紙の本
わからない
2023/06/12 19:01
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ママさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
多様性って何なのだろうって考えてしまいました。
レインボーの性の多様性だけを考えていましたが、あぁ、違うのではないか、と。
とても難しい、近くにいる人でも理解してあげられないかもしれない、自分がそうなのかもしれないと悩んでしまう小説でした。
紙の本
繋属と分断
2023/08/09 00:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝井リョウ×多様性の組み合わせで、
本屋大賞にもノミネートした作品ということで、
ちょっと切り口に期待しすぎたかも。
多様性を目指す社会が
分断を産むという視点は
そんなに目新しい感じはしないし、
いろいろと現実にある要素をとりこんだわりには、
どのエピソードもこれといったエンディングはなく。
もっと「何者」のときのような
これまで立っていると思っていた場所がごっそりなくなるような、
そんな読書体験を期待してしまっていた。
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自分の想像の範囲を超えることができないなら、安易に相手を理解しようなんて事は言えないのか、いや、それは考えること自体放棄してないか。なんてことがぐるぐる頭の中で回り整理がつかない。まだ時間はかかりそうだ。
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自分はこの正欲まっしぐらな人間で、それ故気付かないうちに他人を傷つけているのではないかと思ってしまう作品でした。
ただそんな自分を今更変えられないし、変えようとも思いませんが、発言や行動には気を付けたいと思います。
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息子が不登校になった検事の啓喜。容姿にコンプレックスを持ち、兄の部屋を覗いた事で男性恐怖症になった女子大生の八重子。水にしか欲情できない夏月。この3人を中心に、それぞれの物語が進む中で児童ポルノ発覚という事件に繋がっていくお話。
稲垣吾郎ちゃんが映画に出演するということで読んでみる。啓喜役かな?常識的パパという感じ。
「正」しい性「欲」について、多様性について、色々考えさせられた。以下、ダラダラと感想。
とりあえず、水フェチの3人が意味不明。
正直、3人が何故そんなに他人と距離をとっているのか?という疑問がずっとあって。水にしか欲情しないという事が、周囲とそこまで距離とらなきゃいけない事?友達になるのに、そんなプライベートな心の内まで話さないとダメなん?とか、めちゃくちゃひっかっかてしまった。友情でも恋愛でも、人との繋がりを性欲云々でしか考えられないのが、もうちょっと気持ち悪い。もっと他にも好きなものとか興味あるものとかあるやろ!っていうね。
水の動画くらい、自分の家で撮れば良くない?もちろん公園でも良いけど。なんでわざわざ小学生のyoutuberにやらせようとするの?しかもコメントが危ないって気づいてるなら、注意してやれよ、大人なんだから。そんなことする義務も義理もないのはわかってるんだけど、その辺が好感も共感もできない一因なのよ。
夏月にしても(仕事場での人間関係のウザさはともかく)そんなに親との関係に悩むくらいなら、さっさと実家でて自立すれば?とかね。彼女は佳道と再会して夫婦として前向きになったし、大学生の大也くんも八重子との会話で成長できる?な最後になってたから、まぁ良いんだけども。
そこまでが長くてイライラしちゃったよ。八重子がハッキリ反論してくれて、やっとスッキリした。現実問題、彼女の抱えてる悩みの方が大変よ?比べるものではない、というのも重々承知してますが。
その後の展開は、3人にとって不運だった。朝井さん上手いなぁ。ドラマチックな展開になって、読者にとってやっと3人が肯定される立ち位置になったかな?
会社の上司の田吉。あのタイミングでの彼の証言、これまたお見事という感じ。彼の醜悪さが際立つ。3人が言うところの「多数派」の代表みたいな田吉。でもね、会社での行動や発言は、普通にパワハラでセクハラだから。全然多数派じゃないから。
他にも色々な角度から語れるような小説で、それはきっとよく出来た面白い物語なのだろうと思う。
いつもと違って小説世界に没入はできなかったけど。
それだけが残念だったかな。
映画、楽しみです。
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2023.9.5読了。
たまたまだけど、多様性に関する物語を続けて読んだ。最初はとっつきにくいかと思ったけど、どんどん引き込まれていった。
正しさとは。
見た目や性の対象に関する多様性が叫ばれるようになって久しいように思うけれど、本当の意味での多様性とは…。自分自身常に迷いながら生きている自覚はあれど、正しさに対するジャッジを自分の中の当たり前で下している中で、他者を傷つけている可能性。なくはない。夫や両親や兄妹、自分のこども。近しい間柄であっても本当の心のうちはその人にしかわからない。その人が何を考えているのか…。常に考えすぎると身動き取れなくなりそうだけど、傲慢で自分勝手な価値観を押し付けるのはやめよう。人の話を聞こう、そう思う。
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「自分は押しつけられている側だ」と思って読み進めていくうちに立ち位置が分からなくなる。
そして否応なしに気付かされる。
無意識に押しつけている自分の中にある正しさ。
それも時には無自覚に。
被害者ヅラしている自分と対峙して胸がザワザワした。
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多様性とは、と問いかけられる作品。結局人は自分の理解できる範疇内でしか理解できないんだよな、というのが最後まで読んだ感想。面白かったのだけど全編通して不穏な感じで、途中、なんとなく読むのがしんどくなってしまった。
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ジェンダーにLGBTQ、不登校、動画配信、フェティシズム、クレプトマニア…2020年代に入ってから特に社会問題として耳目を集めることが多い様々なトピックスがこれでもかとぶち込まれている、最近よく見るタイプの小説ではある。
旧態依然とした日本の社会制度の象徴たる存在としての検事、引きこもりの兄に屈託し自身のルックスにコンプレックスを抱く女子大生、平々凡々とした世の価値観に馴染めずすべての事象に対してアイロニカルで特異な性癖を持つ30歳手前の女性等々…それぞれの登場人物の立ち位置を巧みに書き分けあるいは重ね合わせ、普遍的な課題を炙り出し物語に組み込んでいく技術はさすがだ。
動画投稿サイトのコメント欄にコミュニケーションを隠れ蓑にしたフェティシズムが溢れている(?)、という病理構造は初めて知り、勉強になった。
「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。」
こんな表現で、まさに不都合を糊塗し実体のない綺麗事として濫用される"多様性"に我々が覚えている痛烈な違和感を、ものの見事に描写している。
ただ、プロットを形成する核心の1つである"水フェチ"に関しては、それが即反社会的な犯罪行為に直結するものではなく、人生に絶望する材料としては弱過ぎる…と感じられてしまうのが残念だった。
余談ながら、朝井リョウ氏が書く小説の登場人物には"桐"という漢字が名前に使われている人が多いように見受けられるが、これは如何に?
特に今作、"桐"に加え"夏"まで入った女性が出てくるのはさすがに本筋と関係ないところで気になるので、どこかで修正しても良かったんじゃないかと思う。
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正しい欲…正しい性…正欲であり性欲である。
但し、それ自体に正しいかそうでないかのジャッジをくだす必要はないし、自分にとっての正しい欲を他人にすべて晒す必要もない。
人が生命として存在するうえで不可欠なことは子孫を絶やさないということがあると思う。
人を人たらしめることのひとつとして命を後世に繋げるという役割から逃れることもできない。
と言う至極自然で極めて当たり前という前提で私たちは生きている。
(ここから先は誰かを傷付けたり、不愉快な思いにさせてしまうかもしれません。)
とは言え…生まれながらに耳が不自由であったり、足が不自由であったり、脳にある一定の特徴があったり、持病を抱えていたり…所謂〝普通〟の境界線ギリギリの場所に立っている人たちはたくさんいて、そして〝普通〟に立っている人たちは彼らに対して「優しく」あろうとする。
だけど、LGBTQに対してはまだまだ厳しい世界なのは否めない。
〝性〟に関わらない『自分と違う』ことに人は優しくなれるのに、それが〝性〟に関わることとなると途端に『自分と違う』ことに嫌悪を表す。
多分、それが私たちが本能的に持ち合わせている生存するための摂理に反しているからじゃないかと思う。
私は専門家ではないのでよく分からないけど。
生まれ持ったものであるなら変えようがない。
機械音痴に「エンジニアになりなさい」
手が不自由な人に「ピアニストになりなさい」
運動が苦手な人に「サッカー選手になりなさい」
とはなかなか言わないけれど〝性〟に関しては全員に同じ価値観を求めるのは突き詰めると不思議な気がする。
そこには『みんな違ってみんないい』は通じることはなく『まともではない』になる。
何に対して〝性欲〟を感じるのか。
今作はLGBTQが題材ではない。
そうではない、もっと複雑で〝普通〟の範疇を超えた場所にある孤独と葛藤が描かれている。
「正欲」はそれについて分かりやすく、かつ〝普通〟であることの傲慢さを教えてくれる。
だけど残念なことに解決策はなくて、ただ理解するにとどまる。
それでも理解するというだけでも大きな一歩のような気はしている。
と言うか…最近流行りの「多様性」という言葉。
〝普通である私〟が大前提にあって「私って〝そうでない人〟に寛容でしょ。」という究極の線引きに聞こえるのは私だけ?
今年の15冊目
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朝井リョウさんの作品を初めて読みました。
「あなたは綺麗ごとばかり言ってるんじゃない?」と問いかけられているようで、なんとなく肩身が狭いような気持になりながら読みました。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』で、ビリーが社会に戻ってくるのを恐れた人たちが集団で声を上げる場面を読んだときの気持ちに似ています。ビリーが幼少期に悲惨で壮絶な体験をして多重人格を抱えるようになったことがたとえ理解できていたとしても、私も彼が世に出てくることを快く思えたとは考えられず、なんとなく後ろめたさを感じました。
楽しいとは言えない物語の中でいちばん救いを感じたのは、八重子と大也が対峙する場面でした。自分がマイノリティであるという自覚から、頑なに周囲と心を通わせず、八重子に対しては敵意すらもつ大也に対して、八重子がひたすら繋がろうとする場面。そして大也から「あってはならない感情なんて、この世にないんだから」という言葉を引き出せた八重子の必死さに圧倒されました。この物語で複数いるメインキャラクターの中で、八重子は最も未熟な印象を与える人物ですが、その八重子が大也の心を動かすということに物語の面白さがあったとも思える展開でした。
救いのあるラストではありませんが、それだけに佳道と夏月の「いなくならないから」という言葉が救いに思えました。
綺麗なことばかり言えないしましてや思えないけど、人を決めつけない人でありたいと感じました。
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ああ、こうやって、わかった気にならないようにしないとなあ、とかって、わかった気になってしまうという。
そしてまた忘れてしまった頃に後悔するんだろう。
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この本を読んで、軽々しく共感したとか、感情移入したとか、そんな感想をここに書くこと自体がはたして正しいのか。
理解したつもりで、結局自分の都合のいい捉え方をして、理解の及ばないことを端に寄せているだけなのではないか。
そんな風に自分が持っている、感じている正しさってこんなに不安定で揺らぐのかと考えさせられる、とても良い本でした。
「いなくならないでね」と言いつつ、いつ壊れてもおかしくない不安定な関係性だったけど、「いなくならないからって伝えてください」の台詞から、2人の繋がりはまだ残っていることがわかるのは、あの絶望的な状況でも救いに感じました。
余談ですが、この「いなくならないでね」のところから勝手にヒロアカのトゥワイスとトガヒミコの関係性を思い出してました。自らの個性によって社会からはみ出さなければならなかった二組が頭の中でリンクして、より切なくなりました。
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「多様性」に関する登場人物の叫びが、痛いほど響いてきました。
きれいごとではない部分からの、切実な声。
そして、「つながる」ことへの切望。
刺さる物語でした。
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これは…なかなかにつらい読書だった。読むほどに心が削がれるのだけれど、500ページにわたる長編なので、もう満身創痍の気分というか、帯にも書いてあった「読む前のあなたには戻れない」という文言も、これだけぐさぐさと削がれたらそれはそうだと納得。なんならちょっと性格が悪くなった気さえする。
しかしこれだけ抉られるのは、この現代社会が抱えるとてもデリケートな部分に関する問題の核心を突いているからだと思うし、偽善や欺瞞、自分の無知や無理解に気付くことすらなく主張される「社会の常識」や恥ずべき「正義」が容赦なくビシバシと指摘されているからだと思う。その意味でこの世の中にこの本が出現したことの価値や重要性はとても大きく、著者の明晰さを多分に感じる。
この本に出てくる田吉のような人間、おそらくこの世界の(特にこの世の中を動かしている世代の人間の)大多数を占めると思われる田吉のような人間にこそこの本を読んで欲しいと思うものの、この種の人間はそれを受け止める器がないので馬耳東風だろうし、だからこそこの世は変わらないんだと思って余計に悲しくなる。一方で昨今の馬鹿の一つ覚えのような多様性礼賛の風潮に少しでも違和感を感じている人にはぐさぐさと刺さるだろう。現に共有できないマイノリティを自覚しているがゆえに苦しんでいる人には、たぶん本書で救われるというよりはもっともっと抉られるだろう。だから私は疲れてしまった。
この世はただでさえ悲しいことだらけなのだから、私は悲しい絵は描きたくないんだ、と言ったルノワールの創作に対する哲学が私は好きで、ポジティブをもって不特定多数をポジティブに変えることのできる創作物に基本私は惹かれるので、そのために★5つではなく4つにしてしまったのですが、これだけますます愚かになっている社会の現状にあっては、正面から豪速球を投げてくるような本書の存在はとても貴重で大きい。