紙の本
パンドラの箱
2021/05/22 21:13
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投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1963年、ドイツ・フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が開廷します。これは、ドイツの司法がドイツ人を裁いた法廷であり、ドイツ人を初めてアウシュヴィッツに向き合わせた裁判とも言われます。「ドイツは歴史に向き合ってきた国」というイメージを持っていましたが、それはここ半世紀のことだったのですね。
物語の主人公は、そのフランクフルトにあるレストランを営む家族の次女エーファ。通信販売会社の御曹司である恋人との結婚を夢見る、平凡な若い女性です。商取引などでのポーランド語の通訳をしていた彼女が、好奇心と義務感からアウシュヴィッツ裁判の通訳を務めることになり、パンドラの箱が開きます。ごくごくありふれた平和な家庭だったのが、裁判が進むにつれて大きくその運命を変えていきます。
舞台やテレビの脚本も手がける(むしろそちらが本職か)筆者だからか、テンポよく場面と視点が変わるところは海外ドラマを見ているようで、とてもスリリングで緊迫感を感じます。長編ですがページを繰る手が止まりません。
この小説は、ドイツ市民が、そしてそれぞれの登場人物が、自身の過去とそこでの過ち、弱さ、心の闇に向き合う姿を描いています。国あるいは家族が犯した罪にどう向き合うべきなのか、そして赦しを得るとはどういうことなのかという、普遍的ではありながら容易ではない問いが提示されます。
紙の本
痛みに耐え、過去と向き合う
2022/06/29 19:16
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドイツは日本と異なり、ナチスドイツが犯した過ちの清算が、国民国家としてきちんとできていると言われているし、そのように思ってきた。
しかし、国民がちゃんと過去と向き合ったのは戦後15年以上過ぎてからなのだと、この本を読んで初めて知った。
フランクフルトでレストランを営む一家の娘を主人公に、1963年のアウシュビッツ裁判の改定前夜から判決後まで、過去の罪と向き合うドイツ人たちの姿を描いた物語だ。史実に基づくフィクションで、ドイツ人を初めて過去に向き合わせたという裁判の実際の流れや証言を汲む。
裁判の通訳を担うことになった主人公は、過去について知り、やがてレストランを営む自分の家族や婚約者の父親の記憶のふたを開ける。
少女の葛藤、成長ぶり、ドイツ人の中で交わされる言葉。どれもが重い。納得はできないが理解はできる。
ただ「私は知らなかった」「何もしていない」という多くのドイツ人たちの言葉は、免罪符になるのか。親世代の過ちを知った子に、その罪は償えるのか。
さまざまなことを考えさせてくれる。
そしてそれは、遠く離れたドイツに限った話ではない。
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読み応えあり、面白かったです。
2022/05/30 18:16
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投稿者:クッキーパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「戦争犯罪」の報道に触れて、暫しツン読になっていた本書を読み引っ張りだしましたが、ページを捲る手が止まらない面白さでした。ホロコースト裁判への丹念なチェックが窺われ、同時に、設定とストーリー展開は映像が浮かんでくる見事な展開です(これは非常に優れた翻訳の御陰でもあります)。事実を知ってからのエーファの苦悩と変化。一方カナダ人司法修習生ダーヴィトの役回りがこんなに重要とは意外でした。微かな希望を感じさせるエンディングも良かったと思います。2022年の戦争犯罪行為も、時間がかかったとしても、必ず裁かれることを信じたいと思います。
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ドイツの決意
2021/07/30 10:33
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投稿者:のりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナチスの愚行・蛮行を絶対許さないという決意が読み取れる小説である。偶然かかわったホロコースト裁判によりヒロインのエーファがかって故国がなにをしたのかということを自分の身の回りの人々を含めて想い、感じて行く小説だ。傑作である。
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知らないでは済まされない
2023/01/02 03:45
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ごく普通の結婚生活を望む女性が歴史的な裁判へと巻き込まれていく過程がスリリングです。今こそ若い世代が負の遺産と向き合うことを求められているのかもしれません。
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日曜の夕刻に読み始めてページを繰る手を止められず読了して時計を見たら深夜の1時だった。フランクフルトにあるレストラン「ドイツ亭」の次女エーファがアウシュビッツ裁判に関わり、強制収容所への連行や収容所での実態を知っていく。それと並行し、恋人ユルゲンとの関係と彼の秘密、両親の秘密、姉の秘密が明らかになっていく。各々が抱える過去とその葛藤、一般の人々の裁判への態度や関心、裁判で明らかにされる事実に基づいた強制収容所での殺害や拷問のシーンなどどれも真に迫ってくるが、特に第3部で裁判関係者一行がアウシュビッツを訪問するシーンは圧巻。息苦しく、哀しく、涙ぐみながら読み進めた。本書に描かれた過程を読めば21世紀の今も裁判が続き高齢で身体不自由となっている関係者でさえ訴追されていることも宜なるかなと思われよう。家族と一緒に暮らしたいと希望した父親の選択が結局家族を壊してしまった。これもまたナチスによって生じた悲劇だろう。レストランの名前が「ドイツ亭」であることにも作者のメッセージを感じる。映画「アイヒマンを追え!ナチスが最も恐れた男」をもう一度見たくなった。そして未見の「顔のないヒトラーたち」を見なければ。
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律法とは乳のようなものだから。イスラエルの民は無垢な幼子が乳をのむように貪欲に律法を求めている。
アウシュビッツの保管物件の防腐処理と保存は大変。髪の毛はダニに食われ、メガネのフレームはサビにやられてしまう。靴はカビや人間の汗に含まれていた塩分によって陳腐しいてしまう。
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ドイツ人自身によるナチスの戦争犯罪を裁いた「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(1963年12月-65.8月)」を主題に、古傷には触れたくない忌わしい記憶をもつ人々、何も知らなかったとの贖罪の意識から遠ざかる人々の凄まじい葛藤を描き、過去の過ちと真摯に向き合い克服することの大切さを謳った、ドイツ人女性作家による長編小説です。アウシュビッツから生還した証言者のポーランド語通訳を務める主人公エーファをとおして、婚約者や家族を巻き込む息詰まる非難の応酬の裏に、戦争の計り知れない罪の深さを思い知らされます。
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アウシュヴィッツの犯罪事実を裁判に訴えることで明るみに出し人々に広く知らしめた事実をうまく小説にしている.主人公エーファが通訳をすることで今まで知らなかったことを知り,また自分の過去も無関係で無かったことに衝撃を受けながらも,成長していく姿にドイツのもつ強い意志のようなものを感じた.
物語としても,エーファの恋人との関係や姉の異常な精神など,さまざまな心理描写が巧みでとても面白い.骨太の読み応えのある本だ.
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深い本だった。ナチスがやったことが明らかになる過程で大変な思いをすることになった人がいるであろうことは、かんがえて見れば当たり前だけど、これまで考えたことがなかった。そのことを知れて良かった。
一つの家族の物語として描く手法は有用と思うけど、姉のエピソードは要らなくないか?と思う。映像化向きかな。
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産経新聞2021314掲載 評者:高橋秀寿(立命館大学文学部教授,ドイツ現代史)
朝日新聞2021314掲載 評者:松永美穂(早稲田大学文学学術院教授,現代ドイツ文学,日本翻訳大賞選考委員)
朝日新聞2021417掲載 評者:藤原辰史(京都大学准教授,農業史,環境史,食の思想史etc)
読売新聞20211226掲載 評者:長田育恵(劇作家,脚本家,『流行感冒』ギャラクシー賞奨励賞etc)
日本経済新聞20221119掲載 評者:都倉俊一(文化庁長官,作曲家,東京ゴルフ倶楽部チャンピオン3回,HC3,ドイツ語)
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戦後から20年を経て開廷されたアウシュビッツ裁判。戦後すぐのニュルンベルク裁判で主だった戦争犯罪者は断罪されたものの、その後は西ドイツの経済的復興が重視される中で、ホロコーストに対する犯罪者の追及は弱まり、ホロコーストに関わった人たちもその罪を問われることなく徐々に社会的地位を回復していた。
そして、苦い歴史であるが故にドイツ国民自体がアウシュビッツで何が起きたのかについて、語る事を避けたため、ホロコーストについて知らない世代が増えつつあったのがアウシュビッツ裁判の開かれた1960年代だったという。
主人公のエーファの家族は「ドイツ亭」というレラストランを営んでいる。父がコックを務め、母は給仕をしている。
エーファはポーランド語の翻訳の仕事をしていたが、あるきっかけから裁判の検察側の通訳の仕事を受けることになった。
それは、ドイツの闇の歴史、すなわちアウシュビッツ強制収容所で収容者たちをガス室に送り込んだだけでなく、拷問をして殺害した人たちを裁くアウシュビッツ裁判の法廷だった。
主人公のエーファもその詳細を知らない若い世代の一人であり、裁判を通して認識が変わっていくとともに、自分の家族とアウシュビッツとの関わりについても気づき始める。
アウシュビッツ裁判の結末や、そこで起きた歴史的事実を描くのではなく、それはあくまでも背景としてあり、その裁判に関わった人たちに起きたであろう、「なぜ今さら」と疑問視する人々や、罪を追及する側もされる側も、それによって過去を暴かれることを恐れる人々を描いている。
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朝日新聞の読者欄で知った
アウシュヴィッツ裁判を題材にした小説
ホロコーストや戦争犯罪は関わっている人間が多すぎて、社会に組み込まれすぎて、個人が向き合うには過大な罪だと感じた
もし私が戦争犯罪に加害者として関わっていたとして、全て自責だと反省できるだろうか?
恐らくはなんで私だけ?とか上から命令されてとか、やりたくなかったけど勇気がなくてとか、正面から向き合うことは出来ないと思う。
命令した人間や組織や被害者を呪うと思う。罪を認めないと思う。
そうした人間が沢山いることにほっとするかもしれない。
でもその罪の否認によって尊厳が傷つけられる人間が確かに存在することは念頭に置きたい。
組織犯罪は良くないな。現代でもそうだ。
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ポーランド語の通訳として働いている若くて美人のエーファはひょんかことからアスシュビッツでの戦争犯罪をあつかう裁判で通訳を務めることとなる。家族はその仕事をやるべkでないという。しかし理由は語らない。アウシュビッツで何があったのかとうことはこの小説の主題ではない。過去の行為とどのように向き合い、どのように処すべきかについて個人が格闘する話である。エーファはそのような非人道的なことはするべきでなかったと思う。しかし両親はしかたなかったという立場です。この小説に厚みをもたせているのはエーファの恋人とエーファの姉およびカナダ系ユダヤ人の三人である。
姉は自分の存在意義のために、非人道的な行いを繰り返している。ユダヤ人は過去を精算するために裁判に関わっている。そして恋人は神学と親の仕事の継承の間でゆれている。
誰しもいきるためによすがが必要なのである。
その縁(よすが)を否定されても困るのである。こうやってドイツは第二次大戦とむきあっているんだなというのが印象的な小説でした。
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「何もしなかった」罪。
その時代の空気、流れに個々人が抗うのは本当に難しいことなんだと、このコロナ禍を経て思う。抗うのは難しいけれど、難しいから何もしなくていいわけではない。
そして、あの戦禍から逃れたことへの罪悪感から逃れられない人も多くいたのだろう。大きなものの中で、個としてどう生きていくかが問われる。
あの時代に生きたドイツの人で、どれだけ自分は無関係と言い切れるのだろうか。アウシュビッツに直接関わったかどうかの線引きってどこでできるのだろう。
とは言え、あの時代に生きた人すべてに責任があると言ってしまっていいものか。責任の所在を明確にすることが、同じことを繰り返さないようにするためにはやはり必要なのではないか、でも…ということをぐるぐる考えさせられた。
ひとりひとりがずっとモヤモヤを抱えて、それに辛抱しながら考え続けて生きていくことに尽きるのかな。