電子書籍
教育と政治を中心に能力主義を考える
2021/09/22 10:18
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レノボ - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代社会を考えるなら避けて通れない能力主義について、広い角度で論じた必読の一冊。
現代において成功するかどうかは、高等教育(実際には名門大学)を受けられるかにかかっていて、その競争は過酷で勝った者は自分の実力だと驕り、負けた者も自分の非を認めざるを得ず傷ついている。これが現代の能力主義だとの言説。主にアメリカの話をしているが、日本にも多分に当てはまると感じた。
政治家も能力主義社会を後押ししているとされ、大統領としての評価が高いバラク・オバマも例外では無いと批判する。
ロールズやハイエクを引き合いに出るが、どれも能力主義に歯止めをかけるには至っていないと論じる。
結論としては、労働の尊厳を取り戻すこと、共通善に基づく道徳的な議論が政治の場でなされるべきだとされる。
「共通善とは何ぞや」までの詳細はなく、それは読者や世の中で議論されるべき、というところか。
巻末の解説にある通り、能力主義と邦訳されているメリトクラシーは、功績主義の方が近いとのこと。
紙の本
どんな時も、感謝の気持ちを忘れずに
2021/08/18 15:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぱんださん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年のアメリカ政治の動き(トランプ政権の誕生)と社会問題(薬物依存による自死)を考える上で、ご自身が教えているアメリカトップの大学に通う「エリート学生」から感じたなどから論じた本かと思います。
閉ざされた家庭環境、経済的に限られた人しか通えない学校で、子供の時からあまりに過酷な受験戦争にさらされて育った人たちが、自分たちの成功は努力と勤勉の成果であり、そうではない他者に対して思いやりや感謝の気持ちを全くもてなくなっていることに原因があるのではないか?ということです。
「自己責任」「努力しないのは本人の責任」という言動は、日本でもここ20年ほどの間、嫌なくらい目に付きました。そして犯罪も増えました。
少し、考え直す時期がきているのではないか?
紙の本
能力=功績万能主義が浸透してしまったアメリカへ喝を入れる
2021/08/15 11:01
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もちお - この投稿者のレビュー一覧を見る
有力大学に子供を入れるためのコンサルタントというのがアメリカにはいる。彼らの仕事はその大学好みの功績(メリット)を作り上げる手助けをし、高額の対価を受け取るということで、すれだけでも眉を潜める話であるものの、SATのスコアもお金で買えるという点にまで迫ることで全米激怒という話からこの本は始まる。では、功績というのはアメリカ社会において、どれくらい重要か。アメリカ社会においてはほとんどすべてである。特にオバマ政権のときにこの傾向が強くなり、オバマやヒラリークリントンの発言の中でいかに賢さ(スマート)という単語が使用されているかを説明する。このメリトクラシーが浸透した結果、何が起きたかというと、金融機関の役員に対する処分の甘さに代表されるエリート層の傲慢とそれ以外の層の絶望という国民の分断であり、トランプ政権の誕生である。さらに興味深いのは、メリトクラシーの上位にいる有力大学の学生も常に競争せざるを得ないことから(これにはとんでもない授業料を奨学金で受け取るためにある程度の成績を残さないといけない面もあるかもしれないが)、自己肯定感が低く、とても幸福そうには見えないという点。これらに対する処方箋として、一定の学力以上の学生はくじ引きで入学させる、親からの寄付は入学に影響させない等が提案されており、この講義をハーバードでやることには意義があると思う。日本人から見ると、アメリカ社会を垣間見るくらいの影響かな。
紙の本
メリットクラシー
2021/10/24 08:52
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この2,30年の米国大統領の演説を注意深く分析し、論点を展開させているので米国の大まかな歴史の意味も知る上で参考になる。
本田由紀氏の解説で本書のポイントがつかめるが、この解説の中で、meritocracyの訳語、「能力主義」について注を加えている。
英語の世界ではmeritocracyは実際には「功績主義」という意味で用いられている。日本語では「能力主義」と読み替えられて通用してしまっている。「功績主義」が顕在化し、照明された結果であるのに対し「能力」は人間の中にあって「功績」を生み出す原因とみなされている。この両者が混同され、「能力」という一つの言葉があらゆる場所で説明や表現に用いられているのが、日本社会なのである。その意味で日本は「メリット専制」というより「能力専制」と言える状況にある。
能力主義というと難関有名大学卒がそれを証明するのかもしれないが、非難関有名大学卒にはそれで勝負あった感がある。一方で、成果主義が企業に普及していった時期があったが、成績の評価基準があいまいで、周りは皆ライバルという殺伐とした職場が想像されるなど、これも印象は良くない。
メリットmeritを英和辞書で調べると、長所、功績、手柄はあるが能力という用語はみえず、meritocracyはエリート支配とか実力主義社会とかである。
いずれにしろ、今一度、教育の意義、労働の尊厳などについて深い考慮がなされるべきであろう。
紙の本
泥池の蓮の葉に鎮座するだけではいけない?
2022/02/07 11:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あごおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大ベストセラーとなった「これからの正義の話をしよう」の第6章を掘り下げたような内容でしょうか。「アメリカンドリーム」の名の下に能力主義が肯定的に捉えられることに警鐘を鳴らしますが、もちろん、能力主義の弊害はアメリカだけにはとどまりません。
第2章で、能力主義の淵源がプロテスタンティズムにあるとし、マックス・ヴェーバーの「プロ倫」的な考察がなされます。また、第5章では、ハイエクに代表される「自由主義リベラリズム」と、ロールズに代表される「平等主義リベラリズム」が、能力主義的な傾向を共有している、と指摘し、この問題の根深さを浮き彫りにします。
解決策として、大学入試制度の改善、労働に対する尊厳の回復などが挙げられ、コミュニタリアンのサンデルは、当然、共通善を目指し、貢献的正義や共同体意識の醸成を図る必要性を訴えます。
機会の自由が保障された下で勝ち取られた出世は享受するに値する、という「出世のレトリック」は、結局、利己的な側面が否めない、ということでしょうか。いわば、泥池の中から、たとえ自分の努力で蓮の葉の上に這い上がったとしても、それを誇るだけでは駄目で、「泥池そのもの」の浄化まで考えるべきである、という問題提起があると思います。
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実力も運のうち能力主義は正義か?
著作者:マイケル・サンデル
発行者:早川書房
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
人種や性別、出自を問わず能力の高い者が成功を手に入れる「平等」な世界が理想とされるもこうした「能力主義」(メリトクラシー)がエリート「失敗」に未曾有の分断をもたらしている。
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冷戦崩壊後の30年程度で進んだ新自由主義・能力主義(実績主義)の極まった現代アメリカ社会の歪みと問題点を、かの有名なサンダル教授が訴えた一冊。かなり学問的だし、翻訳書ということもあって正直読みやすいとは言い難いが、トランプが大統領になった背景とか、その後も続くアメリカ社会の分断の様子が理解できる内容になっています。本文は長いし繰り返しも多いので、巻末の本田由紀さんの解説を読むのが分かりやすいしてっとり早いと思います。
能力主義(メリトクラシー)とは正確には実績(メリット)主義という意味。出自に関係なく能力(実績)があるものがその能力に応じて出世できる社会の何が悪いのか、と思いそうだが、逆にいうと出世できなかったものは純粋にダメな人間という烙印を押される訳で、それはそれで救いのない事なのかも知れない。そもそもどんなことが有能なのか、実績となるのかはその時の社会に応じて変化するし、その能力も遺伝子や出自の環境に左右される部分も大きい。その際に重要となっているのがアメリカでも大学への入学、学歴のようで、アメリカの大学も教育機関というより、学歴を身につけるためのエリート選別機関と化しているようだ。日本のように。ではどうしたらよいか。サンデル教授はとりあえず大学入学制度の改革を提案している。改革もしないよりしたほうが良いだろうが、小手先の対策では効果は少ないように感じた。アメリカを後追いをして格差が増大している日本も、社会の分断に早めに対処しなければならないと感じた。
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能力主義がもたらす格差と労働の尊厳を蝕む「値する」という考え方。
出世のレトリック、選別装置となった大学、問題点は見えていてもその解決はとても難しい。
人はとにかく承認を欲する。
つくる者と受け取る者とは、富裕層と貧困層のどちらをさしているか。雇用を創出する富裕層がつくる者と主張するリバタリアンに対して、実体経済に貢献せず莫大な棚ぼたの利益を手にしているのは富裕層なのではないかとの反論。今は後者の反論の方が腹落ちする。
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【はじめに】
『これからの「正義」の話をしよう』が十年ほど前にベストセラーになったハーバードで政治学の教鞭を取るサンデル教授が、グローバル資本主義の「能力主義」が生む弊害について論じた本。2016年のトランプ大統領の誕生やブレグジットの成立の社会的背景をこれまでとは違う視点で指摘しており、『これからの「正義」の話をしよう』や『ハーバード白熱教室』ほどではないが、日本でもそれなりに売れてベストセラーとなっている。
その内容には反対や留保を付けたがる意見も多いと思われるが、少なくとも謙虚に耳を傾けるべきものが多い。
原題は、”The Tyranny of the Meritcracy”だが、『実力も運のうち』という邦題は出色の出来だと思う。「運も実力のうち」という日本語にうまく掛けた上、本の内容・主張を端的に表現しているし、キャッチ―でもある。副題として添えられた『能力主義は正義か?』も原題の意図を汲んで、著者の主張を明確に伝えるという役割も果たしていてよいと思う。これだけ成功していると思える邦題訳も珍しいかと。
以下、少し長くなってしまったが、ざっと見ていきたい。
【概要】
■ ドナルド・トランプの勝利
トランプが2016年の大統領選を事前の想定を覆して制したとき、さらにはそれ以前にトランプが人気を集めて共和党の予備選を勝ち上がったときから、その理由を多くの人、トランプを支持した人も含めて、おそらくは理解していなかった。少なくとも自分は理解できていなかったその理由を本書は明確に示している。それについて、自分を含む多くの人びとは単に気づこうとしていなかったのかもしれないし、何かがそれを気づくことを妨げていたのかもしれない。
その理由とは巷間そう思われている経済的な不平等や貧困ではなかった。本書によれば、少なくともそれだけではないし、それが主な理由ではないという。彼らの不満の主な理由は、不平等であるがゆえに彼らがエリート層や民主党政治家に見下されていると感じたからだという。そこにあるべき「労働の尊厳」が奪われたことによる怒りがその源であった。そう指摘されると、おそらくはそうだったのだろうと納得がいった。
考えてみれば、不平等の拡大を正当化するためにしきりに持ち出された「トリクルダウン」も随分と見下した考え方である。誰もおこぼれに預かりたいわけではないし、少なくともおこぼれで生かされているなどと他人から思われたくないのは当然だろう。
この話を読んでいたとき、少しほろ苦さとともに思い起こした動画がある。当時、さすがオバマは違うといたく感心した動画だ。
”Slow Jam the News with President Obama”
https://www.youtube.com/watch?v=ziwYbVx_-qg
その年の秋に大統領選挙を控えた2016年6月、トランプの勢いがいよいよ無視できなくなっていた中で現職大統領であるオバマが有名なトークショーに登場し、定番コーナー”Slow Jam the News”で、二期に渡って務めた大統領としての成果をバンドの音に乗せて歌い上げている。このとき、オバマも数か月後にヒラリーがトランプに負けるなどとは思っていなかっただろう。気候変動対策、オバマケア、同性婚、キューバ、イラン核���意、TPPなど ―― いずれも歌の中でその名前を挙げることで笑いが起きたトランプによって後にズタボロにされた政策が並ぶ。トランプ支持者は、それがオバマ政権が推し進めた政策だからというだけではないだろうが、喝采を送ってトランプを称えた(ように思われた)。
今見返すと、この動画には民主党やエリート層が持っていた驕りの態度というものが詰まっている。オバマはたくさんの仕事を作ってきた、と胸を張り、”He put us back to ... work, work, work, work, work♪”と歌う。しかし、トランプを支持していた人びとが求めていたのは単なる仕事ではなく棄損されてきた「労働の尊厳」だったことをわかっていなかった。民主党に必要なことは、Netflixのドラマをもじって”Orange Is NOT the New Black”などとオバマがうまいことを言うことではなかった(オレンジはトランプのイメージカラー)。オバマやヒラリーなど民主党員や支持者の態度は既存の支持者をさらに惹きつけることはしたが、彼らに反する人びとからはさらなる反発を招くだけだった。そのアピールは結局は投票行動を変えることなく、その分断をますます深くするだけだった。彼らは、与えた成果を誇るのではなく、謙虚になって感謝を口にするべきだったのに。そして、そのことを誰もわかっていなかったのが大きな問題だったのだ。そういったことが本書では事例を挙げて繰り返し説明される。その原因が原書のタイトルにもなっている「能力主義の専制」であることが説明される。
■ 能力主義の専制 (The Tyranny of the Meritocracy)
主流の政党や政治家を含めて、いわゆる成功を勝ち得た人びとは、自分たちの側にはいない人びとの不満が何であるかに気が付かなかった。経済的不平等があることは認めつつ、それを克服するための機会はこのアメリカでは誰しもに平等に開かれており、その気があれば誰でも同じ立場になることができるのですよ、と言うことでよしとしていた。その能力主義のテーゼである出世と責任のレトリックは、能力主義社会における成功者が必然的に持つことになる観点とマッチし、成功に手が届いていない人に対してではなく、自らに対して非常に心地よい言葉であったために、そのことに疑問を差し挟むことができなかったのだと次のように指摘する。
「「懸命に働き、ルールを守って行動する人びとは、その才能が許すかぎり出世できなければならない」。能力主義エリートはこのスローガンを唱えることにすっかり慣れてしまったので、それが人を鼓舞する力を失いつつあることに気づかなかった。グローバリゼーションの恩恵を分かち合えない人びとの怒りの高まりにも鈍感で、不満の空気を見逃してしまった。ポピュリストによる反発は彼らを驚かせた。能力主義エリートは、自らが提唱する能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかったのだ」
それが、トランプが選挙を制することを許した理由だった。なぜなら、成功者はあまりにもそれが自分にとって当たり前であるがゆえに違う考え方があるということに気が付かなかったからだ、という指摘だ。さらに踏み込んで言えば、それに気付きたくなかったのだ。
「不平等な社会で頂点に立つ人びとは、自分の成功は道徳的に正当なものだと思い込みたがる。能力主義の社会において、これは次のことを意味する。つまり、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ち取ったと信じなければならないということだ」
成功者は能力社会の正当性を心から信じるあまり、反対側から見ると自分たちの主張がどのように見えるのかを考える想像力が欠けていた。想像することの必要性を感じることができず、想像するという発想すら妨げられていたのだ。サンデルの次の指摘はおそらく正しいと思う。自分は納得した。
「底辺から浮かび上がれなかったり、沈まないようもがいている人びとにとって、出世のレトリックは将来を約束するどころか自分たちをあざ笑うものだったのだ。トランプに一票を投じた人たちには、ヒラリー・クリントンの能力主義の呪文がそんなふうに聞こえたのかもしれない。彼らにとって、出世のレトリックは激励というより侮辱だった」
この行き過ぎた能力主義の弊害の指摘がこの本の主題である。サンデルは、この「能力主義(Meritocracy)」という言葉を初めて使ったともいわれているマイケル・ヤングが能力社会をディストピアとして描いた1958年の先見性のある風刺小説「The Rise Of The Meritocracy」の紹介や、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘した神の恩寵の変質、ハイエクとロールズという対極的な主張を持つ思想家の能力主義に対する意外な共通性の分析、などを通して能力主義の課題をしつこくあぶり出していく。
■ 大学受験競争の過熱と「くじ引き」の意義
そのような能力社会において、教育の重要性を強調することは、能力主義の正当性を支える上での肝になっている。貧困家庭の学費無償化や奨学金の強化は、経済的な理由で大学進学をあきらめるようなことがないようにという正しそうに見える理由から、機会の平等性を担保することで逆に成功者自らの現在の状況を平等な競争と努力の結果であると正当化することに貢献している。
実態としては、裕福な家庭の子息は受験競争において大いに優位に立っている。この本によると、アイビーリーグの学生の2/3あまりが所得規模で上位20%の家庭の出身であり、プリンストン大学とイェール大学にいたっては、国全体の上位1%出身の学生の方が、下位60%出身の学生よりも多い状況であるという。つまり、個々人の努力以前にどういう家庭に生まれたかということが、上位校に行くことができるかどうかを大きく左右しているのだ。しかしながら、成功者はその「幸運」を簡単に忘れてしまう。
貧困家庭から出てイェール大学を卒業して成功をつかんだ『ヒルビリー・エレジー』の著者とその物語は、貧困と尊厳の喪失に喘ぐ人びとの希望などではなく、言い訳を封じてしまう忌むべき存在であるのかもしれない。
個人的には、アメリカの受験戦争がいまや日本よりも激しくなっているということに驚いた。「いまや学歴授与機能が肥大化し、教育機能を圧倒しているのだ。選別と競争が、教育と学習を押しのけてしまっている」とのサンデルの指摘は、過去の日本と同じだ(今はずいぶんとマシになっているように感じるが)。昔は、日本の大学は入るのは難しく出るのは易しいので、大学がレジャーランドになるとして批判され、一方でアメリカの大学は入るのは易しいが、出るのは難しいので皆必死で勉強すると持���上げられていたのだが。韓国や中国でも受験競争は熾烈を極めるとも聞くが、よい大学が出世のための切符だといったん認識されると、その社会や文化の違いに関わらず同じ状況に収斂するものなのかもしれない。大学の学位、特に上位校のそれは、規律に従って受験を通りぬけることができる能力を有している「シグナル」として機能しており、採用する企業側がその人の能力を評価する手軽で効率的な指標のひとつとなっているのだ。長らく維持されていた大企業での終身雇用の神話が崩れて、東大や京大に行っても成功するとは限らないよ、という必ずしも妥当かどうかはわからない認識が広まりつつある日本は逆に受験競争の熾烈さは緩和されているのかもしれない。
本書は、アメリカで起きた大規模で組織的な大学入試の不正問題から始められている。その事件が能力主義がいかに社会に根深く浸み込んでいるかを示しているからである。サンデルはあるべき大学教育と過熱する受験競争について詳しく持論述べるのだが、それは彼が教育を能力主義へ対抗する際に、アプローチすべき重要な標的のひとつであると認識しているからだろう。
サンデルは大学入試について次のことを提案する。
1. SATへの依存を減らす
2. レガシー出願者、スポーツ選手、寄付者の子どもなどの優遇をやめる
3. 一定の基準を満たした層でのくじ引きの採用
なるほど、1.や2.は、SATが共通試験に当たるとすれば、東京大学が堅持していた入学試験方針ではある(どうやら2016年から推薦入試を始めたらしいが)。ただ、よい問題が多いとの評価もある二次試験一発勝負は能力主義と成功者の驕りをさらに高めるようにも思うが。サンデルは、よほど2.の弊害が大きいと感じているのだろう。
3.のくじ引きの採用については、おそらく実際に行おうとすると能力主義や平等の観点から大きな反発が想定される。しかし、自分としてはサンデルの意見におそらく賛成である。また、もう少し踏み込んで考えると、能力主義による選抜は大学入試以外の様々な場面で行われているのであるから、受験以外の場面でも採用されてもよい制度ではないかとも思う。例えば、裁判員が抽選で選ばれるのであるから、議員の選出の過程の一部に抽選を取り入れてもよかろう。議員の多様性の確保にもそれは貢献するだろうし、民主主義的概念を絶対的価値と信ずるなら、それにも適うだろう。
くじ引きという仕組みを取り入れることに違和感と嫌悪感を覚えるとすると、それはもしかしたら能力主義の専制の罠にはまっている証拠なのかもしれない。もし、能力主義が必然的に次のような弊害を生み(そうであるように思われる)、また同時に社会から取り除くことが不可能であるのであれば、その課題を解消するためのくじ引きという「仕組み」の導入はもっと真剣に検討されてもよいように思われる。そこには新たな道徳の起源となるものがあるようにも思われるのである。
「頂点に登り詰める人の場合、不安をかき立て、疲れ切ってしまうほどの完璧主義に導き、脆い自己評価を能力主義的なおごりによってどうにかごまかすよう仕向ける。置き去りにされた人には、自信を失わせ、屈辱さえ感じさせるほどの敗北感を植えつける。
これら二つの専制には、共通の道徳的起���がある ―― われわれは自分の運命に個人として全責任を負うという普遍の能力主義的信念だ」
くじ引きは自分の運命は自分の責任だという信念を壊してくれるだろう。そして、日本ではすでに国立小学校の受験においてくじ引きが制度として採用されていることと(目的は若干違っているが、一部の効果は同じものがあると思われる)、柄谷光人という人がNAMという団体で代表者をくじ引きで決定するという試みを行っていたことをサンデルさんには伝えたい。
■ 共通善 (Common Good)について
本書で、”Common Good”を「共通善」という聞き慣れない言葉に訳しているが、「公益」とした方が分かりやすいのではないだろうか。「共通善」とすることで、何らかのこれまでにはない新しい概念であるかのように誤解させ、理解を妨げてしまったのではないか。サンデルはここでそれほど難しいことを言っているわけでも新しいことを言っているわけでもないように思われる。「公益」というより一般的であろう訳語を当てていれば、もっと最後の提言や理念を語ったパートが理解されやすくなったのではないか。
一方、インターネット上のブリタニカ国際大百科辞典で試しに「共通善」を引いてみると、次のように説明されている。
「共同体の成員によって達成すべく合意された普遍的価値ないしは集合的目標をさすが,しばしば支配の正統性の根拠とされる政治思想史上の概念である。中世キリスト教世界では,カトリック信仰の確立とキリスト教的諸価値に基づく社会の安寧が共通善とみなされ,それに合致するかどうかの解釈権は教会のものであった。近代になると,中世的世界観の解体と自由な個人の出現によって,共通善の解釈に新たな問題が生じる。すなわち,それが政治社会全体の利益なのか社会の成員一人一人の利益の総体なのかという議論である。それは,同意を正統性や政治的服従の根拠とする解釈から共通善をへだてる議論でもある。ルソーによる一般意志と全体意志の区別は有名であるが,それはカントや功利主義者の議論を経て,今日においても政治哲学上の大きな論点である」
これを読むと単に「公益」と訳すのもサンデルが伝えようとする大きな何かを落としてしまうような気がする。訳者も悩んだ点だったのだと理解した上で最後の章は読み進めるべきなのだろう。
「だが、共通善に到達する唯一の手段が、われわれの政治共同体にふさわしい目的と目標をめぐる仲間の市民との熟議だとすれば、民主主義は共同生活の性格と無縁であるはずがない。完璧な平等が必要というわけではない。それでも、多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要だ。なぜなら、それが互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法だからだ。また、共通善を尊重することを知る方法でもある」
上記の指摘を読むと、大学受験の仕組みへの提言とされたくじ引きの多様な社会システムへの導入が、何だか「共通善」の実現の鍵になりうるのではないかとも思える。何となれば、サンデルが主張する「共通善」実現への必要条件とすら思えてくる。神の恩寵がかつていた場所に、代わりにくじ引きの恩寵がその場所を見つけるのである。それは極論なのであろうか。
本書は、次��ような成功者への呼びかけで終わっている。
「いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか?その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ」
【所感】
すでに言いたいことはここまでに書いてしまっているような気がする。
この本の受け止め方は、読む側が分断線のどちら側にいると考えているのかで大きく違ってくるだろう。サンデル自身は、この本のメッセージを分断線よりも上にいるエリート層に向けて発している。何しろ自身がハーバード大学の教授であり、いつも授業で話しかけているのはエリート層にいるであろうハーバード大学の学生なのだ。このことは、報道ステーションが行ったサンデルへのインタビューの中で明確にコメントしている。
https://www.youtube.com/watch?v=N-HrFRnATTE
(17:55 「そうですね 私のメッセージは 主にエリートや政治家に向けられたものです」 マイケル・サンデル)
ただ、どちらの立場にいようともサンデルがここで指摘する内容は現在のグローバル資本主義社会において非常に重要な指摘だということは言えると思う。
「能力主義の倫理は、勝者のあいだにはおごりを、敗者のあいだには屈辱と怒りを生み出す」ということが必然であるならば、何らかの対応が必要な時期に来ていると思われる。そして、サンデルのその指摘をまず第一に受け止めるべきであるのは、成功を味わっている層なのだ。大学受験競争過熱への対策として提案されたくじ引きの受験に限定しない社会システムへの何らかの導入は試みられてよいのではと思った。それには、本書で論じられた内容や倫理的感覚が広く受け入れらることが必要ではあると思うが。
同じような主張を繰り返す、というサンデルさんのいつもの癖が出ていて長くなってしまうというところはあるが(大事なことなので繰り返し言ってます、ということなのだろう)、多くの気づきを得られた本であった。
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『ヒルビリー・エレジー』(J.D.ヴァンス)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4334039790
『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(マイケル・サンデル)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152091312
『完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-』
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4779504767
『それをお金で買いますか――市場主義の限界』
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/415209284X
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翻訳者が語られている中身を理解していなければ、読者は不安になる。中身がすっと入ってこなくなる。
学歴による社会の分断が起きている。労働者の政党が今や高学歴者の政党になっており、それが米英仏と異なる国で同時期に起きた。
能力主義は、貴族主義が社会的地位が偶然によるものでその個人の能力に応じたものではないのと違い、社会的地位がその個人の能力に応じたものであると考えさせるもので、社会的地位が高い者にはおごりを、低い者には惨めさを抱かせる。これが社会に深い分断を生み出している。
ハイエクは経済的報酬はあくまで価値に過ぎず、功績すなわち道徳的な手柄を反映しているという考え方を拒否していた。これは再分配を否定する論拠だが、ロールズは同じ論拠を再分配への論拠としていた。
運の平等主義は救貧法の復活で、無責任とレッテルを貼った人には援助せず、生まれつき劣っているとレッテルを貼った人には屈辱的な援助を提供するものであるとするアンダーソンの主張。
社会的流動性を保つ選別装置としての大学も逆に格差固定化の役割を果たしてしまっていた。能力の専制により学生の魂が削り取られてしまっているので、むしろ入試の選抜プロセスにくじ引きを取り入れるよう提言。
いかに労働に尊厳を取り戻すか、これが重要だな。
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アメリカの大学は入るのは簡単で卒業ぐ難しいなどと言われているが、今はそんな事はなく。
また、日本の東大生の親は年収1000万超えが多い。などと批判されているが、入試の結果と親の年収は相関関係があるのは、どの国も同じなのかもしれない。
学歴も自分の努力した結果の成果として肯定的に捉えられるのが、生まれた環境(=親の経済環境)により、出発点や下駄をはかしてもらっている。更にはブローカー的な人に大金を払い裏口入学する事件などから、結局能力主義とは言え、本当の意味での能力主義では無いと言いたいのだろう。
大学卒か?その大学は名門校か?と言うだけの評価基準になっている現在の能力主義は間違っている
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何て面白い! 今まで不可解だったトランプ支持者の考えが多少理解できた。平等と正義の象徴のようなオバマが実は能力主義、「出世のレトリック」(努力すれば報われる)、「責任のレトリック」(努力しない者は報われる資格がない これはアメリカ人自身が「世界の中で特別な国であり、努力する者は誰でも成功する」というアメリカンドリーム信じていることに付け込んているという意味で罪深いレトリックなのだ。
1991年のブッシュ政権以降の政策で真の機会の平等のためにターゲットになったのが教育だった。教育がグローバル社会で競争できる人材を育てると信じて疑わなかった。ビル・クリントンは大学の学位を持たない労働者は仕事を見つけるのに苦労するだろうと主張した。これらの経緯が容認されている最後の偏見である学歴偏重主義を生んでいたのだ。
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オーディオブックで読了。アメリカンドリームの虚構は「やりたいことを仕事にする」と似てるのかなぁとふと思ったり。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12704217578.html
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本田氏の解説にあるように能力を功績と読み替えて読んだ方がもっと分かりやすいような気がした。能力には潜在的な意味の方が強いような気がするので。
訳はともかく、メリトクラシーの問題についてうなずけることが多い。オバマ大統領がスマートという言葉を何回使ったかなど、細かい指摘もあり、色々な角度からアプローチしている。ついついこういう問題は経済問題に向かうような気がしていたが、正義や人間の尊厳の問題にむかっていて、さすがだと思った。