紙の本
大切なお話
2021/12/31 11:53
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴー - この投稿者のレビュー一覧を見る
解剖学者で昆虫大好きの養老先生は、いつも考えるヒントをくれます。
この本は2020年5月以降に新聞や雑誌に寄稿されたものを集めて加筆修正されたものです。
先生がご自身を不要不急だと考えておられたなんて、知りませんでした。
紙の本
久しぶりに養老孟司氏のエッセイ
2022/01/07 21:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
久しぶりに養老孟司氏のエッセイを読む。コロナ禍の中、世の中の人間の動きを独特の感覚で描く。不要不急という言葉のものさしは、世間という状況にある。そして都市生活は、人に様々なストレスをもたらすが、コロナ禍の影響によりさらに増し、おかしくしてしまう状況を彼は危惧している。自分に居心地の良い「場」をつくる必要があるようだ。現代日本を「やむをえない国」と表現し、そこに住む人の意志とは無関係に世間が動いていくことを仕方がないことと思っている日本人を、心の中で心配しているようだ。
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コロナで「不要不急」という言葉が毎日のように聞かれ、ステイホームが推奨されて、これまでの日常の当たり前が当たり前じゃなくなったりして、いろいろなことを見直してみるきっかけにもなった昨今ですが、そんな中で、養老孟司さんの本でも読んでみようかと思って、読んでみました。
戦争を経験した昭和の時代から、平成、令和と時代が進む中を生きてきた養老孟司さんの振り返りまとめ的な一冊。
感想を書くのが難しい本です。
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『そのエネルギーがなぜ必要なのかというなら「意識という秩序活動」が要求するからである』―『1 人生は不要不急か』
養老先生の著書の感想を書くのはいつも難しいけれど、今回は輪をかけて言葉が出てこない感がある。それは、いつにもましてここに書かれている事柄が人生観、いや死生観に基づくものだと感じるからなのかも知れない。
半ば諦観のような響きのする言葉が並ぶようである。けれどそれが養老孟司の養老孟司たる所以。次から次への湧いてくる問題の種に意識が向かうからこその立ち位置なのだろう。養老先生には既に「遺言」という著書があるけれど、こちらもまた残しておきたい言葉の数々という位置付けなのかと想像する。
人生は河のようだと先人たちは繰り返し言う。「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」。その言葉の意味は飲み込めても、翻ってそれを自分の人生として眺め達観することはできるのか。先達の悟りのような境地の言葉を一つひとつ解剖して現代的な知識から(例えば動的平衡などという概念で)再構築するのが養老先生の特徴の一つであろうと思うけれど、最後に解脱することへの微かな躊躇のようなものが、達観、諦観の裏に見え隠れする。
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人生は不要不急のことばかり。
そう思っていたら、ロシアとウクライナの戦争が始まり、コロナ以上の緊迫感を感じる今日この頃です。
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「バカの壁」で有名な養老孟司の壁シリーズの最新刊。死を身近なものにしたコロナ禍で生きることや社会との関わりなどについて語られており,読むうちに自然と自分の中にある生きる意味や人生というものについて考えさせてくれる一冊です。
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「バカの壁」ぐらいは読んでいるかもしれないが、内容が思い出せないのでもしかすると著者の本は初読みかも。
基本、超絶頭のいい人が、難しい抽象的な話をイメージで語る系のこの手のものは、ド文系の私が科学の難しい論文を読んでいるようで、ほとんど頭に入ってこない。この本も、途中の哲学的話題の部分は、話の外側の箱の形ぐらいしかわからなかった。
それでも、「この社会はほとんど反応だけしている」という部分には深く肯首。コロナ感染者増加!国葬反対!オリンピック!円安!といちいちメディアの情報に反応し、過ぎ去れば何の検証もせず、何事もなかったかのようにもとに戻る。これからの社会は、思考停止になり、反応だけを繰り返す社会になっていくのだろうか。
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気になった一文のメモ
・国家とは政治体制ではない。実質的には供給能力の総和である。(45)
→食糧、医療、コロナワクチン、そういった「供給」がどれだけ国民に提供できるかが国家の力なのかもしれない
・世界と見る時に、神学の位置付けは意外に大切である。(55)
→人の歴史に神(神学)ありきだと思うので、神学の位置づけを知っておくことは教養として必要
・「そうだったのか」と「理解」は向こうからやってくるが、「解釈」はもともとこちらの都合(71)
→理解は感覚の延長で、解釈は運動の延長。解釈は「わかったこと」にできる。
・「意味は外部(の体系、システム)を召喚すること(78)
→意味そのものが独立して存在するのではなく、社会的な行為はお金にならなkれば意味がない。つまり、経済という体系、システムが暗黙に召喚されている
・社会的には理性は学者で、学者は世界を理解しようとする。自由意志は政治家や資本家で、両者は世界を自分の思うように、なんとかしようとする(89)
・二人称の関係、親身になるとはそういうこと。相手と三人称関係であれば、いわば赤の他人(139)
・人間関係で社会停に適切な上手にとることができない。社会てが「わかっていない」。客ではなく、カウンターの内側に入ってしまうタイプ(140)
・伊藤祐靖(いとう・すけやす)『邦人奪回』(143)
→明白な意志をもって行動することは、現代日本社会ではほとんどタブー
・日本の神話である記紀で多用されるのは「なる」。創るより「なる」を優先するらしい(155)
・実際には自然に関わる官業はどこからで自然に復讐される。原発事故を見ればわかる。モノを相手にしていたら、どこかでからなず「想定外」の事態が発生する。現代人はこれを嫌う。だからすべてが人工、つまり意識の産物であるAIに向かう。(156)
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先生が医者嫌いというのは以前から知っていたが、では“なぜ医者嫌いなのか?”とそれによってどういった先生に不都合があるからなのかを本書で知ることが出来て面白かった。
正直その内容については個人的に衝撃を受けるくらい納得させられた。
自分もそうだからという思いが強いからなのだと思う。
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「人生そのものが不要不急」という考え方が好きです。コロナ禍前まで、普通にやってきたことは何だったんだと思います。満員電車も人によっては結果として、不要不急かもしれません。
また著者の養老孟司さんの年齢も考えれば、死というものを意識するかもしれませんが、年齢に限らず、「夜には死ぬという前提で毎日を始める」ことも必要かなと感じました。
猫のまるのことなど、本人は興味がないと言っている政治や経済の話題まで、本当に守備範囲が広い人だと思いました。
まるの死の様に、死というものは当然のことかもしれないけど、やっぱり身近な人や生き物が亡くなるのは、辛いですよね。
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なぜ最後にネコの話?と思いながら読み進めたが、このネコ(まる)の話がいちばん心に残った。
最終ページに掲載された写真も良かった。
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著者の人気の「壁」シリーズです。「ヒト」を題材に、様々なテーマと「ヒト」の関係について、著者の考えを気負いなく述べられています。時期的にコロナが大きく影響を(著者だけでなく)与えているのが感じられます。その中で、コロナ後はどうなってしまうのだろうかということを考えるきっかけになる一冊かと思います。「不要不急」、必要なものだけ、そうでないものは本当になくなって大丈夫なのか。AI化していくということは、ヒトにどのような影響を与えるものなのか。答えよりも、その経緯よりも、どうしてそうしようと考えたのかも重要であること。普段あまり考えない別の視点に気付かされること多々ありました。
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養老先生の日常的出来事に対するエッセイ.結局,各事象に接したとき,自分の頭でどこまで考えるか,そして,自分の頭を使うなら,どこまで深く追究するか,この2段階姿勢のあるなしに収斂しそう.問題は,どうしてこの姿勢の二極化が生じるのか,が問われるべきなのではあるまいか.
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日本/日本人を語った箇所が面白かった。人生を達観した養老先生がやや憂いを込めて(?)現役世代に送るエール、、ではなく、もはや諦めな感の論評。なんにでもすぐに反応してしまう日本人。いったいどうなってしまうのやら。。
といった悲観的な気持ちになっても、最終章の「まる」の話でホッとして、読後感は良いです。
テイクノートした参照本は以下。
カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」
伊藤祐靖「邦人奪還」
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「ああすれば、こうなる」とはならないからおもしろい、と思う。なかなか思うようにならない、それが自然のなせる業で、何でもかんでも思い通りになるとかえってこわい。うちの家の前は土のままである。春にはホトケノザが咲き、夏にはカタバミが咲く。冬場もなんだかつる性の植物が小さな花をつけている。おそらくいろいろな菌もいることだろう。そのためかどうかわからないが、我が家の家族はかぜをひくことが少ない、と思う。養老先生が病院にかかったという話は他でも読んで知っていた。しかし、それほど重いとは思っていなかった。だから最近は元気がなかったのか。でももう80歳代も半ば、致し方ないのだろうなあ。うちの両親も80歳代後半に入って病院に入ったら、結局裏の出口からしか出られなかった。母親は、3軒ほど転々とした上での話。最後はたくさんチューブをさされたりしてかわいそうなことをしたと反省している。まるはどこで死ぬつもりだったのか。それを見つけて病院に連れて行ってしまったのは飼い主のエゴか。しかし、養老先生の猫っかわいがりようは本書を読んでよく伝わってきた。2人称の死について気になっていることがある。長く一緒に仕事をしていた。その後、離れていて、聞くと病気が見つかってかなり大きな手術をしたとのこと。その後一度だけリモート飲み会をしたのだが、それからの様子が聞けないでいる。再発したりしていなければよいが、連絡を取って何かがわかってしまうのがこわい。2人称の死であっても知らないままで何十年とたてば、その間はその人は僕の中で生き続ける。頻繁にSNSなどに書き込みをしていた人がぷっつりと途絶えるとそれも心配である。まあでも、単に面倒なだけかもしれない。自分の中のブームが去っただけかもしれない。自分も似たり寄ったりだし。ところで、今回はいろいろと本の引用があったように思う。いままではそういうのがなかったような気がしている。アイデアはみんな養老先生のオリジナルかと思いきや、もちろんそれはいろいろと読んだ上で自分の中で消化吸収して話されていることなのだろう。だれのアイデアかなんてわからない、だからプライオリティとかあまり気にしない、というようなことをどこかで読んだ記憶もある。僕もだいたい誰かの受け売りであることが多い。40%くらいが養老先生だろうか。あとは森毅、梅棹忠夫、河合隼雄、内田樹あたりだろうか。壁シリーズ、「自分の壁」だけなかったので、この機会に買いそろえた。そして、なぜか「死の壁」のレビューは見つからない。