紙の本
ひどいですね
2022/08/15 21:14
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人の命がとても軽く扱われている。
女性の心も体もとても軽く扱われている。
あまりにも酷い。
人権蹂躙、パワハラ、女性蔑視、差別、滅茶苦茶酷いセクハラ、犯罪
著者の取材力に敬服いたします。
紙の本
理不尽な犠牲者
2022/05/07 10:10
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、終戦直後のソ連侵攻によって満洲で何が起きたかを知らせてくれる。日本人は、安全を図るために一部の女性を性の犠牲者としてソ連に差し出したのである。その選別にも差別がある。
そもそも、ソ連兵が強奪強姦などの犯罪を起こしたことや、それを放置したソ連当局が問題なのであるが、本書は、主に日本側から見た問題や体験について焦点を当てている。最近のウクライナでのロシア軍の行動とほとんど一致する。そういう意味で、現在のロシアは、人権感覚のないソ連時代とほとんど変わっていない。
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タイトルどおり『差し出された娘たち』の話し。差し出した男たちや差し出されなかったけれどそのことを知っていた女たち、それに娘たちを差し出されたソ連兵たちはどう思っていたのだろう。まあソ連兵は「ラッキー!」「当然じゃん!」なんだろうけど。自分が女だから、ことを進めた男たちには嫌悪しか感じない。今を生きているから「日本に帰る!」と思いがあったにせよ、こういう選択をした人たちにも嫌悪しか感じない。でももし自分がそこにいて自分が差し出される娘の一人だったら・・・?あるいは差し出されなかった女だったら・・・?戦争はつくづく男のものだ。
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ソ連兵へ差し出された娘たち
著作者:平井美帆
発行者:集英社
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
ブックログ
facecollabo home Booklog
https://facecollabo.jimdofree.com/
敗戦直後の満州でソ連兵から皆を守るために一つの開拓団が下した「究極の決断」とは
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ニュースサイトで見た時から「なんで未婚女性なんだ?」て不思議だった。
この時代だと婚前交渉に死ぬほど厳しかったろうし
ありていに言えば処女であることに価値がおかれると思ったから。
著者が「まだ誰の”所有物”にもなってない未婚女性」と
書いてて、そういうことか、と衝撃だった。
女性の扱いは私が思ってたよりはるかに下だった。
団の幹部は子どもにとっては「いいお父さん」だし
喜子さんの弟もお姉さんを慕ってた。
けど団の幹部は女性たちに謝ってないし喜子さんの弟もよその女性には
想像力が及ばない。
ジャーナリストの女性が大御所ジャーナリストからの性被害を訴えて
TVに出てきたとき、
たまたま一緒にテレビ見てた男性が非難するように「性被害訴えるのにこんな胸元開いた服で出てくるかね」と言い出してびっくりした。奇抜な服ではないし何着ててもいいし、何着てたって性被害を受けていいことにはならんのに。
この人は普段はそこそこ良識的な人。
この辺のことは2022年もあんまり変わらない。
TVの件はとっさに何も言えなかったけど言えるようにならなければ。
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このことは前から知っていた。その時はソ連兵が酷いと思った。もちろんそうだけど日本の男も帰ってからの周りの日本人も酷い。(残念だー。語彙力)日本人はこんな事があったと知っておかなければいけないよな。
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戦争の貴重な記録であり生存者の生の声である。団の防衛と生存のため人柱にされた独身の女性たちの苦しみの声が聞こえる。そしてそれを強いた団の責任者達の「減るもんじゃなし」という女性蔑視、男尊女卑の思想が当たり前の社会の恐ろしさ。そして今も男の中に根強く残る女性差別。やりきれない思いだが、この本が心ある男たちに響いてくれたらいいと思った。
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従軍慰安婦については、強制連行と表現するのは適切でないというのが、日本政府の公式見解(閣議決定)になっています。
満州でも、婦女子は強制的に性の饗応者として差し出されたのではないと思います。
でも、当時の空気としてほぼ強制的な形で、ソ連兵の前にさし出された女性はいたものと思われます。
同じ空気を共有した、日本国民としての朝鮮国においても、同じように空気に強制された方はいたのだろうと推測されます。
そして、さらに、プーチンが戦場に駆り出した犯罪者集団によって、現在もウクライナで同じような、いや、犯罪としてのレイプ行為が行われているだろうというのは想像に難くありません。
自分の妻や子を守る気持ちがあるなら、ウクライナ支援についても積極的に行動しなければならない。
改めてそう感じました。
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きついな。厳しい。
何事もミクロとマクロがあるが、特に戦争について言えば、ミクロは悲惨以外の何もない。
弱いものからの目は、なおさらだ。
大陸の人間が大概獣みたいなもんだが、その時の、この判断が、本当にそれしかなかったのかどうかは、後で考えれば価値が変わってくるものだからそれだけで責める気はあまりないが、当然、今後にも備えて検証する必要はある。
しかし、あまりにも「男ども」の、クズっぷりが際立つ。
その場ではなくて、その後だ。
臭いものには一生蓋をする。それが、だめだ。
減るものじゃなしとか、喜んでたみたいな、気の遠くなるような外道な台詞。
だがそれは、そうしないと自分達も壊れてしまうからなんだろう。二度殺される、という、オトコ側の言葉は嘘ではないと思った。
あれだな、フロイトとか、ユングの世界だな。思い出したくないことに蓋をするから。一旦それを明るみに出さないと、解決しない。
向き合えば耐えられないからこそ、向き合わないと進めないものがある。
そういう本だと思う。
もちろんこの著者の視点が全てとも思わない。
男の性はでは、非人間的な業なのか。
綺麗事抜きの剥き出しの世界に、どう向き合うのか。
あっちこっちでぎったんばったんしながら、何かの正解に辿り着けるのか。
日本を取り巻く情勢を考えれば、否が応でもそれに直面する場面が、早晩訪れる気がする。
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若い娘をソ連兵に「接待」に出しておいて、あとから「ロスケにやられた女」と負の烙印を押しつける。戦争が何をもたらすのか。目を背けてはいけない過去の現実。
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満州開拓団として中国に渡った人達の敗戦後の悲惨な歴史。
敗戦後は現地の満州人からの暴動から、開拓団を守る為に数えで18歳以上の未婚女性が選ばれ、ロシア兵への「接待」を行った。
過酷な環境のために、生理も止まっており妊娠する事はなかったようだ。
敗戦後しばらくすると、日本へ帰る為に港へ移動する際にも満州人にも身体を提供する事を余儀なくされる。
戦前、戦中では女学校で貞節を守る大和魂を教え込まれた少女達の経験した事は筆舌に尽くしがたい。
帰国した後も、故郷でも、同じ開拓民からも差別を受けた彼女らの事を思うと胸が痛い。
戦争では全ての人に等しく被害があるわけではない。男性は戦線へ送られたとしても亡くなってしまったとしても、靖国や遺族からは尊敬を受ける一方、身を挺して開拓団を守った彼女達への賞賛などない。
本書はミクロのケースを取り上げる事で、戦争の悲惨さの一端を知らしめている。高齢の彼女達の話をここまでまとめるのは難しかったのかも知れないが、もう少し綺麗にまとめて欲しかった。
さらに現代の価値観で当時差別を行った開拓団の男性を責めている描写もあるが、エリートならいざ知らず当時の一般市民にそのような思想などある訳なく責めるのは酷だろう。
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真実の前では言葉はあまりにも空疎だ。なのでコメントは差し控える。歴史の片隅で忘れ去られることが必定の事実を後世に書き残すことがどれだけ偉大な仕事か、改めて考えさせられる。第三次世界大戦の扉が開かれるかもしれないこのタイミングで、殺し合いとは別の戦争の悲惨さを追体験しておくことは無意味ではない。
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昔、満州からの引き揚げ体験談に、そういった仕事をしていたとされる女性たちが、自ら申し出てソ連兵の求めに応じてくれたから、自分たちは日本に帰ることができたと書いてあった。あれは、本当に、自らだったのだろうか。そう申し出ざるをえない状況にあったのではないか。この本を読むと、そんなことを考えてしまう。どれだけの女性がつらい思いをしたのか。しかも、満州にいた時だけではなく、日本に帰ってからも、揶揄され、差別され、つらい思いは続いたのだ。
戦時性暴力のことを読むたび、「戦争は怖い」「戦争は人を変えてしまう」と思ってしまうけれど、その根底にあるものは平常時から醸成されている、とこの本は言おうとしている。女性の「性」が物のごとく消費され続けることに無意識・無自覚でいることが、悲劇の元凶なのだ、と。
犠牲は美しいものではない。
当事者にとってそれはいつまでも過去にはならない。
「ならば私たちも安易に過去にしてはいけないのではないか」
重い、重い話だけれど、何が行われたかをきちんと知っておきたい。
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読んでいる間、ずっと胸が苦しかったです。
ページを開くたびに、暗鬱とした気分になりました。
犠牲になった「乙女たち」に、心からの同情を禁じ得ません。
直截的なタイトルが示す通り、敗戦後、満州でソ連兵に「性接待」を強要された、日本人女性たちの話です。
著者の平井美帆さんは、丹念に丹念に女性たちの証言を集め、ハードカバーで332ページの大著にまとめました。
歴史の闇に埋もれていた「人身御供」の全貌を掘り起こしたのです。
まさに労作というほかありません。
犠牲になったのは、現在の岐阜県から満州へ渡った「黒川開拓団」の女性たちが主です。
敗戦後、暴徒化した満州人をソ連兵に守ってもらうため、黒川開拓団の幹部らは18歳以上の未婚女性をソ連兵に差し出すことを決めました。
性接待のための施設も設けられ、女性たちは、そこに入れ代わり立ち代わり現れる屈強なソ連兵の性の相手となったのです。
何というおぞましいことでしょう。
多くの女性たちは、現在では他界したか、存命でも90代の高齢です。
存命の女性たちの中には、今でも「ガチャリ」という金属の音に怯える方がいます。
ソ連兵が腰のベルトを外す音に聞こえるのです。
女性たちの受けた心の傷の深さは計り知れません。
女性たちは、満州から引き揚げた後も辛い目に遭いました。
むしろ「地獄」はここからだったと言えるかもしれません。
ソ連兵に性接待をした「汚れた女」と差別を受けたのです。
団を守るために犠牲になったにも関わらず、です。
自分が性接待に出ることで、2歳下の妹を守ろうとした「善子」という女性がいます。
善子に守ってもらった妹の久子は、引き揚げ後の善子について、こう証言します。
「帰ってきたら冷たい目で見られ、親戚からも嫌がられ、『帰ってこにゃ、よかった。途中で死にゃよかった』って……。姉さんがどんだけ……、どんだけ、私に言ったかしれん」
開拓団の男の中には、貞操を守って自決した女たちを称賛する者までいたそうです。
あまりといえば、あまりにも酷い話です。
このレビューを読んでいて、「非常時だから仕方がないのでは」と訳知り顔で思った方もいるのではないでしょうか。
あなたのような反応は決して珍しいものではありません。
著者はしかし、その反応の底にある心理を次のような言葉で鋭く見抜きます。
「しかし、その許容には、根拠なく設定されている前提条件がある。
自分が犠牲にされない限り、である。」
戦時性暴力の実態をつまびらかにした本書は、昨年の開高健ノンフィクション賞を受賞しました。
まさに衝撃作の名に値する本書をぜひ多くの方に読んでほしいと思います。
最後に、満州にある「乙女の碑」に刻まれた善子の詩を紹介します。
「傷つき帰る 小鳥たち
羽根を休める 場所もなく
冷たき眼 身に受けて
夜空に祈る 幸せを」
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敗戦直後の満州で起きた女性たちへの性暴力。終戦から80年近い年月が経とうとしている2022年の現在、被害者となった女性の肉声を収めることができる最後のタイミミングだったのではないでしょうか。
戦争を賛美してはいけない理由が何かと問われたら、その答えはここにあると思います。もちろん、答えはひとつだけでなくて、たくさんの理由がありそれぞれに優劣はなく、戦争反対の大きな理由の一つです。
彼女たちの悲劇の記憶。ただ自分の胸の内にひた隠しにしてきた人生というものに想像はできないし、安易に同情し理解したつもりになってはいけない。それでも、記録として残しておかないと、歴史から消えてしまう。安易な同情をすることもできずに、時に流され、なかったことにされてしまうのは、違うのではないか。
文中で「非常時だから」「しかたがない」という許容に対して、自分が犠牲にされない限り、という根拠のない前提が無意識にあるから、という一文があります。これが最も危険な考え方ではないかと感じます。
物事の責任を放棄し、思考停止してしまう。
いろいろと思うところのある一冊でしたが、安易に同情してしまいそうになるから、感情の起き所が難しい。被害にあってしまった人々に、自分ができることはないと思う。安易に同情することは、自己満足でしかないと思う。
少なくとも、同じ悲劇を繰り返さないことを目指すしかないのではないか。当たり前だけど、毎年この季節になると繰り返されるお題目ではあるけども、平和を自分達の後の世代へ継続してゆくことが、大事なことなのでしょう。
記憶を残すことでしか伝えられない事実はある。
全てを聞き取ることはできないかもしれないけども、自分が知ることができたことに関しては真摯に向き合わなければならない、と思います。