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p23 この国の持続可能な人口は、鎖国状態であれば3000万人が目安になるでしょう
p25 01934-36の消費者物価指数を1とした場合、1954年は301.8ですので、18年で物価は300倍になりました。
こうしてお金や戦時国債の価値はほとんどなくなりました。
p47 第一次大戦時に空気から肥料を作る技術、ハーバーボッシュ法がドイツで開発され、化学肥料を大量に製造できるようになった
p52 安い食料は、非農業の産業がしっかりしている国では、国の経済を好循環に回す重要な手段になる
p55 飢餓は、食料を購入するだけの経済的手段(あるいは政府から援助を受ける手段)を失ったときに起きていた。食料が目の前で売られていてもそれを変えず、飢えて死んでいった。そして政府が有効な手を打たなかった時、飢餓が起きた
p56 1812 インドのグジャラートで飢餓が置き始めているときにポンペイ州の知事はアダム・スミスの神の手を引用し、市場メカニズムに任せればうまくいくと主張し、食料を言質に送るのを妨げた。市場原理に任せれば、その地域で食料価格が高騰し、結果、商人が食料をそこに運び入れるから大丈夫だと。しかし現実には、高値の食料を貧しい人が買えるはずもない。市場原理はお金が十分ある人の間でしかうまく働かない、という前提条件をわすれてはいけないだろう
p59 食糧危機を回避するには、次の6つのことが必要
1 農業以外の産業があること
2 安易に労働者をクビにせず、消費を減らさない社会であること
3 危機を人々に知らせるマスメディアが機能していること
4 耳の痛いことを知らせるマスメディアの存在を容認する政府であること
5 政府が世論を潰そうとせず、尊重すること
6 適切な時期に、困窮している人たちに現金が行き渡るような公共性制作を実施すること
p60 食料が足りない= ならば食糧援助だという思考にも、注意が必要だ。緊急時を別として、無料の食糧援助をあまり長く続けると、農家は食料が売れないので生活に苦しむことになる。ひいては、その国の経済をこわしかねない。
p62 もし被災地の外にいる消費者や企業が、被災地からなるべくモノを購入し、被災地に需要がもたらされれば、現地の人も仕事が増え、雇用が増え、収入が増え、やげて現地の人の消費も回復し、経済システムが回りだす
p72 なぜ日本の農業の売上高が世界第五位2010でいられたのだろう? それは非農業の産業が元気だったから
p77 アダム・スミスは興味深いことを指摘している。豊かな国は食料が安いと
p83 大規模農業が極まれば、農村地帯に人がいなくなり、生活を支えるインフラも消えることになりかねない。
農村にいかに住人を確保するかというはなしになるが、そのためには地方に雇用を生む手立てが必要になる
大店法をもう一度見直すことだろう (2000年に廃止)
p87 大規模農業の経営者は、農作業を現場に任せて、自分は都会に住む不在地主に変わるケースもでてくるだろう。そうなると、古代ローマのラティフンディム、あるいは戦前の不在地主のように、l社会問題化する可能性が���る
p103 人類がここまで増えることができたのは、石油などの化石燃料を米や小麦などの食料に変換する技術をうんだから
ハーバーボッシュ法
化学肥料をで育てた作物は化石燃料でできている
p108 電気自動車の社会の実現は、電池の開発次第だといえる。そして電池を考えれば考えるほど、石油がどれだけ優秀なエネルギーだったか、痛感する
1リットルのサイズでどのくらいのエネルギーを貯められるか示す数字を、エネルギー密度という
石油はこのエネルギー密度が非常に高い ガソリン 7970kcal/l
リチウム電池 447kcal/l
固体電池 リチウムの2-3倍
電化 トラックのようなパワーが必要な輸送車は、まだ電化は難しいようだ
水素 エネルギー密度が低い コンパクトな貯蔵が難しい
原発等 取り返しのつかなさ度 irretrievable index
p129 ローマ帝国の崩壊 パーキンズ
ローマ帝国が滅んだのは、歴史の教科書でならったようにゲルマン人の大移動が大きかったのだが、もう一つ理由があるという。;ローマ帝国があまりにも専門分化しすぎていたのではないかと
ローマ帝国では分業が進み、大量生産、大量消費のシステムが機能していた。ゲルマン人の大移動がこのシステムにヒビを入れた。ゲルマン人は皇帝を引きずり下ろし、ローマ帝国の行政システムを破壊した。すると、帝国各地の兵隊たちに給料を支払う人がいなくなった。給料がもらえない兵士は鎧を修理するお金がなくなる。鎧を作る専門業者が倒産。材料の鉄や革を作る業者が倒産。その人達は陶器を買い控える。陶器の大量生産も採算が合わなくなり破綻。こうした連鎖がおきたことで、高度に専門文化し、ローマ帝国の隅々に張り巡らされたネットワークが機能しなくなった
p141 ケインズ経済学は、オウエンやフォードという、それぞれの時代で変わり者とされた考え方を理論にまで落とし込んだものだった。ケインズ経済学が画期的だったのは、生産ではなく、消費(需要)に経済学の軸足をおいたことだ
p156 石油を採る場合、1kcalの石油を採るのにどれだけのエネルギー費やすか=エネルギー収支比
むかし200(投入したエネルギーの200倍のエネルギーが得られた)
近年アメリカのシェールオイル 10を割り込んでいる
エネルギー的に意味があるのは3.3まで、
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僕は自然農というやり方でコミュニティの食の安全も賄えるのではないかという期待が少しあった
でも、真面目に試算すると、もっと大胆なことを考えないといけないし、無農薬や無肥料に単純に切り替えれば良いというものでもない。
農を考えるだけで、あらゆる産業と繋がっている。
経済の話、雇用の話、エネルギーの話。
だから、やっぱり農を考えなきゃって思えました。
小さく自給できる輪を広げたい
好奇心で外に出て行っても、おかえり、と言える場所を作りたい
一気に全体を、ではなく、小さくゆっくりと
私のできる範囲はこれかな
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食料安全保障に関する問題を幅広い視点で語った本。
ただ、QA形式でかいてあったりするので
わかりやすい反面、体系的にみているのか、論点に漏れがないのかなど無理やり納得させられているような印象を受けてしまった。
ただ、今まで得られなかった視点も多く得られたので勉強になった。
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司馬遼太郎さんの「二十一世紀に~」を読んだ後と、同じ気持ちが浮かんだ。
メッセージのベクトルを感じる本。
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篠原さんの本は、『子どもの地頭がとやる気が育つおもしろい方法』に次いで二冊目の読了。
Twitterでも言えることだが、知的探究心が旺盛な篠原さんの視点は、読んでいてワクワクする。
加えて、この本も子どもを意識して書かれているので、前提知識なしに読んで非常に分かりやすい。
食料安全保障、という昔から考えられていても、なかなか解決策が見出せない問題は、実は本当に様々な分野が複雑に入り組んでいることが本著から大まかに理解できた。
少子高齢化、自然資源が乏しい課題先進国である日本だからこそ、考えられるテーマは無限にあることも、改めて気がつかされた著書であった。
自らがどんなエンターテイナーになるか、そして生活する場所がどんな結節点になるか、それを考えるだけでも、存在価値が大いに見出される、その希望をもらっただけでも、1650円の価値はある!
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30,000,000人というのが答えである。
江戸時代がそうだったからだ。逆に言うと、江戸時代のような暮らしにして、やっと30,000,000人が持ちこたえられると言うことだ。当然だけれど、江戸時代は自由で民主的な平等で公正な社会だったわけではない。
鎖国をしても米があると思うが、米を作るには石油が必要で、石油を買うには現金を獲得できるだけの輸出できる商品が必要で、と言うふうに話はどんどん広がっていく。快刀乱麻の一撃必殺の技はない。魔法は無い。
グローバリズムは悪いことばかりではなくて、なめらかに動いている限りは、比較優位に基づく国際分業は、世界の富のより有効な利用を可能にするはず。世界の豊かさのポテンシャルを使いきれるだけの英知を人間が持つことができるかどうかが問われているのだ。
楽観はできないだろう。
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概要理解には非常に読みやすかった。書名の答えは示されないが、化石燃料、経済、安全保障等の視点から日本の食糧生産を読み解く観点がもらえる。
飢餓予防のために基礎食糧を多く生産し国費で補助する構造的必要性、化学肥料の発達や土壌保全の観点が薄かった弊害、歴史上も農地は大規模化⇔小規模化を行き来していたこと、などは初めて知って考え方が更新され面白かった。
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キャッチーなタイトルに釣られて読んでみたが、どうにもフワフワした話ばかりでイマイチだった。最後のあとがきでは「専門外の話なので…」と著者自身が開き直る始末だし。
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3.8。理解りやすかった。だが何の決定権も影響力も無い私は知っておく以外できるのは悲観ぐらい。しかるべき人にこそ読んでほしい。
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これまで、社会を、主に近代経済学、「市場」で理解しようとしてきた。
金銭を指標として、人間の行動を分析、理解しようというこころみである。
「合理性」で理解しようとするこころみである。
最近これにとみに限界を感じるようになってきた。
人の世は、合理性以上に、「剛腕」「めんどくささ」みたいなことを力の源泉とする、単なる多数派工作、「政治」によって動いていると感じることが多くなってきた。
誰がなぜどこに向けて走らせようとしているのか。なぜそんなつまらぬ方向へ走ることを、みな看過するのか。
この本では、経済的な合理性が実現する手前、例外みたいなところが、全体に大きな影響を案外与えている、というようなことに関する指摘も多い。
また、人の世は、成長や成熟へ向かう、というような一方向の流れに従うのではなく、繰り返すもの、という指摘もあった。
「もしかすると歴史というのは、心臓の鼓動のように、脈動するものなのかもしれない。」(P94)
考えるヒントをもらえた気がする。
「環境ジャーナリスト」の枝廣女史がこのレポートを自らのHPに掲載したこともこのレポートの注目度を上げた一つの要因だそう。
あまりに意外で驚いた。論理ではなく感情的なもので世を動かそうとしているように見える女史はこの本のどの部分に共感したのだろうか。
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10月19日新着図書:【日本は海外から石油の輸入がストップした場合、国内の生産力だけでは3000万人分の食料しか作れない、国民をどう養うのかと著者は述べます。】
タイトル:そのとき、日本は何人養える? : 戦争、原油高騰、温暖化、大不況etc.本当は何が飢餓をもたらすのか : 食料安全保障から考える社会のしくみ
請求記号:610:Sh
URL:https://mylibrary.toho-u.ac.jp/webopac/BB28204719
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食糧問題を生産面、供給面だけでなく、消費者側の面、エネルギー問題、経済、政治社会との関係などともつなげながら、統合的に考える本。
専門領域をつなげつつ、システム論的なアプローチで食料問題について考えている。
専門外のことについて書くのはなかなか難しいだろうと思うけど、大局観をもって、あえてそこを議論していく勇気は素敵だと思う。
経済学説史的なケインズの理論の位置付けは、わたしの理解とはすこし違う気がするのだが、それはここの議論とはあまり関係ない話しでした。
ここでも問題意識に他の領域の専門家の反応も組み合わせた本ができると面白いかも。
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Twitterで見かけたことから読んだ本。
観点はいくつかあって、エネルギー、環境、食糧経済、これら4つの観点から論じている。あとがきにもあるように、すべての専門家に配慮したようなものっていうのはある意味諦めていて、子供でも理解できるように少し興味がある人でもどんどん入ってくるようにと書かれているので、とても読みやすい。
経済の観点では、農業は、他の産業とは明確に違っていて、たくさん作るほどどんどん安くなってもわからないし、かといって国家として見てみると、だぶつく位作らないと成り立たないし、また農業を営む人が多いようでは、商品をする人が足りなくなった。やはり国としても成り立たないそういった特殊な構造あることを知った。
エネルギーの店では大量生産と言うのは、昔をジャブジャブと突っ込むことないで成り立っていると言う現実が通りを変えることが難しく、なかなか読むのが辛いところもあった。
一方で有機農法は、一発逆転ではもちろんないのだけれども、富裕層が多少高くても買い支える、というのを続けていって、少しずつ変えていかないといけない。昨今のSDGsは、単なるファッションめいたもの、という斜に構えて見方から少し改めた。
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あまりぱっとした回答は得られなかった。結局、投資のつもりで高い物を消費することが一番の近道なんだということ。みんなで、せーのでやらなければダメだろうなということ。
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総論賛成だが各論は変なのが目につきます。
・東大鈴木宣弘教授の主張を無批判に引用
・水素は圧縮すると液体になる
・トランプ政権で「留学生の受け入れをほぼ拒否」
下2つは参考文献の記述と異なる。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/492461735.html