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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ほんとうに、急に具合が悪くなる」のですから、最後のお別れを言うチャンスもなかったりします。身内に病人がいると身につまされます。
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癌が再発し自らの命の終わりが見えてきたときに
まだ40代の哲学者は何を語るのか・・・
生きる意味を問い続けるのが哲学であるならば、
宮野真生子という女性は最後まで哲学者であり続けた。
転移による痛みや具合の悪さに、全ての思考を放り出し
100%の病人になってしまうことの方が
きっとどれだけ楽だったことだろう。
最後まで、命を人生を諦めずに考え続けた宮野さんの言葉に
ただひたすら圧倒されるばかりだった。
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医者からホスピスを探すように言われた哲学者と、その哲学者に思索の伴走者として選ばれた人類学者の往復書簡。
お二人の文章のスピード感がまったく違うのが面白い。磯野さんの豪速球、宮野さんの穏やかさ。
一般的な死生観から始まり、宮野さんの病状の悪化により緊張感と親密さが増す後半の読み応えたるや。こんなふうに言葉が紡がれる「現場」を目撃できるなんてすごいことだ。
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データ分析関連の知り合いが、分析する人は読んでいたほうがいい、とおすすめしていた本。
人類学者と、がんを患った哲学者の書簡のやりとりを書籍化したもの。
がんになることで生活の選択肢が狭められ、それによりどういった行動・治療法がどれくらいの確立で病状を悪くするのかを医師から語られ、どう選択していくのかその悩む過程も描いている。
分析する側だと、統計的に無慈悲に数字を表すことができるけど、個人レベルの視点に立つと選べる選択肢は1つしかないし、確率を気にし始めると人生の幅も狭められてしまう。
治療に合理的な人生が、求めるべき人生なのか。。。
実際にそういった状況にならないと、差し迫った意識として理解はできないかもしれないけれど、気持ちを少しでも理解できたような気がした。
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多発転移のがんを患う哲学者・宮野真生子さんと、医療人類学者の磯野真穂さんの往復書簡。
「往復書簡」という情報だけしか知らずに読み始めました。SNSでフォローしている医療関係者のどなたかが紹介していたから「きっと、医療関係のことが書いてあるんだろうなぁ」程度の情報。
そして、読み始めて気が付きました。往復書簡の1人、宮野さんが多発転移したがんを患っていることに。医師から「急に具合が悪くなる可能性があります」と告げられていることに。そして、それが書籍のタイトルになっていることに。
あれ?もしかして、この本の結末って???
そして、慌ててググって、知ることになりました。
この書籍が発行されたとき(2019年9月)には、宮野さんはもうこの世にいなかったことを…。
正直言うと、哲学者と人類学者の2人の話はちょっとむずかしい部分もあって、視線が紙面をすべりまくって内容が頭に入ってこない部分もありました。哲学って難しいですよね…。必然とか偶然とか妖術とか確率とか…。
それでも、死を目前にした本人と、その死に巻き込まれて右往左往する周りの人が、どんなふうに考え、どんなふうにコミュニケーションして、その裏にはどんな困難があるのか、そんな情報をたくさんもらうことができました。
いつか、「周りの人」になり、そして最後には「本人」になるであろう自分に、たくさんの言葉をもらえました。
情報として知っていても、本当に直面しなければわからないことだらけだと思うけれど、直面する前に読むことができてよかったと思います。
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ガン末期の宮野真生子さんの哲学者としての矜持,生き様が心に響いています.「そこにうごめく生への執着,それこそが,生きようとする力の始まり,偶然性を生きるということなのだと,この病のなかで私は知りました.」そして人類学者の磯野さんの逸脱しない日常の延長にある支えが素晴らしいと思いました.
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▼人の心を震わせる研究とは、他者のニーズを満たすそれでは決してありません。人生をかけて集められた資料たちが、その研究者の人生の軌跡の中で奇妙な発火を起こし、他の人が考えたこともないような世界を展開する。その時、人は目の前のニーズを捨てて、その世界に飛び込みます。世界はこんな風に見えたのか。自分はこんな世界に住んでいたのかと、自分と世界の位置付けを考え直します。私にとっての美しい研究とは、それが有名なジャーナルに載ったかどうかではなく、その研究がそのような世界を見せているかどうかです。(p.169、8便「エースの仕事」TO:宮野真生子さま 2019年6月12日 磯野真穂)
(2019年11月26日一読、11月30日再読)
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自然科学と社会科学の融合がこの本に見える。難しいことはなく、家族に癌の方がいる人は読んでおくべきと思う。
火の鳥を初めて読んだ感じと同じ。
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哲学者 宮野真生子さんと、人類学者 磯野真穂さんの往復書簡。
はじめはまだ遠くにあった「死」が、急激に身近なものになってきて、読み進めるにつれて、どんどんぐいぐい引き込まれました。
2人で話すこと。お互いを知ること。2人の中から生まれてくること。
出会うとは。生きるとは。
読みながら、自己との対話も深まる一冊でした。
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20通の往復書簡を交わす、二人の学者。
ひとりは乳がんの多発転移を抱えた哲学者。
そしてもうひとりは、文化人類学者。
往復書簡を提案したのは、哲学者。
そして、哲学者から考察を引きずり出し続ける人類学者。
初めの頃の手紙は、まだ死について一定の距離を置いた状態で始まる。しかし、手紙がやり取りされる期間の中で、哲学者は急に具合が悪くなる。
そして、20.通の書簡のやり取りがなされ、最後に哲学者が本書の「はじめに」を書いた数日後、哲学者はその生を終える。
死が可能性ではなく、確実な、かつ、かなり近い出来事、運命として。選択肢ではなく運命として目の前に提示された時に、人は何を考え、そして何を伝えようとするのか?
しかもその当事者が、普段から普通の人より余計にものを考え、そしてそれを伝えようとすることのプロである哲学者であることに、私は非常に大きな興味を持った。
それは、死を考えるにあたって、大きなヒントになるのではないかと考えた。
ここまでは、本書を紹介してくれた書簡の一人の当事者である磯野真穂氏がラジオで語ったことから考えた、本書を手に取った理由。
そして、実際に手に取った本書。
とても明るく、楽しい。そして真剣な言葉を通じた二人のやりとり。
本書の内容について、私の薄っぺらい感想を書きたくはないと思った。しかし、二人の書簡を読み進めていって、何故か涙が流れ出すのを止められないような記述が、私にはありました。
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本書を私は二度繰り返して読んだ。
一度読了した直後に、また最初のページに戻り、結末に何が起きるか知っている状態で、読み直した。
それは、おそらく本往復書簡の当事者たちが、経験したプロセス。
読み直した時に、書簡が書かれたときに意図された言葉を超える意味があったことに気がつく。
そんな気がした。
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いやはや凄い本だった!
前半は医者として、後半はひとりの人間として、打ちのめされるほど良い本だった
あまりにも得られた気づきが多すぎて、咀嚼しきれてない。何度も読み返したい。誰かとこの本について語りたい
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言霊(ことだま)…古代の人たちは言葉には魂が宿り、不思議な力をもつと考えていた。本書を読んでその力強さを改めて気づかされた。
がんを患う哲学者の宮野真生子氏と文化人類学者の磯野真穂氏…生きることを問う二人の間で交わされた往復書簡の中で、言葉は言霊となり、読み手の魂をも大きく揺さぶる。宮野氏がその後どうなったのかは書かれていない。でも、二人が紡いだ言霊は本書の中で生きている。この力、多くの人に伝わりますように。
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九鬼周造の哲学が引き合いに出され、病を「ないこともありえたものがある(174頁)」、「あり難いものがある」ことの驚きとして偶然を美しく描きだすこともしてきた(174頁)、「にもかかわらずある」と語ることで自らの存在を保とうとする私の執着(174頁)などなど、往復書簡を通して生きるための言葉を紡ぐ姿勢は体調の波があっても変わることなく、自分のことだったら、周辺にいる立場だったら、同じ思考を辿れるだろうか、考えました。
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愛の本より、愛の本だし、友情の本より友情の本だし、哲学の本より、哲学の本だ。
言葉を通じて、知性というものが、人生にもたらす素朴で深くて美しい意味を持つことを教えてくれる。
堅苦しい学問の壁を軽々と超えて、出会い、ほとばしる。
誰かと出会い、誰かと生きるって、最高だな。
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分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです。可能性とは、ルートは分岐しつつ、そのさきがわかった一本道などではなく、つねに、動的に変化していく全体でしかないのではないでしょうか。p30
その物語に従うということは、自分の存在を「患者」という役割で固定することにもつながっているんじゃないでしょうか。そのとき、人は自分の人生を手放すことになります。不幸が生まれるのはこの瞬間なんじゃないでしょうか。なんだかとても皮肉なことだけど、不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まるような気がするのです。p116
「受取勘定をどれほど遠い未来に延ばし得るか」と三木は言います。死に運命付けられ、消滅するだけの点であっても、世界に産み落とされた以上、その受取勘定を、自分を超えた先の未来に託すことができる。
一人の打算ではなく、多くの点たちが降り立つ世界を想像し、遠い未来を思いやること、そのとき、私たちは初めてこの世界に参加し、ラインを引き、生きていくことができるのではないでしょうか。p200