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ドゥルーズと革命の思想
著者 鹿野 祐嗣 (編著),廣瀬 純 (著),堀千晶 (著),山﨑雅広 (著)
革命的になることへの留保なき肯定−。思想史的文脈、現実の革命運動との接点、マルクスとの関係といった個々の論点から、ドゥルーズの革命的な思想を支える背景やその具体的な応用実...
ドゥルーズと革命の思想
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商品説明
革命的になることへの留保なき肯定−。思想史的文脈、現実の革命運動との接点、マルクスとの関係といった個々の論点から、ドゥルーズの革命的な思想を支える背景やその具体的な応用実践の場を探る論文集。【「TRC MARC」の商品解説】
ジル・ドゥルーズの思想は「革命」と本質的に結びついている。
ドゥルーズ自身の著書『差異と反復』『意味の論理学』から、フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』、そして晩年における革命的になること(革命的なものへの生成)の留保なき肯定とマルクスへの惜しみなき賛辞にいたるまで、ドゥルーズ/ドゥルーズ&ガタリの思想はその中心概念において、常に革命と緊密に結びついていた。
キューバ革命に呼応する中南米各地の革命的ゲリラの蜂起、アルジェリアやエジプト、ヴェトナムといった植民地独立闘争と一体となった第三世界の革命運動、そして1968年の5月革命など世界的な革命の熱狂のなか、芸術・思想上の革新と現実の社会革命が一体をなして希求されていた時代の息吹が、そこには深く刻まれている。それは革命の可能性を排除する「ポストモダン」や「ポスト構造主義」といった言説とは相入れない。革命を肯定できない者はドゥルージアンではない、と言っても過言ではない。
本書はドゥルーズの思想が誕生する土壌となった時代背景や思想的文脈の探求、現実の革命運動との個別的かつ歴史的な接点の調査といった、精緻なドゥルーズ研究の一端をなす4つの論文集である。
ドゥルーズと政治、ドゥルーズと革命をめぐる探究、その果てしない採掘作業は、今始まったばかりだ。本書はその「期待すべき変革の兆しを告げる、静かな胎動の音」である。【商品解説】
目次
- 鹿野祐嗣「フランスにおけるニーチェ受容史の中のドゥルーズ―― 哲学史家と哲学者という二つの顔の間で」
- 山﨑雅広「《永劫回帰》の体験と体現―― ニーチェからドゥルーズへ、あるいはニーチェからクロソウスキーへ――」
- 廣瀬 純「「同性愛者こそが最も革命的であり得る」―― ドゥルーズ=ガタリ/FLH/ペルロンゲル」
- 堀 千晶「ドゥルーズ/マルクス―― 一九四六―一九七二年」
収録作品一覧
フランスにおけるニーチェ受容史の中のドゥルーズ | 鹿野祐嗣 著 | 17−114 |
---|---|---|
《永劫回帰》の体験と体現 | 山崎雅広 著 | 115−261 |
同性愛者こそが最も革命的であり得る | 廣瀬純 著 | 263−322 |
著者紹介
鹿野 祐嗣
- 略歴
- 〈鹿野祐嗣〉1988年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程指導修了退学(博士)。神戸大学大学院国際文化学研究科助教。著書に「『意味の論理学』の注釈と研究」がある。
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山ザキ雅弘クロソウスキー論
2022/11/21 09:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いほ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この表題の論集としてみると、若干「看板にいつわりあり」な感もあります。出版に至る経緯も書いてありますが(おそらくもっといろんなことがあるんだろうなぁとは思いますが)、あまり説得的ではない。
ただ、各論は面白いです。鹿野廣瀬堀というラインナップも貴重な気がします、が、
なによりも、山ザキ雅弘クロソウスキー論がとんでもない!この表題の論集に編纂されることの是非は問われるべきかもしれませんが、ともかくとんでもない!(ザキの字が使えないようです、すみません)
書き出しの数ページを引用したくて仕方がないのだが(笑いながら)、といった芸風(失礼!)、です。たしかに、ニーチェて変だよなぁ、クロソウスキーてマジなのか?ドゥルーズはマジなのおもしろがってないかい?といった風に続きます。いやすさまじくとんでもない。