紙の本
令和になってから、悲惨な事故、事件が多いような気がする
2021/12/02 22:57
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
令和に年号が変わってから起きた陰惨の事件について扱われている。通り魔が小学生らを刺殺した「川崎殺傷事件」、「元農林水産省事務次官長男殺害事件」、「京都アニメーション放火殺傷事件」、そしてあの上級国民という言葉がネットを中心にとびかった「東池袋自動車暴走死傷事故」(厳密にいうと年号はまだ平成だった)。事務次官が息子を殺害した事件について、私は昔、同じような事件があって映像化もされていたよなと思い出してしまった、あの時は、妻が夫に「あの子を返して」と言ったということを覚えている(それが実際のことなのか、映像のことなのかまでは知らない)。はっきりといえることは、そんな育て方をしたから、ああなったんだというように加害者や加害者の家族を断罪すべきではないということ、育て方なんて鉄則があるわけではないと私は思う
紙の本
日本の「自助」についても考えさせられる
2021/08/21 23:23
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投稿者:なつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでよかったです。
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磯部涼さんの渾身のルポルタージュ、力作。いろいろあるが、第四章 元農林水産省事務次官長男殺害事件裁判
は涙を禁じ得ない。令和元年前後の事件を取り上げているがその後も苛烈な事件は連綿と発生し続けており
まだ令和3年なのかと思うと我を失う。
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磯部さんの筆力によってグイグイ引き込まれ一気に読みきった。
内容はハードであるのに対し、読み心地のよさは音楽評論家としてのバックボーンからくる構成力によるところが大きいのだろうか
読んでいて、自然に理解できる価値観もあれば令和の時代からすると旧時代的と自分でもわかってはいるが納得できない物の見方もあり、揺さぶられ、考えさせられた
これからも作家買いしたいと思わせるのに十分な一冊でした
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全体的の印象だが、うわっ滑りというか煽るような自分の文章に酔っているような書き方で、内容と関係ない部分で不快だった。いつの時代にも様々な問題は存在するもので、それを改元というタイミングやテロという切り口で論じることは書き手の自由だが、世の中の不満の膿の貯まり方が加速しているような言説は、ネット社会で誰でもが匿名で躊躇なく毒を撒き散らすからに他ならない。ノンフィクション作家は敢えて発信しない大勢の声なき声も含めてもっと事件細部を徹底的に取材し、問題の本質を読者に提示し、かつ自分の考える対策や考察を論じるべきだ。残念ながらノンフィクション作品としてのレベルはかなり低い。
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読んでいてしんどくなってきた。いつの時代にも陰惨な事件は起こるものだと思うし、時代の影響は受けるものだとは思う。令和の時代はこういう事件を生む背景を持っているというのがしんどい。元年の次の2年、3年はずっとコロナだし、何かロクでもない時代のスタートだなぁ。
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令和に起きた事件。だけど、根っこの部分は平成や昭和から地続きの問題であること。高齢化、引きこもり、格差社会、ネット上でのやりとり…。
いつか問題になると、誰もがどこかで聞いてきたはずなのに、問題の当事者であるという意識は低い。だから、軽率に非難する。
犯人を庇うわけではないけれど、介入する余地がなかったのかと考える。みんなが救われる世界線だってあったはずだと考える。
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いつの時代にでも
陰惨な事件は起きている
ただ
その「事件」「事故」が
どのように社会的に位置づけられるかは
その時代に大きく影響されている
本書では
川崎での20人殺傷事件
元農林水産省事務次官の長男殺害事件
京都アニメーションの放火殺人事件
東池袋自動車暴走死傷事故
の四件を
実に丁寧に取材し丁寧に思考しながら
綴られた記録である
どんな事件・事故でも
その当座は大きく報道される
しかし、
検証、考察となると
そこから位置的にも、心理的にも
離れていしまうと
ほとんど振り返ることもなく
日常の意識からは遠ざかってしまう
それだけに
本書が世に出された意義は
大きいと思う
どんな事件・事故も
その時代に生きている我々と
無関係では無い
そんな当たり前のことを
思い出させてもらえる
一書である
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やっぱり磯部涼さんの作品は好きだなと思った
自分の価値観や正義のようなものを押し込むことなくそのまま書かれている
筆者視点でのストーリー?もあって良かった
内容もすごかった、
その事件たちについてちゃんと調べてからもう一度読み直したい
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1つの事件について深掘りされた本ではないが、社会全体の問題として大きく捉える視点で書かれている。背景となる平成という時代を考察する上で興味深い一冊だった。
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特殊な人の特殊な出来事と感じるか、自分にでも起こり得るかもしれない、社会の問題として捉えるか。社内の責任という見方を学んだ
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以下、引用
●ポピュリストたちが隆一に投げつけた「一人で死ね」なる言葉は、遺族の怒りを代弁しているつもりだったのだろう。しかしそこには、7040/8050問題をはじめとする社会的背景から隆一を引き剥がし 、個人に問題を抱え込ませ、彼をもともといた深く暗い穴の底にもう一度突き落とすかのようなー事件を社会的なものとして受け止めてなるものかというような強い意志が 感じられた。更にその言葉はまた別の男の背中を押し、もうひとつの殺人事件を起こすことになるのだ。男とは、元農林水産省事務次官=熊澤英昭である。あるいは彼こそが、誰よりも真剣に岩崎隆一の事件を”テロリズム”として受け止め、営業されたのかもしれない。悪意は伝染していく。
●あるいはそこでも被害者=熊澤英一郎と、川崎殺傷事件の容疑者=岩崎隆一とが重ねられてはいないだろうか。つまり、犯人が意図を説明することも罪を裁かれることもなく死んだ、川崎殺傷事件に対する世間の行き場のない感情が、熊澤英昭の殺人によって発散されたのだ。英昭に同情や共感、尊敬の声が寄せられるのに対して、英一郎は被害者であるにも拘わらず批判や揶揄の対象となっている。 マスメディアでは直接的な言い回しは避けられるものの、両親の資産に頼りながら彼らに暴力を振るっていたことが繰り返し報道され、それが「熊澤(英昭)氏を責められない」 という印象を強化する。
● 英一郎はエリート街道から外れてしまった自身の男性性の欠如を埋めるものとして、英昭に”強い父性” というイメージを求めたのではないか。もしくは周囲も英昭をそう見る中で、相互補完的に妻には”悪い母性”というイメージが着せられてしまったようなところがあったのではないか。そして英明自身も”強い父性”というイメージに押し潰されるように最終手段として子殺しを選び取ってしまう。
●京都アニメーション放火殺傷事件は実際にテロに応用されたのだ。これを受けて政府は、ガソリンを容器で販売する際には身分証明書の確認を徹底する事などの規制強化を決定する。
●青葉は昭和53年生まれ、加藤は昭和57年生まれで、共に就職氷河期世代にあたる。後者の事件と前者の事件との間には約10年の時差があり、その期間における青葉の経歴を検証すると、同時代の政治や労働運動が救うことができなかった人間の姿が浮かび上がってくるだろう。もしくは同じく改元直後に起きた川崎殺傷事件の犯人・岩崎隆一と、元農林水産省事務次官による家庭内殺人事件の被害者・熊澤英一郎も共に一般的な働き方からドロップアウトしてしまった人物だが、昭和50年生まれでやはり就職氷河期世代にわたる後者に対して 、前者は昭和42年生まれと世代がずれている。一方で、岩崎隆一が引きこもり始めたのは平成10年前後とみられ、就職氷河期と時期が被っているという意味では以上4つの事件は同時代性を持っている。
●確かに数々のエピソードから伝わってくるのは、英一郎はどうしようもない面を持つ人間だったということだ。しかし彼のそのどうしようもなさは、菊池の見解によればアスペルガー症候群と密接な関係があった。また事件の要因となったのは、英昭が様々な試行錯誤をしながらも最終的に問題を家庭の中で抱え込んでしまったことだ。それならばやるべきなのは、熊澤家の事件を、横田が書くように「この家庭の「悲劇」」「「家庭」だけの問題」としてではなく、「現在の社会そのものから必然的に生じた事件」として捉えること―彼らを包んでいた分厚い繭を切り開き、社会の側へ折り返すことだろう。あるいは前日のような子殺しにおいて、加害者がむしろ同情を集め、被害者が二の次にされてきた歴史を踏まえるのならば、熊澤英一郎という一人の人間についても思いを馳せるべきだ。繰り返しになるが、ツイートを始め彼が残した言葉から浮かび上がってくる人物像はどうしようもない。そしてそのどうしようもなさについて考えなくてはならない。(中略)裁判で取り上げられた「僕の44年の人生は何だったんんだ」という発言や「#子供の頃怖かったもの。成績が悪いと大切な玩具を叩き壊す愚母。エルガイム MKーⅡのプラモためらいも無く壊された、あのショックは30年以上経っても忘れられない…。私の性格がゆがんだ原因の1つですよ…」というツイートからは、テロリストの原点である孤独な少年の実存をはっきりと感じることが出来る。。ちゃんと生きたかったという叫びを聞くことができる。そこに耳を傾けなければいけない。
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事件に重ねて世相を語る文章は時に牽強付会となりがちであまり好きではないのだが、本書は8050問題や氷河期世代の問題と令和元年に起こった事件を重ねながらも、個別の事件の背景をきちんと読み取っていて、雑に世相をまとめていないところが好感を持てた。
特に元農林事務次官長男殺害事件は裁判の様子まで追跡して、加害者擁護となりがちだった世論に対してどうしても抗わないといけない部分にかなりの確度で迫っており、読みながら力が入った。
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ここで取り上げられる被害者も加害者も
今の日本の精神面での病理をよく捉えている
と感じた
特にアスペルガー症候群や グレーゾーンの人たちや 気質を抱えた人たち
今や誰もが皆 こうした精神的な弱者を自認している
今や自分勝手な者も 怠け者やものぐさ者も 障害の一括りだ
特に人口の少なくなる50代から10代の人達だ
そして70代以上の日本の人口のボリュームゾーンである団塊の世代を中心とした老人は自分の衰えを認識できず上級国民か、一般国民か、それ以下なのかによって犯罪者になるか、ならないかも区分されている点を指摘されている
老人達は人口が減る日本国民に堂々と養われている
事故を引き起こし子供達が亡くなっても責任を感じる言葉も言えず遺族の気持ちを平然と逆撫でする老人の運転手もいる
令和に元号が変わり4年目に入っている
コロナ禍での社会変化も3年目だ
この、コロナ禍が始まる前の年に発生した重大事件として
川崎市登戸駅前でのカリタス学校児童の無差別殺人事件
元農林省事務次官が引きこもりの長男を刺殺した殺人事件
京都アニメーション放火大量殺人事件
そして、まとめとして 池袋での元官僚の高齢者運転手による自動車事故
つい最近、無罪判決が出たばかりだ
著者の指摘による社会構造の繭に守られていたという指摘はまさに証明されたかのようだ
これらの事件、事故は社会構造から発生するテロリズムと著者は表現した
コロナ禍で人のふれあいを断絶された社会
併せてTwitterなどのSNSの大量使用
毎日 テレビで流れる戦争での死体をボカシただけの悲惨な映像
ゲームの中でも 武器で攻撃しまくり 殺しまくるゲームでは殺しまくった方が正義だ
コロナ禍により 人に揉まれて仕事を身に付ける新卒社員さえいない
その人達が既に、会社の中では先輩になってしまった
このような実生活の中で、社会が変わらないはずもない
社会や人が狂ったと表現されたとしても、令和以前と比較すれば当たり前なのかもしれない
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特に印象に残った事件は元農林水産省事務次官長男殺害事件について。
この本の帯に書かれている「悪意は伝染していく」という言葉が最も重なった事件だと思った。
この事件は細かい事はわからなくて、当時ネットニュースでなんとなく見た程度。
オンラインゲームのドラクエをずっとプレイしていた引きこもりの男が親に殺され、そのゲーム内の止まってしまったキャラにザオラルをかけ続ける遊びが行われてるというは見た記憶がある。
社会的に人とのコミュニケーションを取る事が困難になった人達がこの本に書かれている事件を起こしている。
正直、近所にそういう人がいたら絶対に関わらないように自分も過ごすだろう。
事件を起こした人達の背景にあった事実が見えて来て、社会が彼らにしてあげられた事は何だったのだろうかとモヤモヤする。
いや、彼らというよりは彼らの親達だろうか。
何かこう、こうした事件というのは容疑者の幼少期まで遡るとそこに何かしらの要因を感じる事が多い。
川崎殺傷事件の犯人、岩崎隆一に対して世間が投げつけた「1人で死ね」という言葉。
熊澤英昭が息子英一郎を殺害した事でそれを実行した。
果たしてそれは親の責任だったのか、どうするのが正しかったのかは最後まで分からなかった。
令和に起きた凶悪な事件を元に、色々と考えさせられた本だった。