紙の本
目からうろこ
2022/01/09 16:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
「アナキズム」と聞くと、なんだか不穏なイメージがある。それは日本語の「無政府主義」という言葉の影響が大きいと思う。
この本の筆者に言わせれば、アナキズムは、国家に囲まれた自分たちの生について立ち止まって考えてみる、ひとつの態度のようなものだ、という。
支配のない状態を指す「アナーキー」を求めるのがアナキズムだとしたら、私がこれまで思っていたイメージは、アナキストと言われる人たちが、その実現のために引き起こす抵抗や革命に伴う暴力への嫌悪だろう。
とはいえ、国家や制度、権力がなくなったら野放図になるのでは、収拾がつかなくなるのでは…
といった疑問にも、筆者は本書の中で、うまく答えてくれている。
そしてこう述べる。「想像すればするほど、ぼくらの「あたりまえ」が問われはじめる」と。
「くらしのアナキズムは、目の前の苦しい現実をいかに改善していくか、その改善を促す力が政治家や裁判官、専門家や企業幹部など選ばれた人たちだけでなく、生活者である自分たちの中にあるという自覚にねざしている」
という言葉にはグッとくる。
当たり前を疑ってみる、そこから始めてみよう。
アナキズムを色眼鏡で見るのではなく、一つの思想として、身近にしてくれる一冊だ。
紙の本
「アナキズム」の目指すもの
2021/12/31 17:02
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投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アナーキー、モナーキー、オリガーキー。英単語に含まれるarchyはギリシャ語を語源とする政体という意味を持つ。だから元来anarchismは無政府主義と機械的に訳されてきた。私がアナキズムという言葉からに真っ先に思い浮かぶのは、大正期の活動家の大杉栄だ。ただし本書には彼への言及はない。次に思いつくのは鶴見俊輔か。こちらは僅かに言及がある。ハーバード大学留学中に日米が開戦した際、クロポトキンの思想に親しんでいた彼は「敵性外国人のアナキスト」と認定され米連邦警察に逮捕された。政府転覆を目指す危険人物。アナキズムという言葉から連想される言葉はまことに物騒だ。日本の帝国主義を批判する彼は寧ろ米国にとって好ましい外国人とでも認められそうなのに、「自由の国アメリカ」ですらそうしなかった。
本書でも紹介される鶴見のアナキズムの定義、「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」の中には物騒なものはない。が、「強制なしに」という理想状態から外れたときの「抵抗」の側面に焦点が結ばれてしまうところにアナキズムという言葉の歴史的な悲劇性は現れる。本書では「アナキズム=無政府主義」ではない、とすることにより、国家という政体が存在していなかった長い歴史の時空で醸成されてきた庶民の知恵のような自治統治手段の中にアナキズムの本質を発見している。これは人類学者の視点ならではのものかもしれない。だから、「贈与論」のモース、Occupy Wall Street運動を主導した人として或いは「ブルシット・ジョブ」でも著名なグレーバー、「ゾミア」のスコット、「忘れられた日本人」の宮本常一、「山人論」柳田國男等の色々な人類学者・民俗学者による、まつろわぬ庶民の知恵に対する見立てが多数紹介される。特にアナキズム人類学を標榜し実践も行ったグレーバーの影響は大きい。彼らが発見した中でとても重要なのが、多数決に依らない根気強い説得と熟議を積み重ねる「話し合い」の営みの技法だ。
物質文明はこの路線のまま行き着くところまで行くのだろうか?そのよりどころとなる近代国家は資本の集中と科学技術の巨大化への進展という両輪の中で、快適な暮らしを庶民に提供してくれるありがたい仕組みに見える。しかしその快適さを信じ込み、個々の庶民を源泉とする民主的な権力の国家への過度の委譲に何の疑問も持たずにいると、暮らしの中に存在し継承されてきたアナキズムの知恵はどんどん失われていってしまう。一方で、国家権力が膨張したからといってその統治機構の質が高度化しているかと問えば、そうでもない。富裕層の欲望こそ社会発展の原動力、と無批判に認める新自由主義が加速させた格差社会、国際紛争や環境破壊、地球温暖化ガスの大気中濃度上昇に伴う気候変動問題、今次のコロナ禍における政府の対応のポンコツ振り等みても、国頼みの社会の脆弱性が露わになっている今、大きな価値観の転換は待ったなしの状況である。アナキズムに目覚めた庶民がやるべきことはなにか。政府に抗議し、あとは国が何かやってくれるのを腕組みして待つだけのものではないはずだ。コモンズ、地域コミュニティ、名前は何でもよい、身近なところから相互扶助のネットワークを「取り戻す」ことだ。
鶴見は戦時下、結局日米交換船で帰国した。その際、獄中でまとめた論文により哲学教授ラルフ・バートン・ペリーをはじめとする教授会によって飛び級による卒業が認められている。国家総力戦体制に突入するアメリカにあって、個々の人々のアナキズム的良心は紛れもなく作用した。鶴見は救われたのである。
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ここでいうアナキズムは決して無政府主義ではない
多数決による強制的民主主義や新自由主義的資本主義に風穴を開けるのは、個人とか小さな共同体の繋がりだ
国家のような大きすぎる共同体にこの議論を当てはめるのは難しいとも感じるが、個人としてこういう心持ちでいることは大事だとも思うのだ
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言いたいことは良くわかる、というのはこういう議論は数十年前から(つまり私の若い頃から)論じられてきたもので、特に目新しい要素は(私には)ない。
けれど、こういうテーマをわかりやすく書いた本が、現在の日本で一万部以上売れているというのは、とりあえず喜ばしい限りである。
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この本で書かれる「アナキズム」は決して過激でも暴力的でもなく、我々が日々の生活で容易に実践できるものだ。特段目新しいものでもなく、述べられる事柄も曲解されて読まれることもきっとあるはず。民主主義について理解した気になってここまできた身には、現在の政治や社会状況は自らのこれまでの無知・無関心からこうさせてしまったと思ってしまうのだが、生活者もアナキストとして意識して暮らし、身の回りに目を向けて関わっていくこと、それを広く伝えていくことから始めて、国家に隷属しない、もっとものを言っていい立場であることを意識して顔を上げたい、と思いながら読んだ。
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文化人類学者の書く本はだいたい面白い。
人間のプリミティブな地点から、様々なことを分析するからそうなのだろうか。
「アナキズム」は国家の管理が及ばないことから生ずる混乱に満ちた状態でなく、人間の原初的な動機により築かれる社会性の発露である、というところだろうか。
著者のエチオピアでのフィールドワークや熊本の震災で経験した実体験を根拠として論説がなされる。
とても興味深く、現在の政治への批判も随所に。
共感が持てる本である。
そしてそこから自分がとうするか、それが問題。
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「未開社会」や日本の伝統的な意思決定、コミュニティによる問題解決の一部を取り上げて美化しすぎてる気もした。それによって疎外されてしまう人もいると思う。ただ、多数決によって勝敗が明確にきまってしまうことの弊害やくらしにアナキズムの視点を取り入れる、自ら工夫することの重要性には納得した。
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#伊藤野枝 が考えてたのは、こういうアナキズムなんだろうなあ、とか。#ボーダレスジャパン が考えているのは、こういう経済なのかも、とか。不法移民といわれる人たちのことも考えてしまうし、読んだばかりの戸籍についてもつながっていくし。やっぱり#オードリータン の考え方は真っ当だなとも思ってしまうし。そして読みたい本はどんどん増えていく。もうちょっと強靭な脳が欲しい。
権力はあちこちで勝手に根を張って、わたしたちを脅かすけれど、わたしたちもそれを許してる。抜いても抜いても、気がついたらまた蔓延ってくるけれど、地道に抜いていけば、次にここに住む人たちは、少し気持ちのいい場所で生活できるだろう。
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アナキズム、アナキストという言葉がよくわかっていないが、暮らしの中に政治があり、政治は政治家だけがするものではない、ということはこのコロナの時代、みんな納得するだろう。多数決で決定しない、勝ち負けをつけないで、何とか妥協案を探っていくという姿勢は、とても大変だろうが簡単に諦めてはいけない民主的な解決法だと思う。
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鶴見俊輔はアナキズムは「権力による強制なしに人間がたがいに助け合って生きてゆくことを理想とする思想」と述べた。デヴィッド・グレーバーが考えた「アナキズム」は「無政府主義」から連想される破壊的なカオスではなく、より民主的な政治が可能になる社会形態を目指す理念と述べた。多数決は民主主義ではなく、可能ながぎり合意が得られるほど対話を繰り返すことが民主主義であり、古いといわれるものや未開と言われる地に、実はヒントがあることを文化人類学者である著者は言う。コロナ禍で多様性が強調され出したのは偶然ではないかも知れず、これからの国家や民主主義を考える契機になると思われる。同時に行政とは別の「まちづくり」にそのヒントは隠されているかもしれないという発想が湧いた。
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くらしのアナキズム 松村圭一郎 ミシマ社
ここで言うアナキズムは
無政府主義という意味ではなく
鶴見俊輔によると
権力による強制なしに互いに助け合って
生きていくことを理想とする思想だと言う
つまり相互扶助・切磋琢磨・自律共生関係
互いに与え・受け取り・返すと言う
三つの循環を満たすことで調和を目指す関係を
アナキズムによる集いと呼ぶ
出合いの構造からみる社会には
群れと集いの二種類があり
利害による群れ
地域による群れ
行動による群れ
血による群れ
情=家族による集い
愛=友による集いの五種類がある
「群れ性」の結束力は強いが
利害関係が崩れれば
可愛さ余って憎さ百倍となり
傷つけ合うことにもなる
「集い性」の粘着力は薄いが
違いを乗り越えて補い合うことができる
結果重視の唯物主義と違い
プロセス重視で人と人がゆるく
有機的に対等につながるアナキズム社会は
法という無機的な縦社会の権力構造と違い
集い性が高いのだと言えるだろう
平等社会は善人の善人によるユートピアではない
むしろ我欲という業を抱えた
不完全な存在だからこその仕組みなのだ
民主主義の根底には同意というコンセンサスがあり
多数決による勝敗民主主義とは相容れない
全会一致主義は封建的・作為的・少数派圧殺というよりも
あえて多数決をしない部落の暮らし第一主義なのだ
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本書には、『目の前の他者を大事にしよう』という空気に溢れている。
だからこその、ともすれば混沌をもたらしてしまいそうに聞こえる『アナキズム』に深い洞察と共感を与えてくれるのだろう。
翻って、「現代の政治や私たちの思想は、意見の異なる人がやっていけるように、知恵をシボレているか、小異を棚上げ出来ているか」、と問い掛けてくるようだった。
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いやーこれは面白かった。
つまりアナキズム=無政府主義者みたいなのはオッカナイものではないと。それはむしろ太古?から非西洋文明なところからあるということ。
そして面白いのが今の民主主義=多数決みたいなのがあるのでなくて、もっとリーダーはごりごり変わるし、そもそも「国家的」なしくみがなくても回っていたし、していると。
国家自体が搾取ではないかという単一的な話や問題提起でなく、もっと本質的に人類学だったりからアプローチして考えると。
読後感としては、まとめるとかなり日々努力みたいなのになりがちだが、実際に先が見えない中でどう試行錯誤していくかというところで、それこそ原始的な意味で、自給していくにはどうすればいいか、自分でそれこそ「つくる」ことを大事にしたり、消費=仕事を生み出す=経済と捉えると、ただお金を使うというよりは、誰かの役に立つ=経済みたいになるし、投資でもあるし、なんだか応援的な意味にもなるだろうと。
考える切り口として暮らし、日々の生活というところだけど、国家とか既にある行政とか、そういうことでなく、コミュニティでもいいし、関係性でもいいし、作っていくことはものすごく自然な感じがする。
別に国家を破綻させたり転覆とかでなくて(笑)カウンターとしての考え方を入れてもそれが結局消費されれば終わるので、どう取り組んでいくかみたいなのがツボだというところを得る。
別に社会主義だとか、パーマカルチャーで原始的に物々交換しようとかってことでもなくて、哲学というか一個ずつ考えていくと、やはりそこに生きる人が、僕も含めて楽しいとか幸せとかって思えないなら結構まずいんだろうなあと。それは尺度としてなにか比較するものでもないが、とはいえ鎖国して閉じ込めるものでもない。そのあたりの感覚めちゃくちゃ大事で、かなり勉強になった本だった。面白い。
グレーバーもそうだけど、人類学やっぱ面白いと感じた一冊。入門書としてもいいかも。
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同じ著者の「うしろめたさの人類学」もそうだったが、新しい目が自分の中に増えたような、自分の場所が少し空間上動いたような気がする。
優しい言葉で書かれているので、すごく理解した気になるけれど、まだ自分の中できちんと消化できたわけではない。言葉にもまだできない。でも確実に何かが変わった気がする。
抜き書きも途中でできなくなってしまったので最初の方だけ。
"「公けの仕事の負担そのものが報酬」。そう思えない人には、そもそもリーダーの資格はないのだ。" 85ページ
"リーダーは自分の利益のために動くものではない。共同体のために働き、分け与えるべきだ。" 87ページ
"レヴィ=ストロースは、「同意」こそが権力の源であると同時に、その権力を制限するものだといった。それはあきらかに民主主義の理念そのものだ。本来なら、国民が納得できる言葉をもたず、同意をえるどころか、発言するたびに失望させるような者に政治家の資格などない。" 93ページ
"ぼくらが必要以上に働こうとするのは、必要をこえて働くことを強いられてきた歴史や隷従の欲望が隠れているからかもしれない。" 96ページ
"国家の根底には、一部の者のために多くの者が働くことを強制する力がある。それがあたりまえになると、労働を拒否して余暇を楽しむよりも、蓄積をしようとする欲望が膨らんでいく。それをうながしてきた力こそが、国家の「拘束する威力、強制の能力、政治権力なのだ。" 96ページ
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『くらしのアナキズム』
アナキズムのイメージを変える本。アナキズムは世界史の教科書では、反乱分子をして描かれることが多く、危険思想として紹介される。しかしながら、現代的にはそのエッセンスの再評価が進んでしかるべきであろう。自己責任論の増加により、福祉国家構想がとん挫しつつある現代において、これまで以上に国家に期待をして、なおかつ寄生しようとするのは限界があると感じる。そうした中で、自生的であり、相互扶助的なコミュニティの再建は急務であろう。くらしのアナキズムで紹介されているアフリカの事例などでは、一刀両断することなく、物事のナカを取ったり、話を収める長老が出てくる。最近は、民主主義が多数決と混同されて久しいが、本来的な民主的な手続きとは、組織がより長い間存続できるように、誰にも花を持たせ、誰にも我慢してもらうことであろう。アナキズムは国家のような絶対者がいない中でも、人々が共生する技法を教えてくれる。これは、自己利益のために国家からの徴税を免れようとするリバタリアニズムとは一線を画するし、より建設的である。アナキズムに学ぶところは大きい。