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- 発売日:2013/05/01
- レーベル:Bertus 名盤 1000yn
- カタログNo.:88697558702D
- 組み枚数:1枚
- 発売国:Europe
- フォーマット:CD
Goodbye Lullaby【CD】
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アーティスト紹介
Avril Lavigne
「私は本当に世界を揺るがしたい」
これはアヴリルがデビュー前に残したコメントであるがこの言葉は実現と化す。アルバム『レット・ゴー』は世界中で大ヒットを記録。発売から2年で1,000万枚以上を超えるセールスを記録するモンスター・アルバムへと化けた。もちろん日本でもアヴルリルは熱狂的な支持を集めた。 アヴリル・ラヴィーンはカナダのオンタリオ州にある人口5,000人ほどの小さな町ナパニーに1984年の9月27日に生まれた。
「Avril」とはフランス語で「4月」という意味。フランス人の父がこの名前を付けたそうだが、名前の由来については不明とされている。家族は父とカナダ人の母と兄と妹の5人家族。
アヴリルは物心が付く前から周りからの注目を集める存在であった。小学校に上がってからも奇行が多かったというほどではないにしろ、非常に落ち着きのない子供だったという。歌を歌うことも好きだったがそれ以上にスポーツに夢中で、女の子よりもむしろ男の子と遊ぶ機会のほうが多かったとか。
そんな彼女も12歳の時に初めてギターを手にする。最初にコピーをしたのはレニー・クラヴィッツの“フライアウェイ”。
それから彼女は曲作りに没頭していく。その後、教会でゴスペルを歌ったり、タレント・コンテストに出たりしながら、音楽活動を続ける。自分が歌っているところを撮ったビデオ・デモ・テープを様々なレコード会社やマネージメント事務所に送りつづけているうちに、ダイド、サラ・マクラクラン、サム41らを擁する大手マネージメント=ネットワークとソングライターとしてのデモ契約を交わし、ライターとしての活動を始めた。2000年にはそんな彼女の評判を聞きつけたアリスタ・レコードのとあるスタッフがアリスタ社長のLAリードにアヴリルを紹介。アヴリルのパフォーマンスと天才的なソングライティングの才能に惚れ込んだリード社長はその場でアヴリルにレコード契約を申し出たという。
音楽活動について当初難色を示していた両親を何とか説得したアヴリルは2001年1月に単身ニューヨークへと移住。もちろん来るべくデビュー・アルバムに向けての準備を始めるためである。レコード会社としては彼女の才能に惚れ込んではいたが、最初は外部のライターに曲を書かせてアヴリルにそれを歌わせようと目論んでいたらしい。しかし、彼女の性格からしてそれは耐え難い屈辱であったようだ。他人の作った曲なんて歌いたくないという想いは募りに募り、ストレスはたまる一方。遂に我慢の限界がきたアヴリルは同年6月にLAへと再移住を決意する。LAへと移住したアヴリルはそこでクリフ・マグネスやプロデューサー・チームのザ・マトリックスと出会い、一緒にスタジオに入った。彼らに対して何か感じるものがあったのだろうか、彼女は彼らと曲作りを開始した。そこで出来上がった記念すべきデビュー・アルバムが『レット・ゴー』である。
アルバム『レット・ゴー』は発売と同時にヒット・チャートを駆け上がっていった(なんとビルボード初登場8位)。当時のチャートはR&B/ヒップホップ一色。キラキラとゴージャストラックに乗せて絵空事を歌う曲がもてはやされる中、彼女のような小気味よいハジけたロック・サウンドはどちらかといえば異色であったと言えるだろう。女性ロック・シンガーのニュータイプとして注目されたアヴリルは順調なスタートを切った。
「私は本当に世界を揺るがしたい」
これはアヴリルがデビュー前に残したコメントであるがこの言葉は実現と化す。アルバム『レット・ゴー』は世界中で大ヒットを記録。発売から2年足らずで1,500万枚以上の売り上げを記録するモンスター・アルバムへと化けた。もちろん日本でもアヴリルは熱狂的な支持を集め、2003年5月には日本武道館他で初来日公演を行った。
瞬く間にスターとなったアヴリル。当然彼女がコンサートを開けば即日ソールドアウトが常。彼女のコンサートが観たいけどチケットがとれない!という多くの声に応えて2003年11月にはライヴDVD『マイ・ワールド』をリリースした。アルバム1枚分しか曲のストックがないためか、コンサートではグリーン・デイやボブ・ディランのカヴァーが披露されている。
そして2004年6月、デビューから丁度2年の時を経て2ndアルバム『アンダー・マイ・スキン』が到着する。
『レット・ゴー』で彼女のブレイクに一役買ったプロデューサー・チームのザ・マトリックスとはあえて袂を分けた。その代わりにエヴァネッセンスを電撃脱退したギタリスト、ベン・ムーディーやアワ・レディ・ピースのシンガー、レイン・メイダ、 リンキン・パークのプロデューサーであるドン・ギルモア、元マーヴェラス3のフロントマンであり現在はソロ・アーティストとして活躍するブッチ・ウォーカーらを新作のソングライター/プロデューサーに招いた。言うまでもなくこの人選は本人の意向であるロック色の強いサウンドを目指した結果である。
デビュー・アルバムが1,500万枚以上の売り上げを記録したことで生まれたプレッシャーやスターに付き物の誹謗中傷、そういったしがらみを全て跳ね除けて届けられた『アンダー・マイ・スキン』には彼女の2年間の成長がしっかりと刻み込まれている。シンガーとしてソングライターとしてアーティストとしてまた一回り大きくなった彼女の快進撃はこれから先も続くことだろう。
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