紙の本
多くの人に読んでもらいたい
2022/11/06 20:12
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投稿者:けんけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
世間を俯瞰することはなかなか難しいが、それをやってのけた1冊。筆者自身の体験や感性を、多様な参考文献が支えており、偏屈な私でも「確かに・・・」と思うことの連続だった。
我々が住みやすい街にするためにどれだけのコストを払っているのか、社会に適合できない人がだめ、悪いのではなく、適合する人間を選別する社会に問題があるのではないか。などなど様々なことを考えさせられた。
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現代では、社会に参加して活躍するために必要なコミュニケーション力などのスペックが、数10年前に比べても急激に高度になってきており、そのために、生得的にスペックの低い人は、社会に参加できず、また、日本の、特に東京などの都会では、社会構造や物理的な空間設計などにより、かつてのように、社会からドロップ・アウトして生きる余地も狭まってきており、社会福祉に組み込まれる以外の選択肢は極めて限られている。というのが、主な主張。
直感的には、そうかな、とも思わせるのだが、肝心な根拠があまり確かではない。
数値的な分析が難しい内容なので、新規の研究に基づくデータの提出が困難なのは、致し方ないかもしれないが、もうちょっと客観的なエビデンスがほしいと思った。特に、SNSの影響に関しては、著者の思い込みに基づく記述が目立つように思われる。
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学生時代に(近代史で)よく読んだポストモダン本だなあと思いつつ、この切り口が現代日本にここまで当て嵌まるかと、前半は膝を打ちながら読んだ。
しかし後半の衛生の章に差し掛かり、外見やサブカルチャーがこんがらがってくる辺りから首を傾げる所が…
かわいい最強説の様な話は眉唾もので、フェミニズム/ジェンダー論的な切り口から再検証が必要なのではと感じた。
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今まで良いとされて来たものやことが、一気に変化してしまうことになるのかなぁと思う。個と社会の均衡がどこになるのか、考えさせられた。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB31139480
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まろやかなマーク・フィッシャー。とても誠実な本。
日本はモダンを経由せずプレモダンからポストモダンにジャンプしたというようなことは遅くとも80年代末くらいには言われていたと思うけれども、その頃はまだ日本の政治は保革対立で語られていたはず。「多分にプレモダン的な保守政党だった自民党は、従来の支持層のほうを向いた政党から、新自由主義的なロジックに基づいたブルジョワ的政党へと変貌し、これが若い世代に支持されるようになってきている」(p.258)というのには納得なのだが、どこがターニングポイントだったのだろう? 歴代首相を眺めれば森喜朗→小泉純一郎の2001年だろう、と今なら思えるが、このときはそういう理解はできなかったな。
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今の日本人は世の中の秩序を重んじるばかり、子供を産み育てるということを、究極のリスクファクターと捉えるようになってしまった。
子供は社会のマナーや常識を身につけるまでは、人様に迷惑をかけるというリスクを持つ。怪我をしたり病気になるリスクをもつ。落伍者や犯罪者に育つというリスクを持つ。最も秩序から離れた存在だ。
個人の「不快にならない」という権利が強調されすぎて、今の世の中は秩序から外れた人間を受け入れる要素は持っていない。もちろん子供だけに留まらず、所謂「社会不適合者」も受け入れようとはしない。
かつての日本は、ちょっとばかり不潔でも、鈍臭くても、なんやかんや社会に居場所はあったはずだ。
だからといって人権の軽視を良しとしたり、昭和の共同体社会へ回帰することを求めるのは短絡的すぎる。現代人を昭和の社会通念に放り込んだらたちまち心が折れるだろう。我々はある意味この息苦しい秩序に助けられてもいる。
秩序にがんじがらめにされた社会の閉塞感を打ち破るには、他人の迷惑を許し、主張を受け入れる度量を持ったうえで、自分の迷惑を許してもらい、主張を聞いてもらうことが肝要だと思う。
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現代において当たり前のものとされ、もはや個々人に内面化されてしまった様々な通念が、果たして本当に所与のものであり、逃れられないものなのか。
読後は価値観がアップデートされる感覚があった。
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普段の生活の中で、子育てを通じて、ここ15年くらい息苦しさを感じていたものの正体を、ハッキリと体系的に自覚させてくれた。
マイノリティの視点で、今の社会への気付きを与えてくれるが、では自分はこれからどう生きていきたいと考えているのか、あらためて考える機会となった。違和感に蓋をして秩序ある社会の恩恵に浴していくのか、不自由さを正面から捉えて声を上げていきたいのか、しばらく答えはでない気がする。
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タイトル通りの本。健康的で清潔で、道徳的な秩序のある社会の不自由さについて考察した一冊。
社会のあらゆる場所が洗練化、効率化、経済化、契約化され、人類は大きな自由を手にした。その一方で、かつては存在しなかった不自由さ、生き辛さが浮かび上がっている。人類が長い時間かけて達成してきたことが、なぜ不自由さ、生き辛さを生んでしまうのか?
うすらぼんやり思ってたことを丁寧に言語化してくれた一冊。現在の社会環境で生きる人間への要求レベルはかつてないほど高くなってしまった。ただ、もっと簡潔に書けなかったのかなと思う。それは「健康的で清潔で、道徳的な秩序のある社会」に異議や疑問を投げかけることが難しいからだろう。あまりに正義として正しいと思われるからだろう。
もっと野蛮な書き方をしたら伝わりやすくなる気もする。しかし著者は野蛮な書き方を避けているのではないか?もしかして、この本自体が「健康的で清潔で、道徳的な秩序のある社会」に囚われているのではないか?
同じようなことを感じ、考えているので、言いたいことはなんとなくわかる。しかし言語化が難しい。「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」への反発を持つ、人間の理性的でも論理的でも倫理的でもない愚かさや汚さ、つまり動物的な側面を言語化するのが難しいのかもしれない。この本でも芯を捉えようとしているのだが、カスっている感じがする。当たっても外野フライ。何もホームランが欲しい訳じゃない。野手の足元を抜ける1・2塁間、あるいは3遊間のヒットを打てない。それは今の社会でカジュアルでオルタナティブな生き方が見つけられない様子とも似ている。カジュアルではないオルタナティブな生き方ならいくつかあるだろう。陰謀論に走るのはその一つかもしれない。
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『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』というタイトル通りの内容。
現役の精神科医である筆者が、現代社会の生きにくさについて語った本である。
いまの日本は昭和の時代から比べれば、医療福祉、都市設計に至るまで、キッチリと整理の行き届いた社会となっている。
発達障害など、現代の日本で暮らしていく上でサポートが必要なところには極力助けの手が差し伸べられるような制度も充実してきている。
しかしながら、それは裏を返せば、これまで「そういう人もいるよね」という社会の一員だった人々を、サポートがなければ「一般的な」社会生活が送れない人々へと追いやったとも言えるし、サポートが必要だとみなされていない、いわゆる境界性知能を持つような人々が取り残されてしまう現状も生み出しているのではないかと言う事だ。
地域共同体としての社会のありかたから、急激に近代国家へと変化した日本では、資本主義原理をありとあらゆるものに適応し、全てをリスクで考える。
それは、結婚や出産、子育てをもリスクの1つとして考えるということであり、我々はとっくにこの考え方を内面化してしまっている。
では、昭和の時代に戻るのが良いのかと言えば、絶対にそんなことはない。
「サポートを受ける存在」とされた人も、かつては受けられなかったサポートを受けられているという事実は存在し、かつてのような曖昧な地域社会の中で、やみくもにプライベートを暴かれたり、暴力やハラスメントによって、生活が脅かされるリスクも格段に下がっている。
それでも、この本を読みながら、これまで自分では喉元まで出かかっていたけれど何となく言語化できなかった息苦しさ、生きづらさのようなものをどんどん説明されている感じがして、終始頷きながら、私はこの本を読み進めた。
この資本主義社会をハードランディングさせることは不可能だし、すべきでないとも思う。
今のこの社会に適応し、その思想と共生しつつも、「本当に正しいのだろうか」という視点を忘れずに生きていきたいと思う。
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主張には概ね同意するのに今の私にはあまり響かなかった。あんまり知的興奮がやって来なかった。
私が中国オモロイ!大陸にいると体の底から生き生きする!と思っているのは、中国がまだ「健康的で清潔で道徳的で秩序ある社会」ではないため、人々がまだ「より敏感、より不安、より不寛容」ではないから。気を付けなければいけないことが日本社会より圧倒的に少ないから。であることは確か。
またいつか読み返したい。
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きれいになった結果生きづらくなったという話の本
わかるんだけどなんか冗長で読みにくかった
医療、精神科、健康、子育て、不審者、可愛さ、清潔社会、コミュニケーション、あたりについて良くなった結果として行きにくくもなっているよねということを話している。
それは資本主義だったり個人主義だったりを元にある程度上から下まで社会合意をもって勧めてきたものでもあるので新しい社会とも呼べる。
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今の生活に感じる違和感を、歴史、社会史などを交えながら詳細に紐解いていく内容。感覚的に感じていた事に光が当たり、ハッキリとしていくような感覚。
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この方向の議論をまとめてくださっている本。空間を使って人の行動を統制するところ、福祉とも関係が深い。結局、自由な選択が不自由を感じさせ、一見寛容な社会の中で、苛立ちが亢進する。選択や契約に関係のないものは、雑音であり、迷惑であるとなってしまう。