紙の本
読み応えがありました
2021/06/29 14:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトル通り、「メンヘラの人はどういう考え方をしているのか」を説いた1冊です。
様々な世界の文献を用い、極めて客観的に「メンヘラの精神構造」を説いています。読み始めは難しいですが、しっかり文章を噛みしめて読み進めれば、当書の言いたいことが伝わるでしょう。
紙の本
メンヘラは、病だという見解
2024/02/17 18:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あの人、メンヘラだから」、といったように時折『メンヘラ』という言葉を耳にします。精神的に不安定な人を指しています。類語に『ヤンデレ』があり、過剰な愛情や独占欲を持った人、また『ツンデレ』は普段冷たく接する人が甘えた態度をとったりするさま、があります。
『メンヘラ』とは『メンタルヘルス』の略語です。元々は『メンヘル』であり、そこから人やグループとしての『メンヘラー』へと変化し、『メンヘラ』となったようです。
さてその『メンヘラ』ですが、本書ではきっぱりと病理としています。個人的にはそこ迄深刻な印象を持っていませんでした。『メンヘラ』者はナルシシストだと定義され、書題通り精神構造を解説してあります。
成程、、と読み進めていきましたが、読み進めど進めど繰り返しの様な内容が継続し、起伏に乏しい感じを受けました。巻末にある『メンヘラ本人ができる四つの改善策』の章で結論感を得られましたが、その内容としては只管マイナス思考に対して排除に排除を重ねる意識を持ち続ける事とありました。確かにそうだとは思いますが、そこから更に踏み込んだ解決策を見出だせていると良かったという気がします。
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2chで言われている「メンヘラ」とは、少し違うと思うのだが…。
ナルシシストについても、私の中での定義と異なっていた。
日本人は悲観主義というが、バブル崩壊後悲観的にならない日本人がどのくらいいると考えているのだろう。そこへ来てコロナパンデミックだ。人生の今後への期待度・Betterが2004年で9%だそうだが、現在はもっと低くなっているのでは?
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近年、若者の間で流行した「メンヘラ 」という言葉に焦点を当て、社会的・心理的に考察した本書。メンヘラの背後にはナルシシズムがあるという主張とそれを支持するエピソードやデータが散りばめられていて説得的だった。一方、その点が全てである感じでもあり、読みやすいが深みには欠けたかもしれない。
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なぜあの人はいつも不機嫌なのか…などについてメンヘラとナルシシズムを紐付け展開される。
自己肯定感の大切さを感じることができる。虚像の自己肯定感ではなく、努力して得た自己肯定感が大切であると感じた。
自分や周囲の人に置き換えて考えやすい話であった。
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『「俺のことを大切にしてくれない」「私のことを分かってくれない」「みんなで私をいじめる」「僕だけが損をする」等々。自立に向かって励まされ、愛されながら成長した人には想像のできない被害者意識である』P128
『彼らは大人になっても、親の役割を果たしてくれる人を心の底では求めている。つまり無意識では常に母親の愛を求めている。大人になっても幼児的パターンの人間関係を抜けだせていない。ところが、大人になれば日常生活では誰もこの親の役割を担ってくれない。そこで被害者意識になる。(中略)大人になってからの日常生活の中での愛情欲求においても幼児期の母親を求める。幼児と違って始末が悪いのは、その愛情欲求の裏に敵意が隠されていることである。そこが肉体的な幼児と違うところである。』P129
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本書のテーマは日本に蔓延るメンヘラ社員やメンヘラ親の心理構造。
著者の主張は、メンヘラの根底にはナルシシズムがあり、しかも日本はメンヘラだらけの国であるということ。メンヘラという奇妙な言葉が使われ出したのは、その本質が日本人に適合しているからと著者は書いている。
日本人のマイナスの特徴として、次のようなものがあるという。
1、悲観主義
2、被害者意識
3、自己憐憫
4、犠牲的役割
確かに、これらは日本人にありがちな意思表示の方法だと思う。そして、メンヘラな人ほどやりそうなことばかりだ。
途中、よく理解できない箇所もあり、一読ではとても読み切った感がない。さらに、何度となく同じような文章や主張が繰り返されるのが、少し鬱陶しくも感じた。
メンヘラの根底になぜナルシシズムが存在すると言えるのか。日本人がナルシシズムから脱却するにはどうするべきか。
あくまで本書のテーマは、「メンヘラの心理構造」であって「メンヘラへの対処法」ではない。しかし、その心理を理解すれば多少はどう対処した方がいいかのヒントにはなると思う。
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メンヘラとは自己消滅型の被害者意識の強い性格だと言える。自己肯定感が確立できていなが故に、自己蔑視による地獄に嵌る。
ナルシシズムはメンヘラと結びつく。ナルシシズムは他人に無関心で、自分にしか興味がない。もっと言えば、興味があるのは「自分のイメージ」であり、「現実の自分」はその対象にならない。
ナルシストは「幸せになること」ではなくて、「幸せだと人から思われること」にしか興味がないのである。
無関心は無責任に遷移する。無関心が蔓延る日本では無責任へと帰結する。日本にはメンヘラが育つ土壌があるのだ。
メンヘラの解消とは自分の過去のトラウマと向き合うことである。その過程で「素晴らしい自分」を発見でき、自己蔑視から抜け出せる。重要なことは自己肯定感を高めることである。
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思っていた内容と大分違った。この本を要約すれば「メンヘラとは幼児期に愛されなかった結果、俺を愛せと周りに強制する」「全てはナルシシズムが悪い、ナルシシストだから勝手に傷付く」という論調の本だけど、どの章もこれの言い換えばかりであまり論が進んでおらず、精神論になりがちだった。それにメンヘラという言葉自体誤用している。確かにメンヘラと自己愛は切っても着れない関係だが、メンヘラは現代文化も深く根ざしていており、単なる精神病理と言い切るのは些か噛み合わない。この本でのメンヘラは、ヒステリックと言い換えた方が正しいかもしれない。巻末には「メンヘラが本人ができる四つの改善策」も記されているが、これを実行するのはかなり厳しいのでは。
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これは人格を否定してるのでは?と思う表現があり不愉快に感じた部分があったから低めの評価。でもそう感じるってことは自分に思い当たる節があって不愉快に感じたのかも。そう考えると面白い。
とはいえ2回目を読む気にはなれなかったです。
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子供の頃から両親を始め周囲から否定された経験を重ね、問題をどう乗り越えるかを考え、人生で何度も経験する葛藤と戦ううちに自分の長所、固有の素晴らしさに気付く。しかしその葛藤を避けて解決しようとせず、それゆえに人間関係のあらゆる場面で問題を起こす人たちがいる。メンヘラと呼ばれる人々の精神構造に焦点を当て、誰もわかってくれないと言う心理の根本にある被害者意識とナルシシズムを分析、解析する。
人は成長のそれぞれの時期の心理的課題を解決することでしか生きられないのに、その課題の解決から逃避してしまう。依存症だの現実否認だの合理化だのという偽りの満足を求めることが始まる。
自己消滅型、つまり被害者意識
自己蔑視は内面の地獄
ピーターパン症候群
被害者意識を強調しているのは、私をもっと大切にしてくれ、私をもっと褒めてくれと言う叫び。それを満たしてくれないから怒りが湧く。依存心と敵意。
猛烈に働いたり、みじめさの誇示をしたりする
過労死するまで働き続けた人は、遊ぶことより働くことが価値であると教え込まれていたに違いない。
自分の人生はうまくいってないと無意識で感じてる、会社を辞めることは人生の敗北者であることになってしまう。
ある特定の状況では恐ろしいと感じることが、別の状況では楽しいと感じることがある。
不愉快な感情に苦しめられてる時にどうしようもないと思う。他の感じ方があるのに。
被害者意識の強い人は自分のことを説明しないで、相手が自分を理解するのが当然と思っている。
それは自分の心の葛藤に直面したくないから。
怒りの原因が自分にある時には自分を見つめるしかない。
何かを誰かを恐れている時に、これはそれほど恐れるものでないと自分に言い聞かせる。私は怖くないものを怖がっている。と
自己関連妄想とは関係のない事を関係あると思ってしまう事。
怒りを感じ、不愉快になり、表現できずに憂鬱になる。
ナルシシストは人に関心を持たれたい、自分のことを人から褒められるのが好き。
逆に自分は人に関心がない、従って心理的に人と関わることができない。人と気持ちがふれあうことがない。
メンヘラは無責任、それは青年期の課題の解決に失敗して、物事に興味と関心がないから。
無意識では孤独感に苦しんでる。自分にはたくさんの友達がいると誇示する。友達がいるふり。
自分の弱さを認めることは辛い。
メンヘラ社員は外から見ると陽気に見える時があるが、喜びのない祭り、空虚な明るさ。
相手が怒るのが怖くてなにも言えない。
自己愛の強い人は物事を見る視点が少ない、人との関係で柔軟でない、なにより相手の視点を受け入れられない。
愛されなかった人は愛する能力がない。
ナルシシズムが傷付けられた時に被害者意識に頼る。その際に怒りや敵意が生じる。
部屋をきれいにする、食事の用意をするなど日常生活を整えることにはエネルギーがない。
それはナルシストのエネルギーではないから。
努力が嫌いでなにもしていない。人と心が触れていないからエネルギーが出ない。
自分に関心があればエネルギーは自己実現に向かう。
自分が満たされていないから鏡を見て見惚れる。
努力しない割に高評価を得ないと傷つく。
他人が自分をどう思っているかにしか関心がない。
ナルシストは幸せになりたいわけじゃない、幸せと思われたい。
大人になってるナルシシストな人はメンヘラと言われる人。
その失敗を外側の成功で補おうとしてる。
相手に関心がないから相手の事情を無視する。常に傷つき常に被害者。
他者への無関心ということは自分にとっての重要度が人によって違わない。
メンヘラの改善策
自分で立つ、解決の入り口。
目の前の怯えは子供の頃の怯え
責められていると思い込んでる
繰り返していくと効果が見えてくる
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『メンヘラの精神構造』
2023年7月19日読了
昨今、一般的に使われるようになった「メンヘラ」という語彙。
あとがきには、「言葉通りに解釈すれば、メンタルヘルスに問題がある、心を病んでいる」とある。
ストレス過多な現代において、心が健康でない人を探す方が容易だろう。こうしてレビューを書いている私自身、どちらかと言えばメンヘラに属するのだと思う。自己理解の一環になればと手に取ってみた。
ここで登場するメンヘラの行動や言動として、攻撃的、不平不満が多い、被害者意識が取り上げられていた。「攻撃的」と「被害者意識」は正極に位置するように思うが、彼らを読み解くカギとして「ナルシシズム」「自己愛の強さ」があげられる。
「ナルシシズム」とは、つまり「自分がどう見られているかという意識への過大な集中」によって、他者への意識が足りず、なんでも自分中心に考えてしまうことだ。
他人の都合を考えず、自分の杓子定規ですべてを計ろうとするために、「自分が雑に扱われた」と過剰に反応し、自分にとって都合がいい物語を生み出す。
その結果、外に向かう性格であれば「攻撃的」になり、内に向かう性格であれば「被害者意識」を生み出してしまうのだ。
「自己愛の強さ」と聞くと「自己肯定感の強さ」とイコールかと思っていたが、本書では異なる。自分がどのように見られているかにのみ関心があるため、他者からの視線に大変に敏感なのだ。他者からの視線を気にするあまり、自身の軸がないのだろう。「自己愛が強い」割には、傷つきやすく、自分を丁寧に扱ってほしいとわめいてしまう。
本書の最後には、メンヘラ本人が実践できる4つの改善策が記されている。
過去の自分の記憶と現在を区別し、コンテクストが異なると感情も異なることを理解する。その上で、相手が本当に攻撃しているかを判断し、していないのであれば(一般的な会社や社会において、攻撃されることは、まずないだろう。)「責められていない」と繰り返し自分に言い聞かせるのだ。
自己愛が強すぎるが故に生まれた「思考のゆがみ」を是正する方法だと思った。長年にわたって蓄積されてきた「ゆがみ」を直すことは容易いことではない。時間をかけて根気よく自身と向き合っていくしかない。言い聞かせるしかないのだ。
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不愉快な感情に、自分自身が苦しめられているときに、もうどうしようもないと思ってしまいがち。
このときには他の感じ方があるのにもかかわらず、それになかなか気づかない。
人は自分に余裕がなくなってしまうと、1つの見方しかできなくなってしまいがち。
だからこそ、常に冷静な視点を持てる自分でいたいと思った。
また相手に対しても同じで、相手が何かの感情にとらわれてしまっているときには、私だけは冷静な判断能力を持っていたいと思った。
また気にならないはずのことが気になった時は、昔の何かが再体験されていると言う文面を読んだ時に妙に納得するような不思議な感覚になった。
人間はトランスフォーム(置き換え)するものだと読んで、今、自分が苦しんでいる原因は今にあるようで、そうではなく、過去の体験の中で自分自身が精算できていないものを再体験することによって、一生懸命幸せになるために許そうとしているのだろうなと思った。
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最後に記された「自分の心の中の問題と外側の世界の問題を区別すること」という一文が総括的で刺さった。ナルシシズムを自己陶酔と訳すのは誤訳で、ナルシシストは自分のことしか考えていないのではなく、他人が自分のことをどう思っているのかにしか関心がないという説明も納得がいった。他者自体には関心がなく人間関係に距離感がない、結果的に社会もなく誰が言ったことでも気に障ってしまう。根本的には心理的成長ができなかったことが要因であり、心の反応を習慣から変えていくしかない。