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<目次>
序章 未来の漁師に必要な能力は何か?
第1章 未来の大学入試(一)
第2章 未来の大学入試(二)
第3章 大学入試改革が地域間格差を助長する
第4章 共通テストは何が問題だったのか?
第5章 子どもたちの文章読解能力は本当に「危機的」なのか?
第6章 非認知スキル
第7章 豊岡市の挑戦
終章 本当にわからない
附録 22世紀のための問題集
<内容>
劇作家、演出家で大学の教授をしている平田さんの本。豊岡市や奈義町での実践や経験から、演劇型の入試、入社(公務員)試験を実施してきているので、その言葉には深い裏付けがある。第5章は、新井紀子さんの『AI~』への反論なのだが、読んでみての感想は半々。新井さんの論は、学校現場にいて実感していることだったので、腑に落ちた。平田さんの論も筋はある。また平田さんたちの「練習問題」は採点をどうするのか?発想は面白く、効果も覿面だと思う。しっかりとしたルーブリックがあればいいのかな?また、入試の「公平性」と「公正性」の指摘は納得した。多様な人材を採りたいのなら、「公平性」は邪魔になる。公正的にすればするほど、金太郎飴のような人材しか集まらないからだ。これからの世界に必要なものは「多様性」なので、そこは考えなければならないのではないか?
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演劇家平田氏の教育改革への提言 兵庫県豊岡市で行われている演劇的手法を用いたコミュニケーション教育の実践を紹介しながら、職員採用や大学入試改革などこれからの教育について問題提議をしている。
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新井紀子さんの本を読んだ時に感じた違和感のようなものの正体がわかった気がする。いくら論理的な思考や表現力などを身に付けたとしても、相手に伝わらなければ意味がないし、相手の気持ちを理解しようとすることを忘れてしまっていたら意味がない。
そもそも、人はよく誤読をする生き物なのだというのが大前提。それでも、先行きが不透明な未来を生きていくために、きっと大事なのは、さまざまな文化的背景が違う人たちと話しをし、相手の言っていることを理解しようとすること、そして、自分の言いたいことも伝えようとすること。そして、どちらかがいいとかどちらかを選ぶののではなく、それぞれの主張をすり合わせて新しい結論を見出すことができるようになること。
そんな力を身に付けるのに、有効なのが演劇教育。演劇教育を通して、身体的文化資本を一人一人に身につけさせられるようにすること。
面白い取り組みをしている大学の大学入試が本当に面白いし、中学生高校生にも取り入れられる視点がたくさんあったように思う。また、平田さんが学長に就任予定の専門職大学もある兵庫県豊岡市の取り組みが本当にユニークでとても興味深い。東京に住んでいるくせに、こういう地方・地域が元気だとワクワクするし、とてもとても興味がある!
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題名からすると若い人たちに読んで欲しい本と思われがちだが、これは大人が特に子供を持つ親、教育に携わる人、教育改革をする人、またそれに関心のある人向きの本である。
大学入試改革がいわれ、2021年1月から実施される予定である。(ただ今現在は2020年のコロナ禍で、どのようになるのか流動的だろうか。)しかし、大学入試が変わることは確かだ。その前提として日本の教育が変革の時を迎えており、ある部分ではそれがすでに実行されている。
急速な世界の変貌と進歩(?)でこの先、どのような未来が待ち受けているのか、どのような教育をすることが、子供たちにとってよいことなのか断定できない。
そのような中、柔軟な思考と行動ができ、また人との協働ができる人材が必要なのではないかとは誰しも思う。
大学入試にしても今までのような知識の確認だけでは済まされない。世界の名だたる大学ではすでにそのような入試を実施しているという。ではどのような入試でそのような伸びのあると思われる優秀な学生を獲得していくか。著者がそのため有効だと思う入試を紹介しながら、これからの教育を論じていく。
今までのような雛形に固めていく人材を作っていくわけにはいかないことがわかる。しかしその新しい教育はまず、それを行う優秀な大人たちが膨大なエネルギーを費やして構築していかなくてはならないのだろう。日本の子供たちのため、日本のために。
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著者の教育論は他にも読んだことがあるがそれらには一貫したものがある。現状におもねることなく、しかも実現可能であることを重視する考え方であるが
現代の教育論が個性重視といいながら、結果的に環境要因を無視した不平等な現実を容認するものだという考え方は概ね首肯できるものだ。自己責任論が平等の皮を被った階級主義であるのと同様に子供の個性を定量化して評価の対象にする教育の方法には根本的な誤りがある。
この中で何度か出てくるディスカッションドラマを作らせる演劇的手法は多様化する現代のあり方を他者の視点を通して考えるために設計されている。他人の痛みを知るリーダーを育成するためには使える方法だと考えた。
演劇的な手法を実現するためには指導者の誘導が大きく影響する。演出家ならでは考え方であるとも考えられる。ただ学校の教員が試してみる価値はありそうだ。
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大学入試改革の本質、問題点や将来像について
知識や技能に加え
思考力、判断力、表現力を問う問題例をあげている
アクティブラーニングの重要性、潜在的学習能力つまり伸びしろ力が問われる
そして著者は専門である演劇について教育が諸外国に比べて低いことをのべ
非認知能力のひとつとして演劇や芸術教育が今後の教育に役立つともいう
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だからこそそこ(ハーバード、MIT)では、「何を学ぶか?」よりも「誰と学ぶか?」が重要になる。それは学生の質の問題だけではない。教職員も含めて、どのような「学びの共同体」を創るかが、大学側に問われているのだ。
実際、日本でも、表面上とはいえ、かつての大教室での一方的な授業はいっそうされつつある。形だけでも質問表を配ったり、グループディスカッションの時間をとったりして、授業をアクティブ化する試みを各教員が行っている。(p.70)
文化資本(ピエール・ブルデュー)(pp.88-89)
・「客体化された形態の文化資本」(蔵書、絵画や骨董品のコレクションなどの客体化した形で存在する文化資産)
・「制度化された形態の文化資本」(学歴、資格、免許等、精度が保証した形態の文化資本)
・「身体化された形態の文化資本」(礼儀作法、慣習、言語遣い、センス、美的性向など)
「対話」は「dialogue」、「会話」は「conversation」。英語ではこの二つの単語は大きく意味が異なるのだが、日本語ではこの区別が曖昧だ。というよりも、日本語では、「対話」という概念が薄い。だから辞書を引くと、「対話=向かい合って話し合うこと。また、その話」などとなってしまう。
・会話=親しい人同士のおしゃべり
・対話=異なる価値観や背景を持った人との価値観のすりあわせや情報の交換。あるいは知っている人同士でも価値観が異なるときに起こるやりとり。(pp.134-135)
私はよく、小学校の先生方には「声の小さい子は、無理して大きな声を出させなくていいですよ」と指導する。声の小さい子は「声の小さい子」という役をやらせれば一番うまいからだ。このように、どんな子どもにでも居場所を作り役割を分担できることが、演劇教育の最大の利点だと私は考えてきた。(p.184)
「相対的貧困」は表面化しにくい。小学生位では、その格差が子ども動詞では理解できない。中学生になって、友だち同士で「おい、日曜日にスケート行こうぜ」となったときに、「いや、俺ちょっとやめとくわ」という子が周囲にいて、初めて貧困、格差は実感できる。
こうしたことを一度も経験しないで多くの子どもたちが、大学生そして社会人になっていく。もちろん大多数の若者は、アルバイトなどの社会経験の中で少しずつ現実に直面するのだろう。しかし、バイト先の選択にさえ格差が見え隠れするのが現状だ。(pp.215-216)
<おやおやとおどろけ。なぜ?と不思議がれ。わかるまで調べろ。こうかもしれないぞと考えろ。こうしたらどうなるだろうかと考えてやってみろ。いつでもどこでもそうかと、たしかめてみろ>(東井先生、p.233)
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表紙は、正直、苦笑。
内容は、論じる対象の方が、どんどん腰砕けになってしまったから。
AI新井本に関する部分の的確さは必読。共通テストへの論も。
その他の部分は、「分かり合えない」や「下り坂」とかなり重なってくる。それはけっして悪いことではないが。
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場凌ぎではなく長期的なビジョンに基づいた,教育と試験の可能性の一つを提示する.新井紀子先生の“教科書の読めない〜”に対する反駁に納得する.結局のところ,知的生命体として生まれながらに持つ知的好奇心を如何に大事にしてあげられるか,に収斂するのかも知れない.
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大学入試改革に伴う今後の教育のあり方についての連載をまとめたもの。
ところが刊行前に改革自体が暗礁に乗り上げ、さらに刊行後にCOVID19による混乱。
それでも本書で述べられていることは未来を向いている。
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21世紀に求められる力・学力観をもとに、入試問題作成の過程やその内容を例に挙げながら出題意図について述べられた本。「21世紀型スキル」である対話力をはかろうとしている考えられた入試方式・内容で、その裏側と思いが分かりやすくまとめられていた。アクティブラーニング化する高等/中等教育機関での授業に応じた試験内容でかなり勉強になるポイントがたくさんあった。
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中高生向けの授業が増えそうなので、参考になりそうな事例を学ぼうと購読。以前からパフォーミングアートで地域活性や人材育成などに取り組んでいる平田さん。今回は子供たち向けに、これから何をどのように学ぶと良いかについての論を展開している。といっても、子供向けというよりは、子供に向き合う大人や、新人を採用する組織に向けたものでもあり、とても参考になった。世界最高クラスの知識はネット学習でいくらでも学べる時代であり、そういった形式知の多寡よりも、「クルー型」(見知らぬ仲間、多様な仲間と、いかに物事を成し遂げていくのか)を見るようになるだろうと。そうすると、このような機会を小さな頃から持つことが大事なのだが、それは首都圏が圧倒的に有利で、同質的・閉鎖的な地方は不利になることが多い。こういうことも格差の端緒になり得るということで、やはり教育は大事。
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タイトルから自分の子供達に読まれせる本と思っていたが、全然違った。保護者や教育に関わる人が読むべき本。
個人的にあまり教育に関心が無いのか、かなりの部分を読み飛ばしてしまった。
今後の日本の先行きを考えるために最も教育について真剣に考えなければいけないと認識できただけでも良しとしたい。
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正直言って、平田オリザさんの著書は読んだことがなかったし、芝居も観たことがない。(けっこうたくさん芝居は見てきたのだけれど。)城崎あたりで何か面白そうなことをされているなあ、ということくらいしか知識はなかった。本書は、たまたま書店で見て、ちょっと気になって手に取って、パラパラと立ち読みをして、最近気になっている大学入試のことなど、興味のある内容が多そうなので、他の本と一緒に購入した。そして、先に読んでしまった。これは、正直買って正解でした。いやあ、おもしろい。四国学院大学の入試問題や、奈義町、豊岡市の採用試験問題などなど。演劇を使った手法。それと面接。予備校などでは対策のしようがない。(いや、何か考えるだろうけれど。)これはもう、小学校からのアクティブ・ラーニングによるのだろう。そして、豊岡市での取り組み、新しくできる大学など、興味は尽きない。私ももう少し若ければ移住して、そこで子育てをしてもよかったかも知れない。それから、新井先生の本に対する批判?これもなかなかおもしろい。RSTについては、自分でも何となく違和感があったのだけれど、なんとも言うことができなかった。それを、きちんと原典にあたって解説されていて、なるほどと納得がいった。そして、非認知スキルだったり、身体的文化資本だったり、いわゆる教養とか地頭とか言えるようなもの。こういうものが、今後特に必要になってくるのは間違いないだろう。私も常々、公立中高一貫校などを受検希望される保護者の方々には、お子さんを子ども扱いせず、大人の会話に入れてあげてくださいと言っている。4年生までに、科学館とか、博物館とか、いろいろ連れて行ってあげてくださいとも言っている。これって、結局、文化資本を身につけるっていうことだったのだなあと思う。そのことには、自分の子育て段階でも気付いていて、意識してきたつもりだけれど、さてさてその結果はと言うと・・・、まだ結論を出すのは早いか。なかなか子育てというのは思うようにいかないもの(森毅いわく)。私より少し年長の著者にまだ小さなお子さんがいるということ。事情はともかく、まあかわいいことだろうなあ。だって、孫と言ってもいいくらいだもの。
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平田オリザさんについては、演劇関係者という認識しかなかったが、大学で教鞭を取られていることもあって、かなり詳しい。
データに基づいてというよりは、ご自分の信念と経験に基づいて、論を展開されているのだが、とても分かりやすい。
教育の専門家ではないが、かなり調べたり実践されたりしている中で得られた知見は、私が普段考えているような見方とは違って、いろいろな見方で大学入試について、子どもたちのことについて考える必要があると感じた。
今の大学入試制度改革のどこが問題か、どのようなものを目指すべきなのか、納得させられることも多かった。