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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読字脳。初めて知る用語だ。2つの脳半球、4つの葉、5つの層に関係づけて回路が形成される事によって読字脳が発達する。遺伝子を超越した人類の知性の功績だ。キャサリン・ストゥドリーによる読字脳を表現した脳の機能図(P95)に感心する。ところが、人類の知性が造り出したデジタル環境により人間の読字脳に問題を起こしつつある。
読字脳に関する話はおもしろい。デジタル環境が今後どのように読字脳に影響していくのか。これも興味深いところだ。
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知忍耐力に基づく深い読みは記憶を喚起し、内容を分析し、新しい考えを生成するという本による読字と言語スキルの発達の必要性を訴えると共に、社会的環境や倫理観の変化に伴って、デジタル学習による思考習慣の必要性も欠かせないという現代教育事情も加味した書。
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【読書の意味を改めて考えさせられる】
◇著者の主張自体は新しくないです。
・紙の本が「深い読み」を促す
・デジタル媒体によって、認知的持久力が失われている(「使わなければダメになる!」)
といったところでしょうか。
内容的には、『ネット・バカ』を、ブックカバーを変えて読んでるだけの気分に、しばしばなりました~。
◇では、本書オリジナルなところはどこでしょう。
「深い読み」の文化が失われていることを、嘆く著者自身が
知らぬ間に思考が狭まっており、
読み・考える能力が低下していることに気付かされ
愕然としているところではないでしょうか。
その著者に共感。
私自身も、じっくり読むことができなくなってきている自分に危機感を覚えました、、
(いや、元々できていなかったかも・・・)
◇失われた時間は戻りませんが、
改めて、本書で説明されるような、「深い読み」を実践していきたいとの思いを新たにしました。
特に、深い読みには「背景知識」が必要というところが共感。
そんな読み方ができるようになっていきたいです!
ステイホームの今がチャンスですね(^^)
「本を読むにはある種の静けさ、が必要だ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
◇ということで、この本を読んでみたい、と思ってくれた方に向けて、本書の取扱注意事項?ですw
・本書、Amazon他の評価が低いですねー
これは、1章、2章が、とってもわかりにくいからだと思います。
私も、なかなか頭に入ってきませんでした。
『プルーストとイカ』の著者だから、ということ一つで耐えました。
3章から読んでもらえればよいと思います。
・デジタル媒体の利点については、結局、とってつけたぐらいしか登場しませんでした。
いや、登場してないかも・・・
しかし、私は、本書で自分の読書体験上、初めて、デジタルを活用した読み方をしました!
すなわち、本文中で引用されている人物や書物で気になったものを検索した、ということです。
さも一般常識のように登場するにもかかわらず、わからない。自分の無知、背景知識のなさを思い知らされました。。。(まあ、私は文学部ではありませんのでやむなしということで)
読みたい本は増えましたが、まあ、一生のうちに読むことは難しいでしょうね~
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違和感ありありの日本語
流し読みをした後
読みづらかったので 要約サイト使いました
要するに 私には
調べ物やざっと情報を集めるような時は デジタルで じっくり考え 理解したい時は紙ですかね
今から 文字を読むことを始める子どもたちはまた違うのでしょう
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原題:Reader, Come Home
The Reading Brain in a Digital World
by Maryanne Wolf
副題:「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる
https://www.maryannewolf.com/
・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784772695671
#図書館
作品紹介・あらすじ
◎かけがえのない「読書脳」が失われる前に、
新たな「バイリテラシー脳」をいかに育てるかーー
「読む脳」科学の世界的リーダーによる画期的な提唱!◎
・文字を読むとき、脳はどれほど複雑な仕事をしているか
・紙の本が、創造力や共感力、記憶力、分析力を高めるわけ
・脳がデジタル・モードになると、読み方はどう変わる?
・熟達した「深い読み」ができる脳のしくみとは?
・脳の発達段階に応じた「読み書き力」「デジタル力」の育て方
・ゆっくり急ぐ「喜びの時間」とは?
デジタルの波及によって人類が大きな転換点を迎えているいま、
「読み書き力」「デジタル力」ともに強いバイリテラシー脳こそ、
次代を生きる新たなベースとなる。
★ 立花隆・養老孟司・松岡正剛・竹内薫・山形浩生・池谷裕二・瀬名秀明・佐倉統・山本貴光 氏ら絶賛の
名著『プルーストとイカ: 読書は脳をどのように変えるのか?』、待望の続編!
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::目次::
第一の手紙・・・デジタル文化は「読む脳」をどう変える?
第二の手紙・・・文字を読む脳の驚くべき光景
第三の手紙・・・「深い読み」は、絶滅寸前?
第四の手紙・・・これまでの読み手はどうなるか
第五の手紙・・・デジタル時代の子育て
第六の手紙・・・紙とデジタルをどう両立させるか
第七の手紙・・・読み方を教える
第八の手紙・・・バイリテラシーの脳を育てる
第九の手紙・・・読み手よ、わが家に帰りましょう
注釈 http://www.intershift.jp/INTER_gazo/yomu_notes.pdf
P7人類は誕生時から字が読めたわけではない
読み書きの能力の獲得は、ホモ・サピエンスの遺伝子を超越した最も重要な功績のひとつ
~読字を学習する行為は、ヒトの脳のレパートリーにまったく新しい回路を加えた~おかげで脳の配線が変わり、人間の思考の本質が変容した
P8画面のデジタル機器の字を読めば読むほど、自分の注意力の質がどれだけ変わってきたか
デジタル=決して知識として蓄積されないような刺激 注意はたえずそらされている
字を読むときに、類推や推測を行う能力の基本そのものが、しだいに発達しなくなくなる
読字脳は進化しているが、必要とされるもの以外読まない、必要なものさえも読まない、長すぎるから読まなかった読書
P9読み書き能力ベースの文化からデジタル文化への移行は、これまでのコミュニケーション形態の移行とは根本的に異なる
私たちの読み方ーひいては考え方ーの潜在的な変化を特定する科学もテクノロジーもありますから、そのような変化が人々に完全に定着し、���け入れられる前に、その影響を理解することができます
P12ハワイのワイアルアの子どもへの教育から~
~子どもたちは、もし読むことを覚えなければ、人間としての潜在能力をフルに発揮することはない、と突然一気に気づいた
P14現在起こっているデジタルの文化への移行が、ギリシャの口承文化からそのみごとな書記文化への移行と驚くほど似ている
デジタル環境で育つ子どもたちにとっては~
深い読みの要素である①批判的思考、②個人的内省、③想像、④共感のような、ゆっくりした認知プロセスの形成が妨げられるか?
デジタル環境=注意をそらされるような刺激をたえず与えられ、なおかつさまざまな情報源にすぐにアクセスできると、幼い読み手は自分自身の知識を蓄えたり、自分自身で批判的に考えたりする気をなくすのか?
知識のサーバーにますます依存するようになることは、子どもが自分自身で考えて想像したいと思う気持ちだけでなく、未熟な脳が自分自身で築く知識の基礎に対しても最大の脅威になるか
P17いろいろな媒体が読字脳におよぼす影響を、体系的、認知的、言語学的、生理学的、そして情緒的-調べることはとりわけ重要な能力を若年層だけでなく私たち自身も確保するための最善の準備
印刷ベースとテクノロジーベースの媒体の差をまとめることはできない
自然主導と人間主導の進化の選択肢がある
第一の手紙
P22「良い読み手」は誰なのか
読み手=単語を解読するかということではない
プルーストが言った「読むという行為の神髄は著者の知恵を超えて自分自身の知恵を発見することに忠実か」
アリストテレスいわく、良い社会とは3つの生活がある
1知識と生産の生活
2ギリシア人の余暇に対する特別な関係があっての楽しみの生活
3観想と熟考の生活
第二の手紙:読字脳に関する現在の知識
なぜ、読字脳回路の可能性が私たちの思考をますます複雑にするのか
なぜ、どうしてこの回路が変化しているのか
第三の手紙
深い読みを構成する基幹プロセス
読み手の共感し推論する能力から批判的分析と洞察
第四の手紙
P20過剰な情報をたえず突きつけられる環境にあって、多くの人々は、楽に消化でき、あまり難しくなくて、あまり知性を必要としない情報の詰まった、なじみの貯蔵庫に引きこもりたい衝動に駆られ~毎日押し寄せる一目で読めるサイズの情報で知識が得られているという錯覚が、複雑な現実の批判的分析をしのぐおそれがある
(批判能力が)いかに急速に知らぬまに衰える恐れがあるか
第五の手紙~第八の手紙
世界中の未来のこどもたちのために「読字戦士」に変身
・知能、社会的情緒、倫理観の形成において読字が果たすさまざまな役割を維持すること
・消えつつある子ども時代の様相
・
第六の手紙~第八の手紙
発育の提案
何をしりうるか?
何をなすべきか?
何をのぞみうるか?
最後の手紙
良い読み手が、良い社会と同様、アリストテレスの三つの生活それぞれを実際にどう送るか
観想、熟考の生活に���る能力をうしなってはいないかなど自分自身と向き合う
第二の手紙 文字を読む脳の驚くべき光景
P27脳に高度な機能がいくつもあることではなく~~機能を超えて、脳が読字や計算のようなまったく道の能力を開発できるという事実~~古い基本的な構造の要素をつなげたり、ときにその用途を変えることによって、新しい経路セットをつくる
P29読字回路は生み出されていない
人間は読むことを学ぶ
幼い脳が自分自身のまったく新しい読字回路を形成できるように、基本プロセスとそれほど基本的でないプロセスの複雑な取り合わせを開発し、つなぎあわせられる
理想的な読字回路はひとつではない
(言語条件、学習環境
読字回路の基本原理とは
1本質的に順応性があり(読み方を変えられる)、読字の回路が何を読むか(書記体系と内容)、どう読むか(媒体と与える影響)、どう形成されるか(教育の手法)
2細かい特徴(音素)を見分ける
3たった人文字でも音読するときは必ず、◆やにある特定のニューロングループのネットワーク全体を活性化し、そのネットワークは同じくらい特定の言語ベースの細胞グループのネットワーク全体に対応し、そのネットワークは特定の調音運動神経細胞グループのネットワーク全体に対応する
脳
大きな3つの機能
①視覚 ②言語 ③認知
小さな2つの機能
④運動 ⑤感情
第三の手紙 「深い読み」は、絶滅寸前?
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☆電子書籍が子供に良い影響か悪影響か知りたい!脳の働きの説明の記述難解・短時間読了&ブクログ
第1~第9の手紙 ☆筆者・アメリカの研究者(背景不明でイメージしずらい) 若者でtl;dr too long didn’t read 長すぎたから読まなかった
脳の可塑性(☆可塑=外部に対応して変化する事) 使用する用語が難解 英語スペルを見た時の脳の解説 ☆漢字見た時の記述なし
☆例示が英語圏 For sale: Baby shoes, never worn. 未使用の靴だから悲しいバックグラウンドを意識する→☆英語ネイティブでなければ分かりずらい例・日本語版ようにうまい例示にすべき
読書で疑似体験可能 背景知識がなければ根柢の意味は不明になる
小説を印刷物とキンドルで実験→紙を読んだ学生の方が時系列、細部を正しく再現できた
理解力への影響は研究中☆出版社の利益とも関係する
フェイクニュースに操られやすい人の増加
デジタル時代の子育て バッタの心(次から次に注意が飛び回ってしまう)
子どもの脳は持続的な努力と注意に対する報酬をまだ学んでいない
本と画面からの情報の違い・仮説段階→画面では無意識に構えてしまう
グーグル、アップル、ファイスブックの設計者→中毒にすることを考えている
アメリカの子供・読み書きできない子が多く当局が危機感☆移民・英語のせい・当局が国の成長に危機感を持つハズなし・アメリカは世界の頭脳が集まることは自明
P215 英語の発音・フォニクスの解説が1ページ☆例を紹介しなければ日本人にイメージできない フォニックスの例なら分かりやすく解説可能 google→gugl 本当に英語の本を訳しただけの本…
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小説を読むことで、実際に脳がその感情、行動をとったときと同じ反応が示されるとは驚きだ。「共感」を育む、読書の可能性を見くびってはいけない。
記述的には冗長な部分が多いが、ときどきハッとさせられる部分もあり、注意しながら読んだ。著者は自分とは違う知的バックグラウンドをもっていることを前著以上に感じた。
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引用。
#
人類は誕生時から字が読めたわけではない。
字を読むと言うのは自然な行為でも天から授かった能力でもなく、人為的・文化的な発明であり、生まれてから6000年ほどしかたってないのです。
#
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識字は人間に遺伝的に備わっている基本機能ではない(!)
脳の設計によって、後天的に備えている機能である。
そのため、対象の媒体(紙か画面か等)も回路の形成に影響を与える。
人が文字を読む時、脳はそれぞれの機能を同時に複雑に作用させ、理解に導いている。
文字を図形として取り込み、文字だと判別し、記憶の中の文字と照合し、連続した文字を単語として認識する…
現代の生活は、目まぐるしいタスクチェンジ、刺激により退屈を感じるのが早くなり
注意過多が発生している。
→人々の多動傾向が上がってると解釈
平均の米国人は小説一遍と同量の単語を毎日読んでいるが、その不連続性のため、理解の「深さ」が得られない。
現代、我々が消費を強要される情報量が多過ぎるため
それぞれに深くアクセスする権利を剥奪されている。
画面で読む本では、斜め読みが増え理解度が下がる研究結果が出ている
前半白眉だったけど後半様子がおかしく
「デジタルを否定しない」といってたのに
子供には紙の本で読み聞かせするべきだ!
集中力の醸成を妨げるテレビはウチの子には10歳まで禁止した!
等、使い古された懐古主義的論調になり始める。
あと全体的に文章が冗長。
同じ意見の研究結果の引用を、毎回10例7pくらい使って最後陶酔的な比喩で締めなくても伝わるから…
研究者として有能ながら、思想が極端または視野狭窄になりがちな人なのかな。
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著者はディスレクシア(失読症)の研究をしてきた脳科学者。
人は読む能力をどう獲得してきたか、人がものを読むとき、脳はどう働くかといった領域の研究をしてきた人らしい。
序盤に、読むときに脳内で何が起こるかを述べたあたりまでは、何か読みにくかった。
イメージ豊かに、(実際、シルクドソレイユのたとえを使う)伝えているのだけれど、どういうわけか難しい。
それから、音声言語を獲得するのは人間にとって「遺伝子的に」プログラムされているけれど、文字を読むことはそうではない、というのだが、行動が「遺伝子的に」プログラムされるって、どういうことなんだろう?
いや、こういう言い回しはこの本以外でもよく聞くけれど、改めてそれがどういうことなのか、実はきちんと説明をされたことないなあ、と思う。
さて関心の中心は、やはりデジタル媒体での読書と、紙の本での読書とでは何が違うのかだ。
デジタル媒体では、深く読むことが難しいという。
自分の実体験でも、そんな気がしないこともない。
ただ、それはもしかすると、現状の端末の環境では、ということなのかもしれないとも思わないでもない。
自分では考えられないことについて書かれているので、読む価値はあったと思う。
ただ、科学者が一般の人向けに、という配慮のせいなのか、著者の持つ文学的背景を共有していないからか、とにかく読みにくかった。
なんで読者への書簡形式なんだろう?
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私もスペースの制約からKindle中心の読書生活に移行したものの、深い読みができず、頭の上を情報が滑っていくことに悩んでいる1人である。
世の中のさまざまな読書本を参照してきたが、多くで拾い読みや1部分に集中した読書が奨励されており、まさにデジタル時代の読み方だと思う。
一方で、その読み方では分析力・批判的思考能力が損なわれ、やはりある程度時間をかけてでもしっかりと読み切る読書体験も重要なのだと思った。
本書では、読書は一種の瞑想とされており、とても印象に残った。日々情報の洪水にさらされる中、読書ぐらいはゆっくりと好きなペースで没入したい。そう思わされる内容であった。
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読書方法:フライヤー
デジタル機器の普及により文字を読む機会は格段に増えているが、
深い読み(高次の読み)は減少している。
深い読みのプロセスに移入がある
他人の視点に立つという他者視点獲得のプロセスが大切
筆者の伝えたいことを、正しく理解する背景知識が必要。
今の若者とは、長い文章を読むことができなくなっている。
今のベストセラーの本は、あえて、行間を広げて文字数を減らしている。
子供の言語学習にとって、読み聞かせが非常に有効
読み聞かせは、共同注意を実現できるから。
子供の学びにとって、
物性と回帰性が必要
→電子書籍は子供の学習に向いていない
知識を広げていくのにデジタルは欠かせない。
ただ、その前提能力として、長い文章を紙媒体で読む訓練が必要
そのことで、デジタルの情報に触れても深い読みができるようになる。
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原題は「Reader, Come Home : The Reading Brain in a Digital World」
メアリアン・ウルフ氏の前作の名著「プルーストとイカ」を読み、本書もテーマの面白さに惹かれ手に取りました。
本書のキーワードの一つは「tl:dr(too long, don't read)」”長すぎて、読まなかった”という意味の若者が使う言葉。
デジタル機器の登場と情報が過多になった現代において、我々はより”気を逸らし”やすくなり、紙の本を読むような深さを持った情報処理と認識、洞察が脅かされている、というのが著者の懸念。長い文書を読んでいくことにも、どんどん適応できなくなっていく。
安直なデジタル批判ではないものの、やはり幼年期においてはデジタルよりもアナログな手法が大事、と。実際に触れる文字量は小説一編分くらいを毎日目にしていても、小説一編を読むのと比べると、”深さ”は足らない。
現代の「より素早く、より多く」の情報処理・判断へと慣れることは十分な”知性”を発達させられるのか?
ディスレクシアを抱える子供にとってはデジタル化が手助けになる可能性も示す。ブログやSNSなど、”読書”の枠に入らない”読むもの”の情報量が増えている時代に、デジタル化をうまく使うことは必須なのだけれど、そのバランスがすごく難しい。
著者はなんとか均衡点を見つけようとしていて、特に子供の教育においては、"How to”的な案も提示している。前例のない環境におかれ、子育てをしなくてはならない、保護者は悩ましいですよね。
私自身はほとんど買う本はKindleで、買うのに迷ったらまず図書館で借り、ごく一部は紙版を購入しています。(本書は図書館で借りました。)Kindleなどデジタル機器での読書と、紙での読書、なんとなく違う気がするけれど、具体的に”どう”、”どのくらい”違うのか?というのは数年来の疑問でした。
とにかく多くの情報の処理が求められる中で、我々が文字通り時間をかけた読解を取り戻すのは結構難しいというか、”贅沢”なことだとも感じる。脳の負荷をかけない範囲の仕事で生活が成り立ち、時間的にも深い思考が許される、という環境を持てる人はどのくらいいるだろう?著者自らも、ヘルマン・ヘッセ「ガラス玉演戯」を手に取り、昔のようには読めなくなったことを告白する。
自分としては、なんとかデジタル機器での読書においても、深い理解を持つようになりたいけれど、著者が指摘するいくつかの弱点(順序づけの記憶の悪化、キーワードごとにジャンプして読みがち、だったりインタラクティブな思考を保ちながらの読書になりにくい、etc..)は正直思い当たる。デジタル化に伴う外部情報への依存はむしろ積極的にしていたし、自分の脳の記憶をできるだけ使わず、記録を残してできるだけ外部の記憶媒体を頼ることを、多くの人がやっていると思う(このブクログでの記録もしかり。)
脳が言葉、特に単語を認識する仕組みの説明などにおいて、比喩を多用しすぎてわかりにくくなってしまった部分がありますが、著者からの手紙という形でのメッセージには切迫感が伝わる。
単に”読書”というテーマに止まらず、デジタル化時代の”知性”と”教育”まで問う内容だと思います。
読み物としては面白かった、どこまで参考にし情報の波に棹差すことができるだろうか。しばらく考え続けそうなテーマです。
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タイトルと原題が異なる。読者よ、戻ってこい。デジタル世界の読書脳。である。
どのようにデジタルでの読書と活字での読書が異なるかについての実験の説明があった。オーヘンリーの弱者の贈り物という小説で、デジタルで読むと筋が混乱して何のことかわからないという読者がいる、という話は驚きだった。
日本でもそうかもしれない。
デジタルのソフトウェアのことを書いたのは職業柄仕方がないのかもしれないが、無駄なような気がしあ。
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『プルーストとイカ』の著者ということで、期待して読んだ。読みづらい翻訳文なので時間はかかったが読了。
人は生まれつき文字を読めるわけではない。脳の驚異的なプロセスのおかげで、わたしたちは文字を読むことができるようになる。たとえば、単語ひとつひとつの意味を検討し、最も正しい意味の単語を文脈に組み込むというようなことが。
本書は、デジタル中心の媒体で学習するとき、わたしたちの脳内で何が起きるのか?読字回路は紙媒体とデジタル媒体でどう変わるのか? という疑問に答えると同時に、子どもの理想的な読書生活を提示する。
特に大事だと思ったのは、5歳までの親による読み聞かせと、5歳から10歳にかけて自分自身で読めるようになったときに自分の考えを持てるかどうかという点。
子どもは、絵本の世界で追体験をしたり、共感力を高めたりしている。知らない世界や言葉に出会ったとき、自動音声読み上げ機能しかない場合と、「それって 何?」と聞いて教えてくれる大人がすぐそばにいる場合とでは、やはり後者のほうが圧倒的に子どもの知識や語彙力に広がりを与えるだろう。
デジタルで読む弊害は、読み飛ばしたり斜め読みをしてしまうことが、紙で読むよりも多いということだ。確かに、わたしもネットで読むときは、ある程度読んだらスクロールして流し読みをしてしまう。
デジタル機器に費やす時間が急増し、気をそらすものが増えている昨今、集中して本を読む時間は本当に貴重だ。
デジタルネイティブの子どもたちの読字脳、紙の本で読む脳とデジタルで読む脳の両方を発達させるために、教育関係者や幼い子どもを持つ親には一読の価値がある。
p15
読み書き能力はそもそも生得ではなく文化的なものだということー読字に関する最初の単純そうな事実ーは、そのような回路のための遺伝子プログラムを、幼い読み手が備えていないということです。脳の読字回路は、自然な要因と環境要因の両方によって形成され、発達していきます。読字力を習得して伸ばすための媒体も、その要因の一つです。
p16
新たな読み手は、デジタルメディアで重視される新しい認知能力を吸収し獲得しながら、印刷ベースの媒体によって育まれる、もっと時間のかかる認知プロセスを発達させるでしょうか?たとえば、デジタルフォーマットでの読字と、ソーシャルメディアからバーチャルゲームまでさまざまなデジタル経験に毎日没頭することが組み合わさると、深い読みの要素である批判的思考、個人的内省、想像、共感のような、ゆっくりした認知プロセスの形成が妨げられるでしょうか?注意をそらされるような刺激をたえず与えられ、なおかつさまざまな情報源にすぐアクセスできると、幼い読み手は自分自身の知識を蓄えたり、自分自身で批判的に考えたりする気をなくすのでしょうか?
p20
私たちが何をどう読むかと何が書かれているかの関係は、今日の社会にとってきわめて重要です。過剰な情報をたえず突きつけられる環境にあって、多くの人々は、楽に消化でき、あまり難しくなくて��あまり知性を必要としない情報の詰まった、なじみの貯蔵庫に引きこもりたい衝動に駆られます。毎日押し寄せる一目で読めるサイズの情報で知識が得られているという錯覚が、複雑な現実の批判的分析をしのぐおそれがあります。
p22
本書でのよい読み手の意味するところは、どれだけうまく単語を解読するかとは関係ありません。良い読み手と切り離せないのは、プルーストがかつて読むという行為の神髄だと表明したこと、つまり著者の知恵を越えて自分自身の知恵を発見することに、忠実かどうかなのです。
p23
デジタル時代に生活を豊かにする功績はいくつもありますが、その後遺症として認知と情動の変化も起こっており、それを補完し矯正する最高の手段がら現在の読字脳における洞察と熟考の根底にある広範な包括的プロセスなのです。
p23
読字脳は私たちの心のカナリアです。その脳が私たちに教えることを無視するなら、私たちは最悪の愚か者です。
p29
言語能力の発達とちがって、読字に回路の青写真がないということは、読み手固有の言語条件と学習環境によって、その形成はかなり変動しやすいということでもあります。たとえば、中国人の漢字ベースの読字の回路と、アルファベッドを読む脳とでは、似ている点も明らかにちがう点もあります。
p30
さいわい、脳はその基本設計のおかげで、多くの人為的なもなを習得する用意が十分にあります。最も知られている設計原理である神経可塑性が、読字に関する興味深いことー古いパーツの接続による新しい回路の形成から、既存のニューロンのリサイクル、さらにその回路への新しい複雑な枝の付加までーの、ほとんどすべての根底にあります。しかしこの議論で最も重要なことは、なぜ読字脳の回路は本質的に順応性があって(読み方を変えられて)、主要な環境因子に影響されやすいのかであり、その根底にも可塑性があります。環境因子とは具体的には、独自の回路が何を読むか(特定の書記体型と内容の両方)、どう読むか(印刷物や画面など特定の媒体と、それが読み方に与える影響)そしてどう形成されるか(教育の手法)です。問題の核心は、脳の可塑性のおかげで、高機能の拡張された回路もそうではない回路も、環境因子次第で形成されうることです。
p34
視覚のリングは、少なくともアルファベット体系のためには、左脳半球の後頭葉のかなりの部分と右脳半球の一部を占めます。言語リングと認知リング同様に視覚リングも、ほぼ自動の速度でその活動をすべてコーディネートするために、中脳と小脳の領域を組み入れています。アルファベット読字体系の視覚ニーズとは対照的に、中国語や日本語の漢字の書記体系は、読み手が記憶して概念と結びつけなくてはならない視覚的に難しい文字すべてを処理するために、右脳半球の視覚領域をかなりたくさん使います。
p50
むしろいまでは、単語を読むたびにおびただしい数のニューロンの作業グループが始動することを理解しているでしょう。
p54
熟練した読み手は、低レベルの知覚情報(つまり読字回路の最初のリング)を猛スピードで処理し、接続します。それほどのスピードだからこそ、より高次の深い読みのプロセスに注意を配分することができて、そのプロセスが今度はたえず結果を低次のプロセスとやり取りするので、次に遭遇する単語に対して、より十分な準備ができるのです。
p57
社会が直面し始めている重大で答えの見つかっていない疑問の根底にあるのは、注意の質です。
p61
他人の視点に立ち、その気持ちになるという行為は、深い読みプロセスの最も深遠で、あまり知らされていない貢献のひとつを表しています。プルーストの「孤独のただなかにあってもコミュニケーションを実らせることのできる奇跡」という表現は、読むという経験のなかの奥深い感情的な次元を表します。それはすなわち、自分のプライベートな世界から一歩も出ることなく、別の人とコミュニケーションを取り、一緒にいると感じる能力です。
p66
外交官フランシスコ・ヴェットリへの一五一三年の手がちに、こう書いています。
私は彼らと話をするのも、彼らの行動の理由を尋ねるのも、恥ずかしくはない。そして彼らは親切に教えてくれる。四時間が過ぎても私は退屈せず、あらゆる悩みを忘れ、貧困を恐れず、死にもおびえない。私は完全に彼らに没頭する。
マキャヴェッリはこのくだりで、深い読みがもつ視点取得の側面だけでなく、読み手を目の前の現実から内面的な場所へと移す能力をも例示しています。その場所では、年齢に関係なくほとんどの人間のありようを象徴する避けられない重荷、すなわち恐怖、不安、孤独、病、愛情の不確かさ、喪失と拒否、ときに死そのものまで、共有することができるのです。
p71
共感とは、他者に対して思いやりをもつことだけではありません。その重要性はさらに先を行くのです。なぜなら、共感は他者を掘り下げて理解することでもあり、異なる文化どうしのつながりが強まっている世界では欠かせないスキルだからです。
p72
心の理論とは、社会的相互作用のなかで他者の思考と感情を知覚し、分析し、解釈することを可能にする、きわめて重要な人間の能力を指し、自閉症スペクトラム症患者の多くで十分に発達せず、無感情症と呼ばれる病態では失われています。
p74
この意味で、私たちはフィクションを読むとき、知り合いであることを想像さえできないような人を含めて、別の人の意識を脳は積極的にシュミレーションしています。そのおかげで私たちはしばらくのあいだ、別の人であるとは本当のところどういう意味なのかを、試してみることができるのです。他者の人生を支配する感情や苦闘には、同じようなものもあればまったく異なるものもあって、それもすべて試せるのです。読字回路はそのようなシュミレーションによって磨きをかけられます。私たちの日常も、他人を導く人々の生活も、磨かれていきます。
p76
生涯にわたって、私たちが読むすべてのものが知識の宝庫に加わり、何であれ読むものを理解し予測する能力の基礎になります。
p76
アルベルト・マングェルは名著『読書の歴史-あるいは読者の歴史』(柏書房)のなかで、読書は蓄積されていくと述べ、深い読みに不可欠なこの要素の実例を示しています。
一〇代だったとき、マングェルはブエノスアイレスとピグマリオン書店で働いて���ました。そして、ピグマリオンのとくに有名な顧客だった高名なアルゼンチン人作家のホルヘ・ルイス・ボルヘスに出会いました。(中略)マングェルがボルヘス個人の書斎で学んだことは、『読書礼讃』(白水社)から『図書館-愛書家の楽園』(白水社)まで、マングェルが書くことになるすべての本に浸透しています。それはつまり、本が読む人の人生と知識の蓄積に与える影響です。
p77
私たちは社会として、頭のなかに独自の個人的な背景知識プラットフォームをもつ熟練の読み手グループから、同じような外部の知識サーバーへの依存を強めている熟練の読み手グループへと、移行しているように思えます。
p78
アルベルト・アインシュタインいわく、私たちの世界観が私たちに見えるものを決める。読むことについても同じです。媒体が何であれ、新しい情報を見て評価するために、自分自身の事実の操舵室をもたなくてはなりません。
p78
新しい情報を推論と批判的分析をもって理解し解釈するためには、自分自身の知識ベースを使うことができなくてはなりません。
p79
幅広く深く読んでいない人は思い出せるものが少なく、ひいては推測、推論、類推思考の基礎が弱いので、フェイクニュースであれ、完全なでっち上げであれ、裏づけのない情報の犠牲になりがちです。
p87
読字脳の立場では、批判的思考は科学的手法プロセスの総和を表します。文章の内容を背景知識、類推、演繹、帰納、そして推論と総合し、その総合体を用いて、著者の根本的な前提、解釈、そして結論を評価するのです。批判的論証を慎重に組み立てることは、本のなかであれ画面上であれ、小手先の表面的な情報の被害に次世代が遭わないように予防する最善の方法となります。
p88
第二の脅威は、現代の多くの若者に成熟した個人的信念体系がまったくないことです。彼らは過去の思想体系(たとえばフロイト、ダーウィン、またはチョムスキーなどの貢献)について十分に知らないか、またはそういう体系をよく調べて、そこから学ぶ忍耐力がないか、どちらかです。その結果、より深い理解に必要な批判的思考を身につける能力が抑えられるおそれがあります。
p90
洞察は、ここまで読んできたものに対して行ってきた、さまざまな形態の究極の集大成です。文章あら情報を取り込み、最高の思考と感情とを結びつけ、批判的結論を得て、そして未知の認知空間へと飛び込んで、場合によってはまったく新しい思考をおぼろげに見るのです。
p92
彼らはEEG、ERP、その他の神経画像研究を詳しく調べているにもかかわらず、最高に創造的な思考がほとばしるときに何が起こるのか、きちんとしたマップを見つけられなかったのです。むしろ、脳の複数の領域が活性化するようで、とくに(共感、類推、分析、およびその結合を含む、さまざまなほかの深い読みプロセスでも出てきた)前頭前皮質と全帯状回です。
p104
批判的思考もプルーストの言う「孤独のただなかにあってのコミュニケーション」も、なくなってしまったことを裏づけるメッセージです。コミュニケーション
p105
さまざまな機器が送り出す何十ギガバイトもの情報による認知的過���荷を、私たちはどうするのでしょう?まず、簡略化します。次に、優先順位を決めます。知る必要性と、時間(節約する必要性とを、こっそり両てんびんにかけるのです。私たちは自分で考えたいと思わなくなった情報を、最も速く、最も簡単に、最も消費しやすい形で抽出してくれる情報コンセントから、外部調達することがあります。
p107
リュウや大勢の目の動きの研究者がらデジタル読字ではしばしば目がF字やジグザグに動くことを示しています。文脈をとらえるために文章全体ですばやくキーワードを拾い(たいていは画面の左側にあります)、最後の結論に突進し、それが正当な場合のみ、本文にもどって裏づけになる細部を選び出すのです。
p117
洞察と同じように、読書にでも芸術にでも美しさを知覚するのは、深い読みを構成するのと同じさまざまな能力です。そして洞察と同じように、私たちがこれらの能力に時間を与えてはじめて、さらに見て、認識して、理解することができるほどしっかりと、神が「創りたまいし」美を知覚できるのです。マリリン・ロビンソンはエッセイ「減退」で、重要なもののなかでもとくに美しさは「強調の戦略であり、もしそれが認識されなければ文章は理解されない」と書いています。美しさは、私たちがとくに重要なものに注意を向けるのを助けます。もし私たちの美の知覚力が弱まって、アメンボのように言葉の表面を渡って上澄みをかすめるだけになってしまったは、その下にある深みを見逃すことになります。つまり、美しさに導かれて、深いところにあるものを理解して学ぶことがなくなるのです。
p122
若い人たちには、読んで記憶することを学んでほしいのです。なぜならそれが、どういう人間になるか、どうやって考えるかの基礎になり、彼らの未来、そして私たちの未来の形を決めるからです。
p147
UCLAの心理学者パトリシア・グリーンフィールドが研究で実証しているように、基本的で常識的な原則は、媒体への接触(費やす時間)が増えれば増えるほど、その媒体の特性(アフォーダンス)が見る人(学習者)の特性に影響を与える、ということです。
p149
二〇一五年のランド研究所の報告によると、三歳から五歳の子どもがデジタル機器に費やす時間の平均は一日四時間で、〇歳から八歳の子どもの七五パーセントがデジタル機器を利用できるという数字は、つい二年前の五二パーセントから上がっています。
p150
レヴィティンの主張によると、子どもたちは、競って注意を引こうとするものが次々と途切れることなく現れることに慢性的に慣れてしまうので、彼らの脳は事実上コルチゾールやアドレナリンのようなホルモンにまみれています。これは一般的には闘争・逃走とストレスに関連するホルモンです(中略)。レヴィティンが論じているように、子どもと若者はこの一定レベルの新奇な感覚刺激に囲まれると、たえず注意過多の状態へと追い込まれます。「マルチタスクがドーパミン中毒のフィードバックループをつくり、集中せずにつねに外部刺激を探し続けることに対して、脳に効果的に報酬を与える」のだと、レヴィティンは主張しています。
(中略)
子どもたちがインターネットの利用をやめるように言われたとき、いちばんよく聞かれる文句は「退屈だ」なのです。手近な画面で注意を引きつける魅力的なものを突きつけられると、幼い子どもたちはすぐに、たえまない感覚刺激にどっぷり漬かり、そのあと慣れっこになり、そしてしだいに半ば中毒になります。
p162
認知発達の観点からすると、回帰は振り返りを助け、そのおかげで子どもは自分の理解していることを観察でき、作業記憶にある細部を反芻でき、学んだことを長期記憶に統一できるのです。子どもが無意識に画面上の情報をテレビや映画のように処理しているなら、筋の細部は消えやすく、具体性に欠けるように思えるでしょう。
p166
自分が知覚するものや読むものを処理するのに必要な時間は、記憶の構築、背景知識、その他のあらゆる深い読みプロセスのいずれにとっても、非常に重要です。文学評論家のキャサリン・ヘイルズは、このきわめて重要なポイントを明確にしています。彼女が強調するのは、デジタル媒体によって視覚刺激の量が増え、テンポも速まっている証拠はたくさんあるのに、そのことは見る人が反応に使える時間が相対的に減ることだという事実は考慮されていない、という点です。この洞察を深い読みの回路に関連づけると、処理するための時間が減るということは、入ってくる情報を背景知識に結びつけるための時間が減り、したがって、分析や類推、洞察など深い読みのほかのプロセスが展開される可能性が低くなるということです。
(中略)
子どもたちの場合、情報の増加とそれを処理する時間の減少が一緒になると、彼らの注意力の発達にとって最大の脅威になりかねず、より高度な読みと思考の発達と利用に、深刻な影響をおよぼすおそれがあります。深い読みの回路ではすべてが相互依存しています。もし子どもたちが、グーグルやフェイスブックのような外部の知識源に、より大きく依存することを覚えつつあるせいで、構築している知識が少なくなっているなら、すでに知っていることと初めて読んでいることの類似点を見つけて正しい推論を下す能力が、予想外に大きく変化するでしょう。自分が何かを知っていると思うだけになってしまいます。
p176
親が子どもに、子どもだけに向けて、ゆっくり丹念に読み聞かせをするとき、しかも親子が互いに注意を集中させていたら、これらの領域にどれだけもっと多くのことが起こりうるから考えてみましょう。(中略)一目瞭然に読字と関係があるだけでなく、親と子がともに世代を超えた注意の共有をともなう交流をする時間をつくり、単語、文、そして概念について学び、さらには本とは何かを学びます。
p178
子どもに読み聞かせをするときは、話す言葉の響きや音楽、書かれている言葉の文字や文字パターンの視覚的形態、話し言葉と書き言葉の意味など、回路のあらゆる要素にわたる複数の表象に、彼らを触れさせているのです。子どもが本を
p179
(前略)繰り返し読んでくれとせがむとき、その情報との接触を次々と重ねてあるのであり、それがまさに、それらの表象すべてを強化し、統合するのです。
それは子どもがすでに知っている概念と言葉に貢献し、なおかつ次に来るものの基礎を築いているのです。そのような読み込まれたページとな���で類推的思考が形成され、言語発達が盛んになります。子どもに話しかけるとき、あなたは彼らを取り囲む言葉に触れさせています。すばらしいことです。一方、子どもに読み聞かせをするときは、彼らがほかの場所では聞かない言葉、周囲にいる人は誰も使わないような文に触れさせているのです。これは単なる本の語彙の話ではなく、物語や本の文法であり、韻文や戯れ歌や詩のリズムと頭韻と話です。
p185
私が理想とする世界の子どもたちは、二歳から五歳までの短い期間に、物語、小さい本、大きい本、何気ない言葉、あらゆる言葉、文字、数字、色、クレヨン、音楽-たくさんの音楽!-そして創造性、コミュニケーション能力、屋内外での物理的探索を引き出す、ありとあらゆるものに囲まれています。
p186
ピンカーの主張によると、物語は、人が頭に入れておくブリッジやチェスの戦略と同じように、似たような人生の困難にぶつかったとき、それを解決するための戦略で武装して立ち向かうのを助けるのです。
p194
三歳児に読み聞かせをするとき、何が起こるかを考えましょう。あなたは無意識に、よりはっきりと、より意図的に話し始めます。そのプロセスで、あなたの声の韻律曲線、あるいは旋律輪郭が、言葉の意味を子どもに伝えるのに役立ちます。
p195
(前略)二歳ないし三歳児は、一日数分から半時間まで増えてもかまいませんが、もう少し年長の子どもの場合、もっとも時間が増えても一日二時間までが許されるケースはまれです。
p228
人類がこれまで獲得したなかで最も高度な能力一式を、次世代は必要とします。それはすなわち、コーティング[コンピューターを動かす指示をする言語の記述]、設計、およびプログラミングのスキルに共通し、それによって発展する、非常に精密な深い読みのプロセスです。
p232
したがって私は、まず小学校低学年でそれぞれの媒体で考えることを学ぶ発達段階は、二つの媒体に固有の特徴がそれぞれ十分に発達して自分のものになるまで、だいたい別々の領域に分かれているものとしてとらえています。
そうなれば、各媒体によって磨かれる認知プロセスの独自性は言語能力発達の始まりからあることになります。実証されていませんが、私の仮説はこうです。このような共通発達があれば、成人になって、画面読みのプロセスが印刷読みににじみ出してテンポがゆっくりの印刷読みプロセスをむしばみ、読字脳が萎縮するのを防ぐことができるのです。むしろ子どもたちは最初から、言語と同じように媒体にもそれぞれ独自のルールと役立つ特徴があって、それぞれ独自の最も適切な用途やペースやリズムがあることを学びます。
p233
親子で印刷物を読むことが、読みの核となる時間的空間的次元を強化し、幼い読字回路に重要な触覚との関連性を加え、望みうる最良の社会的・情緒的交流を提供するのです。教師や親はできるかぎり、子どもたちが自分の背景知識を読むものと結びつけるように導き、他人の立場への共感を引き出し、推論をして、自分自身の分析や熟考や洞察を表現し始めるように促す質問をします。
初期の熟考プロセスに時間を割く重要性を学ぶことは、気をそらすものだらけの文化���なかで育てられる子どもたちにとって、けっして簡単ではありません。ハワード・ハードナーとマーガレット・ウィーゲルが述べているように「この逍遥する心を導くことが、デジタル時代の教育者のいちばんの課題」です。幼い読み手のなかに最初期の深い読みスキルの発達を明確に促すことが、すばやく斜め読みして次のおもしろいものに移ろうとか、読むことは受け身で楽しむだけのもうひとつのゲームととらえようとか、さらには自分自身の考えを見つけ出すことなど飛ばそうといった、デジタル文化のたえまない誘惑へと対抗手段となります。
p234
たとえば、私たちが最初に印刷物を読む手ほどきをしているあいだ、読むことには時間がかかっても、その代わりに物語が終わったあともずっと続く思索で報いてくれることを、子どもたちに学んでほしいと思います。ひとつの考えから次の考えへと突進する子どもたちの自然な傾向が、頻繁なデジタル視聴によって強くなるのと同じように、深い読みの経験は彼らに別の考え方を教えてくれます。社会としての私たちの課題は、デジタル時代の子どもたちにこのような経験両方を与えることです。子どもたちが深く読むスキルに注意を割り振れるくらい速く、そのスキルを身につけて展開できるくらいゆっくり読むように、教師と親が強調して努力する必要があるのです。
この五歳から一〇歳の期間をとおしての目標は、時間をかければ自分自身の考えをもてるのだという期待を、子どもたちに植えつけることです。(中略)読んだことについてじっくり考えると、自分自身に重要なものを期待できるようになるのです。
p235
小学校低学年で自分の考えを手で書くことを学ぶと、子どもたちは書くことも考えることもうまくなると実証する、手書きに関する研究が増えつつあります。
p240
検索エンジンを最大限に活用したり、情報を見つけるために正しい検索ワードを選択するなど、もっと実際的な問題に的を絞ったオンライン読みのツールもあります。意見や消費に影響を与えようとする偏見や試みを見抜き、事実ちもとづかない偽情報の可能性を認識するために、検索する情報の評価方法を学ぶことも、非常に重要な実際的問題ですらら優れた管理能力に直接取り組むことは、子どもの学習スタイルや使う媒体に関係なく、あらゆる学習にとってためになります。
深い読みのスキルは、注意散漫や共感低下のようなデジタル文化の弊害への重要な対抗手段になるだけでなく、デジタルのプラス効果も補完します。難民の子どもについての物語を読んで、さらに、ギリシャやトルコやニューヨーク州北部で自分たちの命が延びるのを待っている難民の子どもたちの実際の映像ちオンラインでアクセスする子どもは、その状況について読むだけでそこから先には踏み込まない子どもよりも、強い共感。抱きます。表面的には、二一世紀の子どもたちは自分たちのつながっている世界をかつてないほど認識しているように見えますが、ほかの誰かになるとはどういうことかを感じ、他人の気持ちを理解できる、人に関する深い知識を築いているとは限りません。
p241
ここに提案した計画がすべてうまく行けば、ほとんどの子どもは一〇歳から一二歳くらいになるころまでに、二つの���体と複数のメディアでの読みに堪能になり、さまざまな課題のために、難なく両者を切り替えることができるようになります。どんなタイプの内容や学習課題にはどちらの媒体のほうが良いか、自力で学ぶようになっていて、媒体に関係なく、深く読んで深く考える方法をわかるようになるのです。
p244
たとえば、ほとんどのディスレクシア児は学年を問わず、二五人クラスを受け持つ教師が容易に提供できるものの一〇倍も、英語の文字と音の対応ルールや一般的な文字パターンに触れる必要があります。そのような子どもにとって、デジタル媒体と利用は革新的です。悪戦苦闘している読み手が、前日か同じ日の朝、クラスのほかの子どもたちより前に文字のパターンやルールをデジタル媒体で練習できたら、どうなるか考えてください。読字の問題を抱える子どもたちが、自分はどこか「悪い」のだと思い込みやすいのであれば、デジタル媒体をこのように必要なだけ何度も繰り返し使うことで、あまり気づかれない彼らの創造性の強みが明らかになって、ディスレクシア児がしばしば不当に耐えている自己否定感が和らぐ可能性もあります。
p245
とりわけ示唆に富むのは、印刷の読み方の成績がトップクラスの生徒は、たいていオンラインの読み方の成績が最下位クラスで、逆もそのとおりだという結果です。この発見がすでに、現代の年長の子どもたちに二つの異なる読字回路が発生していることを表しているのか、根底にある学習能力の差を表しているのか、そのどちらにせよ、早いうちにデジタルの読み手になるほうが報われるディスレクシア児もいる可能性はおおいにあります。
p246
教室でデジタルメディアを使っていても、いまのところ目覚ましい結果が出ていないことには、おそらく複数の要因が関係しています。その要因として挙げられるのは、理解され始めたばかりのデジタル媒体の認知力に与える影響、教師の専門的研修と支援の不足、そして最後に、テクノロジーの教育的研究すべてで重い足音を立てている大きな「ゾウ」、すなわちデジタル機器利用機会の格差です。
p247
かなりの数のアメリカの子どもたちは、家にほとんど本がなく、使い古した携帯電話以外、デジタル機器を利用する機会がほとんどまたはまったくない状況です。
p258
半世紀ほど前、哲学者のマルティン・ハイデッガーは、現代のようなテクノロジーによる創意工夫の時代にひそむ大きな危険は、「瞑想的思考への無関心」を生むおそれがあることだと感じていました。「そして人間はみずからの特別な性質-瞑想する存在であること-を否定し、投げ出してしまう。したがって、問題は人間の根本的性質を救うこと、つまり瞑想的思考を続けることである」。
p261
この時代、自分たちの内省する能力に注意を払えるかどうかは個人の選択の問題であり、個人としても市民としても、私たちにとってきわめて重大な意味合いがあります。
深い読みのプロセスを左右する双方向のやり取りに例示されるように、推論にもとづく批判的の能力に時間を配分してはじめて、読む情報を記憶に統合されうる知識へと変えることができます。そして自分のものになったこの知識だけが、今度は新しい情報から類推と��論を引き出すことを可能にするのです。新しい情報の事実と価値を見わけられるかどうかは、この時間配分で決まります。
p262
彼は書き手が時間の流れをゆっくりにする必要性を強調するために、ラテン語の「フェスティーナ・レンテー」を使っていますが、これは「ゆっくり急げ」とか「ゆっくり早く」などと訳されます。
p263
認知忍耐力をもつことは、意識的・意図的に注意を払えるような時間のリズムを回復することです。すばやく読み(フェスティーナ)、しかるのちに理解すべき考え、味わうべき美しさ、記憶すべき疑問、そして運がよければ展開すべき洞察を意識する(レンテー)のです。
p270
前述のように、向き合うべき現実としてあまりに多くの選択肢を突きつけられると、私たちは怠慢におちいり、あまりよく考えはくてもいいような情報に頼るおそれがあります。そうなると、前に何をどう考えたかに一致するという理由で選んだ情報源にもとづいて、自分は何かを知っていると考える人が多くなります。したがって、私たちは一見うまく情報武装していても、より深く考えるモチベーションも、ましてや自分と異なる観点に立ってみようとするモチベーションも、どんどん低下するようになります。自分は十分に知っていると考えてしまうのは本人を誤らせる心理状態であり、さらなる内省をさまたげて、自分の代わりに他人に考えてもらおうと扉を開く、消極的な認知的現状満足へとつながってしまうのです。
ここで問題になるのは本書の急遽メッセージ、すなわち、私たちが可能性に気づかないまま、強くても弱くてもどんなバージョンであれデジタルチェーン仮説により、私たちは内省能力を使わなくなるおそれがある、ということです。
p290
紙の本をはじめとする印刷媒体から、デジタル媒体へ-私たちの読む体験は劇的に変わろうとしている。では、そのことは、読む脳にどんな影響を及ぼすだろう?そもそも紙とデジタルでは、読む脳の回路にどんな違いがあるのか?デジタル脳がますます優勢になり、紙で読む脳まで変えてしまうのか?そうなれば、私たちの文化や社会はどこへ向かうだろう?
p291
脳は既存のさまざまな回路を再利用することで、「読む脳」回路を育てていく。(中略)こうした回路ベースを二歳までに育むのが、親子による「対話式読書」である。親が子どもに本を読み聞かせると、子どもはそれに全身で反応する。親のや言葉や視線に同調し(注意の共有)、音韻・リズム・意味・文法・文字のかたちなどを吸収していく。
二歳から五歳までは、「言語と思考がともに飛び立つとき」である。とくに「物語」は他者の視点となって共感を育む糧となる。注意したいのは、この時期までにデジタル機器に触れるばかりで、文字を読むための脳が準備されていないと、子どもの脳が「画面モード」に設定されてしまうことだ。
五歳から十歳までのあいだに、子どもたちは読むことを覚え始める。(中略)そして、理想的には小学校の三、四年で流暢に読めるレベルに達するが、現状では多くの子どもたちがそうなっていない。
読む脳が発達するほど「深い読み」ができるようになる。
一方、デジタルは注意を散らし、予想力・記憶���を低下させ、外部の知識ベースに頼りがちなため、あふれる情報を分析・批判する能力も育ちにくい。