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かつて、ろう者が多く暮らすアメリカの小さな島で、聴者もろう者も当たり前に手話でコミュニケーションをとっていた頃の話。事実を基にしたフィクションとのことです。
その平和な生活の中に、「聞こえないことは病気」「その原因を究明する」と科学者(アンドリュー)が訪れ、主人公の少女メアリーを連れ去る。そこで彼女が受けた扱い、偏見と傲慢に満ちたアンドリューの考えに憤りを感じながらも、いわゆる「少数者」に対して私の中にも偏見の感情が自覚せずともあるのではと自らを省みました。
現在、手話は言語として認められています。自分とは違う存在を全て受け入れることは難しくとも、差別をなくすためにも、知る、認識するということがまず第一歩ではないかと思いました。本書は児童書の扱いですが、大人が読んでも読み応えがあるし、こういう本こそ学校図書館に置いて欲しいと思いました。
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11歳の少女メアリー。島ではだれとでも手話で話す。でもある日傲慢な科学者に誘拐され、ことばと自由を奪われる。手話やろう文化、先住民への差別や偏見が今よりも酷かった時代。でも読んでいるとその言葉がとても豊かに思える。普通や多数という傲慢。わかろうとすること。
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手話で話をする人々が普通に暮らす島の存在をこの本で初めて知りました。
手話をする人をどうしても珍しい目で見てしまいがちですが、それが当たり前の場所もあるというのが新鮮でした。
手話をしない人から手話をする人に対する差別、移民してきた人たちから、先住民族や自由黒人に対する差別、いろんな差別が描かれていました。
いろいろ考えさせられた物語でした。
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私は今、手話を勉強している。その中で「異文化理解」が大切であることを学んだ。
本作品の舞台であるマーサズ・ヴィンヤード島では健聴児の多くが英語と手話という2「言語」を完全に併用しつつ大人になっていった、と言う。障害者のハンディキャップを取り除くための示唆がこの島にはあったということ。
実在の島を舞台にしたフィクションであるが、障害者との向き合い方のみならず、アメリカが今も抱える差別の問題も提起しており、内容が濃い。小説としても良くできており、ヒール役の科学者からの脱走劇にはハラハラさせられた。訳者も書いているが、ヒール役が酷い奴なので我々が障害者に対して持ちがちな偏見に気付かされる仕組みになっている。
本書を読んで、私は引き続き「異文化理解」を深め、日本語と手話のバイリンガルを目指してがんばろうと思った。
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今年度から手話の勉強を始め、物語の内容に惹かれて読みました。
11歳のメアリーは、マーサズ・ヴィンヤード島で暮らしている。
島では、ろう者と聴者がわけへだてなく手話を使って会話し、ろう者であるメアリーも、いきいきと暮らしていたが……。
「そんな島があったんだ!」という驚きから手に取りました。
物語はフィクションですが、島はアメリカ・ボストンの南東部に実在していて、物語の舞台である19世紀初頭には、25人に1人がろう者だったそうです。
最近、英語を覚えるように手話を覚えるようになればいいのになあ、と思っていたので、まさにこの島がそうだと思いました。
メアリーは、科学者により、聴覚障害の原因の調査・研究のために誘拐されてしまいます。
痛ましく信じられない描写もありますが、昔は医学も発達していなかったので、こんなこともあったのだろうと思います。
分からないことに対して、人は恐れから攻撃的になりがちです。
障害だけでなく、人種の話もあり、異なる存在の差別について考えるきっかけになります。
本書は、障害をテーマにした作品に贈られる、アメリカのシュナイダー・ファミリーブック賞、ミドルグレード部門(11歳~13歳を対象)の大賞に選ばれたそうです。
訳者あとがきで、日本でも、瀬戸内海の愛媛県・大島の宮窪町(現・今治市域内)でも、聴者もろう者とともに手話で会話していたとありましたので、調べてみます。
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19世紀初頭、アメリカ・ボストン南東部にあるマザーズヴィンヤード島は住民の25人に一人が遺伝性難聴による聾者だった。
聴者も手話を使い、聾者だからと差別されることも全くなかった。
これだけ知るとパラダイスのようだが、差別がなかったわけではない。イギリス系住民は、原住民であるワンパノアグ族、黒人、アイルランド人(映画「コミットメンツ』でアイルランド人の若者が「俺たちはヨーロッパの黒人だ」と言ってたのを思い出した)を同じ人間として扱わず、土地の所有をめぐって、そもそも「所有」の概念がないワンパノアグ族と争っている。(もちろん白人に有利な社会構造である。)
主人公と父は友人として付き合うが、母や親友は明らかに下に見ている。
人は差別をせずにはいられない、というか、多分差別をしている人たちも差別しているという意識はなく、単に「私たちとは違う人」と思っているのかもしれない。が、実はそれこそが差別であることには気付いていない。
後半の展開より前半の様々な意識の差を描く部分が興味深かった。
かつて脳性麻痺の人たちが知的能力が低いと思い込まれて差別されていたという物語(『ピーティ』)を読んだが、聾者や盲者は書いたり話したりできるからそんな偏見はないものと思っていたが、そうではなかったのだなと思った。多数派の人は少数派の人に鈍感なのだろう。興味がない、よく知らないというのも差別に結び付くということがわかる物語だった。
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☆4.5
かつてろう者と聴者がわけへだてなく、皆が手話で話をした島があるという。
名前はマーサズ・ヴィンヤード島。
なんと『この海を越えれば、わたしは』のカティハンク島にとても近い。
前半は、ろう者である主人公メアリーや島の人々の生活がいきいきと描かれている。驚いたのは、小型望遠鏡を使って手話で話をしていたこと。耳が聞こえる相手にはラッパを吹いて知らせ、聞こえない相手とは前もって話す時間を決めておく。よく考えられているし、楽しそうだ。
島ではろう者に対する差別意識はないが、先住民と島の住人との確執、自由黒人への差別や偏見がある。兄ジョージの突然の死を受け止められず苦しむ家族の思いも丁寧に描かれている。
物語が急展開する後半は目が離せない。
メアリーは科学者アンドリューに誘拐され、無理やりボストンに連れてこられた。島から一歩出た世界では、ろう者は劣った存在と見なされ、自分の言葉まで奪われてしまう。メアリーは〈ちがいのある人がどのような扱いを受けているか〉を初めて知った。〈偏見はどうしたらなくせるのか?〉を考え始めた瞬間だと思う。
以前の生活を取り戻したメアリーに父親が言った言葉が印象的。「人を批判せず自分の内面を見つめなさい。最良の人間になるよう努力すれば、それがほかの人の手本となるのだから」
手話の説明がある箇所では、知らず知らずのうちに手を動かしていた。続編も翻訳されたら是非読んでみたい。
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マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィンヤード島に住む聴覚障害者で11歳のメアリー・ランバートの体験する障害者や先住民に対する偏見と人種差別を描いた物語。著者自身が聴覚障害者故の繊細な心理描写に多様性の認識の大切さに気付かされる。
耳が聞こえる人と会話をするとき、自分の考えを伝えるのがむずかしいと感じるときがある。ふだんは通訳しながら話すけれど、何人かで話していると耳が聞こえる人同士だけで会話が進むこともあるから。いじわるをするわけじゃなくて無意識に起こる。耳が聞こえる人たちは話す速度を落としてわたしを仲間に入れるのを忘れてしまうんだ。
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2022.12.18市立図書館
児童書(小学校高学年〜)。かつてだれもが手話で話したという実在のマーサズ・ヴィンヤード島(アメリカ、遺伝性の難聴によるろう者が25人に1人と多かった)を舞台にしたとあるろうの少女の物語。フィクションだけれど、さまざまな史実に基づいたものでろう者の立場や手話を中心としたコミュニケーションについてのよき入門書にもなっている。
少女の一家が不慮の事故で兄を失いぎくしゃくしていたところに、島の外からろう者の割合が多い原因を解明しようと考える科学者がやってくる。さまざまなミスコミュニケーションが重なって少女は島の外に連れ出され、ろう者に居場所のない広い世界でさまざまな体験をして、最後は精神的に一回り成長して運よく島に、家族のもとに戻ってくるという行きて帰りし物語になっている。
島には聴者とろう者だけではなく、もともとその島にいたネイティブの住民とあとから入植してきた人々、その中でも白人と黒人、白人の中でもイギリス系、アイルランド系といった出身による差別感情も込みの複雑な人間関係があり、そのなかで人との接し方に迷い悩む主人公に周囲の大人たちがかける言葉は、いま内外で分断や差別感情に悩む読者への励ましとも感じられた。
年末に読み始めて年越し読書、2023年初読了本になった。
ちょっと前に文庫化されて買ったまま積読になっている「みんなが手話で話した島 (ハヤカワ文庫NF)」がよい参考図書であったと原作者と訳者それぞれの解説・あとがきにあったので、この勢いで読みたい。
それと、この物語には続編もあるそうなので(訳者あとがき)、遠からずそちらも翻訳されることを願う。
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ろう学校で事務員をしていたので、手話を少しかじりました。日本の手話を思い浮かべながら読みました。
メアリーの言うとおり、声の言葉ではなく手話を使っているだけで、聴者から下に見られるのはおかしいと思います。
前に脳出血で失語症になっても、手話は脳の別領域を使うので手話で対話できるひとに会ったこともあります。
世界中のみんなが手話も使えるといいと思います。
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聾者への偏見、侮蔑、島での人種差別、兄の死でギクシャクした母娘の再生が描かれている。
科学者の聾者に対する態度は目に余るものがあったけど、後半で出てくる博士にも聾者は知能が低いと思われていたとは驚きだった。
自分も知らず知らずのうちに偏見を持ってしまっているのかもしれない。耳が聞こえないだけで普通の人と何も変わらないのにというメアリーの言葉にハッとさせられた。
多くの事に気付かされ、読んで良かった。
続編も翻訳されると良いな。
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耳の聞こえない人と聞こえる人が声と手話で何の問題もなく暮らしていたという島の話。
設定は実話だそうだ。
障碍があるということ、耳が聞こえないということは聞こえる人より聞こえるということがないこと、劣っているととらえるか、難しい。
聞こえないよりは聞こえるほうがいいかも、聞こえなくても何不自由ないって言いきれるんだろうか…
差別ではなく、違いととらえることができれば、いろんな事実が変わると思うけれど。
カズオ・イシグロの「私を離さないで」を思い出した。クローンに知性はあるかという、
昔の人は障碍のある人は知性がないととらえていたかも、島の聞こえない人たちは島を出て生きていけるのだろうか。なかなかの難問。
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マーサズ・ヴィンヤード島、という島をご存知でしょうか?
アメリカの小さな島なのですが、遺伝性難聴で25人のうち一人が難聴だったため、島民全員が、聴こえる人も聴こえない人も独自に発達した手話を使っていたことが19世紀に発見され、世界的に有名になりました。
この本はその島を舞台に、耳の聞こえない一人の女の子を主人公にした、歴史フィクションです。
ということは、でてくる場所や出来事はおおむね本当にあったことだ、ということですね。
島にいる時はごく普通の暮らしをしていたのに、ボストンに連れて行かれた彼女は耳が聞こえないイコール知的に遅れている扱いをされ、ひどい目にあいます。
アメリカですら、手話が認められたのは1980年代ですから(なんとかして口話をさせようとしたため、手話が禁じられていた時代もあったようです)その無知と偏見と差別と戦うのは大変なことだったでしょう。
彼女が少し大きくなって自分からボストンに出ていく続編もあるそうで(未訳)どんな大人になったのか知りたいので、この本も売れると良いな、と思います。
(^o^)
一巻が売れないと2巻は出ないからね。
もっとマーサズ・ヴィンヤード島について知りたければ
「みんなが手話で話した島」
という一般書(というのは図書館用語で、大人の本、という意味です)があります。
一緒に
「僕らには僕らの言葉がある」
というマンガもどうぞ。
これを読むと、これは昔の話じゃなくて、今だに日本でも戦わなきゃいけない問題のままなんだなぁ、と思います。
自分が加害者側に加担しないためにも知識は必要です。
2024/01/05 更新
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ろう者と聴者が手話を共通言語として使う島が舞台。主人公メアリーの、島では耳が聞こえないことを気にすることはなかったのに、ボストンから若い科学者が調査といって島に来たことで偏見を感じるようになり、その後ある事件で更に外の世界の残酷さにさらされる場面にハラハラしました。またそもそも島でも、部族や人種への差別意識を持つ人がいたり、それへの疑問をメアリーは友達や母親と共感できないわだかまりがあったりして、知らないうちに持ち疑ったことのない偏見は厄介で人を傷つけるのだと思った。
手話が共通言語の地域がありそこでの暮らしやコミュニケーションの仕方が描かれていたのも興味深かかったけど、自分の罪悪感や困難に立ち向かう一人の女の子の成長していく姿により惹き込まれました。