紙の本
1979年~
2021/04/17 19:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろまさ - この投稿者のレビュー一覧を見る
増山さんの作品は忘れかけた史実を大切なこととして、書いてくれます。1979年、世の中がアナログのからデジタルへ変化して行く時間でした。誰が今の時代を予想したことでしょうか?明るくなるからでも闇はなくならない。そうでしたよわね。浮浪者を排除しようと社会は変わったんでしょうか?純真な木戸警官からの目線に心打たれました。読書のあと余韻を残す増山さんの作品ファンです。次の作品も期待してます。
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とても素晴らしい作品に出会えたことに感謝します。河原町のジュリー実在した人とはびっくりです。1970年代の後半の出来事に懐かしさを感じながら読んでしまいました。特に映画の話では、共感できました。
木戸警官の子供時代の悲惨なエピソードではありましたが、思わず頑張れと思ってしまいました。
ジュリーの戦争体験は悲惨な出来事でしたが今だからこそ読んで欲しいです。
ぜひ令和の時代に今、ぜひこの最高傑作を読んで感動して下さい。涙して下さい。
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河原町のジュリーが、なぜ河原町にやってきたのか?最後の章でその謎が解けて、しっくりきたのと同時に、そんな過去があったんだと胸が痛んだ。
途中、この下りいるのか?ってちょっと飛ばし気味に読んでいたのが、ちゃんと全部繋がっていて面白かった!
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かつて京都に住んでいた「河原町のジュリー」と呼ばれたホームレス。
街に暮らし、街で死んでいった一人の男。
知り合いではない、でも知らない人ではない。
その人のことを何も知らない、でも知っていることもある。
街の巡査と中学生。ジュリーの思い出。
人生のとある一時期に出会った、そんな人が誰にでも一人くらいはいるだろう。
忘れてしまったその人の、忘れられない思い出。
いつまでも心のどこかにいたんだと、時々ふと浮かぶ一瞬。
そんな人のことを、私もふと思い出した。
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1970年代後半。
その頃京都河原町にいた伝説のホームレス、ジュリー。
私は大人になって大阪に住み始めたので、京都河原町を散策したりするようになったのはその頃からで、私が生まれた頃の京都については全く知らなかった。
都市伝説のように語られる河原町のジュリーをこの小説で初めて知った。
日本史を遡ってもあれだけの有名人を生み出している京都で名を残している河原町のジュリーはなかなかの人物であると思う。
近づくと怖くもあり、無下には出来ない…どこか神様のような存在になっていたのかなぁ。
この小説もジュリーの言葉はなく、京都河原町の人々の人生を見つめることによりその中で登場するジュリーの全貌が見えてくる。
今も新京極辺りはどこかノスタルジックなところがある。だけど、京都で40年あまりを昔とは言えないんだろうなぁ。
「あ、誓願寺も訪れたことあるなぁ〜この辺りたくさん歩いたなぁ〜」と、京都散策出来ない昨今、著者の鋭い風景描写に心が潤う。
河原町のジュリーを追っていると普通って何だろうと思う。もしかしたら誰かが助け家の中に迎えることも出来ただろう。
しかしホームレスがジュリー自身の選んだ道であり、生き方だったんだろう。
この小説のように激動の時代を乗り越えて絶望を味わった末に選択したことかも知れない。それはジュリーにしか分からないことなのだ。
そんな彼が、私が生まれた頃の時代に生きて彼独特の人生を送っていたことを心に刻む。
早く京都散策ができる日が来ることを願いつつ。
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この小説の発想は何処から浮かんできたのか不思議に思いました。
河原町のジュリー、実在していたんですね。
昭和を懐かしく感じました。
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1970年台後半から80年代にかけて、京都で過ごした人にとって多かれ少なかれ「河原町のジュリー」を知らない人はいないだろう。実在した人物、今で言うホームレスの「河原町のジュリー」をモチーフにしながら、当時の京都の中心街、河原町、新京極、三条通、四条通の街を細かく描く。
私にとっても青春の1ページとも言える街の風景である。細かく描かれた当時の街の様子は、今の京都との大きく違うことを実感する。まさに昭和の京都である。この小説を若い年代の人たちはこの小説を読むとどのような感想を持つのだろう。
メインの舞台は、終戦から34年後が設定されている。この時、新米警官であった主人公が「今から34年後、日本はどうなってると思う?」と聞かれるシーンがある。つまり、2013年である。「何も浮かばない」と主人公は思うが、まさに当時の私でも30年以上先の未来は思いも寄らない世界だった。しかし、ふと気がつけば、そんな34年もあっという間に過ぎてしまっていて、当時とすれば未知の世界に到達している。当時、終戦から34年後であり、「もはや戦後ではない」と戦争とはかけ離れた時代だと感じてはいた。しかし、現在から30年以上前の当時を振り返れば、驚くほど「最近」のような感じがする。
時の経過とはこんなものなのだろう。
この作品でも主人公のその後ーー現在ーーも描いている。同年代の私にとっては郷愁を覚える作品で、それを単なる「懐かしさ」だけの「お話」で終わらせず、小説として昇華さている。
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初めて読む作家さんですが、期待以上に面白かったし切なかった。
京都のジュリーと呼ばれた男はなぜ京都に住み着いていつ来たのか。
疑問を書きながら他の人の語り手でその人たちの生い立ちや気持ちも描かれている。
暗い話ばかりじゃなくてその時代に流行ったものなどが出てきて面白い。その時代を知らない私でも読んでいて楽しかった。
そして最後の章で全ての謎が明らかになる。
戦争とは人を変えてしまう。それは当たり前のことではないだろうか。
さっきまで話していた相手が爆弾1つでなくなってしまう。
ジュリーが戦争のときに出会ったSが彼の命の恩人で彼が奉公に行った先が京都の映画館の看板職人のところだった。Sが戦地から戻れたら帰りたい場所をジュリーはずっと歩いている。
極楽鳥を眺めるのも極楽鳥が生息する場所が彼らの戦地だった。そしてSが描く絵をみて極楽鳥を描くことができた。全てが繋がっている。
戦地の慰安婦で出会ったのが、京都で一緒に寝ていた三条の百恵ちゃんじゃないかと思う。
何気なく描かれているところも意味があり、その意味がわかる時、切なくて泣いてしまう。
戦争で生きて帰ったからといって、戦争でみた仲間たちの死を、なぜ自分は生き残れたのかを
幸せになることさえ罪と思ってしまうのかもしれない。
読んだ後も考えさせられる本だった。
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河原町のジュリーを知っている。見たこともあるし、学校でも話のネタになってたし、京都のラジオでは紳助もよくネタにしていた。いまでもネタにすることもある。生きるってなんですかって聞いたら哲学を語ったという噂や、客引きの看板掲げて四条に立っているのが仕事だとか、いろいろ当時は噂話に事欠かなかった。噂話をしていた同級生の顔も名前も覚えてないのに、河原町通ジュリーが何故かずっと記憶に残っている。戦争の話はほんとかどうかしらないけど、これで片付けてほしくはないとは思う。でも、それぞれにそれぞれの河原町のジュリーがいるんだろう。偶然この小説のタイトルに出会い、びっくりした。河原町のジュリーにこだわるひとはいまもたくさんいることにこそばいような同窓会にでたような妙な気持ちになった。取り上げてくれてありがとう。
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私が高校生だった頃の京都が描かれていて懐かしく読んだ。
とはいえ「河原町のジュリー」は有名だったけど一度もその姿は見たことなく、出てくるお店はほとんどわからない、二番館は菊映じゃなく祇園会館に入り浸ってましたが(^^;
1月18日の大雪はすごく記憶に残っているので懐かしい。18年振りの18日の18cmの積雪と18尽くしだったんですよね。
そんな楽しく読んだ小説でしたが、「大文字焼き」の表記だけはいただけませんでした。
京都の人間が一番忌み嫌う表現をなぜ?
早々に出てきた時にはもう読むのをやめようかと思いました。
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昭和50年代、京都にいた伝説の浮浪者ジュリー。
その時代の京都の風景。
後書きを読んだ、私は本書の作者と同時期に京都に暮らしていた。
そう、その頃の京都の町が、そのまま書かれている作品だった。
わたしには面白かった。
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ジュリーといえば、«寺内貫太郎一家»の中で悠木千帆(樹木希林)が沢田研二のポスターに向かって、腰の曲がった身体をよじらせながら、ジュリ〜と叫ぶ場面をどうしても思い出してしまう。
そして、沢田研二はイコール、勝手にしやがれ、でありイントロが忘れられない。
それは、70年代が私の青春そのもにだからである。
悲しい中にも、希望に充ちた、70年代が、イキイキと描かれている一冊である。
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後輩のストーリーズで見て気になり購入。
京都で学生時代を過ごしたので新京極や寺町の情景がよく浮かんだ。
極楽鳥がここまで物語のキーになるとは
各エピソードで語られる地理的や歴史的事実は素直に勉強になった。
また9章で語られる戦争のエピソードにおいては今自分が何の本を読んでいたのか忘れるほど入り込んだ。
自分の知らない京都の1つの歴史を垣間見れた気がした。
余談。
他でも指摘の方がいたが、五山の送り火を大文字焼きと表現されているのに違和感を抱いた。
これは何も知らない人の言い方では
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京都、四条河原町。
1970年代後半から1980年代前半にかけて、「河原町のジュリー」と呼ばれる男がいた。
彼は、誰とも話すことはなく商店街のアーケードの下の柵にもたれながら、東の空を見上げているのが常だった。
彼の名前もわからず、何処から来たのか、いつ頃から京都に居るのかは漠然としている。
孤独なように感じるが、心の内は温かだったように思えるのは何故だろう。
京都の街並みに馴染んでいたのだろうか。
また、京都へ行ってみたいとおもった。
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木戸浩介は京都府警の警察学校を卒業し、京都随一の繁華街のど真ん中にある三条京極交番の勤務することになった巡査。彼が配属になった地域には、地域の住民ならば誰もが知っている「河原町のジュリー」と呼ばれる浮浪者が住んでいた。
1970年代前半に、京都の河原町・寺町・新京極辺りで学生時代を過ごしたぼくには、当時の街の雰囲気を懐かしく思い出させる作品でもあった。