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朝井まかてさんはまたも感動作を生み出した
2022/03/03 15:39
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
植物学者牧野富太郎のことは、その生涯や業績は知らなくても、名前だけが知っているという人は多いかもしれない。
理科の授業であったか、日本史のそれであったか、よくは覚えていないが、子供向けの伝記もたくさん出版されているようだから、有名人であることは間違いない。
本作品は朝井まかてによる牧野の生涯を描いた長編小説である。
タイトルの「ボタニカ」は「植物」を指す言葉だが、この作品の中で若い頃の牧野がその意味を尋ねられて「種」と答える場面がある。
牧野のこの国の植物学や教育の現場で果たした役割もまた「種」であったのだろうと、この長い物語を読み終わって感じた。
それにしても牧野のような生き方が誰もができるわけではない。
土佐(高知県)の酒づくりの大店の息子でありながら、その財産をすべて自身の学問に使い果たし、故郷に妻がいながらも学問の地には女と別の所帯を持つ。
いくら学問ができたとはいえ、こういう人物を親戚に持つと大変だろうが、故郷の本妻(やがて離縁するが)も東京での女(やがて本妻となるが)も牧野を支え続ける。
あるいは、小学校中退という学歴しかなく研究を続けた大学で冷や飯を食い続けるが、その一方で彼の支援し続ける人もいた。
「人生は、誰と出逢うかだ。」、本作の終盤近くに、朝井はこう書いた。
それにしても、朝井の筆のなんと自由闊達なことか。
特に最後の10数行の文章は、作者の心の高ぶりがそのまま伝わってくる、詩のような名文だ。
牧野風に書くならば、草木の澄み切った露のような。
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ボタニカ、そして植物学
2023/05/02 22:08
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
植物学者牧野富太郎の一代記である。植物の名を氏素性を明らかにすることを求め、大学の権威を求めはせず、ひたすら植物を追い続けた姿は、崇高である。しかし、実生活は、世間の常識から見れば、破綻していたのかもしれない。妻や子供たちは、そんな彼をてても大切にしていたように思える。社会の役にいつか立つと信じて、それに対する報いを求めず生き抜いた男だった、それが科学史に残る所以であろう。
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一心不乱になれる人
2023/02/18 15:29
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
牧野富太郎が造り酒屋の息子だったのは知っていたが、ここまで破天荒な人物とは!
植物の研究のために実家の家業を顧みず、当時の家父長の役割を果たしているとも言えぬ生活ぶり。遂に実家の造り酒屋は人手に渡し、自身は様々な資料、最新鋭の道具を揃えるために借金を重ね続ける。
在野の研究者から一躍名を成す人は常人と違うのだろう。富太郎は植物の声が聞こえる。
日本の植物学の黎明の人物が活写される。
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ボタニカ
2022/08/08 11:20
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
植物学者として、牧野富太郎さんの名前は知っていましたが、これまでどういったことをした人なのか、またどういう人なのかということを知りませんでした。この本を読んで感動しました。
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植物に魅せられて
2022/02/13 14:33
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投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
土佐に生を受け子供の時から学問好き、武士の塾にまで出向き漢学等を学び優秀。小学校の授業は面白くないと途中退学。最も興味のある植物学への道を進み始める。欲しいと思った書物や機械は即、手に入れお金のことは全く気にしない。学歴や地位はまったく眼中にはなく野山での採取や標本作り、写生等の実践主義。日本の植物学を研究し広めた牧野富太郎の話。郷里の土佐と東京を行き来しながら東大への出入りも認められ自分の好きなことを突き進む。それを支えた土佐の妻と東京の妻。土佐の家がそれなりの資産家だったから可能だった道。でも実家が清算された後は東京の妻が支えた学問の道。「好き」だからできただけでは語られない人生。人柄も大いに関係していると思う。途中の三菱や篤志家からの援助の面や東京の妻の死以後の主人公の心模様がもう少し描写されていれば。植物と語る場面やニコライ司祭、森鴎外との話など作者のいままでの集大成の作品にも思えるがここからまた新しい作品がでてくるのだろうか。
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牧野先生
2022/08/02 21:44
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
牧野さんが小学校すらーなんて。それでも、これだけすごく、立派な業績を残されているのですね、ますます、尊敬……しかし、それも、家族の支え、妻のお陰なんだなあ。で、これは小説?すべてフィクション?
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日本における植物学者の第一人者・牧野富太郎。植物の研究に全てを注ぎ込んだ彼の人生が描かれている。植物以外のことに全く興味がなく、ひたすら突き進む思いの強さは並のものではない。その分周りの人達は彼に振り回されっぱなしに。植物に名前をつけて語りかける柔らかさを持つ富太郎だが、そのほんの少しの優しさを自分を支えてくれる人々にもっと分け与えていたら、植物学者としても一家の主としても、更に大きな喜びを持てたのかもと思えてならない。自分勝手で一本気で、階層や上下関係が絶対だった時代に生きるのが不器用だった彼を支えきった家族にも拍手を送りたい。
次期朝ドラが富太郎をモデルにしたお話で、神木隆之介くんが演じるということでどんな富太郎像になるか今から楽しみです。
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次回の朝ドラ、牧野富太郎氏とのことで、小説ならスッとわかりやすいだろうと思い手に取ってみました。
植物を愛し植物に愛されて、なんと幸せな人だったのでしょう。
植物画の凄い人という先入観しか無かったので学者としてもこれほど成し遂げるのは素晴らしい。しかも長生きだし。
だけど、後世に名を残す男ってダメダメ人間が多いですね…。これも先入観でしかないのですが。
朝井さんの描く人物史、いろいろ取材も重ねていらっしゃるようなので面白く読んでます。
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やばい人やー。
まさに学者、ザ学者。
でも、熱いなぁ。
命を燃やしている感じがビシビシと伝わる。
何で昔の人ってこんな熱いのかと
またしても思わされました。
朝ドラではどんな感じになるのやら。
楽しみ。
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★富さん、私のことも見つけてよ。/一緒に遊ぼうよ。(p.494)
つい先を読みたくなるというようなタイプの作品ではないだろうと思います。読んだ充実感は強いですが。
なんにせよ、コトをなせる人というのは厄介やなあと思います。周囲はしんどそう。あるいはおもろそう。牧野富太郎さんは金銭面もまったく頓着しないし。これくらいでないと新しい道は切り拓けないんやろうなあと。わりと最近読んだ『銀河鉄道の父』という本の宮澤賢治と似ていると感じたけどあっちは行方が定まらないタイプで何ものにもなれそうになかったけど、こっちはひとつのことにまっしぐらでそれにしかなれない、ならないというタイプで全然違うかもしれません。いや、やっぱりおなじかな?
今のイメージでは牧野富太郎さんこそが日本の植物学の先達という感じですが当然ながら彼にとっても先達とであり仲間と呼べる人は大勢いたんやなあと知りました。
【一行目】杉の落葉や枯草のふりつもった背戸山の道を、はなをすすりながら登っていく。
▼富さんについての簡単なメモ
【赤玉ポートワイン】下戸の富太郎でも呑める酒。
【朝日新聞】海外に流出する可能性が強かった富太郎の標本が朝日新聞の記事によって救われた。なんやかんや言いつつもこの新聞社、けっこう頼りになるんやなあ。
【池長孟/いけなが・はじめ】京都帝大の学生にして富豪の息子ですでに当主。富太郎の標本を買い借金をチャラにしたうえ標本はすべて富太郎に寄付するという。結局富太郎のパトロンのような立場になった。コレクションを展示する美術館もつくった。その建物は現存するようだ。富太郎の実家よりさらにはるかに裕福なようだ。
【池野】東大の教官。
【市川延次郎/いちかわ・のぶじろう】→延次郎
【伊藤圭介】大家。いつも小石川植物園にいる。
【伊藤塾】伊藤蘭林(いとう・らんりん)という漢学の大家がひらいた塾。富太郎が通っていた。
【伊藤篤太郎/いとう・とくたろう】伊藤圭介の孫。祖父の手伝いをしつつ自身の研究もおこなう。イギリスに留学する。
【いまむら】スエが始めた待合茶屋。繁盛していたが大学でいろいろ文句を言われ結局手放した。
【宇井縫蔵/うい・ぬいぞう】和歌山の植物研究家。富太郎と南方熊楠をつなぐ人物。
【内山】富太郎とともに台湾に行き植物採取した。
【大泉】この地で富太郎はついに自分の家をもつことになった。スエがすべて進めた。
【教える】《教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。》p.45
【科学】《人間が踏み込んではならぬ閾を弁えるために、科学があるのでもしれない。》p.353
【学問】《学問は学問することそのものに意義があるのではないか。》p.41
【一浡/かずおき】鶴代の孫。
【克禮/かつひろ】富太郎の五歳下の友人。父は医師の堀見久庵。
【勝代/かつよ】富太郎とスエの四男。十三歳で赤痢のため没した。
【香代/かよ】富太郎とスエの二人目の娘。
【岸屋】牧野家の屋号。造り酒屋を生業とし現在は小間物も扱っている。
【関東大震災】牧野家は奇跡的に全員無事だった。
【群芳軒/ぐんぽうけん】富太郎が自分で考えた号。
【午王様/ごおうさま】富太郎の産土神社。毎日のようにおとずれた。《境内は森の中になんとなく開けたような原っぱで》p.7
【コレラ】富太郎もコレラはかなり怖がった。
【産地】《植物は思いも寄らぬところで生きている。》p.147
【時代】最近読んだ山田風太郎『ラスプーチンが来た』と重なる。森有礼が暗殺され聖ニコライ堂が建設されている。
【植学/しょくがく】植物学のこと。
【スエ】花乃家という芸妓屋で出会った少女。あっけらかんとしてどこかお気楽な性格。後に富太郎の子を産む。
【園/その】富太郎とスエの娘。
【祖母】浪(なみ)。木に近い匂いがする。祖父の後添えで実は富太郎と血はつながっていない。ひとかどの人物と思われる。
【染谷徳五郎/そめや・とくごろう】友人。東大植物学教室の学生。
【竹蔵/たけぞう】岸屋の番頭。
【田中延次郎/たなか・のぶじろう】→延次郎
【田中芳男】男爵。伊藤圭介とは師弟。なにかと富太郎を立ててくれた。
【蝶ネクタイ】富太郎のトレードマークらしい。
【チョウノスキー】ダニイル・チョウノスキー。マクシモーヴィチの弟子のような存在。じつは日本人の須川長之助(すがわ・ちょうのすけ)。
【珍奇】《珍妙、奇妙が大好きなもんでね。なんかこう、血が騒ぐ》p.342
【鶴代/つるよ】富太郎とスエの三女。
【テーブル・ボタニー】山野などでの植物収集はあまりせず資料等により研究すること。そちら派からすると本草学は時代遅れだが富太郎はテーブルボタニーには反対だった。
【登美代/とみよ】富太郎とスエの五女。一年も生きられなかった。
【富世/とみよ】富太郎とスエの六男だが三ヶ月に満たず亡くなった。
【永沼小一郎/ながぬま・こいちろう】高知中学校に奉職している。出会い方はよくなかったが富太郎はその知識の広範さに感服し始終訪れた。
【猶/なお】富太郎の従妹。両親を失い富太郎の祖母が引き取った。後に富太郎の妻になる。
【ニコライ主教】ニコライ堂をつくった。
【日本植物名彙/にほんしょくぶつめいい】日本人の手になる最初の日本植物総覧。
【額賀次郎/ぬかが・じろう】東京帝大法科の学生だった。優秀で学生のうちに弁護士資格を取るだろうと思われている。富太郎の家に出入りしているうちに鶴代を見初めたようだ。
【延世/のぶよ】富太郎とスエの四番目の子ども(三人目は生後すぐに亡くなった)。長男。四歳で死去。
【延次郎/のぶじろう】市川延次郎、後に田中延次郎。友人。彼が東大植物学教室の学生だった頃に知り合う。能筆家でもある。菌類の研究に傾注する。
【長谷川萬次郎/はせがわ・まんじろう】大阪朝日新聞の記者。長谷川如是閑のこと。池長邸へ行くのにつきあってくれ、その後もつきあいがあったようだ。生家は浅草花屋敷の経営者。
【春】《そう、春は山をあたらしくする。》p.6
【春世/はるよ】次男。延世が亡くなった翌年に生まれた。
【平瀬】東大で画工あがりの助手。
【細川正也/ほそかわ・まさや】香代の結婚相手。実業家。石川県出身。
【ボタニカ】植物学のこと。他に種子のことでもあるらしい。ラテン語が起源らしい。
【堀見久庵/ほりみ・きゅうあん】医師。克禮の父。美男子。植学の書物をたくさん持っている。元は土佐勤王党メンバー。
【本草綱目】明の李時珍(りじちん)が著した。日本の本草学のもととなった。
【本草図譜】『本草綱目』で取り上げられている植物を岩崎灌園がことごとく図化しようとしたもの。
【牧野富太郎/まきの・とみたろう】主人公。実在の人物。日本の現代の植物研究の祖とも言える。基本的には植物の分類学が専門と言える。
【マクシモーヴィチ】ロシアの植物研究家。植物の同定をしてくれる。かれが認めれば学名もつき新種として登録できる。
【益世/ますよ】富太郎とスエの五男。三歳で亡くなる。
【松村任三/まつむら・じんぞう】東大の教官。矢田部の助手。『日本植物名彙』の編者のひとり。
【南方熊楠/みなかた・くまぐす】標本の同定を富太郎に依頼してきた。へーえ、牧野富太郎と南方熊楠に交流があったのか? あってもおかしくはないと思うけど。牧野富太郎にとっては粘菌等は専門外かもしれないし南方熊楠の奔走さに嫉妬するかもしれないけど嫌がらせはせんやろうと思うけど?
【明教義塾/めいこうぎじゅく】伊藤蘭林の勧めで富太郎が通うことになった。元は郷校の明教館。
【森林太郎/もり・りんたろう】森鷗外。大学の植物園で富太郎が見かけた。後に帝室博物館の館長となる。富太郎とはいくばくかの交流はあったようだ。また富太郎と同じ歳だったらしい。
【屋久杉】《森であるのに海の中にいる。そんな気がした。》p.353
【矢田部良吉/やたべ・りょうきち】東京大学の教官。『日本植物名彙』の編者のひとり。中浜万次郎に英語を習う。標本を重視するとは言いつつも自分の手は汚さない。ほぼ松村に任せきり。あだなはユーシー。「ユーシー、ユーノー?」と念を押すのがクセなので。ちょっと西洋かぶれなところはある。柳田國男と縁つづきらしい。
【利尻山】336ページから利尻での採取の話がある。個人的には登ったこともあるので思い入れのある場所です。その年最初の登山者になれたかなと思ってたら数日前に女性が一人で登ってたと聞いてちょっとガッカリ。
【渡辺忠吾】東京朝日新聞記者。
【和之助/わのすけ】岸屋の番頭。竹蔵の次。
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牧野富太郎の伝記小説.
奇人変人と言われながらその業績の素晴らしさ.草や樹々に語りかける富太郎の姿が初めから最後まで貫かれていて見事だ.ただ周りにいる人々特に妻や子供たちは大変だったろうと思うが,彼らが富太郎を恨むことなく支えているのはよほど捨ておけない魅力があったのだろう.
富太郎の植物誌にかける情熱にお腹いっぱいになった.
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Kindleで読んだ。
小学校中退ながらも独学で植物研究に没頭した牧野富太郎。東京大学理学部植物学教室に出入りを許され、新種の発見など目覚ましい成果を上げるが…。稀代の植物学者を描く長編小説。
造り酒屋「岸屋」の跡取りとして生まれ、小さい頃から植物の観察をしていた富太郎。
好きなものに一直線!努力をおしまず突き進んでいく。
小学校の臨時教師になった時は、学ぶことの楽しさを教えてくれるような教師だった。
“教えること、すなわち一方的に伝えることではない。教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。”
植物が全て!な富太郎なので、夫として父としてはかなり問題あり…。
必要と思った本はすぐに買うので家計は火の車。
“お前、こんな男によう従いてきたなあ。”と本人が思うほど。
2023年前期の朝ドラとして神木くん主演でやるんだよね。
久しぶりに朝ドラ観ようと思う!
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草木の声が聞こえる少年が、芽吹き始めた土佐の山を駆けずり回る。それだけで、「好きなものに突進する」ことのわくわくや嬉しさがうるうる盛り上がる。
突き詰めたいというその思いだけで猪突猛進する若者は見ていて気持ちのいいものだけど、なんせ事務処理能力が皆無。金銭感覚は破綻している。
最初の妻を顧みず、実家もほったらかして、年若い女子とぽんぽん子供を作って、その人たちのこともほったらかし(に見える)。始終貧乏暮らしでも研究のための支出は惜しまず湯水のごとく使う。これはもう今でいう経済的DVだろう。だんだん読むのが嫌になってくる。一方でこれくらい奇人変人でないと「突き詰める」のは難しいのかもしれないとも思う。
実力と縁と幸運で黎明期の日本植物学の社会で認められていくが、生来の頑固さと融通の効かなさ(良く言えば正直で筋は通っているのだけど)が災いして生活は楽にならない。気に入られ、応援されて、だがやがて疎まれる。時折降って湧く新たな役職や援助も、実力が正当に評価されたというのではない解決の仕方で、カタルシスとはいかない。
それでも、この時期を逃したらもう二度と出会えぬかも知れぬ、と全国へ出かけてゆく。牧野富太郎は「今、この時」を生きた。禅の教えのように。神戸の博物館が開館に漕ぎ着けなかったのも、無理もないと思える。
北斎に似ている、と思う。自らを画狂老人と称し、もっと先へと絵筆を離さない。引越しを繰り返して家族はほったらかし。それでも妻や娘はついてくる。そして長寿。
中盤からは早回しの年表を追うようだった。業績もエピソードも多い人だから仕方ないのかもしれないけど、もう少し工夫ができたようにも思う。伝記じゃなくて小説なのだから。
昭和天皇にかけられた言葉に泣いた。あの時代の人が天皇陛下にあんなことを言われたらもう…。
あの言葉でスエさんも子供たちも猶さんも報われたと思う。
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私は、実在の人の物語は取っつきやすいし、
偉業を成し遂げた人の生い立ちや素顔を知ることを面白いと思っている。
この物語は、主人公の視点からの語りが主だから、周りの人物の心情はあまり語られない。主人公に感情移入できず、脇役の人物と共に主人公に振り回されている感じ。
物語的な場面や台詞は少なく、特に後半は業績を羅列した感があったので、飛ばし飛ばしになってしまった。それでも主人公の行く末が気になるので一気に読んでしまった。
所々にある逸話をもう少し広げて物語的になっていたら面白いのかな。それをしなかったのが今回は狙いなのか?
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書店で目にしてからというもの、なぜか読みたくてたまらない。ところが困ったことに植物学には興味がない。花や植物を愛でるのは嫌いではないけれど、この本を読み切れるかどうか不安ではあった。何度目に顔を合わせた時だったか、「なんとかなるろう」という本に巻かれた帯の土佐弁に背中を押されるかのようにこの本を手にレジへ向かっていた。
事前情報はゼロ。時折調べながらへぇと思いつつ先に進む。これが面白い。
牧野富太郎の植物への溢れんばかりの愛情に比例するように、こちらは本に対する愛情が湧いてくる。愛おしくてたまらなくなる。
この時代を振り返ってみると、人が、そして社会が、とても窮屈になりつつある時代なのだなと思う。その渦中にある富太郎からしてみれば「なぜだ!」と声を荒げたくなることもあるだろう。
富太郎がつぶさに植物を観察しているが如く、ひと文字ひと文字を取りこぼさないように丁寧に読み進めなくては時折意味がわからなくなるため、とても時間がかかった。
それでも、明治から昭和まで、日本中の野山を駆けずり回った富太郎とともに生き、一生をそばで見守ったことで、小旅行にでも行ったような楽しい気分を味わわせてもらった。
これはもう、朝の連ドラで取り上げるべきものではないか!と思っていたら、2023年に牧野富太郎を主人公としたものを放映することが決まっているらしい。そちらも楽しみだ。