投稿元:
レビューを見る
スラング=汚い言葉、というのが、日本の子には若干伝わりにくいかなと感じるものの、内容としてはとても心に響く物語。
丁度、おじいちゃんおばあちゃんが患ったり、入院していたり、という経験が重なる高学年の頃に、是非、読んでいて欲しい一冊。梨木さんの「西の良き魔女」と同じく、『死』というものへの心構えが変わる本。
投稿元:
レビューを見る
義父にもこんな旅を孫とさせてあげたかったな、と、
涙が溢れました。
表紙と裏表紙の絵がまた意味深く。。
投稿元:
レビューを見る
最高だった。
すみからすみまでスタルク節で、口の悪い、むずかしい人であるおじいちゃんの人間性が生き生きと立ちあがってくるし、にやりとしてしまうユーモアに満ちている。
そして主人公のウルフも、巻きこまれて手を貸してくれるパン屋のアダムも、父親であるおじいちゃんとうまく行っていないウルフのパパも、みんなそれぞれにひとりの人間として描かれている。
ストーリーを動かすためにへんな行動をとる人がいないし、逆境をつくりだすために不幸をおわされる登場人物もいない。完ぺきな文学作品で、完ぺきな児童書ではないでしょうか。
死におもむく人に対して、あれもいけないこれもいけないということは、たぶんその本人のためではないんだろう。それでも家族や病院のスタッフはそうしがちなんだよね。わたしも母が大腿骨骨折で手術したあと、退院したらすぐに家に帰りたいというのをおしとどめて、数か月間ホームで暮らしてもらったっけな。あれは本人のためというより、その方が安心で世話がしやすいという、こちらの都合だったように思う。そんなことも思い出したりした。
投稿元:
レビューを見る
手に取る機会があって、図書館で借りた。
おばあちゃんが亡くなってから、おじいちゃんは入院している。
おじいちゃんは、きたない言葉をつかって怒りっぽく、パパは、お見舞いに行きたがらない。
でも、ぼくは、おじいちゃんが大好き。
ぼくとおじいちゃんは、病院を抜け出して、おじいちゃんがおばあちゃんと暮らしていた島の家に行く計画を立てて……。
おもしろかった。
「7 〈岩山の家〉へ」、「8 コケモモのジャム」と終盤が良かった。
それから「12 カンペキなうそ」も。
私はいい大人だけれど、最近は、何もなしえないと落ち込むことが多い。
社会では人の代わりなんていくらでもいるのが事実だけれど、私の何かがきっとそこここにあるんだ、と慰められました。
また、ぼくとおじいちゃんのやり取りでは、ぼくがぐっと受けとる場面も結構あって、人がわかり合うには、言葉は大事だけれどそれだけじゃないよな、とも感じました。
アダムみたいな大人が近くにいるっていいな。
絵のちょっとした陰影が、北欧(スウェーデン)っぽくてすてき。
投稿元:
レビューを見る
おじいちゃんとお父さんはイマイチ馬が合わない
でも僕はおじいちゃんが大好きだ。
おじいちゃんは口がとても悪い
病院に入院しているけれど,病院のスタッフにも悪態をついてしまう
僕はおじいちゃんを病院から抜け出させて,おじいちゃんの家に連れて行くことを思いついた。
両親も病院の人もだましておじいちゃんを連れて行くことができるのか?
言いお話でした。
大人になると,子どもがどんな気持ちで読んでいるのかわからないことが残念。
投稿元:
レビューを見る
おじいちゃんは面倒くさい人だ。入院してからはもっと面倒くさい。怒りっぽいし、大声を出すし、汚い言葉を使うし、気持ちを落ち着ける薬を飲んでも吐き出しちゃうし。
おばあちゃんが死んだのは去年だ。そのあとおじいちゃんが怪我をして入院した。
パパはおじいちゃんとはあまり仲が良くない。病院にも行きたがらない。でもぼくは行くよ。おじいちゃんが好きだし一人ぼっちでいてほしくない。
ぼくとおじいちゃんは同じ「ウルフ・ゴットフリート」という名前を持っているんだ。だから気が合うのかな。おじいちゃんはぼくを「小ゴットフリート」と呼ぶんだ。
ぼくはおじいちゃんを病院から一晩抜け出させる秘密の計画を立てた。パパやママ、病院のお医者さんや看護師さんたちを騙さなくちゃいけない。でもぼくは嘘は得意なんだ。きっとパパに言われて本をたくさん読んでいるからかな。おじいちゃんはぼくを<抜け目のないペテン師>って呼ぶ。
でもこの計画にはだれか大人の協力が必要だ。ぼくが目をつけたのは、パン屋で自動車修理もやってるアダムだ。
ぼくとアダムは、車で病院におじいちゃんを迎えに行った。
一晩泊まることへのパパとママへの嘘はばっちり。アダムも完璧以上に役割を果たしてくれた。
そしてぼくとおじいちゃんは船に乗って、おじいちゃんとおばあちゃんの家に行った。
どうしてもおじいちゃんには、取りに行きたいものがあるんだって。
おじいちゃんは怒りっぽくて汚い言葉を使う。だけどおばあちゃんのことを今でも考えている。おばあちゃんが生きていた頃に残したものを手に取り、おばあちゃんの夢を見て、まだおばあちゃんが死んだときのことで悲しんでいる。おばあちゃんは天国にいる。だからおじいちゃんも天国にいかなければいけない。そしておばあちゃんに会うまでに、汚い言葉を治す練習をすることにした。
さあ、次の問題はぼくの方だ。パパとママに嘘を見破られないようにしなくちゃ。
準備はばっちり。だけどちょっと腹も立ってきた。おじいちゃんはずっとおばあちゃんと過ごした自分の家に帰りたがっていた。もっと早く連れて行ってあげればよかったんだ。これはいいことをしたのに。嘘だって必要な嘘だ。おじいちゃんが、おじいちゃんの家でなにをしたかパパも知ってほしい。そしてパパの気持ちをパパの口から聞きたいって思ったんだ。
旅から帰っておじいちゃんはきれいな言葉を習い始めた。最近は看護師さんにも優しくしてる。そしてパパも前よりも病院に行くようになった。たまにはおじいちゃんとパパが静かに話すこともある。
でもおじいちゃんの体はどんどん弱っていったんだ。
===
頑固な祖父、真面目な父、しっかり者の孫。
父と子はどうもうまく行かないこともあるけれど、それでもお互いをわかり合うことだってできる。
語り手のウルフ少年が、正しい嘘だってあるんだ、と迷わず嘘を実行する姿は頼もしささえ感じる。この嘘の顛末もなんとも言えずに粋な決着になっている。
ウルフ少年が、行動を問われて本当のことを話したら「それは嘘だろう」と思われ、大人が喜ぶような嘘をついた���そっちは信じられた、という展開も面白いと言うか考えてしまうというか。
おっかないおじいちゃんだけど、おばあちゃんへの慕情は実に優しく哀切漂う。
そしてウルフ少年は年齢違うアダムと友情と信頼を結び、頑固者のおじいちゃんもアダムとはまるで本当の祖父と孫のような気持ちを持ち合う。
頑固で怒りっぽいおじいちゃんだけれど、他人に見せる信頼は実に深い。
投稿元:
レビューを見る
昨年末に読みました。
ワイルドなおじいちゃんと、現実的なパパ、
そしておじいちゃんが大好きなぼく。
おばあちゃんが死んでしまってから、足の骨を折って、愛する家を離れ入院しているおじいちゃん。
ぼくは、おじいちゃんを元気づけようと、病院を抜け出して、離島の家に帰る計画を勧めます。
ふたりの計画に力を貸してくれる素敵な大人として、
近所のパン屋のアダムがいます。アダムは古くなったシナモンロールを子どもたちにくれたりする。
「犬にでもやれ。」と言って。でも誰一人として犬なんて飼ってないんだけど。
ぼくの完璧な嘘の行方がなんとも切なく描かれています。
そして、スウェーデンといえば、ミートボールにコケモモジャム!おじいちゃんとおばあちゃんの大切な想い出が詰まったコケモモジャムが、物語の語り手になってくれているようです。
ジャムはお話しが進むとともに少しずつ、減っていく…
愛とユーモアに溢れた素敵なお話でした。
あ、アダムのカルダモンロールもとっても気になる。。
ウルフ・スタルク 最後の作品。。
投稿元:
レビューを見る
ともすればセンチメンタルになりすぎなテーマを軽やかでユーモラスに描く著者ならではの作品。挿絵のおじいちゃんがまた作品にぴったりですばらしい。
投稿元:
レビューを見る
ウルフのおじいちゃんは病院に足を骨折して入院している。ウルフは毎週お見舞いに行きたいけれど、お父さんは汚い言葉を使うおじいちゃんと仲が悪く、理由をつけて見舞いに行きたがらない。ウルフはサッカーの練習に行くふりをして、一人でお見舞いに行く。そして、おじいちゃんの病院脱走計画に協力することになる。おじいちゃんは、無くなったおばあちゃんと二人で暮らしていた島の家に行きたかったのだ。
おじいちゃんの家やおばあちゃんに対する気持ちが心にしみます。仲が良くない父親とおじいちゃんとの間にも、別な形ではあっても家族の思いがあふれている。
スタルクの遺作となった作品だが、小学生にも家族愛を静かに考えさせてくれる作品になっている。
投稿元:
レビューを見る
いつからか、父や祖父の視点から本を読むようになった。みんなそれぞれの想いがあり、しかし表れる考えや行動は異なる。それはそれで大切なこと。
正しいと思っていても、あとから考えると正しくなかったんじゃないかと思うこともある。子供がそう思って悩んだときに、「大丈夫、相手もそれをもっとも望んでいたんだよ」というように声をかけてあげられるようになりたい。
おじいちゃんとパン屋のアダムとの間で行われる当意即妙の会話は、こちらにドキドキをもたらして素敵。
投稿元:
レビューを見る
子どもを子ども扱いしない、というか、きちんと向き合ってその思いを大事にする大人の存在が素敵だった。
その反対の大人も出てくるのだけれどね。
大事なことは何か?
そんなことが私の価値観と似ていて、「そうだ!そうだ!」って思いながら読んだ。
投稿元:
レビューを見る
入院中のおじいちゃんは亡くなったおばあちゃんと暮らした島の家に一度戻りたいと、その望みを叶えるため、ぼくはウソつきになる。
おじいちゃんとぼくのカンペキな計画。はちゃめちゃでユーモアがあり楽しい。けれどその先に待っているものがわかるだけに切なさが滲む。
おばあちゃんが作ったコケモモのジャムを一匙づつ大切に食べるおじいちゃんは「おばあちゃんは自分の時間をジャムに捧げた。おばあちゃん自身の思いも。だから、おばあちゃんの人生の一部がこの中にある」という。こんな風に思われたら手仕事冥利に尽きる。
「なにか、きれいな言葉を言いたかった。どんなにおばあちゃんのことを好きだったか…とか」きたない言葉ばかり使うおじいちゃんは、天国で再会するおばあちゃんのためにきれいな言葉を練習する。言葉にできなかった想いを後悔と共に抱えていたおじいちゃんの最後は、キティ・クローザーの描く挿絵が物語っている。
きれいな言葉を使うことで、お父さんとも歩み寄れた。
スウェーデンの児童文学作家ウルフ・スタルク最後の作品は、大好きだったおじいちゃんへの想いが詰まった素敵な話だった。
投稿元:
レビューを見る
おじいちゃんと孫っていいよね。親子ではうまくいかないこともこの関係だとお互い優しくなれる。口が悪くても気持ちが伝わるね。大事な人、大事なもの、大事な思い出…。それがあれば生きていける。
投稿元:
レビューを見る
スウェーデンの児童文学作家、ウルフ・スタルクの最後の作品。この本のために書いてもらっていた挿絵を見るのを楽しみにしていたが、叶うことなく亡くなったそうです。
題名を見ただけでおおよそのストーリーがわかるけれど、それでも、読んでいて一文一文が愛おしく、大切に読みたくなる本でした。
☆おじいちゃんは僕と同じものを見てるわけじゃない、と僕にはわかった。おじいちゃんが見ているのは、以前にあったもの。おばあちゃんが生きていた頃、この海路を何千回と行き来した時に目にしたものだ。顔を見ればわかる。くたびれたしわだらけの顔だけど、そのしわのうしろに、若いときのおじいちゃんがいるんだ。…
子供は、父母だけでなく、祖父母からも影響を受け、年配の方と沢山接することで得るものが大きいと思う。最近は祖父母もまだまだお若い方が多いけれど、自分の違う世代の人が、どんな風に生きて来たのか、何を大切にしているのかなどを知ることは子供にとってこれからの人生を生きていくに当たり、宝物になると思うと改めて思いました。
とても素敵な本でした。他の作品も読んでみたいです。
投稿元:
レビューを見る
結末は悲しいのに爽やかな気持ちになれた一冊でした。
汚い言葉を使うおじいちゃんと彼をちょっと疎ましく思うお父さん、そしてそんなおじいちゃんを慕うウルフの関係が児童書にしてはなんとも大人っぽい。
物語が進むにつれてなぜおじいちゃんが汚い言葉を使うのか分かってきます。
それは愛するおばあちゃんとの哀しい別れがあったから。
人はどうにもならない悲しさや辛さを、怒りという形で表現することがあります。
このおじいちゃんもそうなのではないでしょうか。
インパクトのある挿絵に最初ちょっと嫌悪感ありましたが、読み終わった後はこの挿絵で良かったと思っている自分がいました。
スタルク最後の作品なのだとか。それを知って読むと著者のメッセージがさらに胸に響いてきます。