紙の本
様々な事象を取り上げている、スモールステップな点が良かったです
2022/03/22 20:40
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルにあるように、人生に関わる様々な事象をゲームか否か、分析する1冊です。
本当にたくさんの事象を取り上げている点、そのため1つの事象に対しての紙幅が薄く、スモールステップで読みやすい新書に仕上げている点が個人的に良かったです。
若者だけでなく、年配の方々にも読み甲斐のあるちくまプリマ―新書です。
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「人生はゲーム」というフレーズは、自分にとっては「スローなブギにしてくれ」が最も印象的かな。そしてなかなか印象的なフレーズだ。本当にそうなのかなという意味でも。
そんな積年のほわっとした疑問の答えを求めてこの本を読んでみた。何となく「人生はゲームなのだろうか」という命題について考えを巡らせていく感じかと思いきや、サクッと哲学的な理屈でわりと前半で「ゲームじゃない」ってことになっちゃう。ゲームの条件は「ルールやマニュアル」と「目的、終わり」という必須条件があるけど、人生はそれを満たさない……らしい。……というか、このへんあまりよくわからないまま読んでしまった気がする(読めたことになってないけど)。
そして、そもそも「人生はゲーム」だと思う人にとってはゲームだし、そう思わない人にとってはゲームじゃないんじゃないの。それでいいんじゃないのとも思った。
ちくまプリマー新書のテイストなのか、難し気なテーマをおしゃべりのようにへんなのりツッコミとか入れながら進んでいくのが何だか鼻についちゃう。先生だけが面白いと悦に入りながらスベってる授業を聞いてるみたい。
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ゲームはリセットできるが、人生はできない。
ゲームは目指すべき終わりがある、人生は、決まっていない。
プレイヤーができることとできないことが決まっている。
ゲームは自発的に参加するが、人生はすでに参加している。
人生は他の人に役立つ、自分が得になる、など利得がある、ゲームには得になるものはない。
受験は、目的もルールもあるが、自発的でないからゲームではない。
ゲームには、リセットし終わった後の世界がある。人生にはない。=人生に外はない。終わった後、はない。
自由を奪われて縛られるのは嫌だが、まったくの無意味さにも耐えられない。
生まれるのも死ぬのも、明確な境界線はない。端っこは見えない。
宗教は、不完全な人生ゲームを究極のゲームにしてくれる。その宗教を信じれば。
はじめに不一致ありき。人間は一致することのほうが少ない、と最初から理解しておくこと。
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本書は「人生はゲームなのか」という問いからスタートする哲学実践の書でありながら、同時に、ゲームについての哲学的に論じた哲学書でもある。ちくまプリマ―新書であることもあり前者に焦点が当てられがちであるが、バーナード・スーツ『キリギリスの哲学:ゲームプレイと理想の人生』( https://amzn.to/3waLStV )に続く、日本語で読めるゲームについての哲学書としてこのような入門書が世に出たことの意味は大きい。
松永伸司(2020)『メディア・芸術マッピング ゲーム研究の手引きⅡ』( game_guidance.pdf )に示されているとおり、日本のゲーム研究は、プロダクトの生産と直接に結び付くような工学的なものが多く、人文学的な発想のゲーム研究は限られている。それゆえ、人文学的な発想でゲーム研究を行おうとする場合、欧米の「ゲーム・スタディーズ」の成果の邦訳を参照することになる。哲学的な研究であれば、バーナード・スーツ『キリギリスの哲学』か、イェスパー・ユール『ハーフリアル』(
https://www.newgamesorder.jp/games/half-real )ということになるだろう。いずれも、ゲーム開発者や工学をベースにしたゲーム研究者が読むにはそれなりにハードルがあり、そうであるがゆえに、哲学的な議論を共有しながら、教育や社会への応用について議論をしたり、具体的なプロダクトの開発、ゲームデザインの開発に結び付けた議論を行うことに限界があったのではないか、と思うところがある。
本書が、ちくまプリマ―新書という、誰もが気軽に読める新書シリーズによって出版されたことで、たとえば「ゲームとは何か」というもっとも基本的な定義をめぐる問いを議論し、それをもとに「ゲーミファイ」とは何か、何を行うことなのかを考察していくことも可能になるし、「ゲームの現実世界への応用」について(単なる工学的な実現可能性を超えて)倫理的な議論を行っていくことも可能になるのではないか
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哲学とはそもそも何か。
思想家の考え方を学び、分類するのが哲学ではない。哲学とは、自分で考え「続ける」ことなのだ。
その題材として、取り上げられているのが、「人生とはゲームか?」というものであり、本書では、そのテーマに対して、一冊まるごと取り組む、という意味で面白い。
では、「人生はゲームなのか」と問われたときに、まずは単語を分解しなければならない。
私たちは、普段、言葉を無意識のうちに使っているけれども、こうした命題に対しては、そもそもの定義が曖昧だと、それに対する答えというものは大きく変わってしまう。ゲームがいわゆる「テレビゲーム」なのか、それともスポーツで言うところの「ゲーム」なのか。
そうした、言葉の意味を捉え直してみるというプロセスから、それが正しいのかどうかを展開、判断していく。
今ここで書いたのは、哲学することの序盤であり、この本では深く深く丁寧に進められていく。
考えることは、非常に難しい。「ちゃんと考えました」というのは、実は何も考えてないのかもしれない。丁寧に捉えたつもりでも、掬い上げた両手からこぼれるものは多い。
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)』 の考え方に近いが、知っている「つもり」になっているものは自分が思っている以上に多いのかもしれない。
良いか悪いかは別として、意味を考えることもなく素通りできる、もしくはできてしまう毎日に、考える習慣を身につける。
そんなきっかけを持つための一冊。
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人生はゲームだ。
仕事はゲームだ。
巷ではこういう切り口の本が売られています。
そこで感じた違和感は、「いや、人生/仕事はゲームみたいに単純じゃないだろ」
じゃあ、人生/仕事でうまくいっていない自分は、ゲームみたいな単純なものを攻略し損なっているダメ人間なのか。そう、言われているような気さえしてきます。
本書では、ゲーム(ビデオゲーム以外も含む)の定義を挙げ、人生そして受験や恋愛などがゲームであるか、比較し論証していく形式をとっています。
結論はここでは言いませんが、普段私たちが頭でものごとを考えるときには、数秒で答えがでるような浅い考え方をしがちです。
本書では、論理的に筋道立てて議論を進めていくことで思考を深め、納得できる答えを得ることができました。
哲学というと「うっ」と抵抗をかんじてしまいそうですが、本書は話し言葉の文体なのでYoutuberのトークのように気楽にすいすい、そして楽しく読めてしまいます。
僕のように「人生はゲーム」論に不快感を感じる方、またゲームってなんだろうと思っている方におすすめの一冊です。
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面白いところもあるが、ややくどいと感じる。
こういうジャンルの本に馴染みがなければもっと楽しめたかも。
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目的があるか/ないか、ルールがあるか/ないか、外があるか/ないかなどの概念で検討していっておもしろかった。
ゲームにするという視点いいね。
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本書はまさにタイトルのとおり、「人生はゲームなのだろうか」という問いに答えていく作品である。
問いに対して前提を立てて整理したり、問いの要素を別の要素に変えた時に新たにわかることをきっかけに見解が深まっていく様子が読んでいて非常に楽しいし、議論の過程でなんとなく感じるモヤモヤが言語化されていくのは快感だった。
また、案外意見の影に隠れた前提が潜んでいるということも改めて学ぶことができた。
タイムリーなことに私は直前にちきりんさんの「自分の意見で生きていこう」を読んでいた。
それと絡めると本書では根拠や理由のない意見には意味がないともっともな指摘がされており、より強固な意見にするための思考方法を本書では追体験できる。
自分が大学の教養で哲学を学んだ時は、XXXはこういう考えを提唱したといった知識を伝達する形式だったこともあり、本書のような考える機会を授業で受けられるのは学生が素直に羨ましいと思った。
参考文献も充実しているので、それらにも手をつけていきたい。
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私はほんとに哲学っぽいものに対する興味みたいなの失なってしまった、というかほとんどのこってないような気さえする。
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「人生はゲームか?」をテーマに、一冊を通して考察を重ねていく。哲学・倫理学を専門とする著者によるもので、大学の講義における学生とのやり取りが原型となっているようだ。約230ページで、体感的なボリュームとしては短い。若者にとっての読まれやすさを意識し、かなり砕けた語り口調で一貫している。哲学といっても著名な哲学者の名前や概念はほとんど登場しない。一つのテーマを通して、哲学の基本的な探求のアプローチを読み手に体験させることを旨としている。
タイトルにある問いかけへの回答そのものは、実は全4パートのうちのパート1の時点で、ゲームの重要な二つの定義とあわせて結論が導き出される。回答そのものも、本書を読むまでもなく想像がつく程度の至って普通なものといえる。しかし、そもそも答えだけを得ることにあまり意味がなく、その理由や過程を知ることこそが重要だとする、本書の大前提となる著者の方針があるため、ここから派生するパート2以降の考察にも大きな意義があるということになる。
本書では「人生はゲームか?」という問いを考えるために、「ゲームとは何か?」と「人生とは何か?」について様々な例を俎上にあげて考察を重ねていき、概ねそれぞれの問いに前半と後半が対応する形になる。前述の通り、結論そのものはパート1で提示されており、起承転結のストーリー的な展開ではなく、ひとつのテーマに対して円状に話題が拡がっていくようなイメージの構成となっている。また、各章末などに「練習問題」や「コラム」も挿入される。
全体を通しての感想としては、検討の対象となる例をいくつも提示しながらも、結局は似たような話に終始してしまうことが多く、相当に薄く引き伸ばして一冊の本に仕上げたという印象が否めない。いくら若者向けの入門的なコンセプトの新書とはいえ、少し度が過ぎているように感じる。もう一点、本書タイトルのような問いかけで、現代の若者を読者対象にしているとあれば、狭義のデジタル・ゲームがイメージされやすいことは想定のうえだと思うのだが(帯文からもそのことが窺える)、本書の定義する"ゲーム"はスポーツも含む広義であり、とくにデジタル・ゲームに特化した考察を期待した読み手に不満を抱かせるおそれがある。
巻末には本書のテーマやアプローチに関連のある図書についての読書案内が収められている。他の著書でもたびたび目にした、『ホモ・ルーデンス』と『遊びと人間』が気になる。
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立命館大学などで教える思想史・倫理学研究者の平尾昌弘による口語体の新書。著者の専門はスピノザやシェリングや贈与論とのことだが、『なぜ論文を〈です・ます〉で書いてはならないのか : 日本語からの哲学』といった論文や、本書『人生はゲームなのだろうか?』のような身の回りの疑問に答えるような著作も多く持っているようだ。本書の内容は、「人生はゲームか」という問いに対し、哲学的に答えを出していく道筋を読者にデモンストレーションするものである。つまり、①ゲームとは何かの定義付け、②人生はゲームの定義に当てはまるかの検討、③様々な反論に答えながら定義を修正、④前段のステップを踏むことで本論とは関係ないところで見えてくる含蓄の確認、というような構成となっている。この本を読むことで、今後自分で「哲学する」という感覚を少しでも掴めるようになると思う。また(特にコンピューターゲームや最近のインターネットミームなどに馴染み深い人は)、直観的に哲学の面白さを感じることができると思う。また、哲学は当たり前と思われている何かが何かである理由や条件をはっきりさせることで、より明確に議論をしたりこれまで気づかなかったことに気づくようにしたりできる、ということの意義を理解できると思う。
本書の秀逸な点は、哲学の論証を簡単に説明し、やってみせ、やらせてみて、想定される間違いを指摘し、そして一連の流れを通して哲学論証の意義を体感させている点である。
なお本書では、事実の問題と実践の問題(descriptive vs normative?) の区別などの議論を明確に整理する上で必要な考え方を紹介していたり、ルールの区別(自然の制約、手続きで定めるルール、理由ある道徳、デファクトスタンダードとしての常識)など、ほかの研究をする際に広がりを持つ議論の一端を示していたりするので、簡単に読める本であるが、同時に読者の今後にむけて広がりが大きい本でもある。
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人生はゲームだと思う人?とアンケートを取ると、6:4ぐらいでゲームじゃない派が多い。
まずは、そもそもゲームとは何か、人生とは何かを定義する必要がある。
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我々はそうした隠れた前提みたいなのがあることを忘れがちです。あるいは「常識」と思って言わなかったりする。これこれ! これが曲者なんですよ。だって、こっちが「そんなの常識だろう」って思っていても、相手がそれを分かってくれなかったり、逆に、予想もしてなかったことを「こんなの常識でしょう? 知らないの?!」と責められたりすることもよくあるからです。
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まずは概念を取り出す。
ゲームの概念、ゲームにとって何が大事なのかを取り出す。
ゲームはリセットできる?野球の試合とかもゲームと呼ぶならリセットできない。
ゲームにはルールや目指すべき目標があるが、人生にはルール(法律は別として)や生まれ落ちた時に目指すべき目標はない。
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人生はゲームなのだろうか?
このような答えのない問いを考えることや、そもそもこのような問いを考えることも苦手である。
人生はゲームなのかどうなのかを自分なりに考えてみたけれど、すぐには自分の意見を言うことができなかった。
本書を読み進める中で私は「ゲーム」と聞いてRPGゲームを想定した。
ただそれを想定したのは私だけであり、ゲームとは何を指しているのか?と言う前提(英語で言うとコンセプト)を考えられていなかったことに気づく。
仕事でもそのようなことが多々あり、自分の勝手な前提や想定で突き進んでしまう。そしてある程度概要を作った上で上司と壁打ちをすると、そもそもの前提は何なのかと確認が入り、そもそもを考えきれていなかったことにその時点で気づく。
私に足りていないものは「そもそも」である。
・そもそも何が目的なのか、
・そもそもこの前提や制限は何なのか
この2つをまず考えなければその先を考えたところでそれは全体の中の1部でしかない。
プライベートでは全体を網羅する必要は無いけれど、仕事では全体を網羅する(つまり構造的に捉える)ことが必要となる。
本書では「人生はゲームではない」と結論づけている。
この結論には意味がなく、なぜなら答えのない問いに対して正解も不正解もないからだ。(これはちきりんさんもよく言っていること)
その結論に至ったプロセスが非常に重要で理由としてどのゲームにもおそらく以下の2つが共通としてありそれが人生にはないからだとしている。
・「プレイヤーが目指すべき終わり」と、
・「プレイヤーにできること、できないこと」
の2つが定められている人間の活動
結局人生がゲームなのかどうかはその個人がどう考えるかによってどう考えるかに委ねられる。
正解のない問いに対して自分がどう考え、どう結論を出し、どのように行動しながら、自分の幸福を紡いでいくのかが重要だと思う。
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平尾昌宏(ひらお まさひろ)
1965年、滋賀県生まれ
立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学
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flier要約
https://www.flierinc.com/summary/2991
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明晰かつ判明に人生はゲームなのかについて哲学している本。
独特な語り口のおかげなのか内容が頭に入ってきやすい。
以下、印象に残った部分をまとめる。
・対話は討論とは違う。意見をぶつけ合わせ勝敗を決めるのが討論、対話は意見を言い合い、案をより良いものにしていくこと。
・人生の中で自分が得意なゲームを見つける。無理に自分のしたくないゲーム、苦手なゲームに参加する必要はない。