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紙の本
人生が交差する場所(ところ)
2011/07/09 06:45
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
浅田次郎さんの名作『鉄道員(ぽっぽや)』はあまりに真面目すぎる乙松という一人の鉄道員を描いて秀逸だったが、「乙松さん、五分遅れだのに、ずっとああして立ってるんです」と粉雪の降りしきる駅のホームで立つ鉄道員の姿を描いた場面がある。
鉄道員にとってたとえ五分であれ列車の遅れは事故につながる。乙松でなくても緊張せざるをえない。
それに駅はたくさんの人たちの人生は交差する場所でもある。ひとつの連結が他の人生へと運んでいくことだってある。だから、駅や旅は多くの物語の舞台になって、人生の一場面を描いていく。
「百年文庫」の37巻目は「駅」と題されて、オーストリアのユダヤ系作家ヨーゼフ・ロートの『駅長ファルメライアー』、と戸板康二の『グリーン車の子供』、プーシキンの『駅長』の三篇が収めれれている。
プーシキンといえば近代ロシア文学の父ともいわれる存在。『スペードの女王』や『大尉の娘』といった作品名をきけば、そういえば、とわかる人も多いのでは。
本書の収録されている『駅長』は悲惨な物語である。主人公である駅長の自慢の娘が傲慢な青年によって連れ出されてしまう。現代でいえば誘拐事件だろうが、駅といっても馬車と馬車とをつなぐにすぎない時代で、駅長といっても所詮は下級官吏にすぎない。無理矢理に連れされたら娘を取り戻す手立てさえない。ただ反面、娘の方からすれば貧しい生活から抜け出せるきっかけでもあったはず。時代とはいえ、あまりにも貧しい生活が生み出した悲劇といえる。
戸板康二の『グリーン車の子供』は「駅」というより「列車の車内」でのミステリー。往年の名優が車内で一緒になった女の子の正体をあばいていくミステリー仕立ての、面白い短編である。登場人物たちのさりげない立居振舞いが謎を解く鍵になっている。
もう一作がヨーゼフ・ロートの『駅長ファルメライアー』。たまたま自分の管内で起きた列車事故で出会ってしまった美貌の婦人に夢中になって堕ちていく駅長を描いた作品。そういうことも人生の中では起こりうるかもしれないとしたら、それはまた怖い話だ。
駅がなかったら起きなかっただろう、それぞれ。しかし、そこで出会ってしまうのも、また駅ならではではある。
紙の本
粒ぞろいの「駅」文学
2017/12/05 23:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
駅長が主人公の陰鬱な海外古典文学2作品と、新幹線の中で解き明かされる穏やかな日本のミステリ1作品が収録されています。
一瞬の出会いで人生が決定的に狂っていく「駅長ファルメライアー」はかなり読み応えがありました。対照的な作品として、ネタがバレても親子愛を楽しめるミステリ作品の「グリーン車の子供」も良かったです。
鉄道ならでは、という作品ではないかもしれませんが、良質な「駅」文学であることに違いありません。