紙の本
心に残る猪木の言葉
2023/08/07 20:58
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ情勢のいま、いつかの思い出、しょうもない最近の話、尊敬するあの人への追悼文、様々な媒体に去年掲載されたエッセイの中から厳選された文章だけあってどれも面白かった。特に川添愛さんの「心に残る猪木の言葉」、内澤旬子さんの「どう考えてもおかしい」は秀逸。
紙の本
毎年の楽しみ
2023/08/09 16:40
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎年、発売日を楽しみにしています。
今回は、感染症から少し距離が置けるようになってきたなあと思いました。
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息子は紙に、大きな「0」を書いた。そして、「人間の顔も0の形だよね。地球もそうだ」「ゼロは、地球を作ってもいるし、数は地球を作ってるんだよ!数がなかったら、ものもないんだよ!」/森田真生・さいごのかずは(P.91)
生きるということは、生き残っているということだ。持ち時間が、音を立てて少なくなってゆく。/田中慎弥 生き残った者として(P.109)
以上、心に残った文を引用した。
多種多彩な75人に及ぶエッセイ集。
本書の編纂委員の角田光代氏、三浦しをん氏の作品もまた味わい深い。
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様々なところに掲載されたエッセイから選ばれた珠玉の作品達を集めたもの。今、を表しているポストコロナ、メタバースなどから、亡くなった方への追悼のエッセイが並んでいる。
いしだ・かほさんのWeb会議のところは視点が面白い。以前は業務中にイヤホンをしようものなら音楽聴きながら仕事すんな、と言われていたが、今や逆であいつ忙しいなというサインになる。誰からも話しかけられたくないので、会議中でなくともイヤホンをするようになった。伊達メガネではなく、伊達イヤホン。
沢木さんの、旅をちょっとスリリングに、食べログとかのランキングで店に行っちゃわないように。感性とか、直感を信じて行ったお店が美味しかった時の幸せも旅の一つ。
小川哲さんの小説も読んだばかりだったので、驚いた。SFとかミステリ作家としての印象だけど、戦争とは未来の架空の話とか、過去の歴史で理解できない話、なぜなら日本人は昔は獰猛で、負けるのがわかっていても戦ったのか。いや、実は、日本は戦争をした、という言葉を我々は戦争をした、に置き換えないといけない。僕たちは戦争をしたんだとしたら、自分なりに戦争を捉えることができる。
藤原麻里奈さんはユーチューバー系のようだ。松下幸之助さんの名言、お互いにもう少し謙虚で寛容でありたい、少し勇気を持ちたい。そして、すべてのものが人が、時と処を得て、その本来の値打ちが生かされるように努めたいものであると。孤独を避けるために、忙しくするのではなくて、忙しく楽しい、自分にとって意義あることをやっていきたい。そして、それがある人やものの将来に少しバリューアッドできれば嬉しい。そんなふうに考えているから、ちょっとホッとする言葉だった。
フェミニズムや階級社会の問題で名著を残したブレイディさん、ジェンダーギャップを縮める本を出版している会社が女性にお茶汲みやらせているのはどうなの?と。アメリカでは、レセプションとは会社の顔であり、お金を払ってプロフェッショナルとしてやってもらっている。そのレベルの高さが、会社の印象を直接形作るからだ。
本書のコラムにも、内田春菊さんの、相手の話をちゃんと聞かないで、自分の話をする男、が出てくる。もはや、聞き飽きるくらい出てくるので流行っているんだろうけれど今まで男と女が別の社会を生きてきたのに、そこに境目を取ろうとしているからこそなのだろうか、本で今までみたことないくらい少なかったと思うけど、というかおそらく男同士の会話でそこが違和感とならないからなのか、この手の話が目につく。おそらく女性の方も、男はそういうものだから、気をつけないとと思っているので、余計に目につく赤い車理論もあろう。
栗に文句をつけた挙句に、ウニにまで八つ当たりする。こういうのはさすがとしか言えない。日常に少し明かりが灯る、そんな素敵なエッセイが好きだ。
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岸本佐知子/栗
内澤旬子/どう考えてもおかしい
綿矢りさ/野菜が甘い
大辻隆弘/漕代駅
乗代雄介/教えてあげたい
稲垣栄洋/雨が降るって本当に不思議です。えっ、不思議じゃありませんか?
が◎
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「ベスト・エッセイ」と銘打つだけあって、どれをとっても驚きや感動もあればしんみりさせたり笑わせられたり‥人選や内容もバラエティに富んでおり尚且つ、その頃何があったかを思い出せるのも年に一度のシリーズならでは。
初めましての書き手に会えるのも楽しみのひとつ。中でも赤木明登(塗師)「工藝家の夢」とシンガーソングライターの七尾旅人「犬の暮らしの手帖」が忘れられない。編纂委員の作品には(これをベストエッセイに?)と首を傾げるものもあったけれど‥きっと慣れぬ役職でお忙しかったんでしょう。
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よくもこんなエッセイを一冊にまとめられたものです。作家じゃない人のもいくつもある。と思って感心していたら、もう何年も前から毎年出版されているのですね。すごいことです。
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2022年に新聞・雑誌等に掲載された中から選出された75篇。
個人的に印象に残ったもの。
気分はビヨンセ/石田夏穂
これはwこんなに赤裸々に淡々と事実(すかしっ〇について)を語る…、草を生やすほど導入部にインパクトがありました。石田さんは兼業なんですね。
ただそれだけで/沢木耕太郎
旅をしているときに地元の人にお店を聞く。一生忘れられない思い出になる。良くも悪くも。(我が家は今年は悪い思い出ができてしまい居たたまれない…)。
おいしい物語/今井真実
物語に出てくる食べ物は現実より5割増しでおいしいんじゃないだろうか。6歳の息子さんが「かいけつゾロリ」を読むなんて羨ましくて仕方ありません。(うちの息子は本当に本を読まない…。想像力が一般人より欠けているので。)
ぼくらの第二次世界大戦/小川 哲
終戦から続く戦後のこと。『地図と拳』、読んでみたいんですがなんせボリュームがすごい(汗
「伏線」と「回収」/細馬宏通
確かに伏線は回収されすぎても物語を胡散臭いものにするように思う。起こった出来事がそのままでその物語が閉じることがあってもいいんではないかと。
耕せど 風は冷たい春/佐伯一麦
2022年はなにをしててもロシアのウクライナ侵攻が頭をよぎっていた。そんな記憶。
このエッセイは私の2022年ととても近い。
クリスマスローズの原種の1つがウクライナが自生地だったとは。『園芸家12ヵ月』も再読したいなぁ。
“オンラインアグネス”、登場/酒井順子
私もこの友人の世代なので気持ちは分かります。自分の子どもがより良い時代に生きてくれる可能性を報酬と思って頑張りたい。
木を見て、鳥も見ること/荒俣 宏
熱海では長い期間桜が咲いているなんて知りませんでした。あたみ桜と河津桜を観るために熱海に行きたいなぁ。
隠れマッチョ/内田春菊
NO MORE 自分語り。NO MORE 無自覚マウンティング。
「石原慎太郎」という物語/青来有一
都知事のイメージが強いですが(あと遠藤周作のエッセイに出てきますね)、本当のところどんな方だったのでしょうか。この夏、市立小樽文学館に設置されていたコーナーで見かけたので少し気になりました。
「絆」に二つの意味/本田秀夫
そうそう、「絆」って「きずな」だと「すっごく良い」ものっぽいのに「絆される(ほだされる)」と訓読みになると「あかん」ものになるとずっと思ってました。
雨が降るって本当に不思議です。えっ、不思議じゃありませんか?/稲垣栄洋
良質なエッセイ。エッセイとはこうあるべき、という最適解のような。本好きの小学生高学年の子なら読めるかな?
栗/岸本佐知子
裏技とライフハックは正解と幸せをもたらすか。一晩冷凍+熱湯は試してみようかなー。
教えてあげたい/乗代雄介
「教えたがりおじさん」と思われたくはないけれど。
女ともだち/桐野夏生
ともだちができた!と思ってもその人はともだちではないのかもしれない。
(笑)でこの笑いは伝わるか/武田砂鉄
この文字の使い方の難しさよ…。絵文字があって助かるけど、使いすぎるとおじさん構文と言われる世の中(泣
どう考えてもおかしい/内澤旬子
「うちにはヤギが五頭いる。」(P265)から始まる。おかしくないわけがない。冷静に語られてるけどやっぱり可笑しい( *´艸`)
6月発売だったので林さんのエッセイは今読むとなんだか気の毒です(´;ω;`)
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2023年発行、光村図書出版の単行本。75編。残念なことに今はエッセイをゆっくり読める精神状態ではなく、少し走り読み気味になってしまった。ただそれでも興味深い話が多くて楽しい。もっとも執筆者の半数以上は見覚えがない人である。
執筆者:きたやまおさむ、三崎亜記、上田岳弘、鈴木伸一、平松洋子、赤木明登、黒井千次、石田夏穂、沢木耕太郎、鎌田裕樹、松尾スズキ、今井真実、小川哲、細馬宏通、川添愛、浅田次郎、鯨庭、藤原麻里菜、森田真生、秋田麻早子、佐藤洋二郎、ブレイディみかこ、佐伯一麦、田中慎弥、酒井順子、七尾旅人、荒俣宏、服部文祥、内田春菊、青来有一、小池昌代、久栖博季、柚木麻子、宮田珠己、篠弘、阿川佐和子、柴田一成、古川真人、磯野真穂、沢野ひとし、山内マリコ、細川護煕、藤原智美、神林長平、高田郁、本田秀夫、村田あやこ、佐藤利明、
執筆者(続き):村田喜代子、稲垣栄洋、平岡直子、穂村弘、茂山千之丞、岸本佐知子、夢枕獏、大辻隆弘、関田育子、乗代雄介、須藤一成、小池真理子、郷原宏、桐野夏生、中山祐次郎、武田砂鉄、綿矢りさ、内澤旬子、杉本昌隆、大道珠貴、奥泉光、藤沢周、林真理子、堀江敏幸、三浦しをん、町田康、角田光代、
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小説とはまた違った発見が見つかるエッセイである。バラエティーに富んだ総勢75名のエッセイが集結。滑稽話やしんみりした話、気づきの話、昔話など、視点が豊富だった。
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星3.5
昨年は時代の暗さなどと相まって「この著者他にエッセイ出してないのかな?」と調べることすらできなかった(個人的にひっかからなかった)。今年も、その点についてはあまり見られなかったが、共通の話題が見られたりそこのひかくを楽しむことができた。
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まさかのきたやまおさむの エッセイ
自死した加藤和彦について 今でも精神科医のあなたが側にいながら なぜ止められなかったのかと
問われるという
同じ空を見ても 心と心が通わない つらいね
面白かったのは鹿児島大学医学部卒業の
医師国家試験の必修問題 8割出来ないと不合格
看護師と同じ
その5択の問題で悩んだ過程が面白かった
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これ、毎年読もう。さまざまな分野のすばらしい作者たちが、思い思いの作品を綴っている。最初から最後まで感心し、感動し、このような素晴らしい文章たちに出会えたことを感謝しながら読み進めた。
p.26 こうして、毎年2月が巡ってくるたび、文旦の皮を刻むのが習慣になった。皮に包丁を入れる幅は随分細くなり、たっぷりの水に浸し、定期的に水を変え、一晩おく。熱湯で茹でこぼすときは、3度ともざるに上げ、そのたびにうちわで仰いで粗熱を取り、手で絞る…必ず手順を踏んで進む。取り出した、実は、ざっくりほぐし、種子はとろみをつけるペクチンの元だから、大事に集めて鍋の中へ… 1つずつあげれば、やれやれ煩雑だなと尻込みされるだろう。でも2度、3度、4度、5度、6度。毎年繰り返すうち、これは文旦と私との約束だと思うようになった。皮と実1キロに対して、砂糖400グラム。強めの中火で30分。瓶は8個。取り交わした約束を繰り返していたら、自分の味が決まっていた。
p.40 ただそれだけで・沢木耕太郎
だが、私は、それを聞いて、もったいないな、と思った。せっかく旅に出て、グルメサイトのランキングに従って食事処を決めると言うのはもったいなさすぎる。確かに、グルメサイトで調べた人と、キャバクラの客引きの男性の言葉を信じた。私と、最終的には同じ店に入ったことになる。だが、もし私がグルメサイトで調べて尋ねていたら、その夜の幸福感はそこまで深くなかったような気がするのだ。
知らない街を歩きまわり、自分の直感や経験を総動員し、ときには、偶然の出会いなどに助けられて、1軒の店を発見する。そうした私の旅の仕方では、失敗することも少なくない。だが、一方で、思いもよらない成功が待っていてくれたりもする。私がもったいないと思うのは、意外な成功体験を味わえるかもしれない機会を逸するからと言うだけではない。旅においても、他の多くの事のように、ネットで調べてから行動を起こすと言うのは、失敗することを過剰に恐れる現代の若者の傾向に見合っているように思える。人生において、例えば、就職や結婚といった大事に失敗したくないと言うのはわかる。だが、国内における短期の旅行などと言うのは、ささやかな失敗をしても容易に回復できる数少ない機会であるだろう。私がもったいないと思うのは、失敗が許される機会に、失敗をする経験を逃してしまうことなのだ。人は、失敗することで、大切なことを学ぶことができる。失敗に慣れておくこともできるし、失敗した後にどう気持ちを立て直す、この術を体得できたりもする。可能な限り、ネットに頼らず、自分の五感を研ぎすませ、次の行動を選択する。ただそれだけです。小さな旅をスリリングなものになり、結果として豊かで深いものになるはずなのだ。
p.44 本と引越し・鎌田祐樹
11年続けて、マネージャーもやらせてもらった本屋の仕事を離れた理由はいくつかあるが、決定的だったのは、読書の「物心」がついたからだと思う。子供が世界の、世界の広さを体感して、徐々に自らの好みや夢を知るように、読書に没頭する時、いつからか、自分が本当に知りたい分野ゆ触れたい感性に気がつき、それはだんだんと研ぎ澄まされていった。しかし、���屋は常に誰に対しても広く開かれていなければならない。本屋としての読書と、個人的な読書に乖離が見えた頃から、この仕事の区切りについて考え始めていた。小さい頃からずっと、本は世界への扉であって、それはこれからも変わらない。ただ、自分の場合、本を開いて、いっぽ踏み出した、先に広がっていたのは、自然という雄大な世界だった。ずいぶん遠回りをしたけど、哲学や思想、小説や詩、たくさんの本に出会わなければ、この景色が見えなかった。本屋だったからこそ、農家になろうと思ったのだ。目指すのは読書が下地にあるの農家だ。
p.57 おいしい物語・今井真実
今や、私の定番の料理であるフライドポテト。いつも誰かに作るため、驚かれるのだが、種明かしをすれば、かつて胸を焦がすほどに夢中になって読んだ小説から誕生したレシピだったのだ。近頃ではローズマリーのタイムだけど、飽きたらず、バジルや庭の明日も一緒に、パリパリになるまで素揚げして混ぜ込んでいる。今日も、黄金色のオリーブオイルの鍋の中では、大量のじゃがいもが少々と細かい泡を立てている。子供たちはフライドポテトが大好きだから、いつもたっぷり作るのだ。青いハーブの香りをぎゅっと吸い込んで、上がった側から熱々のじゃがいもにしようと多めに振る。台所に立ったままに、カリッと揚がった芋のかけらを1かじり。恋を犯していた若者たちを思い出す。大人に見えた彼らも、きっともう年下だろ。私は、冷え冷えとした白のワインをグラスに注ぎ、喉を鳴らして飲み干した。
p.60 僕らの第二次世界大戦・小川哲
戦争を「他人事」ではなく「自分の身にも起こり得ること」だと理解すること。愚かな行為に至るまでの過程を知ること。「敗戦」というのが最終的な答えであるならば、その途中式を描くこと。そして何より、小学生の僕が抱いた疑問答えること、それが『地図と拳』を執筆しようと思った根本的な動機だ。
p.71 心に残る 猪木の言葉・川添愛
私のような凡人は、他人から寄せられる期待は自分の味方だと考える。しかし、猪木にとっては、ファンか寄せられる声、つまり「猪木にはいつまでも猪木であってほしい」と言う期待は、あまりにも大きく、絶えず闘い続けなければ、自分を押しつぶしてしまう敵であったに違いない。猪木は最後の一息まで、世間の期待と戦った。私の言葉のひとつひとつは、私たちの期待に対して繰り返す延髄切りであり、まん地固めだったのだろう。戦いはリングの上のみ存在するのではなく、人生のあらゆる地点に存在すると言うことを、猪木は身を持って私たちに教えてくれた。生きている限り、年老いること、病を得ること、死ぬ事は免れないが、私たちの番が来たときには、きっと、心の中の猪木が励ましてくれるに違いない。
p.80 石膏のヒポグリフ・鯨庭
飼育とは、ただ眺めて観察するだけでは得られない情報の洪水に巻き込まれると言うことだ。それはとても幸せなことだ。
p.91 さいごのかずは・森田真生
息子は、紙に大きな「0」を書いた。そして、「人間の顔も0の形だよね。地球もそうだ」「0は、地球を作ってもいるし、一生地球を作っているんだよ!数がなかったら、ものもないんだよ!」と何やら深遠そうな言葉を口にしながら、興奮した���子で、思考に耽り続けるのだった。終わらない数についての、終わらない思考、僕にとってもまた、忘れられない一夜となった。
p.97 生きてるだけで幸福・佐藤洋ニ郎
それから子は親を絶対抜けないからねと、とどめを刺すように言った。長生きした人間は、人生でつかんだ言葉を案外と思っている。彼女のつぶやく言葉を、いくつかの作品に使わせてもらったが、この人を傍で見ていたから、小説家の端くれになれたのではないかと思い返した。
p.101 千里の道も地べたから・ブレイディみかこ
こういう問題について書き始めると、「そげんこと言うたっちゃ、うちは母ちゃんの方が強かばい」という人もいるのだが、うちの母ちゃんが強いことと、社会的に女性の地位が低い事は別物である。家庭内でいかにお母ちゃんが幅をきかせていようとも、パートの職場で男性より昇進しにくかったり、昇進しない理由が「小さな子供がいるから、重要な仕事を任せられない」とかだったりしたら、母ちゃんが社会的には強くない。だって「子供がいる」がネックになって昇進できない男性はほぼいないからだ。家庭と言うミクロと、社会と言うマクロ混ぜてはいけないのだ。
とは言え、女性問題を考える時混ぜなければならないミクロとマクロもある。例えば、男女のジェンダーギャップを縮めましょうと言う趣旨の本を出している出版社なので、いまだに女性のお茶くみをしていたり、キッチンの冷蔵庫の整理をしている姿を見かけたりする。これらの女性たちは、それを専門の業務として雇用されている人々ではなく、事務や宣伝やデザイナーなど、本来の業務は別にあり、その上でさらにお茶くみや清掃をやっているんだ。こういうことが「当たり前」とされる環境が未だ蔓延っているようでは、日本のジェンダーギャップ指数もなかなか上がらないだろう。ここでは、ミクロの人の意識とマクロの政治が直結しているのだ。ちょうど80年代の福岡からクールなバンドが偶然にもいくつも出てきたわけではなく、Yのおばちゃんのような無数の人々がシーンを支えた土壌があってこそ、有名バンドが実現できたように、足元の日常の中で、人々がジェンダーの問題について考えていない場所から、突如として女性議員だけが次々と誕生するわけがない。千里の道も地べたから。地べたと言うのは「地」、すなわち「土壌」の事でもある。福岡のロックシーンとYのおばちゃんのスタジオが日本の女性問題に示唆するものは大きい。
p.109 生き残った者として・田中慎弥
生きると言う事は、生き残っていると言うことだ。持ち時間が、音を立てて少なくなっていく。
p.112 「オンラインアグネス」、登場・酒井順子
子育て世代を世の中全体で支えよう、というのが今の考え方です。しかし、一方には、「私の子育ては誰も支えてくれなかった。夫さえも」と思う世代もいる。それが正しい方向への変化であっても、数が激減するときには、歪みがかかる人々が必ずいることを実感した私は、「でもさぁ、あなたの子供たちは立派に育ち上がったんだから、いいじゃないの」と言ってみたものの、これから男女問わず、オンラインアグネスたちが増えるであろうと考えると、彼女の不満もまた募るばかりであることが予想されるのでした。
p.120 あるがままに登る・服部文祥
岩の形状を自分の体で何とか利用し、バランスが取れる動きを組み立てながら上る。それは体全体で考える。創造的運動で面白かった。もしのぼれなかったら、変えて、自分を鍛えて、出直す。その姿勢は、行為者にとってもフェアで気持ちが良かった。自然環境が有限であり、岸壁を人工的に「壊して」登っていては、いつか対象がなくなってしまう。だが、あるがままのぼるフリークライミングは持続可能だった。
整備して加工して、誰もが結果を享受できるのが平等なのではなく、誰もが結果に向けて努力できるようにそのまま残しておくことが「真の平等」だというフリークライミングの考え方は「持続可能」がキーワードになっている現代に本質的な提案をしている。
p.124 隠れマッチョ・内田春菊
とは言え、上から目線になったり、張り合ってしまったり、と言うのは、不安な人が思わずやってしまう行為。私にそんなマウンティングを仕掛ける人が、別の人にはとても心優しいこともある。トナルと、そのトリガー的なものが私にあるの?「こんな女には、俺の方が上ってことを教えとかないとならないしな」と思わせている私のそれとは一体何なのだろう。
p.128 みなしご・小池昌代
ここ数年の間、両親が続けてあの世に旅立った。私は還暦を過ぎたが、「みなしごになりました」などと言って、数人に報告した。その言い方に、あははと笑ってくれる人もいた。私も笑った。笑わせるつもりはなかった。(いや、少しはあったかな)。私は親がいる間は彼らの「子」だった。けれど、ついにようやく、私は前から来る風を最初に受ける、単なる1人の人間になってしまった。お父さん、お母さん、と言う言葉を、生活の中で最後に使ったのはいつだっただろう。その時を意識もせずに過ぎてしまった。その特定の言葉には、使用期限があるのを知った。知って泣いた。今、これらの名称は、呼びかける相手を失い、宙空(ちゅうくう)に浮かぶ墓のようだ。言葉をまた、墓になるのか。別の言い方をするなら、言葉がその実態を失った、あるいはその言葉が、生命を失い軽くなったと言うことだろうか。感覚的な話だ。そんな気がすると言うだけ。言葉を、私たちは感覚で測りながら使っている。今、ここになくても、レモンと言えば、レモンのあの重さが、鋭い酸味が、尖った形が、今、ここに、ありありと蘇るように。生きていた人がいなくなると言う事は、「え?」としか言い表せない位驚くことで、亀だったら「虚」と一言、つぶやいた立ち去るところかもしれない。しかしこんなことを書いている。私は実際は、日々、別に驚いた顔もせず、淡々と暮らしている。
p.148 松岡恭子さんの教え・阿川、佐和子
「子供にとって読書の時間を格別に長くとる必要はないし、たくさん読まなければいけないと言うこともない。むしろ本を読んだ後、ぼーっと1人で考える時間が大事なんです」読書を得て本を閉じ、こども本の中に書かれていたことを反芻する。本当に魔法使いはいるのだろうか。サンタクロースは家に来るのかしら。ぐるぐる頭を回転させて情景を想像し、その結論や解答がどうあろうとも、そんなふうにぼーっと思考をめぐらせることこそが、読書の大事な宝物。そう松岡さんは教え���くださった。その後ずっと私は松岡さんの教えを体の心棒にしている。子供だけではない。大人もそうだ。情報と知識をたくさん取り入れることに躍起になるよりも、ささやかな感動、自分の頭と心でどう捉え、どんなふうに想像を膨らませることができるか。時間に追われ、何が何だかわからなくなると、松岡さんの言葉を思い返す。差別的な内容を含むとして、刊行を打ち切られた「ちびくろさんぼ」について、「大好きな絵本がなくなってしまうなんて悲しい」と訴えた時も、松岡さんは「大丈夫。優れた物語は必ず帰ってくるわよ」と優しくなだめてくださった。その後本当に帰ってきた。松岡さんも帰ってきて欲しい。
p.177 映画館は、社会と地続きだった・藤原智美
私にとって、映画とは、同じ空間で、見知らぬ観客たちが息を殺しながら、スクリーンに投影された光と陰を見つめる、あのえもいわれぬ空気の中に存在するものだ。暗闇の中で、輝く大きなスクリーンと音響の迫力に、体全体が引き込まれていく、あの忘我の境地は、やはり映画館でしか味わえない。エンドロールが終わり、客席に灯りが戻っても、なおそのまま作品世界にとどまっていたいと言う心地よい虚脱感は、何物にも変えがたい。映画館から街の雑踏に立った時、軽いめまいにも似た不思議な感覚を覚えることがある。そんな時、自分で直前まで非日常の虚構にどっぷりつかりきっていたことを思い知る。映画を見る事は、「鑑賞」と言うより、心に降りかかる「体験」に近い。
p.181 「フィクション」の力・神林長平
なぜ、物質的欲求を満たすだけでは生きていけないのかと言えば、自分たちが生きている現実世界は、過酷で圧倒的な力を持ち、どうしたってかなわない、と言うことを理解する知識を我々人類が持ってしまったためである。人間は知識をもっとが故に、地震や津波や火山噴火に見舞われたら、私を覚悟しなくてはならないと言う「リアル」な現実が見えるため、不安になる。自分を殺そうとしている、むき出しのリアル、つまり、現実の 真の有り様を直視することに人間は耐えられない。そこで、フィクションと言うフィルターをかけて現実を見る。この世界は神により作られたのであり、創造主である神が我々に酷いことをするはずがない、と言うように。こうした安心できるフィクションなくして、人間は生きられない。宗教や芸術を始め、芸能や文芸などは皆、生きるために必要なフィクションだ。科学的思考もまた、例外ではない。科学は事実を扱うが、その事実は、人間の脳が理解できるものに変換されているのであって、リアルそのものではない。…自分が危険な状況にあるということに気づくのに、役立つのが想像力と言うものであって、それを鍛えるのが、これまたフィクションである。フィクションは私たちに体験したことのない世界を見せてくれる。宗教がそうだし、絵画でも、娯楽小説でも、そこに何が表現されているのかを理解するには、一定の想像力を必要とする。この想像力は、現実世界で何が起きているのかを、例えば自分の住んでいる土地のどこかで、子供が飢えているかもしれない、といったことを想像する力と、全く同じである。フィクションで鍛えられる、想像力は、現実を知る力になるのだ。
パンではないもの、フィクションとは、私たち人間が、圧倒的な力を持つリアルに対抗するための盾や防護服のごとく、必要不可欠なものであり、同時に、希望でもある。東日本大震災のような大災害が起きた時など、飢えた子供に対して、自分の仕事は無力だと感じる創作者は少なくない。だが、それは、違う。飢えて、死にそうな子供に必要なのは、パンと、希望と言うフィクションだ。どちらかが欠けても子供の健康を取り戻すことはできない。創造者たちは、人を生かす仕事をしているのだ。決して無力ではない。フィクションの持つ力は、とても大きい。それに気づくと人生がより豊かになるので、これを機会にフィクションについて試作することをお勧めする。フィクションとは、現実を映す鏡でもある。そこに飢えた子供やあなた自身が見えてくるなら、私も嬉しい。
p.185 つくし・高田郁
「今更、その歳で、と笑うものもいてるけど、こうやって手に入れた文字や言葉は、もうだれも私から奪われへん」毎夜、ともに机を並べて授業を受けるうちに、ぽつり、ぽつり、と話してくれる人たちが現れた。義務教育が当たり前だと思い込んでいた私は、自身を深く恥じた。ある時、黒板に書かれた「つくし」という言葉を見ていた高齢の生徒さんが「ああ、優しい顔してる」とつぶやいた。夜間中学に通い始めて間もない人だった。同じひらがなでも「あ」や「お」や「ゆ」等は手強い。なるほど「つ」も「く」も「し」も、なんと穏やかで優しい面だろうか。文字にも顔がある、としみじみ感じとった。
2月半ほどの取材だったが、「これまで私は文字の言葉を何と粗末に扱ってきたのだろう」と思わぬ日はなかった。生徒さん達の学ぶ姿を間近に見るたびに、「文字も言葉も、誰かをおとしめたり、傷つけたりするために用いてはならない」と思いを深めた。
p.189 「絆」に2つの意味・本田秀夫
「絆」は、音読みでは「ハン、バン」と言う。なじみのある所では、「絆創膏」という言葉に含まれる。これも「つなぎとめる」という意味である。この事は、「絆す」と書いて「ほだす」とも読む。これも「束縛する、自由を奪う」と言う意味である。「情に絆される(ほだされる)」とは、人情に惹かれて気持ちや言葉が束縛されることである。人の心と、心のつながりには、美しいイメージがある一方で、束縛して自由を奪う側面もある。「絆」と言う文字には、その両面が含まれていることを知っておく事は、重要だと思う。
…
しかし、絆の結果として形成されるものであって、目標がスローガンにするべきものではない。心を1つにして団結することを重視しすぎるのは、ときに危険である。古来、多くの国の権力者は、人心を掌握するための常套手段として、共通の敵を想定し、その教員への対抗のための団結を国民に即してきた。共通の敵とみなす相手は、外国だけではない。権力者の意向と異なる意見を持つ人に「非国民」などとレッテルを貼って、共通の敵とみなすこともある。1部の人をスケープゴートにすることで、残る多数の統治をすると言う手法だ。「団結しないやつは、裏切り者とみなして排除する」と言う雰囲気が醸成され、自発的でなく、義務感や共生館を伴った同調圧力が生じてくる。これは、人形の世界の杯事と変わらない。「絆」と言う響きの美しさの影に、そ���ような本質が隠れていることがあるので、注意が必要だ。
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これだけたくさんの作家さんのエッセイが一度に読めるのは、やっぱりお得な気分。
顔ぶれも毎年少しずつ違うので、読んだことのない作家さんを知るきっかけにもなっている。
今回は小川哲さん、髙田都さん、乗代雄介さん、三浦しをんさんが印象的だった。
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毎年出版されているのを本書経由で知った。いろんな人のエッセイがつまっているのは話題も千差万別で面白そう。時事の話題もあるだろうし、最新の本書を読んでみたい
#ベスト・エッセイ2023
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23/6/26出版
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