紙の本
自然と正しさ
2022/10/17 01:19
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性が子供を産むのは自然なこと。
だけれど、産まないことが悪いわけではない。
産んだ女性が産まれた子供を育てるのは自然なこと。
だけれど、育てないこと自体が悪になるわけではない。
ただ「不自然」な状態を悪と断じる風潮は確実にあるわけで、
それと向き合う覚悟のようなものは確かに必要になる。
選択肢が増える現代で、
しかしそれを選ぶ自由が増えたわけではない現代。
目の前に思いもしなかった選択肢が現れたときに、
また価値観というのは揺さぶられる。
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投稿者:ちひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
現実にはありえない設定でおこる物語だが、登場人物たちにおこる感情は、ありふれているとまでは言わなくても、十分に想像できる気持ちばかり。
読者の経験や、ものの見方によって感じ方は変わるだろうけど、
幸福と嫉妬、性別の社会的役割、偽善的な同情、読みながらまとめて襲ってきて、私にはつらかった。
紙の本
サクッと読めて、ごつんと衝撃。
2023/08/11 17:29
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投稿者:なっとう - この投稿者のレビュー一覧を見る
重たい内容ですが、すらすら読めました。
どこか他人事のように、淡々と進んでいくのが余計にリアルというか。
ちょっと恐ろしい。
読み終わりは、ちょっと放心。解説も良かったです。
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卵巣の病気で手術をして以降、恋愛においてセックスに重きを置けなくなった…どころか”私そのうち全くしなくなるよ”と恋人にさらりと告げる女性の独白調小説。
彼女の中では昔飼っていた今は亡き犬への愛だけが絶対的なものとして君臨していて、無償の愛で寄り添ってくれる恋人への気持ちはそれに勝ることは、ない。
どーしても、したくないものはしたくない。
将来的に子どもは…欲しいようで欲しくない。
その子どもについても、あげる・要らない・もらう、といった話が飛び交いやや物騒。
こういう人はいるだろうな、と思った。
ひたすら自己愛の人。
そんな人でも供給(そんなキミが好き!そんなキミだからボクがいないと!みたいなやーつ)がなきにしもあらずだから、こんなお話も成り立つのでしょう。
いろんな愛の形。
その形に正解はないんだし。
ところでワタシ、なんでこれ読みたいと思ったんだっけ?というところに帰着。
独白調の文体は秀逸でした!
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主人公の戸惑いや考え方、自分が変なのかなとかいつのまにか自然に受け入れ態勢だったりするところ、全てが違和感なく読めるのに対し、周りの人たちが理解し難い…けど、リアルではないとも思わない。あり得る、と思う。
セックスが子どもができる行為なのだと意識していなければ、あり得る。考えていなかったことに直面したときどうするか、なんてものは、じっくりと考えたつもりでもちょっとした要素で簡単に変わるだろうし。
あまり普段は読まないタイプの本なのだけど、文体が読みやすいことや、表現が素直で主人公がリアルに感じられることに救われながら読了。
読む世代でも感じ方は変わるんだろうな。
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主人公、ミナシロさん、郁也、どうなっていくんだろな?続きが気になるところだけど終わってしまったので想像するしか無い。
主人公、卵巣の病気で手術しており、子どもができにくいかもしれない。自らの意思で、子どもを作らないという選択をするのとは違い、告白する前に振られた様な、なんとも思ってなかった人にそっぽ向かれたような、自分からその選択枝を選び取っていないから余計に、その事に固執してしまう気がしました。別に妊娠出産だけではなく、往々にして人間ってそういうものだけど、妊娠出産って人生にめちゃくちゃ影響する一大イベントだから、そりゃ精神的にも侵食されて当然だと思う。
ただでさえ、性行為に対して人一倍潔癖感が強い主人公だからなおさら辛かっただろう。
それにしてもミナシロさんは絵に描いたような、自分に正直な女性。彼女の素直さ、傍若無人さの1ミリでも、主人公が持っていたならもっと違ったかな。
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本屋さんでタイトルを見てすごく気になってた作品だったので、naoさんのレビューを見てすぐに購入し、さっそく読み終わりました。
naoさんがいっていたとおり、「夏物語」を読んだ人は絶対に読んだ方が良いと思います。
いきなり、彼氏と浮気相手にできた子供を引き取って育てていかなければいけないという
かなりイカれた究極的な状況をこの女性はどうやって受け止めて乗り越えていくのかが、めちゃくちゃ気になってグイグイ作品に引き込まれていきました。
このイカれた状況を彼氏と浮気相手に聞かされ駅で立ちすくんで泣いている場面で
「横切っていくたくさんのひとたちはわたしに気づかない。
まっすぐに前を向くか、手元のスマートフォンを見ている。
時々偶然にわたしの涙が視界に入った人も、ごく自然に見なかった事にして立ち去る。
そこには「見ちゃった、めんどくさそう、逃げよう」なんて思考はなくて、ただ「見る、去る」だけがある。
興味を持つ前にただ風景として受け流していく。
ああ、ここは東京だ。
これだからわたしは、この街にいられるんだ。」
この場面はすごく印象的で、自分もずっと東京に住んで暮らしているから、この無関心さに助けられる感覚はすごくわかるし、東京の好きな一面の1つではあります。
祖母が危篤になり実家に向かっていたが、容体が安定したとの連絡を受けたタクシーの中で
「まだ朝が来ていない街の中は静かだった。
それでも京都駅に近づくにつれて、車や人をぽつりぽつりと見かけた。
わたしは人間が動いているのを不思議な気持ちで眺めた。みんな動いているということは誰かの子供だったということだし、みんな動いているということは、いつか死ぬということだ。
この緊張と緩和のなかで、突然何かを悟ったという
この場面も作中でとても重要なシーンです印象深いです。
「わたしのほしいものは、子どもの形をしている。
けど、子どもではない。
子どもじゃないのに、その子の中に全部入ってる。」
この言葉は主人公の思いが全て詰まっていて
心に刺さりました。
この素晴らしい小説を読むきっかけを与えてくれた
naoさん、ありがとうございました。
高瀬隼子さんの他の作品も読んでみたいと思います。
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興味を持つ前にただ風景として受け流していく 卵管と大腸が癒着してしまっていると言われた 全部、「それで良いの?」という言葉に行き着く為の思考だ。クリア、という言葉が頭の中に浮かぶ。 覚醒と地続きになったような微睡だった 実家の納屋で干涸びて死んでいた蝙蝠に似ている そこには何のリアルもない。血を出したことがない人間の発想だと思った。 彼等の期待値と私の理想値はいつだって似通っている 己の思考や心の動きを描出する言葉の質の良さで 金銭の授受を媒介にしたセックスをした結果 一蹴して然るべきと判定 奇矯な人間 殊更に意識しない観念を批判し批評するのが それはリアリズムの結構を支えるだけの上質な言葉 完結への不満は逆にテクストがスリリングである事の証で有り得る
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どうしたら、証明できるんだろう。犬を愛していると確信する、あの強さで愛しているのだと-。
初めての高瀬隼子san。
主人公の薫、彼氏の郁也、ミナシロさん、犬のロクジロウ。子供や家族、人を愛すること。大切なテーマで、とても読みやすい文体で一気に読みましたが、、うーん、ごめんなさい。私には合いませんでした。
タイトルだけを見て、勝手に違う想像をしていました。例えば、人間が一方的に「犬」と呼んでいるモノとは・・・とか(汗)。失礼しました。
別の作品で機会がありますように。
【第43回すばる文学賞】
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レコメンドしてもらったので読んでみた。セックス、出産、社会での立場などを通じて男女間の性差についてじわじわと炙り出していく物語でオモシロかった。
男性の立場で読むと胸が痛いというか、子どものことについて決定権を持っているのは多くの場合女性であり、それに対して男性はあまりに無力かつ無知。また、その苦労を理解していないがゆえに身勝手な行動を取る生き物なのだということもわかる。また女性間での「子どもを産むこと」への認識の違いや子供がいる人生/いない人生、その確率の話など知らないことも多かった。これを「知らないこと」と片付けている、その姿勢へのカウンターが本著の果たす役割だと思う。仮に「子どもが欲しい」と男性が主張しても実際に生まれるまでに献身、思考しなければならないのは女性であり、社会の仕組みとしてもフォローしてもらえるようになっていない。この非対称性についてどこまで意識的でいられるのかを読んでいるあいだ延々と問われているように感じた。
一番痛烈だなと思ったのは以下のライン。社会において「子どもを持つ親」という立場が果たす無双さとその残酷さが表現されていた。これだけ見ると何を言いたいのか分からないと思うけど読後に読むとエッセンスが凝縮されているように感じた。
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わたしのほしいものは、子どもの形をしている。けど、子どもではない。子どもじゃないのに、その子の中に全部入ってる。*
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2019年、第43回すばる文学賞受賞作。
ひらがなに開いた言葉づかいを中心とした、比較的、やわらかな文体です。とげとげした感じのしない純文学です。
概要を簡単に。主人公は卵巣の病気のために、子どもをつくれるともつくれないとも言い切れない身体です。これまでの交際歴をふりかえっても、付き合いはじめこそ性的な関係を持ちますが、3か月も経つとセックスレスになる傾向を持っています。嫌悪感というか、身体的に拒否してしまうところがある。それで、現在の彼氏は、それでも主人公を愛している、と関係を続けていくのですが、お金の関係で他の女性を妊娠させてしまいます。その女性が、予定外の妊娠だったのだけれども中絶はしたくないから産む、その子どもを主人公と彼氏にもらってほしい、と提案のようなお願いをしてきます。主人公はなし崩し的に子どもをもらう方向へと傾いていくのですが、どうなるのか、という話です。
こういった特殊な設定でのリアリティ小説なのですけれども、彼氏にしても妊娠した女性にしても、ちょっと特異な行動をとってしまっていて、それがこの物語のひとつの回転軸となっている。でも、彼らはちゃんと社会性の範囲内での振る舞いをしています。もうひとつの回転軸は主人公の女性の身体性だと思います。
最後の20ページほどにそれまでよりも力強いうねりのようなものがあり、そこを経てたどり着くラストを終えて漂う余韻に、ある種の納得と、作品となにかを共有したというような感覚を得ました。
本作は落ち着いたテンションでの語り口ですが、冷たいわけではなく、適度にほんのりとしたあたたかみと、やわらかさが宿った作品という印象です。
以下に、中盤で印象的なセリフをふたつ引用して終わりにします。
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(主人公の彼氏の子を宿しながらも、中絶はしたくないという女性(ミナシロさん)のセリフ)
「だって掻き出すんでしょ? 一応、生きてるものを」(p54)
→子どもを堕ろすことについてちゃんと知らないし具体的に想像したこともなかったですから、はっとしました。
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(地下鉄の改札を入ったところで父親くらいの年の男にぶつかられる主人公。わざとぶつかってきた人だと、彼女は思う。フラストレーションが溜まってるんだ、と。)
むかつく、こんな街で、こんな世界で、よく子どもなんて産もうって、思えるな、みんな。(p58)
→僕はやっぱり、女性の世界への想像力がさまざまな方向で及んでいないので、こうやってこのような文学から知ったり推し量ったりするのです。改めてそういったことを感じました。
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作者の高瀬隼子さんは昨年、芥川賞を受賞されました。この作品のあとどういった進化をされたか、表現への踏み込みがどう深まったのか、興味がありますので、またそのうちに別の作品に触れてみようと思います。
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〈自分で産まないで、人に産んでもらったって、それは全ての男の人たちと、同じだ〉
テーマの普遍性も手伝ってか主人公を取り巻く状況の生々しさに食らってしまった。
具体的な嫌悪感と拒絶、自分の意志だけではどうにもならない事象がこれでもかと描かれる。
本能から遠ざかるほど矛盾を許容できなくなるかのようで。逆に言えば本能とか自然の摂理だとかが免罪符になっている部分が改めて強調される。
制度としては全然普通にあり得ることなのでそこまで非常識だとも思わないし
男女間、夫婦間でもそれなりに過ごせば普通に起こっていることなんだけど、何かがそれらと隔たっている。
社会のシステムとは関係ない、自分だけで選択して決定したものだからだろうか。
高瀬隼子さん、これがデビュー作うー。普通は良いものとして扱われるものを不快なものとして持ってくるところとかほんとすごい。近しい人の熱。
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自分は何のために読書するんだっけ、って読後思った。楽しい訳でもなくつまらなくもなく、でもなんとなく読み進められてしまったな。強烈に共感したのは、「こんな世界で、よく子どもなんて産もうって、思えるな、みんな。」ってところ。私だけじゃなかったと思った!
子どもが好きだから欲しい、とか、結婚して子どもができて、っていうのがまだまだ普通なのかな。どうしても私はそうは思えない…。でもそれを他人に言う事でもないと思っていたから、本の中でこの言葉に出会って感動した。でも薫は引き取ることを決意していく。できない現実に蓋をされて、本当は欲しかったのかな、周りに祝福されたかったのかな…。どうなるかは私たち次第って、強さを感じたけど、でもそもそも薫は悪くなくて。性格も病気も彼女が選んだものじゃない。でもみんな、そういう避けられようもない現実を受け止めて常に選択して前に進んでいくのだと思った。ミナシロさんの言葉がいちいちムカつくなぁと思いながら、最終的に子と生きていく選択をしたことはどこか納得。
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「子ども、もらってくれませんか?」彼氏の郁也に呼び出された薫は、その隣に座る見知らぬ女性からそう言われた。唐突な提案に戸惑う薫だったが、故郷の家族を喜ばせるために子どもをもらおうかと思案して―。昔飼っていた犬を愛していたように、薫は無条件に人を愛せるのか。(e-honより)
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「文体」というと肩肘はりすぎだから「口調」というが、
この語り手の口調の、ほどよい「くだけかた」は、語り手の着眼点とともに、非常に批評性のある口調だと思った。
つまり地の文が興味深い。
描かれるのがセックスや生殖や生理や体調やだから、臆面もなく(と読み手が感じてしまう)下血や排便やといった事情を作品中に書き込む、その手つきがまた読み手(中年男性)に訴えるものがある。
だいいち書き出しが「陰毛切ってた」だし。
ギョッとしたが、ギョッとする読者たる自分の何かしらが試されるような。
わたし
郁也
ミナシロさん
の3人の中で、自分はやはり郁也っぽくて、そういう特殊な状況にはなかったが、スピリットは五十歩百歩だろうな。
決してマチズモではなく、むしろ柔弱な側だが、世間的によかれと思われる「子供が好き」→「だから欲しい」という単線的な動機を持つ者、という点において。
だいたいの夫婦は「そういうことよね」という流れで子作り子育てのレールに乗るが、本書の根底にあるのは(そして多くの夫婦の女性において言語化されなかったのは)、「そんなに子供好きならアンタひとりで勝手に産めや」という夫への怒りの声なのではないか。
解説にて奥泉光が、「わたし」が常識的な人物として造形されている点について、リアリズム小説のスタイルが要請するもの、と書いている。なるほどー。
(そして本作、語り手の「口調」が変わらない、一貫しているのが凄いな、と、これは個人的な感想。文体に息切れがない。)
さらに〈小説を終わらせる作者の手つきというものはどんな場合でも邪魔に感じられるものなのだ。完璧への不満は逆にテクストがスリリングであることの証しでありうる。この作品はここまで、との作者の判断は、まずはよしとしなければならない。これがデビュー作であることを考えればなおさらである〉……実作者にして読み巧者の、えぐった一文で、本書の半分はこの解説への感動でもあった。
思い立って、「芥川賞のすべて」で検索してみた。
「水たまりで息をする」に対して奥泉光は△「単直な物語構成のなかに、主人公の思考や感情の動きがたしかな手触りとともに浮かび上がる好篇である。」「夫が氾濫する河川に消える結末は、主人公がむかし飼っていた魚のエピソード(これはこれで面白い)に重ねられ、いくぶん寓話的に処理されるのが物足りなく思えたが、作者の対象を捉える目には確たるものを感じた。」
「おいしいごはんが食べられますように」に対しては◎「自分もこの作品を推した。」「どこにでもありそうな職場の、珍しくもない人間模様を描いた本作は、一人称と三人称の二つの視点を導入することで、人物らの「関係」を立体的に描き出すことに成功している。」「一見は平凡に見えて、本作は野心的な作品といってよく、作者の方法への意識の高さをなにより評価した。」
やっぱり奥泉光、内容よりも「手つき」を評価している……。
え、奥泉光って当時66歳なの!?
……脱線でした。
ちなみに著者の出身は愛媛県の新居浜。
仕事で度々訪れた余所者として���あーこの景色の中に、地方の息苦しさを感じている人がいるんだなーと、風景が重層的に見えるきっかけを与えてくれた。