「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
- カテゴリ:一般
- 発売日:2020/05/13
- 出版社: ワニブックス
- サイズ:19cm/588p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-8470-9919-9
読割 50
紙の本
永遠の最強王者ジャンボ鶴田
著者 小佐野 景浩 (著)
プロレスラー・ジャンボ鶴田の強さはどこにあったのか? 元『週刊ゴング』編集長が多くの新証言をもとに、いまでも根強い“日本人レスラー最強説”と権力に背を向けたその人間像に迫...
永遠の最強王者ジャンボ鶴田
永遠の最強王者 ジャンボ鶴田<電子特別版>
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
プロレスラー・ジャンボ鶴田の強さはどこにあったのか? 元『週刊ゴング』編集長が多くの新証言をもとに、いまでも根強い“日本人レスラー最強説”と権力に背を向けたその人間像に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
「普通の人でいたかった怪物」
今でも根強い〝日本人レスラー最強説〟と、
権力に背を向けたその人間像に迫る!
天龍源一郎、長州力、川田利明、田上明、小橋建太、渕正信、秋山準、佐藤昭雄、
和田京平、鶴田恒良(実兄)、池田実(日川高校バスケ部同級生)、鎌田誠(元中大レスリング部主将)、磯貝頼秀(ミュンヘン五輪代表)他、
当時のコメントと多くの新証言をもとに、
誰もが踏み込めなかったジャンボ鶴田の実像に、
元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩が初めて踏み込んだ大作。
「鶴田の何が凄かったのか、その強さはどこにあったのか、最強説にもかかわらず真のエースになれなかったのはなぜなのか、総合的に見てプロレスラーとしてど う評価すべきなのか――などが解き明かされたことはない。もう鶴田本人に話を聞くことはできないが、かつての取材の蓄積、さまざまな資料、関係者への取材、そして試合を改めて検証し、今こそ〝ジャンボ鶴田は何者だったのか?〟を解き明かしていこう――」(著者より)【商品解説】
著者紹介
小佐野 景浩
- 略歴
- 〈小佐野景浩〉1961年神奈川県生まれ。元『週刊ゴング』編集長。個人事務所「Office Maikai」を設立。プロレス大賞選考委員。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
電子書籍
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。 完全無欠のエースよ、永遠なれ!
2022/11/21 10:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」
1972年。
ミュンヘン五輪アマレス代表の経歴をひっさげて、中央大学の鶴田友美はプロレスラーとなった。
すぐさま渡米し、テキサスのファンク兄弟のもとで修行。
世界王者の兄弟から王道のプロレスを叩き込まれる。
そして、それをどんどんものにしていく。
半年後に凱旋帰国しデビュー。
3戦目でメインイベントのインターナショナルタッグ選手権に、師匠馬場とのタッグで、アメリカの師匠ファンクスに挑戦。
1フォールを奪い60分フルタイムを戦い抜いた。
デビューしてすぐに、馬場の後継者としてメインイベンターとなった。
世界の強豪と互角に渡りあっていたが、いつしかファンは彼のことをこう呼ぶようになった。
「善戦マン」と。
また「就職します」という常識的な振る舞いも、プロレスに情熱や人間離れした迫力を求めていたファンには、物足りなさとして感じられてしまう。
その世界最高峰との闘いの経験が、発揮される時がきた。
1985年。
新日本プロレスから長州力ら「維新軍団」が参戦する。
「僕のプロレスは世界史。彼のプロレスは日本史。その違いを見せつけますよ」
1986年に行われた一騎打ちでは60分時間切れ引き分け。
だが、終了のゴングの後のリングで仁王立ちしていたのは、鶴田だった。
長州が新日本プロレスに復帰後は、盟友天龍源一郎との対決がヒートアップ。
アマレス五輪代表、エリートで常識人の鶴田。
大相撲前頭筆頭、雑草で破天荒な天龍。
「鶴龍対決が今でも最高のプロレスだと私は思っている」
取材の最前線に数十年立ち続けた著者の感想に全く同感である。
天龍が新団体SWSに移籍後は、三沢光晴ら後輩相手に圧倒的な強さを発揮し始める。
「怪物」
「完全無欠のエース」
誰もが認める最強王者の時代は、突然、終焉を迎える。
1992年11月。
かねてより治療をしていたB型肝炎が悪化。
懸命の治療と、必死の努力で病気に立ち向かい1年後にリング復帰。
馬場らと共に前座のタッグマッチの登場に止まっていた。
その間に、プロレスラーとしての経験と闘病体験を活かしていこうと大学院に入学。大学の講師になった。
1999年。
師匠の馬場が逝去。
同時期に、夢であったアメリカでの研究活動が実現。
引退して渡米することになった。
そして、2000年。
肝臓移植手術の際の大量出血で逝去。
享年49だった。
「僕はプロレス界に生きられて本当に幸せだったと思いますし、全日本プロレスに就職しましてよかったと思います」
引退セレモニーで、デビュー以来初めて鶴田は涙した。
レスラー、マスコミ、そしてファンの間でいまだに根強い「ジャンボ鶴田最強説」。
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。
その強さと笑顔は、永遠にファンの心に生き続ける。
紙の本
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。 完全無欠のエースよ、永遠なれ!
2021/07/28 16:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」
1972年。
ミュンヘン五輪アマレス代表の経歴をひっさげて、中央大学の鶴田友美はプロレスラーとなった。
すぐさま渡米し、テキサスのファンク兄弟のもとで修行。
世界王者の兄弟から王道のプロレスを叩き込まれる。
そして、それをどんどんものにしていく。
半年後に凱旋帰国しデビュー。
3戦目でメインイベントのインターナショナルタッグ選手権に、師匠馬場とのタッグで、アメリカの師匠ファンクスに挑戦。
1フォールを奪い60分フルタイムを戦い抜いた。
デビューしてすぐに、馬場の後継者としてメインイベンターとなった。
世界の強豪と互角に渡りあっていたが、いつしかファンは彼のことをこう呼ぶようになった。
「善戦マン」と。
また「就職します」という常識的な振る舞いも、プロレスに情熱や人間離れした迫力を求めていたファンには、物足りなさとして感じられてしまう。
その世界最高峰との闘いの経験が、発揮される時がきた。
1985年。
新日本プロレスから長州力ら「維新軍団」が参戦する。
「僕のプロレスは世界史。彼のプロレスは日本史。その違いを見せつけますよ」
1986年に行われた一騎打ちでは60分時間切れ引き分け。
だが、終了のゴングの後のリングで仁王立ちしていたのは、鶴田だった。
長州が新日本プロレスに復帰後は、盟友天龍源一郎との対決がヒートアップ。
アマレス五輪代表、エリートで常識人の鶴田。
大相撲前頭筆頭、雑草で破天荒な天龍。
「鶴龍対決が今でも最高のプロレスだと私は思っている」
取材の最前線に数十年立ち続けた著者の感想に全く同感である。
天龍が新団体SWSに移籍後は、三沢光晴ら後輩相手に圧倒的な強さを発揮し始める。
「怪物」
「完全無欠のエース」
誰もが認める最強王者の時代は、突然、終焉を迎える。
1992年11月。
かねてより治療をしていたB型肝炎が悪化。
懸命の治療と、必死の努力で病気に立ち向かい1年後にリング復帰。
馬場らと共に前座のタッグマッチの登場に止まっていた。
その間に、プロレスラーとしての経験と闘病体験を活かしていこうと大学院に入学。大学の講師になった。
1999年。
師匠の馬場が逝去。
同時期に、夢であったアメリカでの研究活動が実現。
引退して渡米することになった。
そして、2000年。
肝臓移植手術の際の大量出血で逝去。
享年49だった。
「僕はプロレス界に生きられて本当に幸せだったと思いますし、全日本プロレスに就職しましてよかったと思います」
引退セレモニーで、デビュー以来初めて鶴田は涙した。
レスラー、マスコミ、そしてファンの間でいまだに根強い「ジャンボ鶴田最強説」。
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。
その強さと笑顔は、永遠にファンの心に生き続ける。
紙の本
ジャンボ鶴田はヒーローだ
2021/12/18 22:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャンボ鶴田、正直に言えば、あまり好きなプロレスラーではなかった、あまりにもエリートすぎるというのも、その一因だった。レスリングのオリンピック選手で、バスケットでも有望選手だった、そのうえ、大相撲への入門経験があり、一般入試で中央大学に合格している。けちのつけようがない、だから私は対戦相手の川田や天竜や長州を応援していた。でも、俺はがんに勝つんだ、生き抜くんだと最後までドナーを探し続けていたことを知って、鶴田という人は本当にヒーローだったんだといまさらに思うのだった
電子書籍
ジャンボ鶴田とは
2024/02/21 15:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うみべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、新日派だった私にとって全日はあまりテレビで見ることのないプロレスだった。(放送時間帯が深夜に多かったのもあるが)
ジャンボ鶴田って、インターやAWAのベルトも巻いたことがあるから確かに強いのだろうけど、やはり全日入ってすぐ下から這い上がってくることなく即一軍格扱いされたことで、あまり必死さが見えて取れなかったのではないかと、この本読んで思った。でも急逝した報に接した時にはショックだったなあの頃。