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- 発売日:2000/11/28
- レーベル:Edenways
- カタログNo.:EDE10792
- 組み枚数:1枚
- 発売国:France
- フォーマット:CD
Musique Traditionelle Cubaine【CD】
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アーティスト紹介
Compay Segundo
キューバ発、音楽の素晴らしさ、人生の楽しみ方を教えてくれるキューバ音楽の師匠Compay Segundoコンパイ・セグンド。115歳という母の長寿記録を塗り替えるはずだったのが、彼の訃報を聞かされるのがこんなに早くきてしまうとは...。 葉巻を吸って、ブラック・スープ(チキン・コンソメがベースの二日酔いに効くと自身が言っておられる特製スープ)を飲み、音楽を楽しみ恋だってする勢いのコンパイ(「6人目の子作りに励んでおる」と語っておられた)だったが、腎臓疾患のため2003年7月13日、この世を去ってしまった...。謹んでご冥福お祈りいたします。 Grammy-winning Cuban musician and composer Compay Segundo, best known as the frontman for the Buena Vista Social Club, died of kidney failure on July 13 in Havana. He was 95. Despite a drastic political and social change in the country, the cigar-smoking and Panama-hat-wearing artist has brought joy to people over the nine decades. コンパイ・セグンドが日本でもこんなに有名な存在となったそもそものきっかけは2000年、日本にもブームを巻き起こしたヴィム・ヴェンダース監督映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(以下、B.V.S.C)なのである。この決定的ブームの火付け役となったこの映画B.V.S.Cはライ・クーダ-がプロジェクトに加わり同タイトルのアルバムも‘97年にリリースされた。解説するまでもなくこの映画はライ・クーダ-がキューバにて出会うかつて活躍したシンガー、ミュージシャンたちとのドキュメンタリーで、随所にコンパイをはじめオマーラ・ポルトゥオンド、イブラヒム・フェレール、ルベーン・ゴンザーレス等の名演、名唱が散りばめられたロード・ムービー。またこの同名タイトルのアルバムは世界的規模での売れ行きを記録。現在も売れ続けているアルバムである。
このドキュメンタリー映画の中でご老人たちが演奏している音楽が“ソン”というスタイル。解り易く言えばヨーロッパとアフリカの音楽が混ざりあったスタイルであるが、奥は深い。アルバム“B.V.S.C"の1曲目に収録されている曲“チャン・チャン”を歌っているのが、コンパイ・セグンド。コンパイ・セグンドという名前の由来は1942年に結成されたロレンソ・イエレスエロとのデュオの“ロス・コンパドレス”からきている。相棒であるロレンソ・イエレスエロだが50年代から’62年に至るまでの25年間マリア・テレサ・ベラとのデュオを組んでいた。(ロス・コンパドレスの活動歴については様々な説があると言う事らしい)
この同郷の親友同士で結成されたコンビはたちまち人気ものとなる。当時よりコンパイはあのアルモニコを担当していた。アルモニコとはコンパイが独自開発したとされる楽器で、7弦のギターとトレスを合わせたようなものでありギターの第3弦にあたる弦が2本ある。アルモニコの他にもギター、クラリネットも演奏し作曲も手掛けている。
13年の間活動を続け、1950年“ロス・コンパドレス”は分裂。後彼は“コンパイ・セグンド・イ・ス・ムチャ-チョス”を結成するがその後は表だった活動をせずに葉巻屋の仕事に勤しんでいた。
‘89年、久々に表舞台に登場したコンパイ、「アメリカ大陸伝統文化フェスティバル」というイベントのスペシャル・ゲストとして招待され、それ以来欧米でも人気に火が付き、スペイン、ヨーロッパにおいてのライヴ活動も好評、その高年齢をものともせずの大活躍。
’96年、彼はソロ・アルバム“ヨ・ベンゴ・アキ”をリリース、この後に“B.V.S.C”に参加し全世界にその名を知られる様になるのである。
そして‘98年の夏にはマイアミのMIDEMにてイラケレ、オマーラ・ポルトゥオンド等とのショーケースで全世界にその存在をアピールした。 その‘98年にはマドリード、キューにて録音されたアルバム“ロ・メホール・デ・ラ・ビダ”をリリースした。このアルバムにはキューバの女性歌手オマーラ・ポルトゥオンド、シルヴィア・ロドリゲス等といった名前がゲストとしてクレジットされている。ラストに収録された“Son De Negros En Cuba”はキューバの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩にコンパイ・セグンドが曲を付けたナンバー。'99年、アルバム“カジェ・サル-”を発表。この時コンパイ、93歳 。‘99年に入ってからも大忙しのコンパイ・セグンド、勢力的にライヴ活動を続けて(楽しんで)いる。
85年間も吸い続けている大好きな葉巻、今は1日に1本と決めていたそうだが、なんでも「祖母の年齢まで長生き~」を目指し(祖母は115歳まで長生きした!)、葉巻を吸って、ブラック・スープ(チキン・コンソメがベースの二日酔いに効くと自身が言っておられる特製スープ)を飲み、音楽を楽しみ恋だってする勢いのコンパイ(現在も「6人目の子作りに励んでおる」と語っておられた)だったが、腎臓疾患のため2003年7月13日、この世を去ってしまった...。謹んでご冥福お祈りいたします。
体の中を血が流れているかぎり、私は女性を愛す。人生で素敵なものは女と花とロマンス......(コンパイ・セグンド) Grammy-winning Cuban musician and composer Compay Segundo, best known as the frontman for the Buena Vista Social Club, died of kidney failure on July 13 in Havana. He was 95. Despite a drastic political and social change in the country, the cigar-smoking and Panama-hat-wearing artist has brought joy to people over the nine decades.
Born Maximo Francisco Repilado Munoz, November 18th in 1907, Compay spent his early childhood in the small town of Siboney, Cuba. At the age of seven, he moved to Santiago, which greatly influenced his musical talent and later career. The town was the birthplace of "son", a Cuban music shaped up by African rhythms and Spanish lyricism. While playing the guitar and clarinet, Compay invented a seven-string guitar-like instrument called "aromonico" to add harmonics for son music. He toured and worked with a lot of musicians until he formed the duo Los Campadres, from which he got his nickname, with vocalist Lorenzo Hierrezuelo in 1942. In the late 1950s, Compay parted with Lorenzo and formed his own group Compay Segundo y sus Muchachos (meaning "Compay Segundo and his Boys") until 1960s, when Fidel Castro, leader of the Cuban Revolution, rose to power. Around that time, Compay almost retired from music and began working in a local cigar factory.
It was not until late 1980s, when he was in seventies(!), that Compay returned to music, releasing a number of acclaimed albums and touring in Cuba and Europe. The stage was set for his second and biggest success. With contribution from rock guitarist Ry Cooder, Compay was featured on the 1997's project 'Buena Vista Social Club', which earned him a Grammy award in 1998 and propelled him to international stardom. The album put a spotlight on long-forgotten Cuban artists including Omara Portuondo, Ibrahim Ferrer and himself, and "son" music. The group was also featured on the film of the same name directed by German filmmaker Wim Wenders.
Surprisingly, Compay became more prolific in his nineties, releasing his solos 'Lo Mejor De La Vida' (1998), 'Calle Salud' (1999) and several compilations. Compay Segundo's contribution to Cuban music is temendous, most notably he wrote over 100 classic songs such as 'Chan Chan'.
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