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少し前の本だが楠木さん、山口さんの考える仕事ができる定義を知りたく読書。自分を振り返ると仕事ができない人との共通点多く耳が痛かったが、多くの気づきを得た。
本書に書かれた言葉そのままではないが、自分の言葉にすると下記の様な内容。
仕事ができるとは『自身の思考に基づいた具体と抽象の行き来をし、ストーリーを組み立てられる人』
・仕事は立体的に、時間を意識して組み立てる。
その仕事を行った後に何が起きるか、起きる事象に対してどう対処するか考える事が重要。〜それでだ、とストーリーを連ねて思考していける人が仕事のできる、センスのある人。
仕事のできない人は箇条書き的に横並びで考え、起きる事象に対応できない
・インサイドアウトで考える
答えを中から導く。そこに必要な情報や学びを得る為に行動する。まず自分の中で考え、ストーリー化する。
仕事のできない人は外に答えを求め、過剰な情報、知識在庫を抱える。しかしそれが活用されることは無い。
行動していれば安心するから動いているだけ
・自分の強み、弱みは市場のFBで定義する
ストレングスファインダーで強みがこれと出た、ではなく、自分のやった仕事のFBとして、商品が売れた、また依頼を受けたなら自分に合っている、逆なら合っていないと捉えるべし。先に定義してしまうと確証バイアスから可能性を狭める。やった結果で評価する。
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単行本を新書化したもの
p21 スキルはエビデンスとして言語化・数値化して示すことができる センスは難しい
p27 役に立つはスキル、意味があるはセンス
p55 我々は技術革新の恩恵によって基本的に暇になっている そこで衣食足りて礼節を知るという方向にいくか、それとも小人閑居して不善をなすという方向へいくか
p109 すぐ分析する人は仕事ができない
p155 プロのすごみは何をやるかではなく、やることの順序、シークエンスに現れる
p183 組織化の社会心理学
p197 負けた側に何が足りなかったか NTTやIBMにはミッションはあってもモチベーションがない
p205 仕事ができる人の思考の軸足はインサイドアウトです。
アウトサイドインのひとは使わない部品みたいな在庫がめちゃめちゃ溜まっている
p206 映画 セッション
p220 努力していると、安心する
p224 全体を全体のまま把握するということがセンスの錬成のなる 宮本武蔵の五輪書 人は視ようとすると必ず、全体でなく部分を視てしまう。意図的に視るという行為は必然的に注視を起動しますが、注視というのは部分化するということですから、なかなか全体を視るというのは難しいし、それこそスキルとして言語化できないんですね
p228 オイゲン・ヘリゲル ドイツの哲学者 大正時代に東北大学で哲学を教えた 弓と禅
撃とうと思って撃つな そうではなく矢にいかせなければんらない 矢はいくべきときに勝手に行くから行かせない
p235 リベラルアーツ 人間をわかるための学問
p235 大きな人こそ自分を小さく考えている。だからこそ他者に対して注意が向く。相手の立場にたってものを考えることができる。自分に都合のいいように考えない。自己中心的に考えない。これが人間洞察の基盤にあると思います。器が小さい人ほど自分が大きんですね。自分のことで頭が一杯で、自己を客観視できあに
自分が小さい人は、頼りにされても、安易に人に頼らない。貸しが多いのに、回収しない
ラ・ブリュイエール 得は勇気と気前のよさだ。なぜかというと、生命と金銭という二大重要事を軽視することだから
p242 ラッセル 幸福論 自分自身に興味と関心を向ける人は必ず不幸になる
p247 自分の小ささ 謙虚とは違う
政治的な屈辱は安い。政治的な屈辱をやり過ごせるヤツが強いんだ(プーチン)
p248 一番悪いのは、他人の力をかりて雪辱を果たそうとすること
p275 アウトサイドインのひとは「どうなるんでしょう?」ということを知りたい インサイドアウトの人は「それはどうなるかわかんないけれど、自分はこうしようと思う」と思考する
p281 インプットの仕方が上手な人というのは何を知りたいかわかっていると思う
p295 スキルとセンスは、部分と全体
部分なくして全体はありえない。しかし部分を高めても全体としてのシステムのパフォーマンスが向上するとは限らない。むしろ部分への注意が高まることで視野が局所化してしまえば、システム全体と��てのパフォーマンスは低下してしまうだろう
部分を十全に成立させ、機能させるためにはスキルは必要だ。逆に言えばスキルが必ず具体的な個別活動と紐付く以上、「スキルは部分化する宿命」にある、ということだ。したがって、いくら部分の機能を向上させたからといって、それで全体がうまく成立し、機能するとは限らない。俯瞰的な視野からシステムの弱点をつかみ取り、時流にあわせてシステムを改変していくには全体を大きな枠組みとしてそのままに捉えるセンスが不可欠になる
p289 今求められているのは「儲かる仕組み」と「社会の課題解決」を全体として構想し、その構想によって人のモチベーションを引き出せるような人物、人材だろう
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「仕事ができる」とはどういうことか
センスとスキルの話にもはや食傷気味だが、またしても読んでしまう。
結局、仕事ができるとはセンスが良いということで、センスとは一言で言えば「時間的・空間的」な「art of allocation(≒配分のセンス)」につきるという話と理解した。スキルは業務効率化であり、単一のゴールに対してどう最短距離で走るかという問題である。一方、センスはやはりどこまで行っても配分の問題で、そもそものゴールセッティングをどう決めるかという問題。どこにどれだけ時間を割くか、どこにどれだけ時間を割かないかという部分はセンスが問われる。特に、時間を割かないことを決めることがセンスそのものなのだろう。これが、空間的な配分。もう一つは時間的な配分。これは、単純に何に何分かけるかということではなく、どの順番でやるかということ。わかりやすい例として挙げているのが、ビンタしてから抱きしめるか、抱きしめてからビンタするかで、全然意味や主観的な捉え方が異なるということ。タスクそれ自体にはそこまで意味がないものに対して、順番によってどう意味付けするかというところがミソなのである。
後半に元中日のピッチャーの山本昌のストレートの話が出てくるが、山本昌のストレートはスピードガン上では遅い。しかし、バッターによっては150㎞の球よりも早く見える人が出てくる。それはなぜかと言えば、緩急でバットを振らせているから、ストレートをどのタイミングで使うと早く見えるかと知り尽くしているから、直線的なスピードがなくても、バッターは振り遅れる。本書にでは出てこないが、古武術研究家の甲野善紀先生の「ボクサーにパンチを当てられるか」という動画を思い出した。結論として、甲野先生はいくらでもボクサーにパンチを当てられるのであるが、甲野先生のパンチのスピードは全く速くない。しかし、相手から見える部分がパンチをする前と後でほとんど変わらないからボクサーはパンチを避けられない。通常、パンチをするときにはテイクバックを取ったり、パンチをする場所を事前に受け手が特定できるようなシグナルを出すが、甲野先生は意図的にシグナルを消している(消しているように見せている)ゆえに、次の瞬間にはパンチが身体にあたっているという現象が起こる。これもシークエンスとしての速さである。
最近、先輩の前任者が無理やり引き受けて、採算が合わなくなってしまった業務委託を顧客に押し戻すというハードな交渉をしている先輩のMTGに同席した。顧客との関係性を維持しつつ、先方の心証を極力悪くせずに話す先輩の語り口を見て、つくづくセンスを感じた。その先輩は所謂営業マンのようなガッツや熱さは全くなく、極めておっとりした方だが、どの話をどの順番でするかというセンスのなせる業で、顧客と良好な雰囲気のまま業務委託を押し戻していた。何を話すかにせよ、話す順番という部分は本当にセンスが問われ、これがない場合には深刻な事態となる。そんな瞬間を視ることができ、非常に面白かったという部分と、本書は何となくリンクしていた。
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内容に関しては首肯で、たしかにというところ。また、スキルがもてはやされるのと多様性が大事にされるというのは矛盾を抱えているというところは日頃のモヤモヤを代弁してくれた気分だった。
決してスキルを否定するわけではないが、いま問題解決がされすぎて課題設定の方に希少性があり、課題設定にはセンスが大事ということ。
とってもよく分かったが、肝心のどうやってセンスを獲得するか、、についてはケースバイケースという感じをうけたのはしょうがないのか、、
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現代はスキルにばかり注目されている。
弱い人間ほど法則を求める。
役に立つ=スキル
意味がある=センス
努力と成果の因果関係がわかりやすいから、みんなスキルに飛びつく。
すぐに成長したと感じたがる。
モテる、とかこの人なら大丈夫、と相手に思わせるような数値化できないような部分がセンス。
優先順位をつけるなどはアート、センス
あまり面白くはなかった。
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スキルはコモディティ化していくが、センスは場数を踏んで鍛えられる。
直ぐスキル習得に走るのは、自分が安心したいだけ。
アウトサイドインではなく、インサイドアウトから行動する。
センスかぁ。センスね。
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センスとは、「具体と抽象の往復運動」「統合と直感の能力」 腹落ちする言葉である。
問題を発見・設定するには直感が必要だとか、問題解決における分析で原因をつかむインスピレーションが大事など、納得するばかり。ただ、一定のスキルは必要と思う。
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最近この人と一緒に働いていて楽しくないなぁと思う人とパートナー関係的になっていた理由がこの本を読んでわかった。
スキルスキルと言ってセンスがないからだった。それだけでなくて、それを部下にも強要するし、そのスキルでしか人を見ようとしないことも大きな要因だ。
この本に書かれていたことで、背中を押してもらえたことはやはり人材が大切。そのためにはその人たちのモチベーションを上げることがめちゃくちゃ重要なのだと強く思えるようになった。
あと、面白かったのは、コンピテンシーという考えはアメリカの国務省が発祥で、下記3つがコンピテンシーの重要な能力だと。
①対人感受性 相手の人種によらず気持ちがわかる
②フラットな関係性を築ける
③政治的な力学に対する嗅覚
①②がない人が会社にはほんと多いので、もっとそういう人たちを増やしたいと思ったけれど、これらはスキルと違い身につけるのがなかなか難しいようだ。
それでも、そこを改善しなければ組織のチームワークはあがらないので、私としては力を入れていきたい。
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感想。
面白かった。好きな考え。
備忘録。
・「仕事ができる」とはあっさり言えば「成果を出せる」こと。もう少し言うと「頼りになる」「任せられる」「なんとかしてくれる」と思わせる人で、スキルを超えた「センス」のある人。
・センスは直接的に育てることは難しいが、決して先天的な「天賦の才」ではない。
・スキルはあるなしを説明できるが、センスのあるなしは説明できない。女性にモテる、というようなのがセンスで誰かに証明するの難しい。
・問題点の設定はセンスや直感が有効。スキルだけでは難しい。無数の構成概念の中からあえてXとYを持ってくるところ、アタリをつけること、ここはセンス。
・センスの部分は必ずしも良し悪しではなく、好き嫌いの問題ではないか。例えは洋服のセンス、音楽のセンスとか。センスの部分で優劣をつけようとすると不毛な喧嘩になる。「なんか趣味じゃないなあ」と言って放置しておくのが良い。世間では「多様性」とか言いながらも、自分と違う意見に直面すると、どっちが正しいかとかになりがち。
・仕事ができない人はすぐに分析したがる。なんでもSWOT分析だ、とか。分析や調査は仕事ができない人が、なんとなくやってる風に人に成果物を示すものになりがちで、それだけでは経営でも戦略でもない(これは厳しく言い過ぎと思うが‥作業が目的になってるのは良くないが分析は必要では)。
・KPIを完全なmeceにするのは難しい。それでもKPIを定めて、やらせて、なんらかの矛盾が生じたらそれを引き取るのが出来る経営者。分業しているけど分断していない状態をつくるのが経営の本質。
・センスは土俵を選ぶ。例えば、ゼロイチが得意な人、ひどい状態をまともにするのが得意な人、既存のものをより良くするのが得意な人、とか。
・偉い人の光の話はとても面白い。自分が光ってるわけではない、周囲の羨望の眼差しが反射して光っているように見える。その眼差しがなくなると光れなくなる。それがとても寂しい。だから常にポストが欲しい。人に役立つために仕事に明け暮れた筈の人が、偉くなってポストと出世に執着してしまうのがこれだと。
・出来ない人は箇条書きのto doリストが好き。出来る人は、並列なto doリストではなく時間的な奥行きが考えられている。
・シナジーなんて、M&Aした瞬間に、口で語れて、今その目の前にあるものではない。作り上げるものである。
・出来ない人はアウトサイド・インで、外部に何かしらの答えがあってそれを探してくれば解決できると思っている。出来る人はインサイドでアウト。完全な未来予測は出来ないので、情報が不完全でも自分なりのロジックやストーリを持って、進めながら情報を追加していく(ここもわかるようなわからないような、、表現の問題だけかもしれないが、そんな簡単な2択ではないと思うのだが)。
・センスというのは、きわめて総体で、全体で、総合的なもの。一挙手一投足だけではなくその全体で構成される。だから、センスを学ぶには鞄持ちみたいな修行が有効と思われたのかもしれない?
・単なる物知りか、センスがあるか。センスのある人は得られた経験や知識を抽象化してパターン化して、個別具体的な問題に適用できるひと。(黒板の丸写しではなく、抽象化したノートが書けるような)
・または、AとBの2択の時に、AとBの優劣だけで白もっと大きな全体像から判断できる人。
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【図書館】センス>スキル、インサイドアウト>アウトサイドインと言う。「何をしているか、できるか」より「何を考えているか、感じているか」が大事ということか。
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山口周のネタはいつも同じだなと思う。共著だとそれを苦に感ずる割合は減るけれども、またアムンセンとスコットか、というのが正直な感想。
スキルのコモディティ化とセンスのインフレーション。正解が過剰になり、問題が稀少化している。インサイド・アウトかアウトサイド・インか。センスとは具体と抽象の往復運動。自分は具体が弱い。これをどう埋めるのか。自分の土俵をどう見極めるのか。
では、凡人はどうすれば良いのか。そこがいつもデッドエンド。
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「仕事ができる人」と言われる人たちが持っている素養とは何か?
それは、センスがあること。
・「仕事ができる」とはあっさり言えば「成果を出せる」こと。
●仕事ができる人とは「この人じゃないとだめだ」と思わせる。
もう少し言うと「頼りになる」「任せられる」「なんとかしてくれる」と思わせる人で、スキルを超えた「センス」のある人。
仕事ができるとスキルがあるとは似て非なるものです。
巷では、仕事力向上のためにスキルを身につけよう。と言う書籍が多々存在する。このスキルがあることは、仕事をする上で役に立つものだが、ある特定のスキルを持つことで必ずしも「仕事ができる人」とはならない。
スキル以上にセンスが無いと「仕事ができる人」と呼ばれない。
ではセンスどうやって身につけられるのだろう
?スキルは身に付けやすいが、センスは?
私なりの解釈では、少々短絡的ではあるがこんな感じ。
仕事とは何か?
・相手の期待に応えること。
このあたりはスキル習得でなんとかなるかも
・相手の期待を超えたものを提供すること
このレベルは、センスが無いと到達できない領域
センス≒教養≒読書
自分の経験だけでなく多くの人の経験を読書で得ていくことが仕事ができること、ひいては楽しく生きることにつながる
名言大杉内。
・リベラルアーツというのは、要するに「自分の価値基準を、自分の言葉で、自分以外の誰かに説明できる」ことですよね。自分自身で形成された価値基準があるということ、それに自覚的であるということ、これがすなわち「教養がある」ということだと思います。どんなに多くのことを知っていても、世の中に流通している出来合いの価値基準に乗っかるだけでは教養とは言えない。教養形成の本質はアートでありセンスにあります。【楠木】(p.49)
・始めのうちは迷ったらとにかくやってみる。ところが、いつまでたってもそのやり方を続けている人というのは、たぶんセンスがない。「これは自分の領分ではない」と思うことには手を出さないという「土俵感」。「これが自分の土俵だ」という感覚がだんだんはっきりとしてくる。これもまた仕事ができる人の特徴だと思います。断るのも能力のうち、ということです。【楠木】(p.125)
・リベラルアーツが大事なのは「人間をわかる」ためであって、(略)という境地に至ったんでしょうね。【山口】(p.235)
●本来は「好き嫌い」であるはずのセンス的な部分を無理矢理「良し悪し」で斬ろうとしがちだと言うこと。これが不毛な喧嘩をもたらす。
●センスなんて好き嫌いでいいのに序列をつけたがる。センスに序列をつけると、これはもうスキルであり、サイエンスになってしまいます。
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「仕事ができる人」と言われる人たちが持っている素養とは何か?
それは、センスがあること。
巷では、仕事力向上のためにスキルを身につけよう。と言う書籍が多々存在する。このスキルがあることは、仕事をする上で役に立つものだが、ある特定のスキルを持つことで必ずしも「仕事ができる人」とはならない。スキル以上にセンスが無いと「仕事ができる人」と呼ばれない。
よしわかった。ではセンスを身につけよう!と思ったところで、どうやって身につけられるのだろう?スキルは身に付けやすいが、センスは?
そんな命題について、楠木さんと山口さんが語り合っている。
私なりの解釈では、少々短絡的ではあるがこんな感じ。
仕事とは何か?
・相手の期待に応えること。
このあたりはスキル習得でなんとかなるかも
・相手の期待を超えたものを提供すること
このレベルは、センスが無いと到達できない領域だ
「知恵を出す」「考える」にも方向性や発想の起点が大きな影響を及ぼす。このあたりのモヤモヤのこともセンスの一つ。本書はお二人の経験に裏付けされた対話で、センスを言語として浮き彫りにしようと試みたもの。
刺激を得た。
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仕事ができるとは、その人じゃなきゃ困る、ということ。つまり、人に頼りにされるということ。それにはコモディティ化してしまうスキルではく、センスが重要である。センスは具体と抽象の往復運動であって、センスがある人をよく視ることが錬成法である。こんなタイトルの本を手に取ってしまう自分は、センスないなと思う。
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1.特に若いうちは自分で得意、不得意の判断をしてはいけない。自分で実際やってみてお客様にウケたのか、ウケなかったのか。喜んでもらえたか、喜んでもらえなかったのかの基準で判断する。そうしたなかで自分の得意が分かってくる。それは自分のセンスを発揮する土俵を探すため。
2.いろんなことにチャレンジして、得られた結果を虚心坦懐に直視する。