紙の本
砂鉄さん、鋭いです
2023/02/05 11:25
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろろろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう、大事な箇所多すぎて赤線だらけになりそうです
父でない立場から見えるもの、確かに書店では育児書、子育ての素晴らしさを語る本は数あれどその逆はない
「普通」にまみれてしまって見えていなかったアレコレ、私自身も気づかされました
武田さんの鋭い感覚は、優しさでしかないのだとも気づきます
投稿元:
レビューを見る
子育ての当事者になってまだ2年程度で、
育児本は自分との差異を見つけては辛くて読まない。
育児エッセイは、子供とのかけがえのない時間…!もしくは育児苦しいよね…共感共感〜〜〜みたいなものが、お腹いっぱいになってしまって読まなくなり、
でも、子を取り巻く社会のことに興味はあるし、色んな人の話が読みたいのになぁ、というところで見つけた武田さんの話は、私はこういうものが読みたかったのかも!と新鮮だった。
こうやって色んな視点から、子育てを内包する社会のことが語られていったらいいなと思うし、
育児の話は経験者のみの特権、みたいなムードは薄まっていけばいいなぁと思う。
投稿元:
レビューを見る
悪気があったり、悪気がないけど「ん?」と思うことを言われたりする。
でも、それがなぜ「ん?」と思うのかうまく言語化できず傷ついたりモヤモヤすることがあった。
砂鉄さんは、その「ん?」を丁寧に言語化してくれている。
もし今後お会いできる機会があったら砂鉄さんにありがとうを言いたいよ。
投稿元:
レビューを見る
武田さんの著書は初めて読みました。子どものいない武田さんから見た日本の社会。読みやすく、フラットな視点で書かれていてとても好感を持ちました。こちらは小学生2人の子育て中ですが、「子育て中だから」「子どもがいるから」を必要以上にアピールしてないかな…と振り返る機会にもなりました。武田さんの柔軟でほどよいゆるさがとても良かったです。
投稿元:
レビューを見る
「普通はこうでしょ」という意見は、「普通はこうらしい」と素直に受け止めてしまう人がいてこそ、繰り返されるのである。(199ページ)
子どもがいない人は子どもについて語る資格も言葉ももっていない、のではなく、「子どもがいない人」の当事者。そんな人も意見を言える社会であるべきだし、言えないとしたらそれを塞いでいるものは一体何か。基本的な家族の形って、伝統的価値観って、誰が、何のために示しているのか。
言うまでもないけど、子どもがいる人vsいない人の対立構造にはなっていない。各々が各々の人生を生きてる、そのひとつたりとも軽んじたくないし、軽んじてくる人を許したくない、ということが書かれていた。
覚えておきたい言葉がたくさんあったのに、読んでる途中で生活が慌ただしくなって、忘れてしまった。また落ち着いて読み返したい。
投稿元:
レビューを見る
父ではない
産んだことも、育てたこともない。ということ。それに付随するいろいろ。
とにかく、「普通」の価値観を押し付けないでほしいし、「普通」であることが万人にとって幸せであるわけではない。「普通」から外れても幸せなことを、「普通」の人は想像しないんだろうか。
砂鉄さんの本も何冊か読んで、ラジオも時々聴いていたら、あれ、この本読んだことあるっけ??というどこかで聞いたことのある話が出てくる。それぐらい、同じことばっかり言っている。繰り返し言うことの大切さ。一度じゃ忘れることもあるし、その時々によって響き方も違う。考えてみれば当たり前のことが一向に当たり前にならないので、何度も同じことを繰り返す。また同じこと言ってるけど、同じこと言い続けるぐらい何も変わんないんだよなと、何度も意識する。
投稿元:
レビューを見る
思考のヒント、きっかけを与えてくれる本
部長が私の上司に向かって「お前も早く結婚しろよ〜」と言ったいたのにどうももやもやして、その部長のSNSのアイコンが子どもの写真なのも含めて、全てにもやもやしていたから、この本を上司に読ませてあげたい、読んでほしいと読みながら思った
投稿元:
レビューを見る
自分の人間関係のなかにも、様々な家族形態の人たちがいるわけだが、そのいろんな人に対して、無頓着だったんだなと恥入り、この本に書かれているようなことに関連する過去の振る舞いを反省した。
自分には3人の子供がいるが、確かに子供がいることで、対子供耐性のようなものは否応なしに身に付いてきた。動じないというか、余裕を示せるというか、諦念をまとっているというか。
しかし、自分の子供以外の子供にはうまく接することができないのがデフォルトである。時々にしか会わなかったり、週に何度も会うことがあっても数十秒程度の上っ面の言葉を交わすだけで、関係が深まるといった類の他人の子は、いないのが現状である。
保育園の送迎の際に、子供に人気があり、子供と打ち解けあっているお父さんやお母さんをちょいちょい見かけるのだが、彼ら彼女らは、対大人のコミュニケーション能力も高めだったりするので、やはり、年齢に関係なく、対話力というか、社交性があるかどうかが、そのまま結果として現れているだけなんだなと思い、羨望と自己嫌悪とが入り混じった感覚を都度覚え、足早にその場から離れようとしてしまう。
どれほどの割合なのかはわからないが、自分の子供以外の子供には苦手意識を持っている親は多いような気はする。特に男性は。
そんな、対人コミュニケーションに自信を持ち切れない自分は、近所に出かける時に、子供を連れていくことが多い。子供をダシにするほどでもないのだが、自分のコミュニケーションの苦手意識を緩和させたり、店員さんとの間に我が子を投じることで、会話のきっかけになったり、子供って〇〇っすよね感を出すことで好印象を得られればという下心があったりもする。SNS上ではなく、その場で、生“いいね”をねだっているような感覚だ。
ヤなヤツ、、、
他にもついついやらかしてしまったことがアレコレ思い出される。
あぁ、、、
なぜアレやコレやをやらかしていたのか、、、
そこには、意識的にも無意識的にもひけらかしたかったり、羨ましがらせたかったり、迷惑がわせてやりたい、という思いがあったりする。正直なところ、、、
どこかで見合わない、釣り合わない、採算が取れてない、と思っているのかも知れない。
子供がいることでウンザリするくらい持っていかれてしまう自分用の“時間”と“金”
まあ、愛する家族のためなので、言うほど苦ではないのだが、チリツモで累積していく鬱憤は、隙あらば今か今かと標的を求めている気がする。
そして、やらかす
我が子は可愛いし憎たらしいし成長はたまらないし勉強やスポーツや物作りやなんやかんやで良い結果が出た時は誇らしく思うし他の子より劣っているときは自分の遺伝子を棚に上げてガッカリするし怪我や病気や悩み事があるとどうにかしなければと必死になるし自分よりも良い人生を歩んで欲しいけど自分のことを見下さないで欲しいし、、、だのなんだの。
子供を持つということは、持たないと経験できない経験する必要もない玉石混淆のあれもこれも���絶えず晒される滝行にも似た感覚というか。
だからと言って、他者で溜飲を下げたり憂さを晴らしたり当て付けてはいけないということを、たしなめなければと自制し自省していこうと思った。
子供の有無に限らず、“普通”という言葉によって生じる棲み分けのようなものに、意識的であり繊細でありたいと思ったし、鳴らされている警鐘を折に触れて思い出せるようにしようと思わせてくれた一冊であった。
投稿元:
レビューを見る
第3者の視点からの意見。
親に「いつ結婚するの?」という質問をされると本当に
気分が悪くなり、なんらかの理由をつけて話を遮断したくなる。
結婚するのが普通、子供を産むのが普通という
世の中の昔からの普通というものを叩き壊してくれる良い本だった。
投稿元:
レビューを見る
タイトルと著者を見ただけで即買いした。去年「犬のかたちをしているもの」を読んだときに感じた居心地の悪さやモヤモヤが本著でほとんどすべて言語化されており打ち震えた。何の前提もなく子どもの話をするときの圧倒的無防備さとその危うさについては生まれる前から感じていたが、実際に父になったことで余計にその危うさが頭をもたげる場面に遭遇する。そこには性格差、性差別の問題が横たわっているのだけど、著者が繰り返し主張する「普通」や社会全体の慣習がそれらを霧散させることを改めて認識した。しかも父ではない第三者の男性が書いているという点でかなり革命的な一冊だった。
本著では子どもがいることを前提とする考え方、社会の仕組み、家族制度などについてひたすら考察している。これまでの著者の作品同様、目の前の現実を愚直なまでに真っ直ぐに見つめ理路整然とおかしいと思う点を述べており、いつものスタイルは健在している。しかし今回は子どもがいないという社会における最大レベルの「普通」が跋扈するテーマかつ著者自身に子どもがいない第三者の立場という二つのチャレンジングな要素が含まれている。いずれも乗り越えるには相当なエネルギーが要すると思うのだけど、著者の持ち前のロジカルさですぱーっと視界を切り開いていく文章の数々に何回も唸りまくった。枚挙にいとまがないパンチラインの数々に悶絶死したので一部引用。
*「おーい、どうしてまだそんなところにいるの?」と声をかけられる。早くこっちに来なよ、と。でも、そもそも、その山は、皆が登らなければならない山なのだろうか。そんなはずはない。自分が登るべき山を、誰かから指定されたくはない。*
*私こそ世間の総意、みたいな顔をしている。善意の総意、これを浴びずに避けるという選択肢が用意されない。親子や夫婦で作ったオリジナルブレンドよりも、大量生産の総意を優先するように言われてしまう。*
子どもの話をするときにその喜び、苦労などを含めてどうしたって当事者の声が大きくなるし、その声の大きさに当事者以外の声は消されてしまう。実際父になった今、消えるのも分かるくらいに子育ては大変だと当事者としては思う。しかし本著で書かれているように当事者ではない人も含めて社会は構成されており、その第三者の意見を軽視することは社会設計において適切ではないと読後には思い直した。「子どもがいる/いない」について外からジャッジされたり監視する空気を変える必要があるし。子どもの不在だけが特別視され常に好奇の目にさらされるのは理不尽だと思う。コロナ禍も明けつつある中、久しぶりに会う人の中で子どもの有無を確認する人が想像以上に多いのもなんだかなと思っていた。家族にはそれぞれの事情があるのに「子どもを持って当然」という印籠を振り翳して土足で踏み込んでいる感じがするから。とここで1人でもやもやしても社会のムードは変わっていかないので本著がたくさんの人に読まれてほしい。
投稿元:
レビューを見る
やっぱ好きだな、氏の論考。色んな事象に関して、当事者じゃない圧倒的多数が存在するのは事実だろうし、その中でもこと家庭については、確かに”じゃない人”の語りを制限する空気がある。さてこの”空気”だけど、本書内で言うところの”共感”と根を一にするものであり、当たり前の存在のようでいて、その実、とても厄介な存在。そんな目に見えない縛りから自由に、色んな視点から見て、それぞれに優劣なんかつけず、フラットに考えましょうよ、と。通底するのはいつも通りの氏の考察だけど、いつもながら新たな気付きを得る。
投稿元:
レビューを見る
人の人生を他者が規定しない、規定する動きに敏感でありたい。他者の人生を利用する利己心に気をつけたい。武田砂鉄さんの本を読むといつも思います。立ち止まり、疑う癖をつけたいです。
それにしても、武田砂鉄さんはどうやってこんなに膨大な量の情報を集めて、思考して、記してるんだろう。
投稿元:
レビューを見る
物事を冷静に平等に見る眼が肥えており奥深い。居心地の悪さ、肩身の狭い思いをしている人が声をあげられず不自由さを強いられている。砂鉄さんの一冊が大きな力に。浜田山の喫茶店の愚痴に同感。
投稿元:
レビューを見る
町田康と並ぶくらい理屈っぽいけど、著者みたいな人が増えてくれるともう少し風通しの良い社会になるのではと思う。
185cmもある長身の人だったのね。
石原慎太郎や橋下徹を軽くディスってたのが面白かった。
真逆のタイプだもね。
投稿元:
レビューを見る
「私たちは常に、何かの当事者で、同時に、何かの当事者ではない。」
「私たちは「ない」「できない」「持ってない」「やっていない」の経験をたくさん持っている。でも、そっちはあまり語られない。」
著者と私‥現在の立場はまったく違うのだが「母」になる以前と子育て現役だった頃の自分が考えていたことが次々と思い出され、何度も膝を打ちながら興味深く読んだ。