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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ (平凡社新書)
著者 阿武野 勝彦 (著)
視聴率などの「数字」ばかりが跋扈する世界のなかで繰り返してきた悪戦苦闘。その末に辿り着いたテレビ発のドキュメンタリー全国上映の道。テレビ界の奇才が「未来の表現者」へ贈る、...
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ (平凡社新書)
さよならテレビ
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商品説明
視聴率などの「数字」ばかりが跋扈する世界のなかで繰り返してきた悪戦苦闘。その末に辿り着いたテレビ発のドキュメンタリー全国上映の道。テレビ界の奇才が「未来の表現者」へ贈る、体験的ドキュメンタリー論。【「TRC MARC」の商品解説】
世の中には理解不能な現実だってある。得体の知れないはるか外へ──。
『さよならテレビ』をはじめ、『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』『ホームレス理事長』『神宮希林』など話題作を世に送り出してきたテレビ界の異才が「未来の表現者」へおくる体験的ドキュメンタリー論。
視聴率、収入と支出、競合他社とのシェア争いといった数字に揺さぶられながら、多メディア化によってさらに進むテレビの地盤沈下、砂漠化。そんな悪戦苦闘のなかで辿り着いたテレビ発のドキュメンタリー全国上映への道。
かつて、お茶の間の人気者だったテレビはなぜつまらなくなったのか。表現におけるタブーとは、カメラを向ける対象との距離をいかにとるか、ドキュメンタリーにおける演出とは……。全メディア人必読の書。
〈魅力ある番組が作れなければ、地上波テレビは終焉する。必要なのは、作れる人材を、作る部署に最大動員して、「やっぱりテレビだ」と思い知らせることだ。どこのチャンネルでもやっている井戸端会議のようなワイドショーやバラエティで各局が消耗戦をしていては、テレビの未来はない。
子どものような気持ちで挑戦し、迷い、苦しみ、もがき、そして腹が捩じ切れるほど必死になって番組制作に熱量を込め続けるしかない。「テレビの神様」は、そういう作り手たちの前に現れるのではないか。「テレビの神様」は、組織の前に現れるのではなく、作り手それぞれの前に現れる。テレビマンの多くが、「テレビの神様」を信じるようになった時、「やっぱり、テレビは面白い」、人々はそう思うのかもしれない〉(エピローグより)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
エピローグ
【商品解説】
『さよならテレビ』『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』など、話題作を世に送り続けてきたテレビ界の異才によるドキュメンタリー論。【本の内容】
目次
- プロローグ
- 第1章 テレビマンとは何者か
- 第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
- 第3章 表現とタブー
- 第4章 放送は常に未完である
- 第5章 世の中には理解不能な現実がある
- 第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
- 第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
- 第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
- 第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
著者紹介
阿武野 勝彦
- 略歴
- 〈阿武野勝彦〉1959年静岡県生まれ。同志社大学文学部卒業。東海テレビゼネラル・プロデューサー。日本記者クラブ賞、芸術選奨文部科学大臣賞、放送文化基金賞個人賞などを受賞。
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ためになると思います。
2022/02/20 21:28
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:直美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東海テレビの映画化されたドキュメンタリーが取り上げれらていて、色々なドキュメンタリーでの背景等が知ることができて、とても美味しかったです。
紙の本
テレビ屋のジレンマ
2021/11/03 15:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とも - この投稿者のレビュー一覧を見る
「セシウムさん事件」で有名(?)となった東海テレビであるが、筆者は「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」等を手掛けた、名プロデューサーである。
同名のタイトルの番組は以前、名古屋ローカルで放送され、後に劇場公開された。
数々のドキュメンタリー作品を手掛け、世に出してきた筆者であるが、行き着いた先は、本業の"テレビ"ではなく、"映画"だった。なぜテレビから映画?と思うのが普通だろう。そこには、"テレビ"という一見華やかな、内実は非常にダークな世界では映し出せない何かがあるのだろう。だからこそ、「さよならテレビ」とタイトルに冠したのだろう。
私は、殆どテレビを観ない。
自宅にいるときは、ラジオばかりを聴いている。ワイドショーと化したニュース番組、バラエティーで埋め尽くされる番組表を見ては、「今日も面白くないなあ」と思うのだ。
最後の章には樹木希林さんとの秘話もあり、普段見せない(であろう)希林さんの話も面白い。
エピローグとして書いた「テレビ屋としての愚痴」は、テレビに携わる者の全ての本音ではなかろうか。数字に追われ、路頭に迷いこんだテレビ局が、今後どうなるかは誰も想像できない。