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Serious Moonlight (Ltd)

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DVD

Serious Moonlight (Ltd)【DVD】

David Bowie

デヴィッド・ボウイが1983年に行なった"シリアス・ムーンライト・ツアー"の模様を収録したライヴDVD。

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Serious Moonlight (Ltd)【DVD】

2,484(税込)

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曲目

ディスク1
  1. イントロダクション (Live; 2006 Digital Remaster)
  2. 怒りをこめてふり返れ (Live; 2006 Digital Remaster)
  3. ヒーローズ (Live; 2006 Digital Remaster)
  4. ホワット・イン・ザ・ワールド (Live; 2006 Digital Remaster)
  5. ゴールデン・イヤーズ (Live; 2006 Digital Remaster)
  6. ファッション (Live; 2006 Digital Remaster)
  7. レッツ・ダンス (Live; 2006 Digital Remaster)
  8. 壊れた鏡 (Live; 2006 Digital Remaster)
  9. 火星の生活 (Live; 2006 Digital Remaster)
  10. 愛の悲しみ (Live; 2006 Digital Remaster)
  11. キャット・ピープル (Live; 2006 Digital Remaster)
  12. チャイナ・ガール (Live; 2006 Digital Remaster)
  13. スケアリー・モンスターズ(アンド・スーパー・クリープス)  (Live; 2006 Digital
  14. 愛しき反抗 (Live; 2006 Digital Remaster)
  15. ホワイト・ライト ホワイト・ヒート (Live; 2006 Digital Remaster)
  16. ステイション・トゥ・ステイション (Live; 2006 Digital Remaster)
  17. 気のふれた男優 (Live; 2006 Digital Remaster)
  18. アッシュズ・トゥ・アッシュズ (Live; 2006 Digital Remaster)
  19. スペイス・オディティ / バンド・イントロダクション (2006 Digital Remaster)スペイス・オディティ バンド・イントロダクション
  20. ヤング・アメリカンズ (Live; 2006 Digital Remaster)
  21. フェイム / エンド・クレジット (2006 Digital Remaster) フェイム エンド・クレジット
  22. リコシェ-ドキュメンタリー(香港)

その他のバージョン

DVD Serious Moonlight EUR輸入盤 発売日 : 2006/03/13 購入できません
DVD Serious Moonlight (Ltd) 国内盤 発売日 : 2005/10/28 購入できません
DVD Serious Moonlight 国内盤 発売日 : 2004/01/28 購入できません
DVD Serious Moonlight (Ltd) 国内盤 発売日 : 2012/11/07 購入できません
DVD Serious Moonlight US輸入盤 発売日 : 1999/03/03 購入できません

アーティスト紹介

David Bowie

もともと音楽スタイルを巧く横断していくような身軽な賢さや絶妙なバランス感覚を売りにしていた彼は、ある種のアメリカン・ロックやソウルのアーティストが追及していくような音楽表現の深さみたいな、ある種の逃げと成熟が許されない立場に立たされたということも言えるかもしれない。

69年の再デビューから間もなくのこと、70年代初頭のシーンでグラム・ロックの代表的アーティストとして活躍し、80年代最初期、あるいはもっと寛容な見方をすればアルバム、 レッツ・ダンス(Let's Dance)や映画、戦場のメリー・クリスマスへの出演辺りまで独自のカリスマ性を放っていたデヴィッド・ボウイ。60年代のアンディ・ウォーホール、80年代のプリンス、90年代のベックらに匹敵する、もしくはそれ以上の輝き方をしていた70年代のボウイは、その時期があまりに濃密に光輝いていたために、それ以降彼自身のテーマが本人の意思とは関係なくロック・スターにとっての“老い”の問題やロック・アーティストの思春期的表現の困難さに直結してしまったことは否めないだろう。もともと音楽スタイルを巧く横断していくような身軽な賢さや絶妙なバランス感覚を売りにしていた彼は、ある種のアメリカン・ロックやソウルのアーティストが追及していくような音楽表現の深さみたいな、ある種の逃げと成熟が許されない立場に立たされたということも言えるかもしれない。

近作アースリング(Earthling)やアワーズ(Hours)では無理のない若返りともいえる自然体の境地を手に入れた(特に後者で)ボウイは、少し前にあった世間的なものとのズレ(失礼!)を解消したかに見え、これからある種の達観を伴いながら比較的ジタバタしない充実した活動を展開していってくれるだろうと予感させる。先頃、インターネットによる情報の拡大やポスト活字文化的な部分が一般に親しみ易くなることに関して彼がかなり肯定的な発言をしていたのは印象的だった。そのときに、やはり根っからのポップ・アート好きで「メディアの人」なんだなぁと思えたとき、これからのボウイは少し前よりも呼吸し易い状況にいるんだな、という気がした。

デヴィッド・ボウイ(本名:デヴィッド・ロバート・ジョーンズ)は1947年1月8日にロンドンのブリクストン地区で生まれた。デビッドの父親ヘイウッド・ステントン・ジョーンズと前妻との間には離婚問題があり、デヴィッドが生まれたときには、父ヘイウッドと母マーガレットはまだ同棲している状態だった。そうしたあまり幸福とはいえない家庭環境に育ったデヴィッドは、いつも両親と喧嘩ばかりしていたという。また10歳のときに彼はガールフレンドのことで友人に殴られ、左眼の視力をほぼ完全に失っている。更にデヴィッドのトラウマが形成されるのに決定だった事柄は、母親が連れてきた前夫との子供、7歳年上の兄テリーが精神病院にはいったことだった。その後アーティストになったデヴィッド・ボウイはこの兄に起こった出来事に対してひどく怖がる発言をしている。

ハイスクールに通うデヴィッドは英語以外の科目は全て落とす問題児だったが、父親の影響でチャールス・ミンガスジョン・コルトレーンなどのジャズに興味を持ち、サックスを演奏したり歌を歌ったりといったことをクラスの仲間に披露するようになった。15歳になると自身を音楽で表現したいと思うようになり、初めてのバンドを結成。同時にビート文学の代表的作品、ジャック・ケルアックの「路上」やファーリンゲッティの作品を読みふけるようになったデヴィッドは、自分の通う、良家の子弟が通う格式ばったハイ・スクールに見切りをつけ、ドロップ・アウト。広告関係の仕事に就くが、これには魅力がないと気付いたデヴィッドは半年であっさりとこの会社も退職してしまった。その後1963年にデヴィッドはあるミュージシャン達4人と偶然知り合いになる。彼らはすぐに意気投合し、バンドを結成。デイヴィー・ジョーンズ・ウィズ・ザ・キング・ビーズという名前だった。あるエージェント・マネージャーとコネクションを持った彼らは、1964年6月、デッカのボカリオン・ポップ・レーベルからシングル“ライザ・ジェーン”を発表。プロ・デビューを果たしたが、このシングルがまったく売れず、終いにはTV出演のため髪を切らされそうになるなどゴタゴタが続き、結局9ヶ月後にバンドは解散。デヴィッドは新たにザ・マニッシュ・ボーイズというバンドを結成、パーロフォンから1965年3月にシングル“アイ・ピティ・フール”をリリース。しかしこれも大して話題となることはなく、またもバンドは解散。この後もデイヴィー・ジョーンズ&ザ・ローアー・サードでシングルをリリースするも同様の結果となり解散、そして次に結成したデヴィッド・ジョーンズ&ザ・バズ時代に、デヴィッドはソロ活動をしていくことを決意する。きっかけはロイヤル・アルバート・ホールで観たボブ・ディランのライヴ。これに触発されたデヴィッドは、ソロ活動に際してまず名前を心機一転改めた。当時人気絶頂だったザ・モンキーズのデイヴィー・ジョーンズと同姓同名であったため、アーティスト名をデヴィッド・ボウイと改名。1966年4月、ソロ・アーティスト、ボウイとしての初シングル“ドゥ・エニシング・ユー・セイ”を、8月に続くシングル“アイ・ディグ・エヴリシング”をパイ・レーベルからリリース。これは以前に比べれば関係者の評判も上々だったが、やはりセールスがついてこない。パイとの契約も一年で切れ、デラム・レコードへ移籍。3枚のシングルと初アルバム、デヴィッド・ボウイ・デビュー・アルバム(Love You Till Tuesday)を発表するが、ほとんどプロモーションの行われなかったこの作品群も大きな評価を集めることはなかった。

1964年のレコード・デビューから3年間もの間、あの手この手で音楽業界での評価をモノにしようと思っていたボウイは、ここで大きな転機を迎える。世界屈指の舞踏家でリンゼイ・ケンプ・マイム・カンパニーを主宰し独自の演劇活動を行っていたリンゼイ・ケンプとの出会いだ。彼と出会い、演劇に対する情熱をかきたてられたボウイは、以前よりも強く仏教やメディテーションといったものに惹かれていったボウイは、キャリアを進めていくにはまだ準備不足との判断を下し、音楽業界からしばらく引退してしまうのだった。ケンプのもとでレッスンを受けたボウイは数々のマイムの舞台に出演。しばらくしてボウイは仲間2人と演劇集団フェザーズを立ち上げた。なおこのフェザーズでのマイム公演のツアー中、彼らはティラノザウルス・レックスのサポートを務めている。後にボウイが、唯一のライバルだったと振り返ることになるマーク・ボランとは、ここで初めて遭遇している。フェザーズが活動した一年間の中で最も大きな成果があがったのはテレビ・スペシャル用の実験映画だった。このフィルム用にボウイはスタンリー・キューブリックの映画、2001年宇宙の旅にインスパイアされた楽曲“スペース・オディッティ”を書いた。このフィルム用のヴァージョンは1969年3月に録音されている。この曲がきっかけでボウイは音楽界への復帰を決心し、まもなくマーキュリーとソロ契約を果たした。1969年6月に名プロデューサー、ガス・ダッジョンの指揮のもと再レコーディングされた“スペース・オディッティ”は7月にシングルとして発表された。これはアメリカではヒットしなかったものの、イギリスではかなりのヒットを記録。続いてボウイはトニー・ヴィスコンティと共にアルバム、デヴィッド・ボウイ(アメリカでは<マン・オブ・ワーズ、マン・オブ・ミュージック>の名でリリース。後にスペース・オディッティと改題されRCAから72年に再発されている)』を制作。これが11月に発表されるとデヴィッド・ボウイは一躍注目を集めるようになったのだった。

その後70年代にジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)など好作品をいくつも発表していったデヴィッド・ボウイは独特なスタンスで音楽スタイルを鮮やかに横断する神秘的なアーティスト、ロック・アイコンとして認知されていく。しかし80年代に入るとナイル・ロジャースによるディスコ・サウンドが話題となり大ヒットを記録したレッツ・ダンス(Let's Dance)辺りを境に当初のオーラを放っていた活動の勢いはなくなっていった。その後ティン・マシーンというバンドを組んだり、過去の名曲ばかりを歌うツアーを敢行するなど、迷走を続けたボウイは近年、アースリング(Earthling)やアワーズ(Hours)でかつての輝きを再び感じさせてくれるようになった。またマリリン・マンソンなどアメリカの新世代ゴシック系アーティストの台頭や、グラム・ロックの狂騒を描いたヴェルヴェット・ゴールドマインの公開などもあり、90年代後半に入ってからのボウイは何かと人々の話題にのぼることになった。2000年に入ってからのボウイは以前にも増して精力的な活動を続ける。2002年には力作ヒーザン(Heathen)をリリース。また同年、世界各国で収録曲が異なるベスト・アルバムベスト・オブ・ボウイ(Best Of Bowie)もリリース。コレクターは各国盤収集にむせび泣いた…。2003年は過去作の再発などが相次いだが、Heathenから2年とあけずにアルバムリアリティー(Reality)をリリース。こちらも往年のファンを唸らす力作で評判が高い様子。2004年3月には、実に8年ぶりとなる来日公演を日本武道館ほかにて行う。

デヴィッド・ボウイが好きだったということを70年代後期~80年代初期のパンク以降の連中がくちぐちに語ったように、ポスト・パンク~ニュー・ウェイヴ期のアーティストにボウイは大きな影響を与えた。主にイギリスのミュージシャンだが、彼らが音楽を聴き始めた頃に「まともだ」と思えたのはデヴィッド・ボウイくらいのものだったというような話はよく聴かれた。彼らにとってはプログレも70年代アメリカン・ロックも、単に純音楽主義的なヒッピーの末裔に見えたのだろう(いい悪いの話ではなくて)。具体的にヴォーカルのどこそこがコピーされているということは意外に指摘しずらいところもあるし曖昧な言い方にもなるのだが、何となくボウイが醸し出していたイギリス的な抒情や深い陰影に富む質感みたいなものを、その時期のミュージシャン達は受け継いでいたように思う。代表的なところではエコー&ザ・バニーメンの若きイアン・マカロックボウイの大ファンだったし、前身バンドのワルシャワの名が示すようにジョイ・ディヴィジョンの連中もボウイの影響を受けている。90年代ではやはりマリリン・マンソンプラシーボのブライアン・モロコが両右翼か。

デヴィッド・ボウイはもちろん主に存在自体で表現するアーティストであることに変わりはないが、少しひいた視点で彼の活動を見てみれば、固定した音楽スタイルを持たない割に独自の歌い回しの文体がある、という点において優れた歌手であると言える。

 

2016年1月10日、癌のため死去。享年69歳。

キャリア

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