紙の本
書評執筆という仕事
2020/11/07 17:46
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投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を選択する際、様々な媒体に形成された書評は大いに参考になる。ただ、その執筆は大学の先生や研究者などによる副業ばかりと思っていた。最近ではウェブサイトやブログに執筆する人たちも増えている。本書はプロの書評家による書評家の仕事をまとめたもの。文章術だけではなく、時間の使い方や本の選択などにも触れている。
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書評家という仕事があるというのを初めて知った。よく考えると、書評を書くという行為は、それを効率よくやるためにはかなり特定のスキルと経験を必要とするのは明らかだ。新聞・雑誌には書評というものが載っているし、今ではWeb媒体でも書評が載っているので、書評を書くということを職業とすることが成立するのは決して不思議ではない。そういった書評家である著者の印南さんは、もともと音楽ライターだったのだが、2012年からライフハッカーで書評を書き始めて、今ではこの人が紹介するとその本が売れると言われている売れっ子の書評家だそうだ。
まず、感心したのは、紙媒体の書評(例えば朝日新聞の書評委員に選ばれて書くようなもの)を「トラッド書評」と呼び、WEB媒体の情報を得るために書かれる書評を「ネオ書評」と呼び、著者はこの新しい分野である「ネオ書評」を書くことを職業としているというものだ。ネオ書評の目的は情報提供であるため、そこに主観や批評は求められない、と明言する。したがって、特権的な意識を持たずに、かつ最低限の品質を保った文章を提供するということが重要になる。この「最低限の品質を保つ」という点は著者が強くこだわっているところで、言い換えると何度も出てくる「誠実である」という、著者が書評家としてもっとも大事にしている価値観につながっている。
ネオ書評は、まず読者に伝わること、読者の目線に立ち、できればその共感を得ることである。それが、まず書評家が目指すべきことで、それを決して上からの目線ではなく読者の目線に立ち、誠実に行うことが継続して書評を届けるために必要なことだという。書評の評価基準も「いい書評」「ダメな書評」というものではなく「誠実か否か」によって判断されるべきだと主張する。これは「いい本」と「ダメな本」という評価ではなく、まず誠実な本であるかどうかを基準とするという考えにも似ている。そう考えると共感できるポイントでもある。
著者は自分の書評の経験から、読書術を身につけたいのであれば、書評を書く習慣を付けろという。その理由として挙げた次の三つがもっともだと思っている。
・内容をまとめる習慣がつく
・自分にとって印象的だた部分を再確認できる
・その本についての記憶を効果的に残せる
自分もこうやってブクログに読書の記録を残すようにしているが、おかげで読書の質が格段に向上した実感がある。何年も前に書いた本の書評も残っているが、その内容を読むとずいぶんと自分も進化したように感じる。
どうやったら書評家になれるのかや、どうやったらうまい書評が書けるのかというノウハウ本として期待すると、それは書かれてはいるけれどもセンスとコツで、それを誠実に継続すべし、というくらいのことで期待外れに終わるかもしれない。それよりも書評家という職業がどういうものか分かったことが楽しめた点だ。
何よりこの本を読んだ効果としてよかったのが、自分の書評(これを書評と言っていいのであれば)の読者が、未来の自分であることが明らかになったことだ(もちろん自分以外の人にも読んでもらって、いいね!をしてもらえるととてもうれしいのだけれど)。���と言っても読む端からその本の内容など忘れていってしまっているから、ブクログの自分の書評はとても役に立っている。その読者(未来の自分)のために要約し、何を重要だと思い、何を考えたのかを記録するという目的のためにいくつか参考になる点があった。さて未来の自分はこの書評を気に入って共感してくれるだろうか。
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仕事柄、文章を良く書く。では良い文章とは何か。
書評というジャンルに限定されたものかもという気持ちもありつつ読んだ。
広く良い本、読むべき本を求める。自信をもって書く。自分が何を伝えたいかではなく読み手が何を求めているか、を書く。誠意をもって。
読書にどう向き合うか、という側面からもいろいろなヒントが得られた。
文章の読みやすさ、伝わりやすさはさすが。
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2020年27冊目。
年間500本という書評量に驚き(僕だったら読むだけでも何年かかるか...)、気になって読んでみた。
「ライフハッカー」「東洋経済オンライン」「ニューズウィーク」など、様々な媒体を通じて多様な読者層に向けて書評を書く印南さんは、書評の在り方に2種類の命名をし、その変遷を語っている。一つは、新聞や雑誌などの紙媒体で綴られる、やや難度の高い従来の「トラッド書評」。もう一つは、ウェブ上に現れてきた比較的気軽に読める「ネオ書評」。
『新明解国語辞典』第七版によれば、書評とは「新刊の書物の内容を紹介・批評した文章」のこと。トラッド書評の敷居の高さでは、その「紹介」の役割(読者が読んでみたいと思うこと)は果たせていないのではないか、というのが印南さん主張だったように思う。
だから、印南さんの書評の書き方はかなりマーケット寄りである印象を受けた。読者層を特定し、その人たちがいまどんな情報を必要としていて、そこに対してどんなコンテンツをどう届けるか。大事なのはその部分だから、書評のなかに「自分」をあまり出さないようにしているという。この本には、そのような書き方のためのステップも紹介されている。
本書を読んでいて考えをめぐらせたのは、僕にとって「理想的な書評とはどんなものなのだろうか」ということだった。これは良い悪いの話ではなく個人の好みの問題なのだけど、僕は本書で紹介されるタイプの書評のあり方にそこまでひかれなかった。
要点を伝える書評を数多く書くために飛ばし読みをし、客観的な必要性を感じる部分だけを抜粋していく...というあり方に、個人的にはあまり愛を感じられなかった(それでも、そういう本の紹介から「これ読んでみたい」と思うことはもちろんある)。それよりも、本当にその本に惚れ込んで没頭して読んだ人が、「その人にとってどう響いたのか」という主観たっぷりに書いたもののほうが、読んでいて興奮するし、その本を手にとってみたいと僕は感じる(もちろん、主観のみで読者が置いてけぼりになっているものは違うと思うけれど)。
書評とはなんなのだろうか。「評」とついているからには、単なる本の紹介のことではなく、程度の差こそあれその本に対する価値判断が入っているものなのではないか、というような印象を受ける。今後自分が書評を書くときに、どんなことを大事にしたいか、一度整理してみたいと思った。そのきっかけをもらえてよかった。
(ちなみに僕がこのブクログに書いているのは「書評」ではないと思っています。メインは自分の感想と思考の拡散。自分で後から見返すことが主な用途。そこに、もし読んでくださった方がいるのならば...という程度の気持ちで、内容紹介やおすすめの気持ちを添えている、という感じ)
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長年、本のレビューや感想を書いていながら、未だに書評と胸を張って言える文章が書けていないので、読んで勉強したいなと思って借りました。
この本は「書評とは何か?」から始まって書評家の日常生活や「ぶっちゃけ儲かるのか?」という、聞いてみたいけどなかなか聞けないお金の話、書評を書く時のコツ(本の選び方、文章のちょっとしたテクニックなど)などが新書サイズにギュッと詰まっています。
文章作成のテクニックに関してはまぁ、もう普段からブログの文章術などでも幾度となく言われていることが「書評を書く」という切り口で書かれている、という感じで、「もう一回おさらいしておこうかな」という感覚で読みました。
書評やレビューでの悩みどころは「自分をどこまで出すか」「書評するにあたって熟読は必ずしも必要か」「おもしろくなかった本をどうレビューするか」などかと思います。いえ、ほかにもあった、いろいろ。
それについての筆者の考えはもちろん書かれていますが自分自身がそれにどう答えを出すか、読みながら考えたくなる本、でした。
ちなみに私はそもそも書評を書く媒体がこのブクログか自分のブログなので、心おきなく自分を全力アクセルで出しています。人となり&紹介している本そのものの両方をおもしろい!と思ってもらえるのが目標。
そしてそういう本関係のブログを近々作る予定。
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200903*読了
図書館でふと目に止まって、「そういえば書評家の仕事ってなんだろう」と気になったのがきっかけ。
書評家は本が好きな人なら一度は憧れる職業だと思います。
一日のスケジュールや本の読み方も興味深く読めましたし、書評・文章の書き方や本の選び方はとても勉強になりました。
時代も違うし、立場も違うので、書評家になりたいです!と言ったからなれる、というわけではないけれど、これだけインターネットが発達しているからこそ、書こうと思えばいつでも書けるし、どれだけだって書ける。自分の熱意次第なのだな、と気付かされました。
できない、やらない理由を考えるよりも、やってみた方がいい。それが本好きとしての楽しみであり、喜びであるように思えたので、早速、読書専用のTwitterアカウントを作りました。
本好きな人たちの感想や書評を読み、本好きな人たちと語り合いたい。それが容易にできるのが、この時代のすばらしいところだと思います。
印南さんによって、自分は本が好きなんだ、という情熱を再認識させていただきました。
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結局、人に伝えるとはマーケティングだ。メディアの読者を理解し、彼らに合う本を選んだり文章を書いたり。書評の書き方の本でなくてよかった。
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<目次>
第1章 書評家の仕事は
第2章 書評家の「裏」話
第3章 年500冊の書評から得た技術
第4章 書評の技術・書評の教養
<内容>
書評家なる仕事が現在は成り立っている。ネットにブログを載せ、そこから派生して新聞や雑誌(こちらは昔からあったが、これを本職とする人はいなかったのでは?)に書き、こうして本まで書く。好きな本読みでできるのだから、「いいな」と思う。しかし、この本ではそうした書評家の仕事の内実を赤裸々に書いてくれている。さらには、書評のテクニックまで。著者はかなり誠実な人柄らしい。そしてその内容は、ウソや虚飾など見られない、納得のいくものである。書評家になる必要はなくとも、本読みで、いくばくか文章を書く必要のある人なら、ぜひ一読を勧める。
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プロの文筆家である著者が、書評の手の内を明かしてくれる。
読み手のために文章を書く徹底した姿勢を貫く事の大切さを伝えてくれる。
読者へ役立つ事を伝えようとする誠実な姿勢の文章にあっという間に読んでしまう。
社内外へのプレゼンに使え、ビジネス書としても充分な知識になる。
文章がヘタクソすぎて、イヤな自分に希望をもらえた作品。
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私がここブクログで書いているような読書メモとは異なる「職業としての書評」にまつわる本である。
ここに読書メモを書くようになり、多少なりともアウトプットを意識して本が読めるようになった。私自身、読書の質が上がったと感じている。
ただ、職業として書評を書くことは、やはり読書メモを残すことと根本的に異なるものである、ということも感じた点の一つである。
私が「書評」を書く場合、ここに書くものとはまた違った視点で書き、おそらくこことは別の媒体で始めなければいけないのだろうな、とも思う。
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TUNEIN のKUSCというクラッシック専門局。
眠くなったら居眠りをする。集中力を欠いてはなにもできない。
源氏鶏太「家庭の事情」
休刊日は、寝る前に読書タイムをとる。朝目覚めた後の10~20分読書。夕食後のだらだら時間。テレビを消して読書する。
真似をする人は、おもしろい本を書けない。
売れる本話題になる本にはそれなりの理由がある。
末井昭さんの本。『生きる』
『あなたが世界のためにできるたったひとつのことー効果的な利他主義のすすめ』
要約すれば時短になる。
目次をチェックする、ターゲットを明確に、ニーズが重なる部分を見る、内容は思い切って短く。
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書評家として著名な著者が、書評という仕事について率直に述べた本。
面白かった観点として、自分の意見よりも、読者にどれだけ興味をもってもらえるかという点を強調していたところ。
最後の方に、1導入、2ファクトの紹介、3まとめ、という書評の書き方があり、読まれる書評家の特徴としてポイントがまとまっており、書き方も参考になります。
文章のリズムを大事にしていることと、文章力という基本はもちろん大事なのだが、センスがものをいう、という点については、実際はそうなのでしょうけど、余人にはマネできまないかもしれませんね。
たくさん読んで、たくさん書いていくしか上達の方法はないようです。
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書評の本をレビューするというのも変な感じだが、それはさておき……。
細かいノウハウは他の本で学ぶとして、文章を書くときの勘所やちょっとしたコツが、コンパクトかつ分かりやすくまとめられている。
「その面(ページ)を構成する文字の並び方によって“見え方”が変わってくる」という著者のこだわりもあって、視覚的にも非常によみやすい。
ギャラがいい仕事のリスクや、営業主導で散漫になる広告クリエイティブといった、教科書には書いていないナマ情報も充実している。メディアに関わったことがある人なら、誰もが納得の”業界あるある”だ。
「書いてみたけど、なんかしっくりこないなあ」という駆け出しのライターや、「ブログで副業」と考えている人は、読んでおいて損はない一冊。
【こんな本】
対象:駆け出しのライター、書き手になりたい人
内容:実践的な書く技術を伝授
読みやすさ:★★★★★
お役立ち度:★★★☆
※★=1、☆=0.5
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書評家の仕事と筆者が日常心掛けていることや考えを読み手に語りかけているような本でした。読者との距離が近い文章、今の言葉で表現すると読み手フレンドリーな文章と思います。
書き手の姿勢を中心に語られていますが、その考えを通じて自分の選書の基準はなんだろう、本に何を求めて読書しているのだろう、ブクログで読書日記つけているのは何のためだろう、など自分の読書について振り返ることが出来ました。
文章の書き方については非常にシンプルなアドバイス。ただこうした当たり前のことを当たり前に継続する難しさは誰もが知っているところ。
句読点、行間、漢字、仮名とカタカナ遣いの考えはビジネス文章も同じで、明日から気をつけようと思います。
今年は読書と読書日記をつけるのをひとつの目標としていて、今日たまたま本屋で目に止まり、手に取りましたが、いわゆる読書のススメとは違う観点から楽しめました。
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本のタイトルを目にしてからレジに並ぶまでのスピードが、過去最速の本。はやる気持ちを抑えて読んだ。一日一〜二冊程度のペースで本を読み、年間五〇〇本以上の書評を書いている印南さん。彼が書評を書いた本は、Amazonランキングが急上昇するといわれている。書評を書くための本の読み方、書き方、選び方、接し方、考え方はとても勉強になった。「読者がなにを知りたくてその書評を読むのか」「リズム感のある文章」「誠実さ」を頭に入れながら、今よりワンランク上の書評を書けるようになろう。「この本、おもしろそうだな。読んでみようかな」と、一人でも多くの人に思ってもらえるような文章を書こう。
p45
「時間がない」「忙しい」と口に出すということは、「自分には時間管理能力がない」といっているのと同じことなのです。
p59
「どの媒体に書くのか」を意識し、その媒体で求められているであろう箇所を重点的に読むのです。
該当の書籍のなかから、「はじめに」の部分や目次を参考にしながら読者が興味を持ちそうなパート(章など)を見極め、全体としてのバランスが崩れないことを意識しつつ、その部分を集中的に読み、書くわけです。
語弊があるかもしれませんが、書評を書くために読む場合、本は必ずしもすべてを読まなければならないものではないと考えています。
もちろん、精読することが無駄だというつもりもありませんし、そういう方法もあるはずです。しかし僕の場合、書評を通じてその内容を伝えようという時には、その本のどこかをクローズアップし、その部分について書くようにしているのです。 すべてを書評に盛り込もうとしても無理に決まっていますし、多くを盛り込もうとするほど焦点はぼやけていくものだからです。逆に「重要な部分」だけをクローズアップしたほうが、結果的にはその本の全体像が浮かび上がってくるのです。
ここで意識すべきは「目的」です。書評の目的は、読者に「この本、おもしろそうだな。読んでみようかな」と思ってもらうことです。だとすれば、その本のなかから読書の興味を引くであろう部分を見つけ出し、そこを中心にしながら話を進めていったほうが効果的だという考え方。
書評を書くか書かないかにかかわらず、本を読もうとするときには、「きっちり熟読しなければ」と思いがちです。でも一冊まるまる読もうとすれば、相応の時間がかかり、しかも内容は意外と頭に残らないものでもあります。そもそも、一冊まるごと記憶しようとしたところで無理な話なのです。人間のキャパシティには限界があるのですから。
でも必要な部分を見極めで読むのであれば、時間をかける必要もなし。しかも、記憶に残りやすいというメリットもあります。
p65
端的にいえば、そこに芸術性や文学性のようなものは必要なく、「読んでためになった」「いい情報を得た」「自分とは違う考え方があることを知った」など、読者になんらかの“おトク感”を提供することが自分の役割だと感じているわけです。
どんなジャンルを扱うにしても「わかりやすさ」は欠かせませんが、ビジネス、経済、社会、ノンフィクション、ドキュメンタリーなどの場合は、ことさら「わ��りやすさ」が重視されるべきだと考えているのです。
p69
書き手が誠実に、本音で書いていることが伝わってくるとしたら、それは「いいもの」であると判断していいと思うのです。
その文章が誠意を感じさせてくれるとしたら、たとえ筆者の主張が自分の意見とは正反対のものだったとしても、読者は不快感を覚えることはないはず。「自分とは考え方が違うけれど、この人にはこの人なりの考え方があるんだな」と受け入れることができるということです。
p99
書き手の“その人らしさ”が表れていることは、基本中の基本だと思います。誰でも書けるような本がおもしろいはずもなく、逆説的に考えれば、書き手の個性が見える本は魅力的だということになります。“その人にしか書けない”ものであることが魅力につながるということです。
p100
文筆家である以上、魅力的な文章を書くことはなによりも重要です。
では、おもしろい本を書く人とは、どんな人なのでしょうか?そのことについて考える際、避けては通れないのが人間性です。どれだけ人生経験を積んできたのかが、大きな意味を持つということです。
p101
いいかえれば、不器用であろうが失敗ばかりであろうが、そこに他の人にはない“味”があるとすれば、そういう人の生き方はやはり魅力的なのです。
「おもしろい人生」があるから、「おもしろい本」が生まれるといっても過言ではありません。
「この本、おもしろいなぁ。どうやったらこういう発想が生まれるんだろう」
「この人バカじゃないの?けど、そんなところがたまらなく好きだ」
たとえばこういうことを感じさせてくれる本を書く人は、やはりそのバックグラウンドにある人生、あるいはそこで培われた人間性に魅力があるのです。
p102
ここがとても重要で、つまりは「自分にはできない」と思わせる力を持った文章こそが「おもしろい文章」であり、だとすれば、そんな文章を書ける人はやっぱりすごいのです。
p103
たとえば文章に関していえば、
・自分らしさが出ている
・自分にしか書けない
・人の真似ではない
というようなことは絶対に必要だと思います。
p120
しかし、なんらかの形で誰かに見せるという目的があるのだとすれば、文章には絶対に必要なものがあります。
それは、読んだ人の心をつかみ、動かし、共鳴させること。
p122
では、どうするべきか?(中略)それは、「本音」や「気持ち」を隠さないこと。
p123
もちろん書くにあたっては冷静さも重要なのですがら「書かずにはいられない」という想いをなんらかのかたちで表現することは、それ以上に大切だと僕は考えています。うまいか下手かという以前に、書き手のそんな想いこそが人の心を動かすはずだから。
データは調べればわかることですが、その人がどう感じたかは検索できないものなのです。
p170
まず重要には、127ページでも触れたように好きな書き手の文章をたくさん読んで、その構造を“感覚的”に身につけること。
p181
(前略)DJも書評も、望まれている情報(DJの場合は曲、書評の場合は本)を、ち��うどいいタイミングで、相応のターゲットに投げかけることが重要なのです。