紙の本
認知症は行政用語
2023/04/12 16:39
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
「認知症」はあくまで行政用語であり、高齢者とその家族等の関係性の社会問題にすり替えられる。自立した生活ができるのか不安を覚えるのが認知症であるが、それを理解するためには、ニーチェであり、哲学が道具として有用らしい。認知症の解説書を紐解きながら、哲学者による意識や意志などに関する論説を引き、批判的理解を進める。認知とは何であるかは明確ではなく、認知の異常性を隠ぺいするために「正常の認知」があるのかも。認知症は、個人の症状ではなく、人間関係の次元のズレ、物事のとらえ方、基準のとらえ方のズレなのかもしれない。
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とことん理詰めで考えたいのね
2023/08/01 11:48
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
妻を喪い、一人になった著者の父。父は認知症の症状を見せはじめ、と著者は父の家に行って面倒を見るようになる。
著者は父の行政の諸手続きや介護や医療に携わる人々と関わりつつ、父の言動に数々の哲学者の名著をおさらいしながら振り返る。
ここまで介護対象の家族を理詰めでとらえようとするのもなんだかな、と思った。
介護の対象となった家族を世話し、看取るまでを語る一つの形であろう。
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認知症と哲学
2023/04/12 06:38
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投稿者:チップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
母の死により父の認知症と向き合う事になった息子の1年半弱
認知症とは「できていた事が出来なくなること」
その意味では父はもともと母が家の中の事をすべてやっていたので、認知症によりできなくなったのか、やっていなかったのでできないのかがわからない
突然怒りだしたり、尿失禁に便失禁。
そのくせデイサービスや訪問介護を嫌がる
目の前が暗くなるような介護を淡々と語りながら哲学をからめる
うーん、実際は奥さんが大変な事をやっていたのか?
それとも筆者は悟りを開いた哲学者なのか?
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本のタイトルがあまりにあまりで。。。
2023/04/06 15:23
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投稿者:パトリシアちゃま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニーチェをはじめ古今東西の思想家たちの文章を都合よく食い散らかしたみたいで失望した。懐かしい桑木先生を始め木田先生がこの本に対してどのような読後感想を抱かれただろうか。四年間という月日を費やしても難解だったハイデッガー。けれどもそのおかげで自分の実力がどこまでなのかを知ることができ、安易に引用できないことを学んだ。
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毎回面白いドキュメンタリーエッセーを書いてくれる高橋秀実氏の新しい本のテーマは認知症です。
お父さんの介護をした話なのですが、読んでいると認知症がなんなのか、とまんどんわからなくなってきます。
一度は読んどいてもいいと思うよ
2023/02/07 更新
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父の脳内を知りたい、理解したい、でも困難。確かに、認知症を哲学としてとらえると腑に落ちる部分もあると思います。「はい泳げません」が面白かったので手に取りました。ノンフィクション作家の視点での筆致ながら、父の介護での切なさや葛藤が伝わります。
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重い、切ないテーマをなんだかユーモラスに描いてくれてニヤリとしていいのかどうか、たじろいでしまうけれど。
認知症の父親を看ているということにまず、スゴいと思ってしまう。
本当にその境地に達した人は哲学者になるのでは。
いざという時、(いつ?)
また手に取ってしまう本だと思う。
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哲学と認知症をむずびつけるとはなんともユニーク。
哲学は私には難しいけれど、なるほどと思うところがいくつも。こんな視点で向き合うのも時には必要。優れた介護士さんはこんな境地なのかしらとも思う。
日経BPでもインタビュー記事がありましたが、併せて読むとさらに興味深い。
それにしても、何度も散歩に付き合い、会話する著者には脱帽。仕事から逃げるには好都合だったとは、私もそうなりそうで、深くうなずけました(笑)
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哲学は苦手だ。なんだこの本、俺は認知症のことが知りたくて手にしたのにと、正直ザッと読み飛ばそうと思ったがいつの間にか引き込まれたわ。
100冊を軽く越える参考文献の数にただ者ならぬ作者の本気度を感じてしまった。この人、すごい。
親子のやり取りに涙は出そうになるし、ノートを引っ張り出して抜書きを始めるし、俺もおかしくなった。アルツハイマーの進行する妻をもっともっと大切にしよう。
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認知症を何となしにわかっていたつもりでしたが、本書を読んで、概念や定義など他の疾患との特異性を感じました。その事から実際の筆者の父の訳のわからない言動にも何かその背後の意味あるところなど認知症に対しての構え方ヒントが隠されている事を非常に興味深く読ませて頂きました。哲学とは認知症対策だったのかとあとがきで触れていたのも納得でした。
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私の母も認知症の兆しを見せ始めているので、非常に興味深く読んだ。
介護の記録をおもしろおかしく書いた本なのかと思って読み始めたのだけど、認知症が進行しているお父さんとのちぐはぐな会話を引き金に、「『自己』とは何であるか」とか、「『ある』とは一体どういうことか」とか、「経験が記憶を生み出すのではなく、記憶が経験を生み出す」などなど、割とガチに哲学的な命題についての思索が始まり、歴代の哲学者たちの書籍からの引用や解説が半分くらいを占めている。
けっこう本気モードの解説なので、哲学にあまり興味のない私には正直眠くて、すいません、そのあたりは目が滑ってあんまり理解できませんでした。(=つまり半分くらいは、ただ「文字を追っていただけ」の状態で読了)
でも、確かに、認知症の人との会話は哲学と非常に相性がいいなと思った。目のつけどころが素晴らしい、と思う。
というのも、私も母と会話するときは、繰り返しが多くて私にとっては意味のない会話ばかりなので、おのずと思考は自由に別次元に飛んでいきがち。
認知症の人と付き合うということは、そういう、無意味で不条理な会話が必然的についてくるということなので、その会話を通して哲学的思考をめぐらすことは、介護する側にとって、彼らとの会話を楽しむコツかもしれないな、と思った。
認知症の介護の問題って、なんとなく私たちの背後からウッスラと忍び寄っている不穏な何か、という感じ。すでに多くの人が犠牲(という言い方が正しいのか分からないけれども、時間とか仕事とか何らかを削って介護の時間にあてること)を強いられているが(時には小学生くらいの幼い子までが介護者となっている現実)、今のところ社会全体が必死で目をつぶって見ないことにしている問題、という印象がある。本当はすぐにでも対策を考えないといけないことなのに。
この手の「新しい切り口」の本は今後もどんどん求められるだろうなと思う。
高橋秀実さんのお父さんの介護のケースは私の母とはまったく違うが、でも細かいところでは非常に参考になった。
何よりも、暗い気分にならないトーンなのが良い。
本の中で何度か「認知症の人の言うことには反論したり否定したりしてはいけない、と言われているが」という文が登場する。そして、著者の高橋さんは、そのことに対して真向から否定はしていないけれど、ときどき「ただ同意するだけ」の違和感というか難しさについて触れておられた。
私も、この点に関しては大いに共感した。
私の母は、高橋さんのお父さんほど混乱は見られないし、まだ自立してもいるが、一時期、「〇〇を近所の人に盗まれた」「今日も〇〇が盗まれた」と言い出す時があった。絶対に事実ではないのだが、「認知症の人のいうことを否定してはいけない」という文言を信じて、最初は私も必死に否定しないように我慢していた。でも、ご近所さんへの不当な悪口を聞き流すのは、何よりも私には激しい苦痛だった。そして、同情したり聞き流したりするたびに母の恨み口調は勢いを増して更に強くなっていったように思えた。
そこで、ときどき否定するようにしたら、母���口調や頻度は少し軽減されたが、確かに更に激化させることもあった。一度怒りだすと本当に大変。
なので、今は、母が近所の人の悪口を言い始めたら、その返事に、「そういえば昨日、大雨だったね」と全く違う話で返し、母の「えっ」と一瞬とまどったような返事にかぶせるように、さらに「今日何時に起きたの」みたいな全然違う話を強引に続けると、さすが認知症! 先ほどの会話はきれいサッパリ忘れて別の話題に移ってくれる、ということに気づいた。最近はその作戦で、100%成功している。
ということで、高橋さんは「認知症の人のいうことは否定してはいけない」を引用しつつも、ときに否定するときはしなくては、的な態度を取られていたが、私もその姿勢に完全に同意です。ケースバイケースだと思う。
少なくとも私の母の場合は、ただ同意するだけだとどんどん悪い妄想が増長していって困ったが、やわらかく否定したら少し歯止めになったという印象。ただ、確かに否定すると激高する時もあったので、否定よりは話題を変えることの方が有効かと。毎回話題を変えたら、最近はあまり言わなくなった。たまに思い出したように言うけど。
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認知症のお父さんとの実際のやりとりを観察し哲学的に解釈、分析することで作者自身介護が辛くイライラするものではなくなっていったんだろうなと想像できました。とても穏やかに論理的に書かれており感情面はほとんど触れられていない。亡くなったお母様や奥様がきっと素敵な方なのだろうと思った。
私の周りにもいつか認知症になる人がいたら、もしくは私自身が認知症になる日が訪れたら、こんな風にウィットに富んだ解釈で淡々と前向きに向き合えたら。
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認知症の人が何を考えているのか想像しにくいところだが、日々のやりとりを哲学で意味づけしていくと、難しいながらになんとなく、そうなんだと理解できる場面もある。
病気として捉える必要はない。
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認知症が哲学になっている。こういう捉え方は驚きで新鮮だった。多分国民病みたいになってくる認知症、身近なものでありながら未知のもの。福祉専門学校ではニーチェを必読書にしても良いかと。あるいはサルトル?
福祉を学ぶ人はこの本を手にとってほしい。
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参考文献の多さに驚きました。
自分というものが(ほぼ)失われてしまった人は、周囲の人々の精神状態に容易に反応する
あるいは共振する。つまり援助者や介護者が苛立ったり焦れば、それに呼応して認知症老人はたちまち不安定になり扱いにくくなる。
と。
うーん空気が大切なのね。
自分が認知症になってしまう事も考えるけど
それより10歳上のダンナ君が認知症になったらどーしましょ?
まぁ、なっちゃてから慌てるか?
スッゴい新薬が発見されるかも?
でも本当に認知症って厄介だなぁ。