- カテゴリ:一般
- 発売日:2019/12/17
- 出版社: ウェッジ
- サイズ:18cm/231p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-86310-222-4
読割 50
紙の本
征夷大将軍になり損ねた男たち トップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史
著者 二木 謙一 (編著)
源頼朝に警戒され源氏第三勢力に甘んじた武田信義、畿内を実効支配するも将軍宣下が降りなかった足利義維、幼くして徳川宗家を継承した幻の十六代将軍・徳川家達…。征夷大将軍になり...
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商品説明
源頼朝に警戒され源氏第三勢力に甘んじた武田信義、畿内を実効支配するも将軍宣下が降りなかった足利義維、幼くして徳川宗家を継承した幻の十六代将軍・徳川家達…。征夷大将軍になり損ねた男たちから、人と組織の教訓を学ぶ。【「TRC MARC」の商品解説】
「徳川家康」みたいになれなかった男がこんなにいた!
大河ドラマ「どうする家康」も面白くなる1冊。
人望、血統、派閥、讒言、不運、誤算…
組織に生きる現代人にも役立つ歴史の教訓。
武家の最高位「征夷大将軍」の座を逃した歴史人物に学ぶ
大河ドラマ時代考証で有名な著者による異色の人物日本史。
【主な登場人物】
◎源頼朝に警戒され源氏第三勢力に甘んじた「武田信義」
◎梶原景時から将軍に推されたが釈明もせずに逐電した「武田有義」
◎四代将軍への野心を疑われるも拒んだ「鎌倉法印貞暁」
◎比企氏と運命をともにさせられた幻の鎌倉三代将軍「一幡」
◎打倒北条氏を目論む三浦氏の甘言に乗り実朝殺害した「公暁」
◎二度も将軍に擁されるも北条氏打倒を果たせず自害した「栄実」
◎頼家の血統を根絶やしにする北条氏の犠牲になった「禅暁」
◎北条時政が将軍に擁するも殺害された頼朝の猶子「平賀朝雅」
◎源氏の血統を主張して実朝後の将軍を狙って挙兵した「阿野時元」
◎将軍位を求めずとも強力な権力で執権として君臨した「北条義時」
◎後鳥羽上皇に突如、誅殺された摂津源氏の嫡流「源頼茂」
◎義時の継室・伊賀の方が将軍にしようとした娘婿「一条実雅」
◎反幕府の後鳥羽上皇が四代将軍にさせなかった親王「頼仁親王」
ほか室町時代、江戸時代の人物も登場
――第1章から「北条義時」より抜粋
義時が公暁の暴挙を事前に知っていたとするのは当然だが、それを実朝に知らせていないことで、義時が首謀者で義村に実朝を殺させたという説もある。
義時は源氏の血を継ぐ者を次々と粛清していき、承久三年の承久の乱で後鳥羽上皇の野望も挫いて最高権力者になった。
征夷大将軍には源氏でないとなれないとされたり、北条氏は出自の低さから、将軍になることができないともされるが、この時点で、平氏の義時が征夷大将軍になっても、反対する者はいなかっただろうと思われる。
だが義時は、源氏から政権を簒奪したという汚名を避け、京から摂家将軍や皇族将軍を迎えて傀儡とすることで、すでに実質的な征夷大将軍になっていた。【商品解説】
目次
- 序 章 本能寺の変後、明智光秀はなぜ“三日天下"で終わったのか?
- ――将軍のなり損ないから学ぶ「人と組織」の教訓
- 第1章 武家社会の棟梁“将軍"になり損ねた平安末期・鎌倉時代の人物
- 「武田信義」「武田有義」「貞暁」「公暁」「北条義時」etc
- 第2章 群雄割拠の乱世に“将軍"になり損ねた室町・戦国時代の人物
- 「新田義貞」「足利義嗣」「足利持氏」「三好長慶」「豊臣秀吉」etc
- 第3章 太平の世に“将軍"になり損ねた江戸時代の人物
著者紹介
二木 謙一
- 略歴
- 〈二木謙一〉1940年東京都生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。同大學名誉教授。豊島岡女子学園学園長。文学博士。「中世武家儀礼の研究」でサントリー学芸賞を受賞。
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まぁ、こんなもんか
2020/01/12 17:53
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:通りすがりの風来坊でござんす - この投稿者のレビュー一覧を見る
頼朝以前にも触れてほしかったですね。平知盛は、源氏討伐に、将軍と号したとの文献もあるそうです。宗盛の惣官もとりあげてほしかった。
紙の本
興味は尽きないけれど
2021/09/05 18:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:徒然子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史舞台の主役になれなかった人たちの半生をダイジェストにまとめてあるのですが、もっと詳しく知りたいと思う向きには少し物足りないかもしれません。
ただ、ここには、教科書には登場しない名前も知らなかった人物も多く、そういった人たちの立場からその時代のことを見直すと、教科書や通説とはまた違う景色が見えてくるように思います。
意図して、あるいは図らずも脇役・敵役となってしまった彼らは、失脚・敗死という結末で失意のうちにその生涯を終わらざるを得なかったわけですが、この際、そこに敗者・勝者といった区別はあまり意味がないような気もします。歴史に名を遺した人物であっても、それは成功者あるいは勝者とは限らないのではないか。栄光の座をつかむことができた人、そうでなかった人ともに、「そういう人生を生きた」そのことに尽きる。この本を読んであらためてそう思いました。