紙の本
今目にしているもの、かつての思い出、夢と想像の境目が曖昧な文章。でもそれがいい
2023/07/17 09:58
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
出不精な著者が思いつくまま近場に出掛けたり、出掛けなかったりして思ったことを書くエッセイ集。出掛けた先で何をするでもないのに、今目にしているもの、かつての思い出、夢と想像の境目が曖昧な文章で、短編小説を読んでいるような不思議な魅力があった。この本を読んでいると、自分も「やけにリアルに思い出せるけど、あれが本当に現実に起こったことだったのか分からない昔のこと」ってあるなと思う。そういう本。
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イマジネーションの世界が得意の岸本佐知子が、どこかに行って見聞録を書くというスタイルに挑戦。どちらかというと昔住んでいたところに行き、昔の想い出を書くというものが多い。実はあまり好きなタイプのエッセイではない。それでも岸本佐知子が書くとフォーマットからはみ出した想像の虫が岸本節を奏でるというとこだろうか。富士山が好きなのは台形フェチだとか、「YRP野比」について『一見なんの変哲もない田園地帯。だが夜になり、京急の終電が走り去ったあと、不気味なサイレンとともに山の頂が二つに割れ、中から巨大な銀色のドーム状のYRPが姿をあらわす。ドームから銀色の小さい人がわらわらと出てきて山を下り、そこに背中のジッパーを下ろして人間の着ぐるみを脱いだ住民たちも合流して、夜な夜な近隣の街をひそかに侵略していく。そして気がつくとあなたの街もいつの間にか<YRF野田>とか<YRF吉祥寺>に変わっているのだ。』なんておかしい。ヨコスカ・リサーチ・パークってだけなんですがね。
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ずっと行きたいと思っている場所に行くって
思った以上に難しいのかも。
用事があったり必要な場所にはさっさと出向いているし
死ぬほど行きたい場所だったら万難を排して出かけているだろうし。
『いつか』『死ぬまでに』行きたい場所はいちばん辿り着けない場所なのかも。
著者の行きたかった場所は、思い出の中の街だったり
奇妙な名前に心惹かれたり。
妙な達成感やノスタルジックな気持ちを、著者と一緒に味わうことのできる
不思議な本でした。
そして、私の死ぬまでに行きたい場所がまた増えてしまった、、、
海芝浦、いつか行ってみたいぞ。
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「気になる部分」とか「根にもつタイプ」の文章を思い出した。いやいや久しぶり。やっぱり面白い。
富士山:「前の日はわくわくして眠れなかった。あの「フジさん」についに登れるのだ。きっと一面の青世界だろう。三色アイスのピンクと白、白と茶色の境目をスプーンですくって両方の味を食べるみたいに、青い地面と白い地面の境目のあたりをスコップですくって持って帰りたい。それからてっぺんの平たいところに立って手を振りたい。クラスのSちゃんは高い山に車で登って、窓から手を出してビニール袋に雲を詰めたと言っていた。私も同じことがしたかった。」こんな文章、好きだな。わたしもこんなことを考えがちな、夢見がちな子どもだった。
三崎:酒合宿!なんて楽しそうな! 友だちと行った沖縄旅行とか、花巻のんだくれ旅とか、職場のみんなで行った千葉の海とか、そんなだらだらあちこちで飲んだ楽しかった記憶が呼び起こされた。
丹波篠山2:おかしくて、しんみり。「ハシボソガラスとハシブトガラスを「アシボソ」「アシブト」とまちがえて覚えていて、カラスを足の太さで「あれはアシボソだ」「あれはアシブトだ」と判定していたこと。クリスマスに巨大なパチモンのスヌーピーの縫いぐるみを買ってきたこと。(略)私が急須を投げつけて、シャツの胸が茶葉まみれになったこと。私が行き詰まっていたとき、なぜだか電話をかけてきて「そんなにいつもいつもうまくいかなくたっていいじゃないか」と言ったこと。」
何か父のことを思い出してしまう。ぐっとくる。
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『たしかこのあたり、と思った一角は、丸ごと新しい大きなビルに建てかわっていた。二十年も前のことだ。きっとないだろうと覚悟してはいたが、ないとわかると何かこたえた。あの男か女かわからない人はどこに行っただろう。お爺さんかお婆さんかわからないものになって、今もどこかで元気でいるだろうか。』―『赤坂見附』
そりゃ薄々は気付いていたけれど、岸本佐知子が中島みゆきだってことに。でも中島みゆきの場合は「アザミ嬢のララバイ」があって「時代」があって「愛していると云ってくれ」があってからの深夜放送のパーソナリティだった。それでも正門前に実物の「ライフ」があるのを見て感激した世代にとってはラジオのディスクジョッキーとしての一面は大変衝撃的であったのだ。それなのに岸本佐知子の場合は「ニコルソン・ベイカー」からの「気になる部分」「ねにもつタイプ」を経て、この「死ぬまでに行きたい海」。ドタバタ喜劇を見ているつもりだったのに、いつの間にか感涙にむせぶ思いに捉われる、というのはチャップリンやロビン・ウィリアムズの映画にも用いられる古典的なやり方だけれど、岸本さんにそれをやられると、ぐっと応える。
きっと誰もが本当に体験したことなのかどうかは曖昧な、それでも原風景と本人は思っている「記憶」を持っている。その曖昧さが「おくるみ」のように記憶をやんわりと包み込み、郷愁というフレーズに仕立てて甘美なものにする。それを充分踏まえた上で、その勘違いを自虐的に、諧謔的に描きながら、ふと立ち止まった視点から哀愁を込めて、岸本佐知子は記憶を見送る。記憶とは、つまり、過去のこと。しかも、だれも立ち入れない自分だけの過去。それを惜しげもなく読者に開示し、なおかつ証拠写真まで丁寧に示し、誰もが「そう言えば似たようなことがあったなあ」と思い出に耽りそうになる位の共感を呼んで全ての人の郷愁を誘いつつ、最後はすっと幕を引く手際。さすがです。
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世界の絶景とかでなくていいんだよ、誰かに聞いたとっても美味しいお店とか、前々から気になっている場所とかで。
こんな時代だから、無目的にプラプラというのは遠慮するけど、こんな時代が過ぎ去ったら、遠慮なくでかけたいもんだ。
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昔勤めていた会社の周り。高校のときの通学路。夏休みにいつも従姉妹たちに遊んでもらった父の実家。そんな思い出の場所から、本に出てくる地名やよく使う路線にあるのに一度も降りたことのない駅など、今まで縁遠かった場所まで。時に記憶のなかを彷徨いながら続いていく、〈小さな旅〉の記録。
一番はじめに置かれた「赤坂見附」。岸本さんが翻訳者になる前に勤めていた会社の周りを当時の自分の幽霊と一緒に歩いていくのだが、これが無性に泣ける。『気になる部分』などで語られていた岸本さんのOL時代のエピソードが蘇り、最後に本屋で辞書を手に取り翻訳者になるための一歩を踏み出した瞬間の岸本さんを今の岸本さんが見つめているという構図にグッときてしまった。
取り上げられている場所の1/3くらいが小田急沿線と横浜・横須賀方面なのでだいたいの感じがわかり、余計に感情移入してしまったのかもしれない。世代が違うし読んでる漫画も違うので、岸本さんが現在の景色のなかに重ね見ている記憶の風景を実際に知っているわけじゃないんだけど。過去の岸本さんのレイヤーの上に重ねられた今の岸本さんのレイヤーの、さらに上に自分のレイヤーをそっと重ねさせてもらっているような感覚。多摩川のボート屋のところで撮った幼少期の写真がいい写真なんだよな。
いつも通り岸本さんらしいユーモアで笑えるところもたくさんあるけれど、夕暮れのなかで色褪せたアルバムをぱたぱたとめくって目を伏せながら静かに語る声を聞いているような、懐かしくひっそりと寂しい空気が全体を包んでいる。特に父方の丹波篠山の家のお話と、実家の飼い猫がいなくなり亡骸で見つかったときのお話は、やわらかい場所に触れさせてもらっているような気持ちになった。いつも幽体離脱しているかのように生身の〈私〉から一歩引いて面白がりながら書いている岸本さんが、生身の手のぬくもりを教えてくれたような、今までと違う没入感のある一冊だった。
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海は特に関係なく、今まで心に残っている場所、出来事、あるいは気になっている場所など思いつくままに書いてそれが妙に読み手に染みる。丹波篠山の子どもの父親が井戸で冷やしたキュウリを食べるシーンなど、全くの想像あるいは妄想なのぐっとくるものがあった。ちょっとしたシーンの描写力がすごい。そして、添えられている写真もユニークだ。
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断片的な記憶をまとめた一冊。記憶に残る場所を訪れ、時間を遡り、思い出したことを書く。昔のことは忘れたり、思い違いだったりするけど、懐かしさを感じる。いつから何だろうか、懐かしさを愛おしく感じるこの感覚。時の流れは残酷?で、周りは変化する。記憶のままに残っていてほしいと思う人や物も当然変わる。岸本さんの文体、とても好きになりました。
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岸本さん。岸本さんなのだけれど、これまで読んだエッセイとは違って、コツンと硬いところがあり、ちょっと意外だったけれど、それがまた素晴らしい。せつないような、怖いような、岸本さんの文章でしか味わえない感覚。何度も読み返したくなる本だった。
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ユーモアと妄想はいつもよりやや少なめだが、それでも吹き出しながら、泣きそうになりながら、岸本ワールドを進んだ。
子供時代が絡んだ話は秀逸だし、精神に異常を来してるのではと不安にさせるバリ旅行記には、人間の必死さは滑稽であり愛おしいものと気づかされる。
すべて読み終えた後、自分も子供時代の通学路へ、近いうちに1人で行ってみようと思った。
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岸本佐知子さんのエッセイは
岸本佐知子さんにしか 書けない
当たり前のことだけれど
その当たり前さの度合いが
並外れて凄い
こんなふうに 見えてしまうるのだ
こんなふうに 聞こえてしまうのだ
こんなふうに 思考が走り出すのだ
こんなふうに ズレていくのだ
その一つ一つが
類まれなる岸本佐知子流にアレンジされて
文字となって溢れ出す
ファンには
たまりません
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新年初笑いに岸本さんのエッセイをと思い、年末のうちに図書館で借りてきておいた一冊なのだが。。。
あれ、今回はこんな雰囲気でいくの!?
思い出の場所、馴染みだった場所、ときに気になっていた場所へ赴き、懐かしさや感慨にふけりつつ想いを綴るノスタルジックなエッセイ集。
1編に1~2枚づつ挿まれる写真がいい。
全て本人のスマホ撮影による素人写真とのことだが、本文と相まってめちゃくちゃ味がある画。
文章だけだとイメージが追い付かない描写に対して実物を見せつけられ、ああなるほどという思いを通り越し、その息遣い溢れる生々しい写真に否が応でも自分の似たような記憶を重ね合わせてしまい胸を鷲づかみにされる。
自分ならどこを訪れるかな?
子どもの頃、正月になると毎年家族で行っていた祖母の家の近所の駄菓子屋(従兄達と連れ立って行くのが楽しみだった)、小学校で引っ越してしまった実家近くの公園(Nちゃんとよく遊んだ)、高校の陸上部時代のグラウンドに隣接していた〇〇〇山(積極的休養と称して部員全員でよく鬼ごっこで駆けずり回った)、大学最寄りの繁華街の△△△通り(数少ない友人達とよく飲みに行った)、社会人になって初めて一人暮らしをした転職前の会社の社員寮(同期達は元気だろうか)、頭の中深くに沈んでいた一場面達が次々と浮かんできて、今どうなっているのか恐る恐る行ってみたい思いが高じてくる。
そんな中でもちょいちょい出てくる岸本節は健在で、うそでしょと思うような奇抜場面へのぬるっとした突っ込みには笑いを頂いた。
こうやって過ぎ去りし日のインパクトのある瞬間を切り取ってこんなにも鮮明に頭の中にしまっておけるってすごいなぁと思う。
このブクログを含め、少しでもしたためておこうと改めて思う今日この頃。
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すごく好きなエッセイ集。
この作家さんのエッセイは
いつも知的に、時にナンセンスに面白くて
大好きなのだけれど、本作は少し味わいがちがう。
クスッと笑いながら、時にしんとするような
深さ、不思議さに、心とらわれてしまう。
この底知れぬ不安のような、笑っていたのに
さっと不安に包まれるような感覚に
すっかり引き込まれてしまった。
きっと何度も読むと思う。
いつも手元に置いておきたいお気に入りの
一冊がまた増えた。
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翻訳家の岸本佐知子氏のエッセイ集。土地や場所にまつわるエッセイが収められている。訪れたことのない場所へ訪れて感じたことを書くタイプと思い出の土地にまつわるタイプの大きく分けて2つのタイプがある。前者はエッセイとして王道ながらも着眼点が全然人と違う。多くの人が気にも止めず覚えてもないし、ゆえに忘れられることもないだろう世界についての話をしているのがオモシロかった。世界をどれだけ微分できるかでエッセイの魅力は決まると思っていて、著者の世界の捉え方はとてもオモシロかった。そしてまさにそれを象徴するかのような文章があったので引用しておく。厨二病!と笑うのは誰でもできるが、この考え方はインターネットの大元の思想だと思うし僕がブログで日記を書いているのもこの思想に由来している。
この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトのことが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。
後者の思い出に関しては旅行の話(上海、バリ)がオモシロかった。その土地に対するイメージが著者が旅行した当時と今で全く異なっていて、ちょっとしたタイムスリップ気分を味わえる。その一方で時代は進んでいくし、今この瞬間も日々刻々と過ぎ去って2021年の空気が作られていくのだなというセンチメンタルな気持ちにもなった。それは合間合間に挟まれる著者自身がスマホで撮影した無機質で最高な写真も影響しているのかもしれない。