紙の本
ファンレター。
2020/08/07 10:17
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』の論考。『ナウシカ』以前に描かれた別の漫画との関連性も事細かに述べられている。民俗学的な側面からというよりも、熱烈なファンレターのように読めた。
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中央公論(2020年11月)
ナウシカのかたわらで、コロナを想う 赤坂憲雄
https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html
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この本を読む前に、ナウシカ原作全巻を読みなおした。
もう30年ほど前に買った本だ。
当時、最終巻が待ち望まれた漫画がナウシカとアキラだったことを思い出した。
この壮大な物語のあとで、作者の論考を読む。なるほどこんな系譜もあるのかという感想とともに押し寄せるのは、映画を見た後に、その作品がすごく好きな人から解説を聞いるような気分だ。
原作者不在というなかで、ここまで持論を膨らませて論文をなすのは悪くないなと思う。
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漫画版のナウシカについて、読み解きを試みているため、漫画を読むだけでは得られなかった視点がいくつか発見できたのは良かったところ。
著者が後書きで書いている通り、漫画をテキストでどのように論じたらいいのかという点で、苦労された著述だと思う。
しかしながらこれは著者のくせなのか、著者の所属する学術分野の一般的な方法なのか分からないが、この本がナウシカ論としての論考であるならば、根拠、理由が明示されない箇所が多々あるのは問題ではないか。これは論考なのか、それとも著者の主観、情緒を織り交ぜた感想文なのか。タイトルが『ナウシカ考』なので、読者は論考を期待すると思うのだけれども。その点が読んでいて最後まで気になってしまったので、⭐︎3にしました。
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マンガ版「風の谷のナウシカ」を読み解く一冊。自分もこれまでに読破した3回のうち2回は熱を出してる重い問を投げかけてくるマンガ。この本の著者も25年の歳月をかけて本の形にした。
宮崎駿がナウシカをどのように描き上げていき、ナウシカたちが作者の宮崎駿の手を離れ勝手に動き始めていったかがうっすらと見えてくるような気になった。もう一度漫画版を読まねばという衝動に駆られるが、生半可な気合では手をつけられないのもマンガ版風の谷のナウシカ。
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「風の谷のナウシカ」を読み返さずにこの本を読んだので大丈夫かと思っていたが,かなり丁寧に引用してくれていたので思い出しながら読めて分かりやすかった.アニメ版との対比,他の宮崎駿作品との関連性など詳細に分析し,色々考えさせられることの多いナウシカを綺麗に整理整頓してくれた.最後のドストエフスキーが出てきたのにはびっくりしたが,これだけが,ちょっと分かりずらかった.とにかくまた漫画を読み返してみようと思う.
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マンガ「風の谷のナウシカ」を論じた大作。民俗学者である著者が、ひたすらにテキストとしてナウシカを読み込み、解釈した試み。かなり好き。
本書は25年間の考察を経て2019年11月に出版、マンガ「ナウシカ」の思想に真っ向から挑み、地理、世界史、民俗学、神話や文学など現実の文脈のなかにナウシカを位置付け、さまざまな角度から読み込んだ野心的な本です。
宮崎駿の思想の到達点など、丁寧にな解釈が面白い。
この本を読みながら、「ジブリ」と同時代であった幸運をつくづく感じました。
続きはブログへー!
https://hana-87.jp/2021/03/27/nausicaa_kou/
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本書を読み進め、今更ながら、コミック版ナウシカの物語の強度と深度におののいた。
著者は、ほとんどの場所で批評的な言説、謎解き的な言明を避けている。まるでナウシカの世界を民俗誌として、忠実に「記録」することに徹しているようだ。
しかし、様相は『黙示録』への参照から一転する。『黙示録』の排除、欺瞞を嗅ぎ取り、ナウシカは反黙示録的性格と言い切る。西欧的二元論を超える広がりを持っていた。
思想史的なインパクトをはかるには、まだ早い。まだまだ私たち人類はそこまでいたっていない。
追記:最期のバフチンのポリフォニー論は蛇足ではないか。締めの言葉が必要だったのかもしれないが、最期までナウシカとナウシカ考を読んだ読者には自明の事実だ。
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漫画版風の谷のナウシカの読本。
アニメ版と漫画版ではまったく別のものであることは広く知られているとは思いますが、この本を読む前に改めて漫画版を読み、この本を読み切り、ナウシカという世界が複雑で示唆に富む内容であったことを知りました。
いろいろな知識を持っていない私は理解していない部分も多々あり、まだまだ漫画版とこの本を読みかえしていく必要があると感じます。
風の谷のナウシカの世界に一度は魅了されたことがある方、是非読んだ方が良いと思います。
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今こそマンガ版『ナウシカ』を読み直そう!と思わせてくれたその一点だけでも価値のあった本。おかげさまでこの年末年始はナウシカを読み返しながら過ごすことになり、考えてみればパンデミック下の今にふさわしい物語であるかもしれない。
さて、まさに赤坂憲雄が強調するごとく、ナウシカとは神の計画に歯向かう混沌である。この主人公を生み出した作者の宮崎駿自身もまた全能の神としての語り手の位置をとりえず、物語そのものがもつ力に引きずられていた。それゆえか、よく考えてみると最後までわからないこともこの物語には多い。
赤坂氏は本書で「文字」「卑賤民」「宗教」「文字」「名づけ」「母」「黙示録」などいくつかのテーマを立ててこの豊饒な混沌を読み解く試みを行っている。まさにいずれも重要なテーマであるのだが、腐海そのもののような物語を前に、物語の中に手を突っ込んでみては作者が投げ出していった描写を取り出して輪郭をなぞるだけに終わるような部分も多かったように感じられる。
たとえば母というテーマの中核的重要性は、このマンガを読んだ誰もが感じ取ることだろう。母に愛されることのなかった娘ナウシカは、巨神兵に「ママ」と呼びかけられてその母となることを引き受ける。この物語において「母」が生/再生産よりもむしろ死と濃密に結びついているのは赤坂の指摘の通りなのだが、それにしてもこの決定的な行為としての「母となる」ことをどう理解すべきかは容易に理解しがたい問題だ。それはナウシカが周囲の人々に繰り返し見せてきた慈母の像と似ているようでいて明らかに違う。ナウシカが「オーマに名をあたえたときから心を閉ざし」たのはなぜか、そしてオーマが名をあたえられたことにより知能を発展させ裁定者を名乗ることになるのはなぜなのか。もうすこし突っ込んだ考察が読みたかったところだ。
そしてこの点と関わり、やや意外でもあったのは、「3.11」を経ての読み直しにもかかわらず、核の問題が明示的に考察の中に据えられていないということだ。
1982年に連載が始まったこの物語において、「火の七日間」に使用され「毒の光」を放つ巨神兵はあきらかに核兵器そのものである。放射能に冒された世界を腐海が浄化するというイメージは美しいけれども、核が肉と人格を備えて人を母と呼ぶ姿は、あまりにもグロテスクというしかない。ナウシカはそのような存在に「無垢」という名をあたえて起動させ、それが最初から死神として作られなかった可能性を考える。あるいはオーマが裁定者を名乗るのは、その恐るべき力をいかに使うかによって実は人自身が裁きに付されることを意味しているのか。毒をまかれた東北をフィールドとする赤坂氏はこの核をめぐる想像を今どう読んだのだろうか。
そのような生命を弄ぶ科学技術が伝わるのが西洋的なトルメキアではなく、むしろ東洋を思わせる土鬼国であるということも興味深い。どこからともなくこの地に降臨して土着の宗教を否定し宗教支配を敷いてきた神聖皇帝も、たしかに天皇制の影が射しているように思われるが、この考察もまたそこまでで終わっている。
それだけ原作が偉大な混沌ということでもあろうが、文章にくどい繰り返しが多いこともあり、わくわくするような知的興奮をあたえてくれる分析とまでは思えなかった。
とはいえ、ここから先はまさに原作とそれぞれが格闘する領域なのかもしれない。少なくともそのための手がかりは示してくれる本である。
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表紙は第5巻のナウシカの呟きを採っている。
虚無にいわれるまでもなく
私達が
呪われた種族なのは
判っている
大地を傷つけ 奪いとり 汚し 焼き尽くすだけの
もっとも醜いいきもの
この後、虚無的になったナウシカはメーヴェに乗って王蟲のところへ行き、大海嘯の後に腐海の苗床になり大地の傷を癒そうとしている王蟲と共に、腐海の一部になろうと沈んでゆくのである。その瞬間、王蟲はナウシカを救うためにナウシカを食べる。
もはやナウシカは、青き衣をまとった救世主ではなく、滅びゆく世界の仕組みを探し求める旅人でしかない。宮崎駿が、戸惑い探りながら作り上げた神話的物語。‥‥なんのことやらわかんないですよね。基本はやはり全7巻を読んでもらうか、この本をじっくり読むしかない(絵は少ないが、台詞はかなり採用している)。
どうやら初めて本格的に現れたマンガ版「風の谷のナウシカ」論らしい。82年に連載開始、何度もの中断のあとに94年に全7巻が完結。「アニメと原作は全くの別物である」ことは、知る人ぞ知られている。私は、最終巻は特に暗く難解で、正直戸惑った。どう言葉にしていいのかわからないままに本棚の奥に仕舞われて25年が経った。
そのあと「もののけ姫」(98年)は、正にマンガ版ナウシカだと私は思ったものだが、それさえも宮崎駿は否定して行った。もちろん宮崎駿の暗い衝動は、鈴木プロデューサーの仕掛けで巧妙に隠されている。この本は、直近アニメとの関連は、ほとんど言及されていない。残された課題は、そこだろう。
赤坂憲雄は、私の比較的信頼する民俗学者である。もちろん、民俗学含む人類学のバイアスがかなり掛かっていて、もう少し別の読み方も出来る余地があると私は思っている。ただし、赤坂氏も言うように「裏読み」的な読み方(隠されたメッセージを探る→マニアックな読み方)には、私も与(くみ)しない。絵も含めた物語と直に向き合う。豊穣な物語世界が、この全7巻の中にあることを改めて確認させて貰った。
短い書評で、赤坂憲雄版「ナウシカ論」を紹介することはできない。「ナウシカ」は反黙示録である。と言っても、なんことやらさっぱりわからないでしょ?私的には、最後の巨神兵が何故あんな「変容」を遂げたのか、今回やっと言葉でなんとか説明できる気がしてきた。とっても面白かった、とだけ言っておこう。
※本の趣旨とは関係ない処で啓示を貰うのは、読書の喜びのひとつである。文字を持たないナウシカ的世界の中で、文字がいかに世界を支配して変えようとしたかを、「ナウシカ」はもしかしたら見事に描いていたかもしれない。日本の古代、弥生時代は、もしかしたら意識的に文字を拒否していた可能性がある。もう一度、埃を被った本棚から引っ張り出して読む必要があるだろう。
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著者の見立て・読み方なので批評ではないです。引用される台詞の反復が多いですが、その度に別の視点から語られるので苦ではなかったです。王政と奴隷制。黙示録という求心力。
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実は本書の出版をSNSで知ったのが、こんなに駿やジブリに集中するきっかけになったのだ。
この本、カバーイラストがまず素敵。なんでもジブリは関連書籍に厳しいらしく、研究書に原作を引用する許可を出したのは初めてなのだとか。
そして引用文のフォント。
漫画版に合わせて、漢字はゴシック、ひらがなは明朝、というその拘りように、感動したのである。
読んで気づいたが、章が4つ、1章を除いて2-4章の節が4つ、その中で項が3つずつ、と構成も美しい。
そうこうするうちにコロナ禍、マスクあれこれ、映画館でジブリキャンペーン、と世相とも合致。(読後知ったが、数日後にナウシカ歌舞伎の配信が始まるそうだ。)
さて駿のフィルモグラフィーを経て、本書を読んでみて、すっきり理解したかといえば、全っ然。
だって原作自体が、混迷の中に終始しているのだ。
結局「ミソもクソも一緒に生きようという考えしか、これからの世界には対応しようがない」(『虫眼とアニ眼』)のだから。
章、節、項ごとにキーフレーズを拾った、それは非公開読書メモに書くが、さらにピックアップすれば、
西域憧憬。部族社会。陸風、海風。背負う。首長制。孤児。擬態としての母。語りは鏡。境界で対峙を繋ぐ。家族の幻想。贖罪。カリスマ。自己犠牲。贖罪。国家の権力意思。カリスマ。二元論への懐疑。1000年、300年の断絶。生態系。年代記。ポリフォニー。文字から分泌される権力。反ー黙示録。
決定版ではない。なぜなら原作が決定版という位置づけを拒んでいるから。
ずっと現在であり、未来に棚上げ・保留せざるを得ないのに現在形で気になり続ける作品に、立ち向かい続けるための、本書はひとつの棒だ。
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はじめに
第一章 西域幻想
1 秘められた原点
アニメとマンガのあいだ
はじまりの風景から
宮崎駿の種子をもとめて
2 神人の土地へ
小さな谷の王国
旅立ちのときに
奴隷とはなにか,という問いへ
第二章 風の谷
1 風の一族
部族社会としての風の谷
腐海のほとりに暮らす
風車とメーヴェのある風景
2 蟲愛ずる姫
背負う者の哀しみとともに
ギリシャ神話のなかの原像
血にまみれた航海者との出会い
3 子守り歌
孤児たちの物語の群れ
あらかじめ壊れた母と子の物語
擬態としての母を演じる
4 不思議な力
物語られる少女の肖像
境界にたたずむ人
王蟲の心を覗くな,という
第三章 腐 海
1 森の人
水と火と調和にかけて
火を捨てて,腐海へ
世界を亡ぼした火とともに
2 蟲使い
たがいに影として森に生きる
武器商人から穢れの民へ
森が生まれるはじまりの朝に
3 青き衣の者
ふたつの歴史の切断があった
邪教と予言が顕われるとき
犠牲,または自己犠牲について
4 黒い森
腐海の謎���読みほどくために
第三の自然としての腐海
喰う/喰われる,その果てに
第四章 黙示録
1 年代記
年代記と語りと声と
いくつかの歴史語りが交叉する
文字による専制が産み落とした偽王たち
2 生命をあやつる技術
悪魔の技の封印がほどかれる
帝国を支える宗教的呪力の源泉として
対話篇,シュワの庭にて
3 虚無と無垢
呪われた種族の血まみれの女
内なる森を,腐海の尽きるところへ
名づけること,巨神兵からオーマへ
4 千年王国
千年という時間を抱いて
墓所の主との言葉戦いから
物語の終わりに
終 章 宮崎駿の詩学へ
おもな参考文献
あとがき
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まんが版ナウシカが完結してから25年あまり。本書の著者はようやく積年の宿題を終わらせることができたという。
宮崎駿の他の作品との関係性や民俗学的考察など、様々な論点からナウシカが語られる。
学生の卒論、修論程度ならともかく、実績のある民俗学者がこの分量の書物にまとめてなお語り尽くせぬものがあるというナウシカや宮崎駿の奥深さに驚く。
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宮崎駿作品の相互参照で駿作品に通底するテーマを推測すると言った色が強い。多様なモチーフへの言及があるのは考える材料になる(例えば森の人と役行者)が、考察されないまま文脈のない共通点が指摘されるのみ、という印象が強く、通読出来ずに本を置いた。序盤と、森の人、年代記あたりの章のみ読んだ。