紙の本
もう一度読みたい
2016/09/21 23:11
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投稿者:ほんだくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学生のころにゼミで読んで(読まされて)、難解で脱落した記憶が…。
30年ぶりくらいに沖縄問題を考えるために再読したら、いまだからわかることもちらほら。まだ難しいけど、読書力を鍛えるにはいいかも。
こっちが終わったら、「ヒロシマノート」もはやく読まないと。
紙の本
沖縄ノート
2001/03/06 14:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ヒロシマ・ノート」などの著書があり、戦争や核兵器などに多大な関心を寄せる大江健三郎氏が米軍の基地をもつ沖縄について見たことや聞いたこと、思ったことなどを書いた作品。
紙の本
赤松隊長
2023/05/29 00:13
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
沖縄の集団自決の嘘とか、村長が依頼したこととか……。どこであっても、それがいつでも、歴史は、都合の良いように作られるんだなあ~と、思いました。ひどい話ですね。もっともっと、訂正事項、ありそうだけど。
紙の本
渡嘉敷島集団自決の60年過ぎて明かされる真実。
2006/08/29 05:30
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投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは、産経新聞2006年8月27日の記事でした。
照屋昇雄(82)さんが「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」と答えています。
その産経新聞一面には
「照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして『準軍属』扱いとする案が浮上。村長らが・・赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、『命令を出したことにしてほしい』と依頼、同意を得たという。」
「照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省は32年5月、集団自決した島民を『戦闘参加者』として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。」
照屋さんへのインタビューの最後の質問は
「あらためて、なぜ、今証言するのか」とありました。
答えて
「赤松隊長が余命3ヵ月となったとき、玉井村長に『私は3ヵ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」とあります。
援護法を受ける資格調査についても具体的です。
渡嘉敷島での聞き取り調査を一週間で100人以上から聞いたそうで、
「その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか」という質問には「一人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」と答えております。
そして
「民間人から召集して作られた防衛隊の隊員には手榴弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、一人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣りの島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」
「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた・・・」
中学教科書に
「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)とある。このままで教えでいくのでしょうか?
そして、
今回紹介する新書にある、
赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」という記述は、大江健三郎氏によって訂正されるのでしょうか?
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本書はまさに沖縄返還直前の1970年〜71年に書かれたものであるから、現代にあてはめて考えるのは無理だと思うし、実際こういった解釈で世の中に対峙するのは逆に危険な訳だが、知っててばちの当たるもんでもないけど、知っていないとばちが当たるかもしれん。過去に対して何を言う権利も無く、ただ与えられる言葉を理解して考えるだけという地味な読書だが、何がしかの種は残る筈。印象的な挿絵カットは儀間比呂志氏版画集「沖縄」ほかより。丸みを帯びた輪郭ながら力強いタッチに迫力アリ。
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沖縄に対する見方が変わった本。確かに、戦後処理の犠牲者として沖縄をみることも出来るな〜と。自国のこと、分かっているようで何も分かっていない。そんな自分に気付いた。
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薩摩の血を持つ北海道人のシャモである当方にとって、この本はまた別の意味を持つ。
琉球王室の、薩摩の、日本の暴力に常に晒されてきた沖縄が戦後日本の生贄として米国に支配される状況、そのあらゆる意味を、大江氏は日本人である自分を絶えず問い直すことで可能な限り誠実に可視化しようと試みる。沖縄の状況の、なんと北海道侵略及び支配に似通っていることか。そしてその沖縄がベトナム侵略のベースとなり、北海道がイラク侵略のベースとなるさまのなんと似通っていることか。
琉球の人々をかくのごとく搾取した薩摩が近代において北海道でこれを上回る過酷さをもって先住民族の命と文化を破壊したのは偶然ではあるまいと思う。
当時の日本人の男としての限界性を覗かせつつも、当時の日本人の男として可能な限りの誠実さをもって、そこに向かい続けようとする若き日の大江氏に共感と拍手を送りたい。
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(1972.05.11読了)(1972.02.05購入)
(「BOOK」データベースより)
米軍の核兵器をふくむ前進基地として、朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に、日本および日本人から放置されつづけてきた沖縄。そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい。沖縄をくり返し訪れることによって、著者は、本土とは何か、日本人とは何かを見つめ、われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす。
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故郷のこと自分は知っていなきゃいけないと
思って読んでみたものの。。。
精一杯に生きている人々。島の空、空気
確かに当時の姿をよく書いていると思う。
しかし、いまはあの頃とは違う空気が流れているはずではないか?
未だに読まれる理由とは?裁判問題なったのはなぜなのか?
新たな疑問が湧いてきてしまう。今読むとこんな世界が日本のすぐそばにあったんだ〜
と他人行儀でしか思えない。
戦争は世界で起きているのになぜ日本だけを取り上げるのか?
彼を良く知るべきなのでこれ以上は言えない。。。
う〜〜ん。。。
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また、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きましたね。なんべん同じことが繰り返されたら気が済むのでしょうか。いきどおりで胸がいっぱいになりました。このニュース、朝の報道番組でやっていました。アナウンサーが「沖縄は今、怒っています!」と訴えていました。わたしも「そうだ!」と思ったんですけど、その番組に出ていた出ていた評論家みたいな人が「今、○○さんは原稿を読んだだけだろうけど、沖縄はいま怒っています、って言うのは沖縄は日本とは別だろうということになりますよ。日本が怒っていると言うべきじゃないかな」というふうな意見を言ったんです。これってけっこうショックだった。わたしもそのアナウンサーの方と同じに「沖縄は怒っている」って思いこんでいたんですから。ていうより、与えられた原稿を読むように沖縄に同情的な言葉だけをいじくっている自分に気がついたんです。そうなんですね、沖縄のことをわたしたちはなんか他人事みたいにいつも思っているんじゃないかなあ。この事件は確かに日本の問題だし、そういうことは自分自身の問題でもあるはずなんですね。だけど、私たちの頭の中には沖縄=米軍基地って結びつけるだけじゃなく、自分たちとは関係ないって処理しているところがあるんだと思う。
いや、それだけじゃないね。相前後して岩国の市長選挙もあって、米軍の再編の問題が問われたんだけれど、岩国と沖縄はやっぱりなんか違う感じがするのね。どうしてだろう。沖縄って、昔は琉球王国で、ひとつの国だったんですよね。それが琉球処分という形で日本に属することになり、そして戦争を理不尽に体験したところであるし、戦後二十七年間アメリカの支配下にあったってのは岩国とはまったくちがうとこかな。
そしたらこの本を思い出したんですね。『沖縄ノート』。これが本棚の隅にあったわけですよ。岩波新書で薄いから目立たなくってね。手に取ってみたらずいぶん昔の本みたいなので奥付を見ると一九七〇年九月だって。母に聞いたら学生時代に読んだ本なんだって懐かしがってました。
一九七〇年といえば、沖縄は復帰前。まだアメリカの支配下にあった時代ですよね。それでベトナム戦争なんかがあって、沖縄は重要な軍事拠点だったってんですよね。そして、沖縄の本土復帰って一九七二年だったのだから、ちょうどこの本は復帰のちょっと前に書かれたことになる。この頃大江健三郎は沖縄に通ってこの本を書いたんだ。
この本で大江は日本人とは何かということを問い続けている。これが本書の主題だ。日本人とは何か、っていうのはナショナリズムを鼓舞するために問うているのではないのね。沖縄という存在と向き合いことで日本人に生まれてしまった自分を問い直す作業のようにわたしには思えた。たとえば「沖縄の、琉球処分以後の近代、現代史にかぎっても、沖縄とそこに住む人間とにたいする本土の日本人の観察と批評の積み重ねには、まことに大量の、意識的、無意識的とを問わぬ恥知らずな歪曲と錯誤とがある。それは沖縄への差別であることにちがいはないが、それにもまして、日本人のもっとも厭らしい属性について自己宣伝するたぐいの歪曲と、錯誤である」なんてね、すごい問題意識だと思う。
���して大江健三郎は「日本が沖縄に属する」という命題を提起するんです。えっ?だよね。沖縄の本土復帰運動のさなかに「沖縄が日本に属する」と言う人は数多いただろうけど、「日本が沖縄に属する」なんて倒錯した命題を立てるに至った大江はすごいなあ。でも、それってどういうことかって?それは自分で読んでよ。
ともかくね、プロローグも入れて十編の大江健三郎の思索が詰まっている。それらをひとつずつ読みながら大江と一緒に思索していくと、一九七〇年という時代の中で沖縄と日本を問い詰めていった大江の問題意識はちっとも古くはないと感じました。ていうより、あの戦争を免罪しようという、まして住民を巻き込んでいった沖縄戦を正当化しようという人たちが平然と出てきている昨今では逆に新鮮な問題意識が伝わってくるのね。
そういえば、渡嘉敷島での住民に対する日本軍による自決命令をなかったことにしようという動きの中で、この『沖縄ノート』は非難されている。そうかなあ、と思って読んでいくとさすがに大江は先をよんでいました。当時の守備隊長が沖縄に来たという報道に触れて、「おりがきたら、この壮年の日本人は、いまこそおりがきたと判断したのだ、そしてかれは那覇空港に降りたったのであった」と、その守備隊長の判断を分析しています。「おりがきた」すごい的確な判断基準ですね。大江は言います、「日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申し立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ」というくだりはまさに今、今の日本をあらわしてはいませんか。集団自決命令はなかった、なんてここに来て言い出すのは二度目のおりがきたことを意味するのだろうなって。そういえば平成の御代になって南京虐殺はなかったとか、従軍慰安婦なんていなかったとか、言う人たちが増えてきましたね。なんかそうやって過去を否定するおりがきたと見ているんでしょうね、あの人たちは。
『沖縄ノート』にはこんな話が書いてある。「たとえば、米軍の包囲中で、軍隊も、またかれらに見捨てられた沖縄の民衆も、救助されがたく孤立している。そのような状況下で、武装した兵隊が見知らぬ沖縄婦人を、無言で犯したあと、二十数年たってこの兵隊は自分の強姦を、感傷的で通俗的な形容詞を濫用しつつ、限界状況でのつかのまの愛などとみずから表現しているのである」と。そのようなおりがきたところでの記憶の歪曲をもって大江は自分自身に問いかけているのでしょう。
そういえばこの『沖縄ノート』を以て大江を告発している人たちが重要視している曽野綾子の『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』(WAC 九三三円+税)では、そうした命令は出した記録はないということまでを言い、「勿論、当時は軍人が何よりも偉く、恐ろしかった時代だから、軍から頼まれたことは、即ち命令としか聞こえなかったであろう」(二八九頁)と書いていました。そのことをおりがきたら「命令なんかしてない、勝手に死んだんだ」なんて開き直っているんだと思いました。
そうそうこの『沖縄ノート』は出版され続けているのできっと読んでね。
★★★★ 四〇年近く前の本だけど、本質は何も変わっていない。沖縄もすっかり変わったようだけど��今回の事件や教科書問題での動きを見れば、本土の人間にとって都合のいいおりがくることなんてあってはいけない。そのためにもぜったいに読んでね。曽野綾子の本も読んでおくといい。おりがきたときの言い訳の参考になるから。
しかし、世の中いろいろだ。僕のいいたいことも読んでほしい。
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[ 内容 ]
米軍の核兵器をふくむ前進基地として、朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に、日本および日本人から放置されつづけてきた沖縄。
そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい。
沖縄をくり返し訪れることによって、著者は、本土とは何か、日本人とは何かを見つめ、われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす。
[ 目次 ]
プロローグ 死者の怒りを共有することによって悼む
1 日本が沖縄に属する
2 『八重山民謡誌』’69
3 多様性にむかって
4 内なる琉球処分
5 苦が世
6 異議申立てを受けつつ
7 戦後世代の持続
8 日本の民衆意識
9 「本土」は実在しない
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の評論での代表作の一つ。
沖縄ノートとひろしまノートは、それぞれノートという題をもらっているが、内容の方向性は違うかもしれない。
時代を代表する作品であることと、大江健三郎の個人としての記録であることに違いはない。
始まりは広島ノートと同じ様に個人が遭遇した事象から始めている。
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「日本は沖縄に属する」という文章が衝撃的だった。
沖縄問題を民族レベルにまで掘り下げて、議論している本。
柳田邦男の民俗学を思い出すような内容であった。
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2011/4/22『大江健三郎さん勝訴確定 「沖縄ノート」訴訟』というニュースを見て、本書を読みました。沖縄が戦後の米国統治体制の中で日本「本土」から切り離され、沖縄が本土に住む日本人の意識の淵に沈んでいく事を危惧した本・・・そして1972年の沖縄返還まで。自省や複文が入り混じってかなり難解でしたが、大江sanの真のメッセージを考えたいと思います。
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大江さんは『死者の奢り・飼育』しか読んだことなかったけど、小説作品にも増して難解やね・・・。
けど謝花昇の生涯に関する箇所だとか、かの有名な渡嘉敷島の悲劇なんかは読んでてなかなか心打たれるものがある。
大江さんお得意の内面をえぐりこむような日本人の精神分析は圧巻。
ユングの集合的無意識に通じる部分がある気が。
沖縄戦よりは基地問題・返還問題のほうがメイン。