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読書のための場所っていいですね。
2020/09/19 10:10
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
全国津々浦々に読書ための場所が、あるといいですね。
初めて訪れる町で、読書の時間が持てる場所があるなら、旅行も楽しくなりますね。
読書のための場所を作った筆者の熱い思いが語られている本です。
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街に本を読む場所がない話は、その具体例も含めて大いに賛同。
だからこういう店(fuzkue)始めましたとなると、360度どこにもスキがないようにするためか、具体例がくどくも感じた。でもやっていることには賛同。
本を読むことに真摯な姿勢が心地よい。
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ブクログの新刊コーナーで見かけて気になっていた本。
私的には本を読む場所を探してウロウロするエッセイやと思っていたので、第一部だけをじっくり読了。
第二部以降は作者が作った店の話なので斜め読み(東京のお店だからまず行けない)
読書に関する考え方はわりと共感できるんだけど、他者?パブリック?に関する考え方にはあまり共感できなかったなぁ。
私は基本的に無音じゃないと本が読めないので(音があると集中できない)読書は自宅一択。やること全部終わらせてから本を開くタイプ。
学生時代は通学電車内でよく読んでたけど(片道1時間半かけて高校に通っていたので。文庫なら1日に一冊は読めた(笑))今は20分以上電車に乗らないからなぁ。
あと、場所を探す時になぜお店が多いのか最初は少し気になった。
まぁ、読み進めたらこの本の目的がご自身のお店、「フヅクエ」の紹介だったので納得だけど、個人的に自宅の次に候補に上がる読書スペースは公園なんだけどな。
気候がいい時期の公園読書、なかなか贅沢でいいんじゃないかな。人が少ない平日昼間狙いで(笑)
あと河原とかね。誰にも気を使わずに思いっきり読めそう。
というか、漫画喫茶は違うのかな?今はあんまりないんかな?あれこそ種類は違えど「本(漫画)を読むためだけの空間」だよね。場所代払うから気を使わないし、みんなひたすら読んでるイメージ。私の知ってる漫画喫茶って20年以上前やから今は違うんかな……
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fuzkue には何度も何度も行っているので、この本に書いてあることはとてもわかるというか、本書にも収録されている、あのメニューに書いてある内容をものすごく丁寧に細かくするとこの本になるんだろうな、という感覚で読んでいた。
前半は同意半分、ブックカフェの人などにちょっと同情しながら読んだのが半分。外で本を読める場所、それも確実に読める場所って基本的にないと思っていて。ブックカフェもそう、本のあるカフェ、という程度で、読める場所だなと思った経験はほとんどない。が、全国探せばきっとあるのだろう、読んでほしくてブックカフェやってる人もいるんだろうきっと、という思いで若干の同情がある。
後半はある種ビジネス本なんじゃないかなと思いながら読んでた。ミッションを決める。そしてそれにフォーカスする。というのは、よくある経営テクではあるけど、これほどにミッションフォーカスした事業ってないんじゃないかというぐらいフォーカスしている。「雑に使うことができないようにする」設計とかなかなかできないと思うんですよね。で、確かに雑に使えなくて、この店は行きたいけど行きにくいという変な矛盾を抱えている。これほどフォーカスするとかなりニッチな店になるんじゃないかとも思うが、それでも成功している(よね?)のが、ビジネス的に見習いたくもなってくるなぁと思うのです。
全体に静かな語り口ではあるけど、その実おそろしく堅い、堅くて熱い、強固な思いでやっているビジネスだなというのがとても伝わってくる本でした。
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フラッと入った「おひとりさま専用カフェ」の案内された席の目の前にあった本棚で出会った一冊。お店にいる時間内では完読できなかったので、後日図書館で借り直した。
「フヅクエ」というカフェのオーナーさんが、自宅外での読書環境を求めて右往左往する話、どういった経緯でお店を始めるに至ったかといった話や、どうやってお客さんに読書に合った環境を提供し、楽しんでもらいながらお店の利益を出すかといった経営面での話もざっくばらんに書かれている。
実際に来店すると出される案内書き(ルールブック的なもの)も、すごい長文なのだが読むことができる。13,000字ほどあるらしい。フヅクエに敢えて行きたいような人にならごく当たり前の内容かと思うし、読み切るのも特段苦にならないと思う。興味深い内容だった。
著者さんが特定の書店で本を買う話。これは私もそうで、繁華街の大型書店より、最寄り駅前の書店で買うようにしている。ここの本屋さんがなくなると、家から徒歩で行ける本屋さんがなくなるので、使える金額は少ないながら、せめて買い支えたい気持ちがあって、そうしている。
あとは、チェーン店のありふれたカフェより、「おひとりさま専用」とかの特色があるカフェを敢えて選んで行ったりもする。
お金を使うというのは、単にモノやサービスを受け取る手段でもあるけど、好きな物事やお店がこの先も続いてほしいと願ってする投票行動でもあるのだなーという気づきが得られた。特に深く考えていなくても、ポリシーをもってお金を使っているのだな。
子どもの頃、なんぼでも家で本が読めたのは、家事は親がしてくれて、昔だからスマホはないし、没頭できる環境が揃っていたということでしょう。
今は家で読書しようとすると、途中途中で何かやること(ちょっとした家事とか)が発生したり、子どもが呼んできたり、さっぱりです。かえって通勤中の方がよく読める。
東京から離れたところに住んでいるので、なかなかこちらにフヅクエが開店することは難しそうに思いますが、せめて環境を整えて「自宅フヅクエ」ができるようにしたい!
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「趣味はなんですか?」と聞かれると、一瞬躊躇する。
好奇心旺盛な性格のため、いろいろな趣味が思い浮かぶのだが、幼い頃から続く趣味はただひとつ。
「読書」である。
でも、「読書」というと、「高尚な趣味」「妥当な趣味」と、色々な解釈をされるが、それがなんだか嫌なんだよなー。
高尚でも、妥当でもなく、本当に「本を読むことが好き」なだけなんだよなー。。。と。
偶然、この本を本屋で見かけて、タイトルに「そうそう!」と同意した。
中身を読んでますます同意した。
家で読む、カフェで読む、図書館で読む。
それらがしっくりこない時ってあるんだよなー。
「今日はガッツリ読みたい!」という時は、六本木の文喫に行くことが多い。
でも、文喫って、あくまでも「本屋さん」なので、読むだけ読んで買わないことに勝手に罪悪感を持ったりする(時々、買うけど)。
あと、文喫は、「本に出逢う」場なので、自分の本を読むというよりも、今まで接していなかった本に出逢って読む。
なので、買ってそのまま積読し続ける本が家にはわんさかある。
いつか、それを何処かで読みたい!と思いながら、読む場所がないんだよなー。。。
高円寺のアール座読書館の存在は知っていたが、なんとなーく一人で行きづらくて、行っていない。
今回、フヅクエの存在を初めて知って、ここならいけるかも!となっている今。
近いうちに、積読している本たちを持って、行ってみよう!
たぶん。。。4時間では収まらない予感しかないけど(笑)
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初台・下北沢にある読書するためのカフェを経営する著者による読書する場所にまつわるエッセイ。いつか行きたいと思いつつまだ叶っておらず、著書を読むことでどんな思想に基づいた店舗なのか知れて勉強になった。第1部で本を読む場所、読書という行為について深々と考察したのち、第2・3部でそれを踏まえた上でどのような店舗設計にしているか語られている。これだけ読書に対して自意識全開でひたすら考え続けている人のお店だと思うとめちゃくちゃ行ってみたくなった。読書について語ることは本好きにとって最高にブチ上がるんだよなーというのが文章のテンションから伝わってくるし、著者の意見を参照しつつ自分の今の読書環境を考えるきっかけになった。今までは電車で音楽を聴きながら読書するのが主戦場だったけど、コロナでテレワークとなり外出しなくなった今、家で読むしかない。電車は電車で良さはありつつも静かな環境 a.k.a 家で時間を用意して真剣に読むと本が今まで以上に好きになった。なので著者の主張するとおり読書する環境を整備することは大切だし、世間的におざなりにされ過ぎているという点は大きく頷いた。(特に映画館との対比が一番わかりやすい)あとスマホやPCを見ることが許される空間で読書していると異端扱いされることについて、その先に人がいるかどうかがキーポイントになっているという考察は興味深かった。読書は排他的な行為だと頭の隅に置いておくと生きやすいのかもしれない。
何かが素晴らしいというときに対比することは常套手段であるものの、最終的に著者の店の紹介になる点はマッチポンプ感が否めないのは正直なところ…前半での「ブックカフェ」のメタメタにされっぷりがかわいそうに思えた。「じゃあ読むなや」と言われればそれまでだけど「どうしてふたりの幸福を持ち上げるためにひとりを貶める必要があるんだ!」というエピソードもあったし、純粋にお店のストロングポイントを主張してもらえればそれで十分愉快なのではないかと。(上記エピソードは別の形で終盤回収されていた)とはいえ、まずは祈るように本を読むことが祝福されるその空間に足を運ばないことには何も語れないことは重々理解している。そしてそこへ行けば僕のこんなしょうもない意見はたちまち霧散するのだろう。
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フヅクエの存在は、ネットか何かで知ってはいたが、ここまで細かいルールがあるとは。4月に近所に2号店ができたので、いつかのぞいてみたい。この本は電車の中で読了。帰りに立ち寄った書店で、著者の読書の日記を発見。ものすごい厚さにびっくりした。こちらはちびちび読もうと思う。
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1度しか行ったことがないけど、とにかく居心地良くて、本が気持ちよく読めた「本の読める店」Fusukeできるまで。そしてこれから。
どのような考えの末にあのお店が生まれたのか、どういう考えであの空間が保たれているのか。
面白かった。
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2020/12/1 家で読書すればいいじゃないか、と私も思うのですが、やはり落ち着いて本を読めるところを探してしまうのです。図書館は案外うるさい。カフェは、運が悪いとそばに傍若無人な客がくる。この著者は読書に特化したお店の店主です。ありがたいけど、提供する側はたいへんだ❗行ってみたいなぁ。
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再読。読んでは行きたくなる場所、フヅクエ。最初に行くときは、体調や気持ちを整えて、じっくり読む本を見繕って、予約もしちゃおうかな。と気持ちだけが昂る。住まいからちょっと遠いので、まだ憧れの場所のまま。再読したら、あぁ、ここで働きたい。こんな店をやりたいという気持ちが強くなった。年齢的に現実になることは無いのだろう。でもそんなお店を東東京でやりたいなぁという気持ちはある。自分では難しいから、新店舗を東東京側に出してくれないかなぁとも。今年中にとにかく1回行ってみよう。
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「本の読める店」フヅクエに一度行きたいと思っている。細かなルールがあって、なかなかに敷居が高そうではあるけれど。その店主の本。
わたしにはなかなかに面白くなく、いつになったら面白くなるのだろう?と思いつつ読むのをやめられない不思議な本。ここでレビューを見て高評価なのが意外。
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本の読める店『fuzkue』店主阿久津さんの本。
『fuzkue』は説明するのがなかなか難しいのですが、本を読むための環境に特化したお店。
初台店からはじまり、現在、下北沢と西荻窪にも店舗がある。
本を読むための店だから会話は原則禁止。
PCやペンの利用も制限される。
ドリンクや食事のほか変動性の席料があり、だいたい2000円前後の利用料金となる。
この「本が読める店」がどのようにして生まれたのかをつづったのが本書。
ブックカフェは「本のある」カフェであって「本を読む」場所ではない、というのは残念ながらその通り。カフェによっては「本と出会う」場所ですらない。
前半でボロボロに言われているのはBrooklyn Parlorだと思われますが、オシャレなライブハウスか飲み屋みたいなところだから、ひとりで本を読んでいたら居心地がいいわけがない。
基本的にオシャレなカフェはおひとりさまに厳しいのだ。
コロナのおかげで会食が制限されておひとりさまが増えたとはいえ、会話をするためにカフェにくる人は多いので、カフェで落ち着いて本が読めるかどうかは運次第。
(ドトールでよく見かける恋愛目的ではない出会い系?とか、意識高い系サークル?はほとんど私の敵。スタバだと本当に確率が悪い。)
「本が好き」という言い方も昔からあまり好きではなく、「(自分の好きな、興味がある)本を読むのが好き」なのであって本ならなんでもいいわけではない。
ちなみに本の物理的な形とか「本がある空間」はブックカフェも本屋も好き。中野東図書館の壁面本棚は全然あり。
本を読むのが楽しいからやってるんであって、「読書のメリット」とか「頭のいい子に育てる」とか「一流の人の読書習慣」とか聞いても気持ち悪いだけ。
映画やゲーム、手芸など、ほかの趣味では聞かれないのになぜか読書ばかりが特権化される。
そういう今まで感じていた違和感を阿久津さんはじょうずに文章にしてくれる。
「本が読める場所」を求めたことがない人には長々と何を言っているんだかという話かもしれないが、この長さがおもしろいのだ。
(一見、ダラダラと書き綴ってるように見えるが、スルっと読めるのは相当構成されているからだと思う。)
間に収録されているfuzkueの案内書きはそれだけで16ページありますが、これだけでも一読の価値がある。
以下、引用。
本を読んでいる人の姿は美しい。
両手のひらを天に向け、背を丸め、こうべを垂れる。それはほとんど祈りの姿勢のようだ。
100年以上前にどこかの国で書かれた文章が、なにひとつ色あせず、完璧にビビットでアクチュアルなものとして楽しめるなんて、本というのはなかなか、すごいものだ。
僕がどうにか勝てそうな土俵──たとえば「ラテンアメリカ小説のタイトルで山手線ゲーム」とか
本のある風景はとてもいい。本がわーっと並べられた風景を前にすると、安心する。気持ちがほっとあたたまる。同時に、ワクワクと心が躍り立つ。
この「本のある風景はなんか素敵」という意識はおそらく、本を読む���まないに関係なく、それなりに広く共有されているものであるはずだ。
この「本のある風景はなんか素敵」をさらに突き進めると、「もはや本ですらなくていい」にまで行けてしまうことを見せてくれた事例もある。
読書を特権化してはいけない。
読書は楽しい、だからする。
読書は心躍る、だからする。
「語り手の「僕」の暮らしぶりや立居振る舞いがなんだかかっこよく見える」→「その彼は本を読んでいる」→「本を読むのってもしかしたら全然かっこいいこととしてなされうるのかもしれない」→「実際、彼はずいぶん簡単にセックスをしている」→「本を読めば俺もさくっとセックスできるようになる!」
結託の度合いは、ある種の「ポイントシステム」として考えてみると理解しやすい。これは高校時代に学内の序列を可視化しようと考案したシステムが基盤になっている。ポイント化してみると、直感に違わず自分が底辺をうろうろしていることがよく理解できた。
「PRESIDENT Online」の記事(2017年1月6日)によれば、「滞在時間が長い」とされるコメダ珈琲店で平均1時間(ドトールコーヒーショップは30分)
「真紀さんこれからずーっとそういう本読むとしてさ、あと三十年とか四十年くらい読むとしてさ──、本当にいまの調子で読んでったとしたら、けっこうすごい量を読むことになるんだろうけど、いくら読んでも、感想文も何も残さずに真紀さんの頭の中だけに保存されていって、それで、死んで焼かれて灰になって、おしまい──っていうわけだ」
「だって、読むってそういうことでしょ」
保坂和志『この人の閾』
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fuzkueというブックカフェを営む筆者。読書しやすい環境を求めた結果だという。読書という営みについて考察した一冊。
初台と下北沢にあるというfuzkue。理想の場所を求めるうちに自分で作ってしまうところがすごい。店のお品書きも掲載されている。
本を読むことに関する考察がひたすら続くだけなので冗長な作品。早く他の本が読みたくなるという効果は多大。
店のお品書きを読んでも分かるが必要以上に解説が多いように思う。ちょっとくどい。
自分には正直合わない一冊でした。
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「本の読める場所」について1冊の本が書けてしまうというのは凄い。ただ読み物としてはどうでしょうかね……
私自身、どれだけ長居をして良いものか?と心配してみたり、隣の会話や挙動に気を取られてしまったり、本が読める様で読めないという経験をしているのだが、皆さん同じ問題を抱えていらっしゃるのですね…
是非「フヅクエ」に行ってみたいと思うが、通勤経路的にはフラッと立ち寄れる場所ではないし、わざわざ本を読みに「フヅクエ」に行くというのもちょっと違うし…
特に、“ながら族“化している自分が、純粋に本を読む事に集中して、長時間を過ごす事が出来るどうかです。
結構通勤電車ってのは「本を読む場所」としては良い環境なのかしらん?と思っています。