紙の本
老女の心のなか
2022/03/26 09:28
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知症を患う主人公・あたしが語る、生き切る女の一生が、読む者の心をしっかりとつかみ、最後まで引っ張っていく。人生を振り返ると、暴力と愛情が入り乱れ、幸福と絶望がやってきて、そして諦めと後悔に苛まれる。老女の心の中で語る音が、浮かぶようだった。長い物語ではないが、人ひとり分の一生が詰まった長さであることには違いない。よい読書をさせてもらった。
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認知症のカケイさんのひとり語りで、150ページに満たない作品なのであっという間に読める。
新聞だったかなにかの書評を見て読んでみようと思い立ったので、どんなテーマなのかそれなりに予測はついていたのだけど。
切ない。とても切なかった。
それでも、カケイさんは決して楽な人生ではなかったし、一見不幸なようだけれど、少なくとも人とのつながりの中で人生を送ることができていたな、とも思った。
孤独に苦しむ人が増えているいま、カケイさんの物語は、切ないけど不幸だったとは言えないなあ、と。
荷物を抱えながら、良いも悪いもある関係性の中で折り合いをつけつつ、気づいたら年月が経っていた。人が生きて死ぬ、とはそんなものかもしれない。でもそれでいいのかもしれない。
人は人とのつながりの中でしか、生きられない。
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タイトルから良さそうと手に取った作品はすばる文学賞受賞作だった。これはきっと良いだろうという直感は外れてなくて、リズム良く進んでいく。
要介護になった老人と過ごしたことがある人なら痛いほどにわかるんじゃないだろうか。身内にに介護士もいるので二重によくわかる。半分死んでる老人の、ただひたすらな毎日がリアルで。リアルで。
すごくよかった。
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認知症のカケイが語る自身の壮絶な一生の物語。全編カケイの語りで構成されてて、それが文章に迫力を持たせてる。すごい本だった。
「わるいことがおこっても、なんかしらいいことがかならず、ある。おなし分量、かならず、ある。」
壮絶な人生の最期だからこそ重みのあることばだなぁ。
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カケイさんの語りで、自身の過去が語られる。同時にみのるさん、嫁、兄貴、健一郎、広瀬のばーさん、みっちゃん。関わる人の人生も浮かび上がる。
語られない人生も浮かび上がらせるカケイさんの語りに圧倒された。スゴい。
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認知症のカケイさんの壮絶な人生。をカケイさんの軽い口調で振り返る。
金魚はどこに繋がるのか…と思ったらそうゆう事だったんだ…。
認知症の方は何も考えてないようで、ちゃんと何かを考えてる。上手く繋がらない事があるけどたまに繋がる。カケイさんはきっと大丈夫だったはず。
そうであってほしい。
またいつもの日常に戻ったはず。
今が今の状態が日常。いつもの日常。
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死んだじーちゃんのことを思った。
じーちゃんが倒れた当時、わたしは高3だった。大学受験だ。
じーちゃんの介護は、同居の伯母とばーちゃんがメインでやってた。
それまでじーちゃんに当たり散らしてた伯母が急に猫なで声になったのは、じーちゃんが倒れてからだった。
あの頃、受験生のわたしをどうするか、家族会議とか開かれてたんだろうか。
結局その年の受験はボロボロだった。だけどそれはじーちゃんのこととは関係ない。
わたしが塾の先生を好きになって、うつつを抜かしてただけ。ただの自己責任だ。
次の年、浪人してなんとか第一希望の大学には受かったものの、じーちゃんに合格した姿を見せることはできなかった。
わたしが浪人してる時、じーちゃんは死んだ。
ばーちゃんがわたしの合格に涙したと母から聞いて、わたしはばーちゃんがそんなに心配してるなんて思ってなかったからそれにびっくりで、だけど、その間にあったじーちゃんとのこととか、そういうの込みでの涙だったのかな、って。今はそう思う。
ばーちゃんは未だに健在で、デイサービスを「幼稚園と一緒だ」と毒づきながらも、自分の得意な分野(漬物作りとか梅干し作りとか、折り紙とかの工作)をそこで存分に活かしてる。
時々よく分からないことを言うけれど、それはあくまで呆けの範囲内で、認知症というものではなさそうだ。
読みながら、認知症の方の介護を経験したことがある方や現在認知症の方が身近にいる方には凄くしんどいのだろうな、と思った。けれどそれ以上にしんどい描写は、主人公カケイさんの壮絶な人生の自分語りだ。彼女がする独白を、冷静には受け止めきれない。
それほどの経験をされてきた方の話を、子どもに話しかけるような猫なで声で、つまりは上の人が下の人に話しかけるようなスタンスで聞き、話しかけていることがあるのだ。
これは人間関係全般に言えることだけれど、わたしたちは、自分より何かができない人を下に見がちで、だけど、歳を重ねたときの「できない」は、教えてできるようになる前の「できない」とは違う。
そして、これは社会福祉士の実習で実習先の人が言っていたのだけれど、「歳を重ねた時の境地は私達も経験したことがないからわからない」のだ。
だからこそ、その「わからなさ」を想像して相手を思いやれるかどうか、その「わからない」世界で生きていることを尊敬できるかどうか、だと思う。
でもわたしはたぶん、親族だったら冷たく当たってしまう気がする。親族だからこそ感情をぶつけやすいし、実際にぶつけてしまうと思う。
だから母に介護が必要になったら、わたしは介護の専門家にみてほしいと思ってる。
そしてそういう選択肢があることに、心から感謝をしたいと思ってる。
自分ができないことを、やってくれている人がいることに。
『ミシンと金魚』
このタイトルの意味がわかったとき、意味のわからなかったそれが、とても苦しい意味を持つものになる。
表紙の渦巻きも、非常に深い意味を持つ。
「そうせざるを得なかった」人達は昔も今もたくさん存在するわけで。
わたしたちが、どんどんどんどんこの作品を読み進めたように。つまりカケイさんの話に耳を傾けたように。
例えば、虐待とかを断罪する前に。
話を聴いてほしいんだ。想像してほしいんだ。「そうせざるを得なかった」ことを。
「間違ってしまった」ことを断罪する人がいるから、人はSOSを出せない。
それが、誰かを追い詰める。
けれど一方で、考える。
わたしはどうだろう。
わたしもよく、断罪する。正論をふりかざす。
けれど、同じ状況だった時に、もし自分に断罪されたら。
何も言えなくなる。
みんな、精一杯、一生懸命、その環境の中で生きているのだ。
でも、その中で起こってしまった「間違い」が断罪されないのなら、別の選択肢が生まれたのかもしれない。
他の選択肢を、もう少し気楽に選べるような、息苦しくない国になればいいな。
母が認知症になったとして、本人にとって痛烈な何かをずっと覚えていたとして、母にとってそれはどんな出来事なんだろう。
わたしが知らない父の姿が、そこにはあるんだろうか。
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読み終わってからのこの”ミシンと金魚”のタイトルが泣ける。
老女、安田カケイさんの一生をひとり語りでストーリーは進んでいく。
介護士のスタッフさんは一律”みっちゃん”と呼んでいる。
ボケているようででも、しっかり昔のことは覚えていて道子を死なせてしまったことに今でも自分を責めている。
(ミシンをかけ続けほおっておいた幼い道子は金魚の水を運動靴で掬ってって何回も飲んでたらしくその晩、疫痢で死んでしまう)
夜は自分でおむつを二枚重ねし、デイサービスでくだらないと思いつつ子供だましのゲームや歌もちゃんと参加する。
二年前に亡くなっている息子、健一郎の嫁に”最近、健一郎は来ないけどどうしてる?”と毎回聞くのがせつない。
著者は1965年生まれの56歳、なのになんでこんな老人に心情がわかるんだろう、と思ったら本業がケアマネジャーだったのね。
この話は想像の産物ではない気がした。
きっとミシンを踏みすぎて足が変形しちゃったカケイさん。
継母に棒で叩かれながら育ったカケイさん。
自分の落ち度で取り返しのつかないことをして子どもを亡くしたカケイさん。
きっといろんなカケイさんの人生が詰まった作品だったと思う。
最期は最後まで守ってくれた兄貴、その兄貴に肩車されてる道子が三途の川で待っていてくれてやっと会えたカケイさん
玄関できっと微笑んで逝ったんだろうね。
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一気に読んだ。
読んだことのない物語だった。作者がケアマネさんで同い年ということで新聞広告を見てぜひ読んでみたいと思った。認知症の人の目線で、語りで、微笑ましく、時に斜め読みをしたくなるくらい凄絶な箇所もあり。
もう一回、ゆっくり読みます。
全国のたくさんのみっちゃんに自分もいずれお世話になるのだろうか。
看取るのも怖い、ましてや自分の死はまだ身近に考えられない弱虫の自分。しばし放心。
装画も意味深です
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花はきれいで、今日は、死ぬ日だ。
最後のシーン、
だいちゃん(育ての母犬)とチャンスがリヤカーを引っ張って迎えに来るところで号泣。犬の素晴らしさを書いてくれてうれしかった。
暴力と搾取、凄絶な女の一生だけれども、愛されて守られていた。兄と広瀬のねえさんがかっこいいと思った。
素晴らしい傑作でした。
※メモ
リアルな介護現場
冒頭の女医に意見する介護士さん素晴らしい人。
介護してくれる人に気をつかってウソをつくとか。
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なんだろう。読み終えた今、全身に鳥肌が立っている。そんなに感動する内容だったろうか?答えはNOだ。
でも、50代後半のこの作者のデビュー作は、緩やかに流れながらも、壮絶で、力強く、もの凄い力量を感じさせる。
カケイは認知症を患い、介護を受けて生活している。そんなカケイにヘルパーのみっちゃんは『今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?』と問いかける。
そこからはカケイのこれまでの人生の語りと現在との生活が混ざり合って物語は進んでいく。
カケイはヘルパーさん全員を『みっちゃん』と呼ぶ。その理由はカケイの過去から明らかになる。カケイの過去はあまりに壮絶で、カケイが認知症で良かったと思わずにいられない。
兄貴と広瀬のばーさんがスゴく良かった。
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認知症の老人の目線で描かれる物語。
人生って辛いことも多いけれど、ひとときでも幸せな経験があれば、それを宝物のように胸に大事に抱えながら生きて、死んで行けるものかもしれないなとしみじみ思う。
この作品を読んでそんな気分になれるのは、私も相応に歳を重ねたからだろう。
元気?と聞かれて「半分死んでる」と答えるカケイが好きだ。
「ここまできたら、生きてたって死んでたって、どっちだっておんなし。向こう岸に足伸ばして、すこうしずつ足伸ばしてって、なんかの拍子にひょいと渡れちゃうようなもんだよ」
あ〜こんな死に方いいなぁ〜。
クスクス笑えて、でも哀しくて、最後は温かい思いが胸を満たす素敵な作品でした。
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最初はなんだか読みにくくて読むのをやめたが…某SNSで絶賛されてあるのを見てもう一度読んでみた。読みにくかったのは最初だけであとは引き込まれた。老いは避けられない。誰しもが通る道なんだよなと改めて思う
。それまでの道はそれぞれだけれど。最期もそれぞれ。たとえどんな道を歩いてきたとしても最期に自分の人生を幸せに思えたらそれでいいのかもしれないな。
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読み始めた途端「腰を据えて読まなきゃ」と感じました。背景説明も無い認知症の老女の語りに前半は行きつ戻りつの読書です。140ページほどの薄い本ですが途中からは胸ぐらを掴まれて振り回される様に物語にのめり込んで行きます。自分を労ってくれる介護職員を全員なっちゃんと呼ぶ主人公の凄絶な過去。そしてなっちゃんたちと主人公のホンワカとしたやり取り。誤解から不仲になった兄嫁の凄惨な体験と和解。少々哀しいエンディングですが、読後感は非常に良く。
第45回すばる文学賞受賞作。
永井みみ(長い耳?)さん、同じく老女が主人公の『おらおらでひとりいぐも』で63歳でデビューした若竹さんよりも若干若いもののこれがデビュー作。世の中には凄い人も居るものです。
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介護をやったことのある人ならきっと心に響く小説になるだろう。
一人の老婆の介護支援を受けながら過ごすシーンが、その主人公の心の声がありありと書かれているのが素晴らしい。
人にはいろいろな過去があり、生業があり、背負っているものもある。痴呆にもなり体はいうことを聞かず、もはや一人で生きることすらも困難ながらも死ぬことは許されない。目が覚める限りは今日も一日生きねばならない。そんな終末期の主人公の生涯が差し込まれているので、読んでいて切なくなる。
人はどこまで耐え忍び強く生きなければいけないのかを思う。安易に自殺なんかでドロップアウトするような人を弱者とは言わない。ほんとに弱者というのは死ぬことを自分で”選択することすらできない”のだから。
「おれ、うたれよわいから~」とか「俺、あほだから~」とか言ってるやつ、そういう奴ほど心臓が図太いというのをわかっていない。神経弱い人ほどそういう言葉を発することすら相手に気を使って言えないんだというのを知らないのだろう。そういう意味では確かにあほだと思う笑。
最期がまた切ない。いずれ自分も親を介護する、また身の回りの人を介護する機会もあるし、実際少し間仕事でもやっていたんだけど、尊厳をもって対応するというのがいかに難しいかを考えさせられる。「みっちゃん」のように接することができたらなと思う。