができない。(中略)日本語は意図的に簡単にすべきなんじゃないかと思います。政策として。語彙は減らすべきです。」
これ、ジョージ・オーウェルの名著『一九八四年』が描く全体主義社会で、為政者がこう述べていることを思い出させた。
「ニュースピーク(新英語)の目的は(中略)イングソック(イデオロギー)以外の思考様式を不可能にすることであった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえば、そのときこそ、異端の思考を、少なくとも思考がことばに依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである」
人間は、言葉が貧しくなると、洗脳されやすくなる。オーウェルはそう見通していた。語彙を減らすべきだ、というのは非常に危険な提言なのである。
肯定派の自分の意見は次の通り。古典は言葉を豊かにする。言葉が貧しい人間は、それだけで魅力がない。まずモテない。高校生にはそれを理解してもらえば十分である。以上。