目次
- 一 幼少時代
- 一八六二年(誕生)〜一八七〇年(八歳)
- 武士の家に生まれた少年
- 祖父と父の開拓者精神(フロンティア・スピリット)
- 有名なわんぱく坊や
- 父が亡くなる
- 大好きな母
- 西洋との出会い
- 武士の時代の終わり 戊辰戦争
- 鼓手になる
- 初めて英語を習う
- 叔父の養子になって東京へ
- 二 東京
- 一八七一年(九歳)〜一八七六年(十四歳)
- 夢にまでみた東京へ
- 明治時代の東京 印象に残った福沢諭吉
- 本格的な英語の勉強
- 講談で人生を学ぶ!?
- 目に見えぬ神の心にかよふこそ 人の心の誠なりけれ
- 見る人の心々に任せおきて 高嶺にすめる秋の夜の月
- 東京外国語学校(東京英語学校)で学ぶ
- 素晴らしい先生との出会い
- 初めて書いた英作文
- 人生を決めた二つのできごと
- 三 札幌農学校
- 一八七七年(十五歳)〜一八八一年(十九歳)
- 札幌農学校(Sapporo Agricultural College)の開校
- クラーク精神(Clarkii Spirit)
- Be gentleman.(紳士たれ)
- 札幌農学校入学
- キリスト教の洗礼を受ける
- 札幌農学校での学生生活
- 「アクティブ」から「モンク」に
- 悲しみの帰郷
- 生涯にわたる愛読書
- 札幌農学校卒業
- 四 東京大学/アメリカ留学
- 一八八二年(二十歳)〜一八八六年(二十四歳)
- 「太平洋の橋になりたい」東京大学入学
- アメリカ留学を決心する
- いよいよアメリカへ
- ジョンズ・ホプキンズ大学(Johns Hopkins University)
- 学友ウィルソン
- ボルティモアでの留学生活
- キリスト教フレンド派の信徒(クエーカー)になる
- 普連土女学校(普連土学園)の設立
- メアリーとの出会い
- 将来の夢
- 五 ドイツ留学/結婚
- 一八八七年(二十五歳)〜一八九〇年(二十八歳)
- 幸運なドイツ留学
- メアリーとの文通
- 母の命日に
- ラヴェレー教授の質問
- ベルリン(Berlin)、そしてハレ(Halle)へ
- 留学を終える
- 結婚
- メアリーとともに帰国
- 六 札幌農学校教授/遠友夜学校
- 一八九一年(二十九歳)〜一八九七年(三十五歳)
- 夫妻で札幌へ
- 札幌農学校の教授として
- 幅広い教育活動
- 北海道開拓の技師
- 遠益の誕生
- 遠友夜学校
- 誰に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心をもって
- 七 世界的な名著『武士道』
- 一八九八年(三十六歳)〜一九〇〇年(三十八歳)
- 療養生活
- アメリカへ
- 『武士道』の出版
- 現在にも通じる日本の武士道
- その功績、三軍の将に値する
- 和魂洋才 英語の達人
- アンクル・ニトベ(Uncle Nitobe)
- 女子英学塾(津田塾大学)
- 八 台湾の砂糖産業と植民地政策
- 一九〇一年(三十九歳)〜一九〇五年(四十三歳)
- 台湾へ
- 日本の植民地 台湾
- 後藤新平との出会い
- 台湾の砂糖産業
- 人のつながり
- 京都帝国大学教授になる
- 九 第一高等学校の校長
- 一九〇六年(四十四歳)〜一九一三年(五十一歳)
- 第一高等学校の校長になる
- 新風を巻き起こした新校長
- 面会日
- ソシアリティー(社会性)の大切さ
- 専門センス(専門的知識)よりコモンセンス(常識)
- 新渡戸校長への批判
- 小日向の家
- 日米交換教授(カーネギー平和事業)
- 一高校長をやめる
- アゼリア会
- 十 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長
- 一九一四年(五十二歳)〜一九一八年(五十六歳)
- 東京帝国大学の植民政策講座
- 日本人道会(Japan Humane Society) 動物愛護運動
- 原敬とともに 東北の振興と民主主義の普及
- 銀婚式 竹内栖鳳画伯が描いた紅白の菊
- 拓殖大学の第二代学監に就任する
- 「個人として強かれ」
- 大正時代の女子教育
- 東京女子大学の初代学長
- 稲造の「娘」たち
- 農人形
- 軽井沢 心安らぐ地
- 後藤新平と稲造がめざした「学俗接近」 軽井沢夏期大学
- 十一 国際連盟事務次長
- 一九一九年(五十七歳)〜一九二六年(六十四歳)
- 国際連盟事務次長になる
- 連盟の輝ける星
- 国際連盟の精神を世界中に普及させる
- オーランド諸島の領土紛争を解決した「新渡戸裁定」
- エスペラント界の恩人
- 国際知的協力委員会(Committee on Intellectual Co‐operation)
- 関東大震災
- 日本での普及活動
- 排日移民法
- レザマンドリエ(Les Amandoliers) ジュネーブの「日本の家」
- パス・フレンド(Pass friend)!
- 十二 平和の使徒として
- 一九二七年(六十五歳)〜一九三三年(七十一歳)
- 帰国して 貴族院の勅撰議員
- 女子経済専門学校(新渡戸文化短期大学)
- 恵泉女学園を支える
- 太平洋問題調査会(IPR)
- 生涯の友との別れ
- 「郷土は国の基なり(郷土国之基)」
- 産業組合(協同組合)
- すべての人に医療を 医療利用組合病院
- 最後の札幌訪問 魂のふるさとへ
- 太平洋問題調査会 上海会議
- 松山事件
- 期待を背負って、アメリカへ
- 国を思ひ世を憂ふればこそ何事も 忍ぶ心は神ぞ知るらん
- 国際連盟を脱退
- Union is Power(団結は力なり)
- 最後の旅
- メアリーとともに最後の日々
- 別れ
- 無言の帰国
- 十三 没後 稲造が遺したもの
- メアリーの晩年
- 遠友夜学校の閉校
- 稲造の精神的子孫(spiritual descendants)
- 『武士道』のその後
- 国際連合とユネスコ
- カナダの新渡戸記念庭園(Nitobe Memorial Garden)
- 五千円札に登場した稲造
- 稲造がつなぐ友好関係
- 「宇宙の生命」 自然への愛
- 諸宗教の根底にあるもの
- 生まれた目的
- 感謝のことば−あとがきにかえて
- 年表
- 新渡戸稲造博士の主な著作
- 新渡戸稲造博士と関わった主な人々
- 参考資料
- 写真協力・写真もくじ
- 記念館紹介
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