紙の本
コーヒー好きの必読書
2021/04/07 08:44
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
序盤はちょっと慣れないと読みづらいですが、その後はスラスラいけます。美味しいコーヒーを飲み続けたいと思う人はぜひ読んでください。そして、この本を読んだら、もっと美味しいコーヒーが飲みたくなります。
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食と環境、持続可能な食づくり等、今やらなければならないことに気づかされてくれます。
私の場合は、「フィンランド人が書いた書籍」という理由で手に取ったので、ちょっと感覚は違うかもしれませんが、食問題全般に関心を持っている方であれば、既にご存じのことも多いかも。コーヒー豆の産地について詳しく知りたいという方には、お薦めです。
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コーヒービジネスの現状を、ブラジルのコーヒー農家の一つを例に考察している一冊。
適当な品質のコーヒーを安く入手できることは大量愛飲者としては嬉しい反面、農家の状況は悲惨だろうと日々感じていました。
農業、産業、環境の多岐にわたる問題を語っていますが解決は困難であり、一消費者にできることが気休め程度であることに絶望を感じました。
末永くコーヒーの味と香りと共にありたいものです。
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コーヒー好きで一日3,4杯は飲んでいる。最近はコンビニでも安くて結構おいしく飲めるからありがたい、そんな風に気楽に思っていたけれど、それは未来のコーヒー農業にとっては喜ぶべき事ではなかったと知り、猛反省。
コーヒーに限ったことでは無いかもしれないが、安く手に入るという事は、流通マージンを引かれて、生産者の手に入る利益はごくわずかになるという事。それではやっていけない生産者は薄利多売で効率重視の大量栽培になる。それはただ単にそれ程良い品質のコーヒーが生産されないというだけでなく、農薬や化学肥料で汚染された土地はどんどん疲弊しやがて何も育たなくなる。大量に効率よく生産するために、大切な木々をどんどん伐採していくことも、地球温暖化や大洪水などの災害をもたらすこととつながる。このまま進めば、コーヒーの生育に適した土地がどんどん狭くなってしまうらしい。そんなこともこの本は教えてくれる。
「ブラジルのコーヒーはまずい」と言われていることを覆すために、偶然コーヒー農場を引き継ぐことになった家族の奮闘を紹介しながら、コーヒーだけに限らない大切な問題を教えてくれている。
消費者としては良いものが安く手に入るのは本当にありがたいけれど、その裏に潜む問題はいつか大きなしっぺ返しとなるかもしれない。
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フィンランド人のペトリ・レッパネン氏と、ラリ・サロマー氏によるノンフィクション作品。ブラジルのコーヒー農家、ファゼンダ・アンビエンタル・フォルタレザ農場(FAF農場)の取り組みと、コーヒー業界が抱える課題を描いている、ちなみにフィンランドは、世界でも有数のコーヒー消費国らしい。
作品の舞台となるFAF農場は、持続可能な生産方法にこだわり、手間をかけて完熟した豆だけを手作業で摘み取っている。ブラジルといえばコーヒーの一大産地だが、意外にもコーヒーマニアの間ではブラジル産=粗悪品、というイメージが強いそうだ。そんな中、FAF農場の取り組みは各国のバイヤーから注目を集めている。
一般的にコーヒー栽培は工業化されていて、行政からは一定期間に一定の収穫量、そして買い取り業者からは価格を事前提示される場合が多いらしい。従って農場側では一定の収量、そして収入を確保するために、農薬や化学肥料を大量に投入し、未熟な豆も機械で一気に収穫してしまう。
また世界的な消費拡大に応えるため、新たに森林を伐採して耕作地を広げることが、自然破壊の原因となっており、途上国の貧しい農民の中には自分が育てている作物が、先進国の嗜好品である事を知らない人もいるそうだ。何気なくコンビニで買うコーヒーが、そんな環境から生まれているなんて、考えた事もなかった。
しかし近年ではただ美味しいだけではなく、栽培方法や農場の労働環境など、全てにおいて高品質を好む消費者も少しずつ増えてきていて、FAF農場で栽培しているような、オーガニックでトレーサビリティのしっかりした生豆が、高値で取り引きされるようになってきている。
コーヒーに限った話ではなく、多くの食糧がこのようなサステナブルな仕組みで流通するのが理想的だ。しかし、日々購入するすべての食品をトレースするのは不可能だし、約80億人まで増えてしまった人口を支えるためには、上記のような食糧生産の工業化は必要悪なのかもしれない。でも、これからは出来る範囲で出来るところから、自分もフェアな商品を選択して行きたいと思う。
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フィンランド、ひとり当たりのコーヒー消費量が世界一(10㎏/年)
エチオピア カルディというヤギ飼いがヤギが眠らなくなる果実を見つけた。
スペシャリティコーヒー
100点満点で84点以上の品質
買取価格2.9ユーロ/kg、最高級では4ユーロ以上
コーヒー1杯120mlに7.5g。133杯/1kg。
カフェで14ユーロ/kgの原価でも 0.1ユーロ/1杯しかしない。
Qグレーター
世界に4000人
ワインのマスターソムリエ資格に近い
オーガニックな土壌と十分な水と太陽
手摘みで最適に熟した時に摘む
雑草は手で抜く、除草剤は使わない
アラビカ
高地栽培、降水量も必要、年2回開花、クリーンで甘み
ロブスタ
病害や害虫に強い、1年中開花、味で劣る。ベトナム産に多い
精製後、粒をそろえる、真空梱包する
焙煎後、2カ月から半年で香りは失われる
粉に挽くと酸化が始まる
生豆は石油の次に取引額の多い原材料
コーヒーで生計を立てている人は世界で1億2500万人
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在宅勤務でコーヒーを挽いて飲むことが増えたので手にした1冊。
コーヒー消費1位フィンランドの著者二人が、コーヒー生産1位(だが美味しいコーヒーを飲むことができない)ブラジルで「コーヒー革命(この本の原題)」を目指す一家の活動を中心に、コーヒーの歴史や種に関することも書かれている。
品質と倫理的な面と環境面を無視して安さと大量生産を追求しているコーヒー産業を憂え、生産から消費に至るまでサスティナビリティでオーガニックな美味しいが高くて量も少ないスペシャリティコーヒーの必要性を訴えている。
誰もが飲むコーヒーだからこそ、”なくなる”ことが無いように、ひとりひとりが考えて行動する必要がある。
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本当に美味しいコーヒーを飲んだことがあるのか?
多分飲んでいない。高いコーヒーと言ってもスタバ止まりだ。日本でもコーヒーフェスティバルをやっているのなら是非参加したい。
多少高くても美味しいコーヒーを買えば、コーヒーのサステナビリティが実現できると言うが、日本でそれが定着するのかは疑問だ。まだまだ、質より価格優先のように思う。
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唯一の欠点はタイトルがセンスない。洋画に原題とかけ離れた邦題をつけて、インパクトをつけるダサいマーケティングと同じやつ。原題はCofee Maters A revolution is On the way 直訳で十分本書の意図を表現できる。コーヒーがなくなると心配する話ではなく、コーヒーを題材としてよりより社会、「足るを知る」ことを目指すのが本質である。それを描くのにコーヒーは適材だったということだ。大量消費の嗜好品でありながら、栽培がコーヒーベルトという南国でいわゆる後進国にしゅうちゅうするため、フェアでない取引が横行し、品質は二の次にされてきた。それが最近のフェアトレード、北欧コーヒーブーブなどで是正されつつあるり、社会がよりよくなることの一つのモデルとなれるかもしれない、というお話。今ならSDGsのモデルといってもいい姿が、あるブラジルのオーガニックコーヒー農家の一家の歴史から描かれる。読み物としても、農業本としても、環境本としても楽しめる良書。
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1.なんとなくタイトルに惹かれた
2.フィンランド人のペトリとラリが、世界一の生産量を誇るブラジルのコーヒー生産者の元へ取材し、今のコーヒー産業の実態と、これからのコーヒー産業の未来について述べています。今訪れているコーヒーのサードウェーブは、美味しさ以外の質にこだわること、つまりは環境への配慮や生産者の価値観に目を向けることです。
量だけ確保すれば良いという時代が終わり、環境への配慮が必須となっています。止まらない環境破壊が自分達の首を絞めていることと向き合い、持続的な栽培と銘打ってこれからのコーヒー産業に必要ならやり方ということを伝えています。
3.このようなオーガニック系の栽培を推奨してる本を読むと、思うことがあります。それは、量のみを確保することで環境破壊の原因を作っていたのは、先進国の人たちにも原因があるのではないかということです。私達が飲食しているものに興味を持ち、調べたり、考えたりすることで、彼らを救えるのでは?と思える瞬間がいくつかあります。
飽食時代だからこそ食のありがたみについて真剣に考えて行かなくてはいけないと思います。
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【感想】
ロシア、インド、中国といった酒・お茶文化圏でも、コーヒーは人気を博している。非営利団体ワールド・コーヒー・リサーチによると需要は年間2~3%の割合で増えており、2016年コーヒーの世界生産量は1億5千万袋分。1袋は60kgのため、900万トンのコーヒーが毎年作られている計算になる。
作っても作っても需要が高まり続けるコーヒー界においては、もはやコーヒー豆は「作りすぎ」の部類に入る。ただ、コーヒー豆は畜産物・海産物と違って乱獲で種が絶滅する心配はない。ならばもっともっとコーヒーの木を植えて逼迫する需要に答えれば問題ないのでは、と思ってしまうが、そう上手くはいかない。コーヒーの栽培可能面積が、気候変動の影響で減少することが見込まれているからだ。このまま何も手を打たずにコーヒーを作り続ければ、いずれコーヒーの木(と周辺の植物)は消滅してしまうだろう。
この現状を憂い、コーヒーとそれを取り巻く環境を持続可能にするべく奮闘する人物が、本書の主人公であるマルコス一家だ。彼らの栽培は非常にオーガニックで、シェードツリーの配置、健康な土壌の促進、生態系との調和といった自然的手法を取り入れる。急増する需要に逆行するような、「とてもゆっくりとしたコーヒーづくり」を実践していると言える。
「コーヒー文化を変えたい」。
そう熱く語るマルコスが目指しているのは、「より少なく、より良いコーヒーを」という、コーヒー文化のパラダイムシフトだ。なぜなら、今のコーヒーは「作られすぎ」「売られすぎ」によってサスティナビリティを破壊しているからである。具体的には、
1 コーヒーの大量生産により地球環境が悪化している。
2 さまざまな中間業者が、多売によりコーヒーの本来の価格を乱してしまい、消費者に不相応に高い豆が提供される一方、貧困にあえぐ生産者にお金が行き渡らない。
という現状がある。本書は、この2点への解決策を提示しながら展開していく。
まず1について。これは、コーヒーの需要増に伴い粗雑なコーヒー栽培が広がり、土壌を悪化させている。加えて、低廉化が人件費を押し下げ、違法労働の原因になっているというものだ。
工場化農業では、単位当たりの収穫面積を増やすため、コーヒーの木をとても大きく育てる。大きな木のほうが実の数が多いからだ。そうした環境で効率の良い農業をするには、農機がすいすいと移動できる区画でなければならない。すると、農機のためだけに作物はまっすぐな畝に植え、邪魔な木は全て切り倒す必要がある。結果、木陰が無くなることでコーヒーの木が直射日光にさらされ、水分が不足する。木だけでなく周辺の土壌全体も水分が不足するため、土地がどんどんやせ細っていく。
コーヒーを大量に収穫しようとやたらめったら木を植えてしまうと。逆に周辺環境ごと悪化してしまうのだ。
環境悪化を解決するためには、遠回りな方法がよい。つまり機械ではなく手摘みで、農薬ではなく無農薬で、整地ではなく自然のままでコーヒーを栽培するのがよい。俗にいう「オーガニック栽培」である。
コーヒーに思い入れの無い人からすれば、オー���ニックコーヒーやスペシャリティコーヒーという代物は、コーヒーにこだわる人だけが飲むニッチな商品だと考えがちだ。しかし、マルコスはこうしたコーヒーを「消費者たち全員が」味わうこと、つまり、安く粗悪な豆を大量に消費するのではなく、良いコーヒーを飲む分だけしっかりと淹れるように心がけることこそが、コーヒーを守る秘訣だと述べている。
その理由が2につながっている。
大手の工業型焙煎所は、これまでずっと質の悪いコーヒーをレストランやスーパーにかなりの低価格で販売してきた。彼らにとってコーヒーとは何より量を売りさばくものであるからだ。しかし、スーパーで激安で売られているコーヒーの仕入れ価格は、実は豆の原価よりもまだまだ高い。なぜならば多国籍企業のバイヤーが生産者と市場の間で、利潤のために値段を不相応に釣り上げているからだ。先進国においては「いいコーヒーは高い」のが常識だが、その高値は豆本体の値段ではなく、中間業者に払う代金のせいなのだから驚きだ。
そして、この値段のギャップが生産者と市場の間に断絶を産み、生産者が大量生産を行う原因となる。いい豆でさえ低価格で買い取られてバイヤーの利潤になるならば、最初から安価な豆を大量生産して量で稼いだ方が効率的だからだ。悲劇は、貧困に喘ぐ生産者が自らの商品の価値を知らない点にあると言えるだろう。
「マルコスによると、コーヒー生産国の発展を妨げる最大の問題は情報へのアクセスが不平等である点だという。(略)アメリカのリーハイ大学の助教授ケリー・オースティンがアフリカ第二のコーヒー生産国ウガンダのブドゥダ地方の生産者たちの生活を1年近く調査した結果、取材した生産者のうち半分ほどしか彼らの栽培してるものが最終的に飲み物になるのだと知らなかったという。残りの半分は、彼らの作物からパンや薬を作るのだと思っていた」。
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以上がおおまかな流れである。
本書が面白いのは、ただのコーヒーイロハ本ではなく、自然農法vs機械農法、といった農業そのものの手法まで踏み込み、サスティナビリティを生むサイクルについて広く考察していることだ。
文中でも語られているが、オーガニックであろうと品質が良いとは限らない。手間暇をかけて栽培し手摘みしたオーガニック豆と、農薬と機械を駆使して生産した工業的な豆が、審査の結果同じ等級になることは珍しくない。努力に結果がついてこない生産者は、「ならば工業的手法のほうがましだ」と考え、環境を悪化させる栽培方法を行ってしまう。
肝心なのは、「健全な環境」のために、消費者がどこまで生産者に協力的になれるかだ。われわれコーヒーユーザーが、たとえ味は同じで値段は高くても、フェアトレードとオーガニックのダブル認証を受けた豆を買おうとするならば、生産者がオーガニック栽培を続ける励みになる。一軒の農家がオーガニック栽培によって貧困から脱出できれば、周辺の農家もそれを追って自然的手法に切り替え始める。この流れが栽培国の自然環境を改善し、豆の品質を全体的に底上げし、サスティナビリティのサイクルが起こっていく。
大切なのは飲むだけではなく知ることでもあるのだ。
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【まとめ】
0 まえがき
気候変動下の世界でも、将来にわたって美味しいコーヒーを味わい続けたいなら、コーヒーとの関係も変わるべきだ。どこから豆が来ているのかを知るべきだし、栽培環境やサスティナビリティの取り組みも忘れてはならない。量より質、つまり大量にコーヒーを淹れて飲み残しを捨てるのではなく、少なく、大切に、美味しい豆を挽いて淹れるべきだ。
ここ数年は、コーヒーの世界の「サード・ウェーブ」について語られることが多い。
第一の波は、コーヒーの消費量を増やそうと言う動き。第二の波は、カフェラテなど「アレンジ・コーヒー」が定着し、より質の良い豆を楽しむようになった動き。そして第三の波は、原料としてのコーヒーに注目し、栽培された地域、豆の収穫方法、そして焙煎のもたらす味への影響といった様々な点に注意を払う動きだ。
1 オーガニック栽培
本書では、ブラジルのコーヒー栽培者、マルコス・クロシェとその息子であるフェリペに焦点を当てる。
ブラジルにルーツを持つ彼らだが、一度アメリカに移民として渡り長い年月を過ごしている。しかし、ブラジルに戻りコーヒー農園を営むことを決意。そこでのルールは「オーガニック栽培」だった。
フェリペ「母はいくつかのルールを設けた。自然に優しい農法であること。そして経済的に自立できる農園であること。(略)ただそれには品質やビジネスモデルのためだけじゃない、もっと幅広い視点が必要だ。多品種を栽培し、近隣の生産者へ、じゃあうちもやろうという気にさせ、生産者としての誇りを取り戻してもらうぐらいのね」。
最初フェリペはなぜ母親がオーガニック栽培にこだわるのか理解できなかった。ただ、農場で過ごす時間が増えるうち、フェリペはサスティナブルな栽培方法の重要性を徐々に認識していった。その場に適したシェードツリーの配置、健康な土壌、自然の(生態系)の調和などだ。
コーヒーの品質は、国際的な審査基準により決定され、100点満点で84点以上に達したものがスペシャリティコーヒーと称される。カップに入れられたコーヒーから豆の特徴が現れるが、豆の欠点は苦み、泥臭さ、土臭さ、カビ臭さといった「雑味」として現れる。コーヒー1杯分、つまり7g分の豆に一粒でも欠点豆が交じると、カップ一杯であろうと土付きのじゃがいものような香りがはっきりとわかる。
こうした欠点は、残念なことに貧困であえぐ国のコーヒー豆に特徴的だ。貧困国では欠点豆を減らす設備投資にかける時間もお金もない。我々がこれらの国々のコーヒーを長い目で支援する必要があるだろう。
コーヒーに苦みはつきものだが、苦すぎてはいけない。厳密にいえば、苦味と深みは違う。味の深みは口の中を満たし、後味として楽しめるのに対し、苦みは口内を乾燥させ、喉の乾きを覚えさせる。また、コーヒーにおいて酸味は大切な味の要素だが、ただ酸っぱいだけの豆や渋みの感じる豆は美味しいコーヒーにならない。
スペシャリティコーヒーは値段・品質に安物とかなりの差があるが、それには豆を手作業で栽培、収穫、選別、生成してきたコストが含まれているからだ。
2 自然の風水
近代農法とは違い、サスティナブルなコーヒー農園では、周囲の熱帯雨林を伐採することはない。
近代農法では生産性を最大にするため、一年おきに片方の作地でコーヒーを栽培し、翌年もう片方で栽培する。こうしないと土壌の栄養分が枯渇するからだ。使い回された土壌は酷く固いが、健全な土壌はとてもやわらかい。
工場化農業では、単位当たりの収穫面積を増やすため、コーヒーの木をとても大きく育てる。大きな木のほうが実の数が多いからだ。そうした環境で効率の良い農業をするには、農機がすいすいと移動できる区画でなければならない。すると、農機のためだけに作物はまっすぐな畝に植え、邪魔な木は全て切り倒さなければならなくなる。結果、木陰が無くなることでコーヒーの木が直射日光にさらされ、水分が不足する。コーヒーの実だけでなく周辺環境も悪化してしまうのだ。
品質の高いコーヒーをサスティナブルに栽培するためには、必然的に手作業が多くなるといえよう。
ここまで頑張っても、気候的な問題がコーヒーの運命を握る。世界中で気候変動その他の問題がある以上、消費行動を劇的に変えなければ、コーヒーを飲むことができなくなってしまうのだ。
●死の農業...生産性を上げるため、化学肥料と除草剤を大量に散布してしまい、コーヒーの品質が落ちていく。また、殺虫剤耐性のついた虫相手に、さらに殺虫剤を撒かなければならなくなり、化学薬品漬けの農業が出来上がってしまう。
死の農業は、ビジネス優先の多国籍企業や大量のコーヒー豆を安価で仕入れて利益を産もうとする企業によって先導されている。こうした企業は、労働環境及び人権の面でも問題がある農場からコーヒー豆を仕入れていることで批判を浴びてきた。
マルコスの目指すところは、自然というオーケストラが、枝を剪定したり水をやらずとも自分で音を奏で、周りの自然と一体となり調和することだ。
そのためには、相性がいい作物を一緒に植える、つまり共栄作物の組み合わせを考えることが有効だ。農場で年間を通じて収穫し、収入が得られるよう季節と作物の品種も考慮する。これら全体を称して「アクティブ・オーガニック」と呼ばれる。
マルコス「ブラジルの機械化された農場では、すべてのコーヒーの木が太陽のもとに晒されている。視界を遮るものは何もない。木々が一本もないだけじゃない。鳥も、ミツバチも居ない。何もない。生命がなく、水もない」「自然は多様性を求めているんだ」
3 消費の面から考えるサスティナビリティ
コーヒーの存続のためには消費者にも大きな責任がかかっている。
私たちはどのように、消費者として自ら購入する食品の倫理的な面とエコロジカルな面を保証すればいいのか。もしパッケージに生産者情報が書いていなければ、一番安全なのはフェアトレードとオーガニックのダブル認証されている商品を選ぶことだが、そうしたわかりやすい単語は、消費者がその大本を理解し状況を調べることを複雑にしているとも言える(認証を受けていても栽培時に倫理的な問題を抱えているケースもある)。結局のところ、人間も自然も疲弊させないという長いサイクルを考える上では、品質と透明性、��して消費者の意識改革は必須なのだ。
「マルコスによると、コーヒー生産国の発展を妨げる最大の問題は情報へのアクセスが不平等である点だという。(略)アメリカのリーハイ大学の助教授ケリー・オースティンがアフリカ第二のコーヒー生産国ウガンダのブドゥダ地方の生産者たちの生活を1年近く調査した結果、取材した生産者のうち半分ほどしか彼らの栽培してるものが最終的に飲み物になるのだと知らなかったという。残りの半分は、彼らの作物からパンや薬を作るのだと思っていた。」
最近ではサスティナブルなコーヒーやサスティナブルなコーヒー栽培という言葉をよく聞くようになった。しかし、これらはイコールではない。例えばクロシェ家が農場でやっているのは、「サスティナブルなコーヒー栽培」だが、ここで栽培されたコーヒーそのものはそれだけでは「サスティナブルな」コーヒーとはならないのである。なぜなら物流や焙煎のプロセスがサスティナブル、つまり持続可能性に基づいて実践されているかによって結果が変わってくるからだ。従って、収穫後も、コーヒーが一杯のカップに入るまでの長い道のりのどこかの部分で、業者やショップが欲を出して価格を釣り上げたりすると、このサスティナビリティというのはうまく機能しなくなる。
4 少ないことは豊かなこと
大手の工業型焙煎所は、これまでずっと質の悪いコーヒーをレストランやスーパーにかなりの低価格で販売してきた。彼らにとってコーヒーとは何より量を売りさばくものである。
しかし、スーパーで安かったコーヒーの仕入れ価格は、実は売値よりずっと高かったということを知っているのはごく少数だ。そしてこれらのコーヒーは質の良い美味しいコーヒーというわけではなく、大量生産された苦い飲み物である。こうした現状が、我々に「もっと美味しいコーヒーを」という意識を芽生えさせない原因なのかもしれない。たとえ高価なコーヒーと言えど、結局は高くないどころかかなり安価なのにもかかわらずだ。
気候変動のせいでコーヒーの栽培は年々難しくなっている。そして需要が供給を上回れば、市場でのコーヒー取引価格は上がっていくだろう。今後コーヒーパッケージがタダ同然で配れることがなくなり、適正な買取価格を生産者に支払うことになれば、焙煎所も生産者も、より良いコーヒーをより優しい方法で栽培することに力を注げるからだ。
焙煎所は生産者に対して、サスティナブルな栽培モデルを要求でき、代わりにもう少し良い買い取り価格を条件にできる。小売りのセクターでは、我々消費者に対して、利潤を削ることなく、今よりも良い商品を提供することができるようになる。そしてコーヒー依存症の我々は、より良い美味しいコーヒーを味わうことができるのだ。
コーヒー革命は、最終的にはもっと大きなことを目指している。気候変動と使い捨て文化の長期的な影響は地球全体へ及ぶ。それをコーヒー栽培と消費の面から持続可能にする。一言でいうなら、これは人間の将来に関する取り組みなのだ。
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コーヒー栽培に疎い私には内容が難しかった。
めげずに最後まで読んでよかった。
7割程度は理解できたと思う。
最近大豆の種を育ててみて、白くて小さい、可愛らしい花が咲くことを初めて知った。それから先に枝豆がなること。大豆は旅を経て大豆になること。
大豆からなる豆腐なんかは更に長旅を続ける。
私たちは口にするもの一つ一つ、どんな旅をしてきたのか知らない。けれど、本当は知らないといけない。安さ、便利さ、目の前にある得は実は遠く離れた人の不幸かもしれない。地球と自分を切り離して考えてはいけない。
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タイトルを見た時に、実際の日本の状況は、コーヒーがこの世からなくなるなんてそんな馬鹿な話ないだろう?って思ったのだが、読み終わってみて、世界的にかなりまずい状況なんだなということが良くわかった。ロブスタ豆をもっと特性を生かした改良ができればまた話は変わってくるのかもしれないが、この本はそういう論旨ではない。
自分でも、ここ数年はすっかり缶コーヒーを飲まなくなったが、350くらいのペットボトルのコーヒーはやっぱり飲んでるし、ドトールもお気に入りだ。
でも一方で一杯の値段の高さに驚きながらも、スペシャルティコーヒーを飲み歩き、豆を買ってきて淹れて飲むことが多くなってるから、このまま行ったら飲めなくなってしまうという世の中は耐えられないな。
自分が生きてる間はまだ大丈夫なのかもしれないが、息子の世代が悲しい思いをすることのないような世の中にしていかなければいけないんだな。
独立してコーヒー屋をやりたい微かな夢を叶えるためにも、まずは何かできることを始めなければ。
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コーヒー農家が最終商品(コーヒー)の味の良し悪しを知らない、もしくは、関心が低いため、高品質な豆の追求やそれに伴う所得向上に行きつきにくいという話は、自分にとって新たな視点だったので興味深いなと思った。
またサステイナビリティーやオーガニックに重きを置く親世代と、品質に重きを置く子世代の対比。
学校ガス水道などを全て提供する生活保障型の農園経営から有償化へ等、肌感のあるストーリーとして共有されていて面白かった
品質と生産コストはトレードオフとして論じられていたが、例えば完熟した豆の選定と収穫など、テクノロジーの進化により、今後同価格でも高品質のコーヒーが飲める可能性は高いのではと思った
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安いコーヒーは労働搾取や熱帯雨林を切り開いた畑の単一農業の環境破壊によってもたらされる。
ブラジルのオーガニックコーヒー農家の畑の美しさや考え方が素晴らしい。環境を守り循環させ、それを周りの農家に広め、美味しいコーヒーを作り続けるための革命。世界に広がってほしい。
消費者にできることは、安物のコーヒーを何杯も飲むことではなく、質のいい一杯のコーヒーを大事に飲むこと。コーヒー農家や環境のことを思い浮かべながら。