紙の本
馬鹿八と人はいう 一外交官の回想 (中公文庫)
著者 有田 八郎 (著)
広田、近衛、平沼、米内内閣で外相を務め、三島由紀夫「宴のあと」のモデルとして知られる外交官、有田八郎。満州事変から日米開戦、敗戦までの外交、二度の東京都知事選に挑んだ経緯...
馬鹿八と人はいう 一外交官の回想 (中公文庫)
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商品説明
広田、近衛、平沼、米内内閣で外相を務め、三島由紀夫「宴のあと」のモデルとして知られる外交官、有田八郎。満州事変から日米開戦、敗戦までの外交、二度の東京都知事選に挑んだ経緯などを回想した波瀾万丈の自伝。【「TRC MARC」の商品解説】
広田、近衛、平沼、米内内閣で四度、外相を務め、英米との軋轢を回避する立場から日独伊同盟に反対する。満州事変、日華事変、日米開戦から敗戦までの外交を証言。戦後、革新系政治家として、再軍備に異議を唱え、二度の東京都知事選に挑んだ経緯を回想。三島由紀夫の「宴のあと」のモデルとして知られる外交官の波瀾万丈の自伝。〈解説〉竹内洋【商品解説】
著者紹介
有田 八郎
- 略歴
- 有田八郎
一八八四(明治一七)年、佐渡に生まれ、東京帝国大学卒業後、一九〇九(明治四二)年外務省に入る。アジア局長、オーストリア公使、ベルギー大使などを経て三六(昭和一一)年、広田弘毅内閣の外相に就任し、日独防共協定を締結した。三八(昭和一三)年、第一次近衛文麿内閣に入り、平沼騏一郎内閣でも留任し、日独の軍事的協定強化には反対した。四〇年(昭和一五)年一月に成立した米内光政内閣の外相時代には〈東亜新秩序〉の建設を推進した。戦後、公職追放を受けるが、五三年(昭和28)年、革新候補無所属として新潟一区で衆議院選挙で出馬し、当選、五五(昭和三〇)年、東京都知事選挙の革新統一候補に推され,立候補するが、落選、五九(昭和三四)年、再び革新統一候補として都知事選に挑戦するも落選、これを機に政界を引退した政界から退いた。この間、料亭般若苑の女将畔上輝井と再婚したが、これをモデルにした三島由紀夫の小説『宴のあと』がプライバシー侵害にあたるとして損害賠償請求の訴えを起こした。著書に『人の目の塵を見る』『私のみる再軍備』『これからの東京』ほか。六五年(昭和四〇)年没。
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