紙の本
「鐵馬」という漢字はいい
2022/02/13 21:55
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公のストリーテラー・ぼくは中華商場で育った、これだけでわくわくする。そこが、私が大好きな著者の作品集「歩道橋の魔術師」の舞台だからだ。この作品にも「愛」「仁」「孝」「忠」といった棟の名前が登場する。タイトルは「自転車泥棒」だが、誰かが誰かの自転車を盗みましたとさ、というお話ではもちろんない。ラオゾウとアッバスの潜水、アッバスの父・バスアと象、ムー隊長と静子さんにマーちゃんと一郎、蝶の翅を芸術にするサビナの母とサビナ、そしてぼくの父と母、次から次へと物語が語り続けられる。それにしても、「鐵馬」という漢字はいい、自転車のことをさす台湾語なのだが、この言葉にすべての台湾の人の自転車に対しての感情がこもっているような気がする
紙の本
物の記憶と歴史が混じり合う
2021/10/31 18:35
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投稿者:夏のメロン色 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自転車の持ち主たち、物にまつわる記憶、家族、戦争、歴史…様々が混じり合ってひとつのストリームとなっている。
これから物を購入する時、その物のビハインドストーリーをもっと注目してみたいと思った。
この名訳が読めなくなるのが、なんとも惜しい。
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銀輪部隊とか、マレーシア半島に自転車で侵攻したとか知らなかったなぁ。その訓練を台湾で行っていたことも。日本はもう少しきちんと第二次世界大戦で日本軍が行ったことを教育した方が良いと思うなぁ。知らないというのは恐ろしい事だなぁ。
という訳で自転車と戦争にまつわる色々なエピソードが絡み合って、最後は可哀想な象まで出てくるので悲しくなって最後は大分駆け足で読みました。蝶の絵もあったか。祖父母のエピソードから戦争をきちんと語るってのは大事だよなぁとしみじみ思いました。風化したり美化しちゃイカンよねぇ。
とは言えそれぞれのエピソードが絡み合うし長いし、関連性がイマイチわかりにくく、時間のあるときにゆっくり読みたい本だなぁと思いました。贅沢に時間がある時に手に取りたいですねぇ…
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21世紀、台湾。小説家の「ぼく」はヴィンテージ自転車の愛好家でもある。古道具屋のアブーを経由して自転車コレクターのナツさんから「貴方が探しているのに似ている自転車を見つけた」と連絡を受けて駆けつけると、そこにあったのは20年前失踪した父と共に消えた〈幸福印〉の自転車だった。自転車をディスプレイしていた喫茶店の元オーナーで写真家のアッバスと親しくなった「ぼく」は、彼もまた自転車にまつわる物語を持っていると知る。自伝を装ったフィクションと戦地を舞台にしたマジックリアリズム、台湾自転車史の雑学などが渾然一体となった、とある自転車の一代記。
とにかく盛りだくさんの小説である。第1章の中華商場でのにぎやかな家族史は東山彰良『流』を思いださずにいられないし、章ごとに挟まる「ノート」には著者自身の手による"ヴィンテージ自転車の博物画"(と呼びたくなる)がついている。父の自転車自体は第2章の終わりですんなりと戻ってくるのに、その自転車が消えていたあいだの物語はくねくねと複雑に折れまがり、関わった人それぞれの物語と入れ子になってなかなか本命が立ち現れてこない。
廃墟のなかにある地下水路の物語、雄蝶のフェロモンを嗅ぎとる蝶の貼り絵師の物語、自分の手すら見えない霧に包まれたジャングルの物語、戦争に連れていかれたゾウの物語、小学校で飼われていたオランウータンと戦時下の動物園の物語。人はみな自分の物語を抱えて「ぼく」の元へやってくる。フェティッシュとは物語への愛着なのだと、古道具屋のアブーと自転車コレクターのナツさんが語るとおりに。
一見、雑多にすら感じられるほど物語の出入りが激しいのだが、それぞれは細部で呼応しあい、対比されている。そのなかでも「ぼく」の家族史と並んで縦軸を担うのが、アッバスとその父バスアの物語だ。バスアもまた戦争の記憶を抱えたまま、自転車と共に消えた父の一人だった。アッバスは"父の自転車さがし"の先達だったのだ。
結局なぜお父さんは失踪し、どこへ行ってしまったのかは全くわからない。七人きょうだいの末っ子で、一番年の近い兄とすら14歳も離れている「ぼく」と日本の台湾統治時代を生きた父では、完全に世代が断絶してしまっているせいでもある。「ぼく」が書く自転車史の「ノート」は、その断絶を埋める努力の跡とも言えるのかもしれない。そして〈不在の父〉にかまけていた「ぼく」の虚を突くように、母親の幼少期のエピソードがラストに明かされる。これはプロローグとして置かれたのと同じ物語で、この小説は父の自転車さがしが母を救った自転車の話に挟まれているという全体構成になっている。
おどけたところもある一人称の軽妙な語り口には『雨の島』にはなかった熱があり、虚と実がいくつものレイヤー状になった文章には時折クラクラしつつも、そのクラクラこそが独特のグルーヴを生みだしてクライマックスまで盛り上げる。単純に自転車の文化史を知れるという意味でもめちゃ楽しい。登場人物たちが語る戦争記憶には極限状態ゆえの超現実的な体験が杭のように深く打ち込まれていて、コンラッドから連綿と続く戦地のマジックリアリズムの系譜にこの小説も連なるものだとわかるが、その体験を後代の人間が「ぼく」の物語として掘りだし、「レスキュー」する。それが本作のアツさのキモだろう。
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いろいろな物語が独立しているようで、交錯している。「自転車」の物語で、戦争、動物園、原住民…いろいろな側面を見せてくれる。悲惨な話もなぜかファンタジーに見えたり、かといって軽くない、心の底に刻まれる作品。
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まず、翻訳が大変こなれていて、つっかえることなくすらすら読める。
過去と現在、様々な場所と時代を行き来する。
戦争の記述は、村上春樹のノモンハンの文章を思い出した。
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2021のベストにするか迷ったくらい。
台湾の博物史や蝶の歴史、戦争,銀輪部隊のことが入り混じって僕の父さんの自転車と絡んでくる。
再読したい。
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不思議な小説だ.
主人公は古い台湾製の自転車の収集マニアである.彼が自転車に執着するのは,どうやら父親の失踪に関係するようだ.父とともに失われた自転車を追い求める物語なのだが,自転車は不思議な運命を辿り,それを追い求める過程で出会う多くの人々の自転車をめぐる物語が積み重ねられる大河小説である.
「百年の孤独」のようだ,というのは言いすぎかもしれないが,大傑作である.
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盗まれた父の自転車が辿った道を追うなかで語られるイメージと物語の奔流。
溺れるくらいだ、すげえ。
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【ブッカー賞候補作。台湾文学をリードする著者の代表作】失踪した父と同時に消えた自転車の行方を追う「ぼく」。台湾から戦時下の東南アジアへ、時空を超えて展開する壮大なスケールの物語。
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自転車、家族、戦争、ゾウ、チョウ。
古い自転車を探すことと、歴史を学び直すこと。
自転車を探すことと、誰かの人生を追いかけること。
アジア現代史を背景に様々なことを想起しつつ、幻想文学として読んだ。
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もう少し単純なオムニバスを想像して読み始めたので、戦争が作品に暗い影を落としているのは予想外だった。
いつの時代も争いを始めるのは人間で、動物はそれに翻弄される。第二次大戦でゾウが戦闘に関わっていたことは知らなかった。動物が何を考えているかはわからないけど、リンワンのように戦争の記憶がトラウマになって残ることだってありうるだろう。
人間にだって戦争のトラウマが残ることは当然の前提として、でも人間は語ること/語り合うことができるし、あの戦争はなんだったのか、なぜ戦う必要があったのか検証して思慮を巡らせることができるけど、少なくともゾウはあの戦争の背景を知る由もないので、ゾウの心に人間が一方的に傷を負わせたことは尚更酷いと感じた。
だから一層、マーちゃんと動物園の職員の心が通じ合っている様に胸が震えた。
贖罪というわけじゃないけど、上野動物園のゾウをゆっくり見に行きたいと思った。
ムーさんがなぜ木を登るか、戦いの中、木の上で何を見たか、は印象的だった。特に後者は、人間が地球の上で領土を主張して戦いを始めて、敵味方に分かれて争っていても、自然の営みはそれと無縁なもっと大きな流れの中で変わらず続いていくのだと思った。
自転車のパーツを集める人たちがいるのは興味深かった。私の知らない「面白いこと」はまだまだたくさんあるんだなあ。
この本を通じて、日本統治時代の台湾や、台湾人の第二次大戦への関わり方を知ることができた。
(日本によって台湾の運命が翻弄されたことに鑑みれば、これを日本人の私が「歴史」と軽々しく言ってしまうことには少なからず抵抗があるけど、でも他の呼び名が思いつかないので歴史と書くが、)台湾の「歴史」を知ることができて、台湾のことが尚更好きになった。
必ず再読したい。
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ぼくの父は、兄の高校の合格発表の時、ぼくを小児科に連れて行った時と自転車を無くし、最後は幸福印の自転車と共に失踪した。古い自転車を集め、部品を集めて修理するぼくは、失踪した父の自転車と再会する。その持ち主にたどり着くまでの人々の歴史、その人々と自転車との歴史は、チョウを工芸品にして生きる人々と、ビルマやマレーシアでの太平洋戦争でジャングルの中を彷徨う人々と、戦争に巻き込まれるゾウや動物たちと動物を愛する人々と、話がつながっていく。
話が広がりすぎて、誰が誰と繋がっているのか追うのが大変だったので、人物関係を整理しながら読み直したい。ものすごく広がった物語が関連しあって収束していく、物語の回収の仕方がすごい。
キーワードは「時間」だと思う。古い自転車を塗り直し新しいものに変えてしまうのは、その自転車の時間の継承を断ち切るものだ、とナツさんは言う。廃品やゴミのようなものを回収する古道具のコレクターのアブーも、はるか昔にバスアが埋めた自転車を抱き込んで大樹となったガジュマルも、時間の積み重ねを大事にしている。ガジュマルのまわりには人の魂が寄ってくると沖縄で聞いた気がするが、一つのものに込められた人の魂、歴史、思いを、掬い上げる小説、と言う気がした。「哀悼さえ許されぬ時代」に。ゆっくり読み返したい。
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台湾や東南アジアの映画を観た時に感じる、独特な、身体にまとわりつく湿気、雑然さ猥雑さをこの作品でも感じる事が出来た。又、この空気感を日本語に置き換えた訳者の力量も見事。訳者の天野さんが亡くなられた今、呉氏の筆致を日本語に再現出来る訳者はいるのだろうか。
作品は複数のストーリーが入れ換わり進行する。
一読して理解するには人物相関図を作りながら読み進めるのがいいだろうが、行ったり来たりしながら、または何度も読み返しながら味わうのもまたいいだろう。
紀伊国屋書店グランフロント大阪店にて購入。
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重厚で濃密。
戦争と自転車、ゾウと戦争、チョウの話…知らないことが多すぎて、いろんな目が開かされた。
そして、アジア史は日本が敵なのか味方なのかがコロコロ変わるので、頭の切り替えが難しい。
でも、読み進めざるを得ない圧倒的な力を感じた。いつか再読して、きちんと理解したい。