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NYの地下鉄のトンネルを皮切りに、世界各地の地下へ潜り、地球と人の心の奥をのぞいた地下愛好家[カタフィル]の地下世界旅行記。
地下愛好家(言うまでもなく大半が不法侵入である)としての体験談と歴史的な記述が混ざりあい、著者の皮膚感覚とかつて地下に潜った人びとのそれが一体化していくような語り口が魅力だ。パリのカタコンベの章が特に面白かった。カタコンベの地下室は北斎の神奈川沖浪裏の壁画や岩盤を削って作られた城とガーゴイル、スプレーアートのトーテムポールなどなどに彩られ、夜な夜なレイヴパーティーが開かれるという。写真を見ると退廃的な雰囲気がたまらない。
都市の地下は野良アーティストたちの縄張りでもあって、著者を魅了したグラフィティアーティストREVSもまたNY地下鉄のトンネル内に100を超える〈日記〉を記した。それも、他のアーティストは地下鉄のライトに照らされる壁を選ぶのに、REVSは死角になる場所、地下愛好家が探して懐中電灯をかざさなければ絶対見つからない場所に書くのだ。そこで著者は「誰にも見られない場所に造形物を残すのはなぜか」という問いを一つ挟んで、REVSのグラフィティとフランスの〈テュク・ドドゥベール〉洞窟に残された粘土の彫刻とを繋げてみせる。日の光がまったく差さない洞窟の奥の奥で捏ねあげられた、雌雄のバイソン。その姿を見た瞬間に流れだした涙と、REVSが言った「使命」を重ねて描きだす筆致がとてもすばらしい。
著者はアボリジニが赤土を掘りだした神聖な洞窟やカッパドキアの地下都市、マヤのセノーテなどにも赴いているが、現代都市が隠し持つ地下の世界を平等に扱っているところに愛があると思う。だからこそ「洞窟にいるのは死んだ状態に似ているが、生まれる前の状態にも似ている」という、集合的無意識を語る常套句のような結論に達するのは惜しい気もするが、ひとつの瞑想法として「地下を歩く」という選択肢があることを教えてくれた興味深い一冊だった。
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「地下世界」をテーマにした異色のルポ。
著者は、雑誌記者を経てノンフィクション作家となった。本書は初の著作である。
少年の頃、洞窟を探検したことがある著者は、ある時、まさにその洞窟を撮った写真に惹きつけられる。
写真を撮影したのは都市探検家グループの一員だった。著者は彼らに誘われ、ニューヨークの下水管を巡った。
それを皮切りに、地下への旅が始まる。
パリの地下納骨堂。アボリジニの聖地。カッパドキアの地下都市。ピレネー山脈の洞窟。マヤ人の雨乞いの地。
それは下方へと向かうだけでなく、奥へと、そして闇へと向かう類まれな経験だった。
地獄(Hell)の語源は、インド=ヨーロッパ祖語の「隠す」(kel)だという。不明瞭であるがゆえ、地下への旅は不安や畏れを伴う。さまざなな神話で、「地獄」が地下に定められているのは偶然ではないのだ。
現代社会では、真の闇に出会う機会は(あるとしても)極めてまれだ。
漆黒の闇に身を置くとき、人の精神状態はどうなるのか。時間の感覚は失われ、視覚や聴覚は鈍り、時には幻覚に捕らわれる。
それはある種、スピリチュアルな体験にも似ており、実際、暗闇で行う重要な儀式を持つ民族もいる。
日常を離れ、普段、拠り所としているものから切り離される。
多くの情報から遮断され、心細さに恐怖も覚える。
しかしそれは、逆に見れば、しがらみや軛からの開放でもある。
地下への旅はまた、インスピレーションの源ともなり、あなたを思いもよらぬ新しい世界へと誘うかもしれない。
著者とともに各所を巡りながら、読者は知らず知らず、自らの内なる世界をも巡り始める。それはまさにディープな旅である。
地下世界、恐るべし。
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<目次>
第1章 地下へ~隠されたニューヨーク
第2章 横断~パリの地下納骨堂
第3章 地球深部の微生物~NASAの野望
第4章 赤黄土を掘る鉱夫たち~アボリジニの聖域
第5章 穴を掘る人々~もぐら男とカッパドキア
第6章 迷う~方向感覚の喪失が生む力
第7章 ピレネー山脈の野牛像~旧石器時代のルネサンス
第8章 暗帯~「創世記」の闇と意識変容
第9章 儀式~雨を求めて地下に下りたマヤ人
<内容>
作者の経歴は一切不明らしい。名前もペンネームの可能性が…。地下は何ゆえに人を惹きつけるのか?何があるかわからない。どこへ着くかわからない。闇の恐怖と精神状態(方向感覚を失い、魂まで抜けるようになるらしい)。どうも人類にとってある種のあこがれの場所なのだ。世界中の地下世界を巡った報告。興味はあるが、自分は行きたくないな。
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筆者は地下世界に取り憑かれた地下探検家。
ニューヨークの地下鉄や下水、パリの地下納骨堂(カタコンブ)、NASAの地下生命体探査チームが管理する地下1.5キロメートルの廃坑、カッパドキアの地下迷宮、そして旧石器時代の人々が残した絵や塑像が残る洞窟等々、探検の方向は近代都市から古代都市、そして一切の光から隔離された暗闇の洞窟へと広がっていく。
五感の中で視覚に多くを依存している人間にとって、視覚が役に立たない地下世界は脅威であるとともに、シャーマニズムなどに見られるように神と接する神聖な場所として捉えられてきた。
そんな様々な地下世界を実際に訪れ、そこに魅せられた人、その神聖な空間を守護する人々を語る。
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9章で構成される地下の話。
1章はニューヨークの地下を冒険する話。
2章はパリ。
3章は地下の微生物。
4章は鉱夫と地下聖地。
5章は穴掘りの衝動とカッパドキア。
6章は地下における感覚喪失。
7章は地下グラフティと古代遺物。
8章は闇がもたらす精神への影響。
9章は地下と宗教。
徐々に展開される地下への考察は地下冒険から生物としての闇への畏怖へ及ぶ。
訳者の力量も相まって読ませる本だった。
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地下とか迷宮とか闇とか謎とかって魅力的で惹かれるのだけれど、いざ地下に何日間とか聞くと、怖さが勝る。
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どの章も興味深いがグラフィティアーティストと古代の洞窟壁画が出てくる章は小説のような味わい
著者が地下で迷子になる話や暗闇で幻覚を見る話どれも面白い
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各地の地下世界の話が面白い上に、本全体からすると異質な第6章「迷う」がとても良かった。迷うということはとかくネガティブに捉えられがちですが、人は迷うことで自分が進むべき道を発見したり、別の道を進むきっかけになる、という指摘は目から鱗です。読書中は枕元において寝る前に1章ずつ読み進めていったのですが、このスタイルも地下世界の闇に思いを馳せる意味で、とても良かった。
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ちょっとまて、ただの迷惑YouTuberと同じやん!
↑2章までの感想。
地下好きなライターが、地元から始まり世界の地下を訪れてヒーハーするという内容。(「当然見つかったら法律違反で捕まるが…」って言いながら探検してます。ほんと迷惑w)
テーマ自体はすごく面白いし好きなんだけど、なんかすごい読みにくい…個人の好きすぎる感想と、文化的な背景や土地々の同志たちの情報なんかが混在しすぎてて。
構成がうまくない??あと、写真が全然効果的じゃない???
BBCとかでうまいこと番組にしたら面白いと思う、もったいない…
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タイトルと表紙に惹かれて読了。グッド・ウィル・ハンティング的な著者名はやはり解説にもあるようにペンネームなのでしょうか。
さて、「地下世界」と聞くと、本著の表紙にもあるように都市の地下に隠された運河やら鉄道やらがあって…という想像を巡らせてしまうのですが、本著の「地下世界」は半分以上が洞窟です。(よく見ると、表紙の一番下は洞窟ですね…)
個人的には前者を期待して読んでいたので、最初のニューヨーク、パリのくだりはともかくとして、オーストラリア以降は勝手に思っていたモノとは違ってました。
あくまで個人的な嗜好ですが、都市の地下は完全に人が作ったモノなので「ココとココが繋がってる」とか「ココにこんな施設が!」となると裏には人の思惑やらがあって、そこにドラマがあると思うのです。
洞窟でも、もちろん闇に隠された秘密的なものはあると思うので、面白くない訳ではもちろんないのですが…
そこでもう1点。「地下世界」自体の描写もどうなのかなと思ってしまいました。
もちろん暗いので、視覚的な情報の描写は難しいと思いますし、触覚や嗅覚の描写にしてもそこまで変わり映えがするのかもわからないので、できないことは求められないのですが、最終的に著者がとったやり方が古典の引用というのはどうなのか。。
1ページに3回引用がされていたりして、もはや名言集なのか…。正直、一緒に地下世界を冒険している気分にはなれなかったのが残念です。地下世界の描写というか、地下世界を探検しながら連想した話というか。
結局何を伝えたいのかが良くわからず、本著の最後だけを抜き取ると地下世界の美しさなのかもしれませんが、中身はそうでもないような。自叙伝なのでしょうか。
とは言え、著者が貴重な場所を巡ったのは事実で、面白く読ませてもらいました。
冒頭の著者の日本語版挨拶は秋庭俊氏の著作がテーマなのですが、それこそ秋庭氏の著作はやりすぎなくらいストーリー性、テーマ性があったので、期待を持ちすぎてしまったのかも。
色々言ってしまいましたが、本自体に瑕疵がある訳では全くないので、星3つです。
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地下世界やアンダーグラウンド、その言葉に魅了される人がいるのはなぜでしょうかー。
ニューヨークの地下鉄から始まる冒険は、世界をまたぎ、宗教や哲学にまで広がっていきます。
街の景観や、光のコントラストの美しさを味わうのもいいですが、不安になるような真っ暗闇の洞窟のリアリティを、この本で擬似体験してみるのも、たまにはよいのかもしれません。
やっぱりノンフィクションっておもしろいですね。
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人々は遥か昔から、地下世界に畏怖を感じながらも抗えない魅力も感じている。そんなことが各エピソードの端々から感じられる。いいよね〜私も穴を掘り続ける人生とか過ごしたかった。
本書の中身としては、人々の文化や儀式、人工物としての観点がほとんどで、自然物観察観点としてのアンダーグラウンドの描写はほとんどない。自然物としての地下世界が好きな私としてはちょっと違うかな、、という感も否めないが、こういう観点の人たちもいるんだなとか新鮮だったし、わかる!!と共感するところも節々にあった。
写真のキャプションや解説が本文中になくて戸惑ったが、巻末にちょっとあった。
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本書を手にしたのは他でもない、冒頭の「挨拶―日本語版に寄せて」が秋庭俊への言及から始まっていたから。東京の地下に秘密の基幹施設網があったと信じた彼が著した『帝都東京・隠された地下網の秘密」を、発行された当時貪るように読んだことを思い出す。
本書もそれと同類のノンフィクションかと思って手にしたのだけれど、「○曜スペシャル」的な匂いのする秋庭本とはまったく違う、若干の偏執が入り混じった、より深みのある思索の本だった。光が届かず、方向感覚を完全に失った、理性や論理を超えた世界。著者が指摘するところの「心の洞窟」に入る決心はワタシにはまだつかない。
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地下世界や洞窟などというと、フィクションめいて聞こえそうだが、ここに書かれているのは、紛れもないノンフィクションで、著者が自らの半生をかけて潜った数々の地下世界は、とても興味深かった。
日本で暮らしていると、なかなかお目にかかれないし、そもそもマンホールを開けて潜ってみようとは思わないが、さすが世界ともなると、歴史もあり、生活や宗教とも密接に関わっており、広さも壮大で、ニューヨークやパリの地下にも当たり前に存在している。
洞窟探検と聞くと、すごく好奇心を刺激され、楽しそうな印象もあるが、実際は、自らの明かりのみが頼りの暗黒の世界である。また、地下何百メートルに一人でいることを感覚で理解した瞬間、精神や肉体に支障をきたす場合もあり、マヤ人が、地下世界に神がいると認識するのも分かるような気がするし、見えないものに対する、原始的な恐怖は、人が無意識に持っているものの一つだと思う。
ただ、それでも地下に潜って、遙か何万年か前に、生きた証を残した先祖の面影に接したいロマンめいた気持ちも分かる気がするし、見えない部分に想いを馳せることは、私が普段歩いている世界も、まだまだ違う顔があることを教えてくれた気がします。
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ボリビアのポトシ鉱山、トルコのカッパドキアの記述がチラッと見えたので読んでみた。著者は洞窟や都市地下のマニアの方らしいけど、どんな方なのかわからないままだった。
暗闇で方向感覚を失ったときの恐怖感には納得。